正午を少し過ぎた頃合いに、レオンに来客があった。
今日も黒い服を来た彼女が、近習に案内されて、レオンの部屋の前まで来ていた。
「クロエ姫」
慌ててレオンは上だけマシなのに着替え、彼女を出迎えた。
「いきなり来てごめんなさい。もう一度、魔道士の塔に案内してくださる?」
もちろんレオンに否やはない。
今度は抜かりなく父から鍵を借りてくると、待たせた詫びをしてから昨日も通った道を二人で並んで歩き始めた。そっと彼女の顔色を窺い見る。昨日、大魔道士様の姿で戻ってきた彼女はその後、本来の自分の姿に戻って夕方から寝付いていたと聞くが、見る限り多少顔色が青いような気はするものの、元気そうだ。
レオンはさりげなく切り出した。
「姫、お体の具合はいかがですか? 今朝になっても起き上がれないとの知らせを頂いたので、心配していたんですよ」
「ごめんなさい、母が過保護で。本当は朝にはもう大丈夫だったのだけど、昼まで寝てなさいって、ベッドから出してくれなかったの」
それっきり会話が途切れた。聞きたい事は沢山ある。
彼女は妹と違い口数の多いタイプじゃなさそうだし、そこは男として自分がリードしなければとレオンは思うのだが、昨日一日で色んな事があり過ぎて、当事者の一人でもある彼女にどう声をかけていいかわからない。とても気まずい。
沈黙は苦ではなく、会えて嬉しいと何とか彼女に伝えたいのだが、さて、どう言えば……?
「……ごめんなさい」
彼女が突然謝罪した。レオンは動揺した。
「な、何が!?」
「私、嘘をついてたわ。本当は私、巫女なんかじゃないの。父が力を貸してくれるから、表向きにそういう風に言っているだけなの。私自身には、本当は何の能力もないの……」
彼女は癖になっているのか、左の親指に嵌めた指輪を右手で包むような動作をした。
それでレオンは彼女が指輪をしていない事に気付いた。
「姫。指輪は……」
「母に預けてきたの。指輪の中で眠っていても、父はいつも私の声に耳を傾けていて、私を助けてくれるから。それはとてもありがたい事だけど、反面、私の全てが筒抜けになっているという事でもあるの。もちろん父は私のプライベートな部分には踏み込んでこないし、知っても知らぬ振りをしてくれる位には紳士だけれど」
紳士、かあ……。レオンは父と派手な痴話喧嘩を繰り広げていた大魔道士を思い出した。
「でも、指輪さえしていなければ、私は普通の女の子だわ。元々あの指輪は母に贈られたものなのだし、私が持たなくてもいいと思うの。私を巫女として置いてくれるのは、多分……周りが凄い才能のある人ばかりだから、私が劣等感を持たなくても済むように、との配慮からだと思う」
テランの重鎮達は以前の魔道士の塔の精鋭ばかりだから、気持ちはわからないでもない。
母のメルル妃も、大魔道士様と比べると名声は一歩劣るとはいえ高名な占い師だし。
「私、凡人でも構わないの。魔法の才能に恵まれていなくても、占いも予知も出来なくても、私は私だわ。だからレオンが、私を父の憑代と知らなくても優しくしてくれたのが、とても嬉しかったの」
……その割には最初の求婚を断られたような。
いや、その後の行動で挽回したのだと思っておこう。そうしよう。
「ですが姫。オレはやはり、姫は巫女だと思いますよ。大魔道士様のお声を聞けるのはもしかして他の人にも出来るかもしれませんが、大魔道士様のお姿を現して、万人に声を届ける事が出来るのは、姫しかいないと思いますから」
レオンは純粋に慰めるつもりで言ったのだが、彼女の反応は激烈なものだった。
「違うの……!」
激しく首を振り、彼女はレオンの言葉を否定した。そして言った。
「違うの、私じゃないの。全て父の力なの。だって父が死んだのは、私のせいだから……!!」
彼女は膝を折り、うずくまって泣き始めた。
レオンは驚いて、同じく膝をついて彼女と同じ目線になってから、
「ひ、姫。大魔道士様は禁呪の使い過ぎで、体に負担がかかって亡くなられたと聞いています。姫のせいなんかじゃありませんよ。どうか自分を責めないでください」
「父は禁呪の使い過ぎなんかじゃなかったわ。父は元気で健康そのもので、いつだって自由だった。その自由を奪ったのは、私なの。私が大魔道士を殺したの」
「………!」
彼女の言葉をどう受け止めればいいかわからない。
が、こんな時は泣きたいだけ泣かせた方がいいと、レオンは妹との経験上知っている。レオンはそっと彼女の肩を引き寄せた。彼女は一瞬びくっとして、レオンの手を振り払おうとしたが、最終的には大人しくレオンの胸に納まった。
好きなだけ泣いて、ようやく気が静まったのか、彼女は涙を拭いて立ち上がった。
レオンに顔を見られないように、道を先に歩きながら話し始める。
誰かに懺悔したかったのかもしれない。
「……私は死んで生まれたの。父……大魔道士ポップが父親でなければ、この世に存在しなかった命なの」
「………」
レオンは口を挟まなかった。彼女が返事を必要としていない事はわかっていた。
「母のおなかにいる時からそうで……母が体調を崩す度、父は母に回復呪文をかけ続けたわ。月が満ちて、ようやく生まれたけれど、死産だった。父は私に蘇生呪文をかけた。私は息を吹き返した」
コツン、とお行儀悪く彼女は石を蹴った。
「でも、私が二歳になった時……母が予知したの」
長い沈黙があった。
レオンは待った。彼女はようやくレオンに向き直って口を開いた。
「この子は大人になるまで生きられないって。私の葬儀のビジョンを見たって、母が泣いたの。それを聞いた父は、父の命を私にくれて、自分が死んだの」
そんな事が出来るのか、とレオンには疑問だったが、出来るのだろう。
世界最高の魔法使いであった彼なら。
「君が、いつも黒いドレスを着ているのは……その為?」
「そうよ。父の喪に服しているの。私のせいで死んでしまった、偉大なる大魔道士に」
魔道士の塔に着いた。
レオンは彼女の為に鍵を開けた。中は薄暗く、黴臭い空気が漂っている。
ぱっとレオンは走っていって窓を開けた。さあっと光が入ってレオンは目を細めた。
「……宰相が話してくれるのは、いつもこの塔の話なの」
彼女はレオンについて塔の階段を上りながら言った。
これも特にレオンに聞かせている訳ではないのだろう。
レオンは確か、テランの宰相はスタンという、大魔道士様の代わりに魔道士の塔の塔主代理を務めていた程の人物だったなと思い出していた。
「テランの岩屋に移動した後は魔道士の谷、と呼ばれるようになったけど、父は谷にはほとんど顔を出さずに先代の大魔道士様……マトリフ様に全権を委譲したみたい。同時に塔主代理だったスタンを引き抜いて宰相に据えて、他の主だった面々も次々に大臣に任命して、新しく国家としての体裁を整えたの。谷は谷で、マトリフ様を中心にした組織へ移行したんですって」
ぱたぱたと、レオンは次の窓を開ける。
彼女は置いていかれて埃だらけになった備品を手に取り、
「マトリフ様もご高齢だったから、実質的な運営は他の者がしていたみたいだけど。だから宰相や大臣達が話す父はいつもこの塔にいるの。テランの王としての父の姿を余り話さないのは、きっと私が父の死と直結しているからでしょうね」
実験室らしき部屋に入って、彼女は無言で歩き回った。
レオンは邪魔をしないよう扉のすぐ横に立ち、彼女の気が済むまで見守った。彼女が他の部屋を見て回るのにもついて歩き、まさか昨日のような危険がないか気を付けた。塔を出て、一緒に城に戻り、部屋まで送ろうというレオンの申し出を彼女は断り、
「……ありがとう。貴方が聞いてくれたから、私、また明日から頑張れるわ。貴方を愚痴の捌け口にしてしまってごめんなさい。でも、誰か、一人でもいいから、本当の私を知っていて欲しかったの」
恥ずかしそうな、はにかむような笑顔。
この時、レオンは彼女を一生守ろう、と思った。
感謝します、と彼女は頭を下げて、レオンが引き止めるのにも構わず戻っていった。
まだ、完全に信用されていない。
レオンはその足で、母、パプニカ女王レオナの元に走った。ある了承を得る為に。
「おにーちゃんっ! テランに留学するって本当!?」
荷物をまとめているレオンの部屋に、やはり断りなくディーナが突撃してきた。
「うん。どうもオレは剣の腕はこれ以上伸びなさそうだし、それなら母さん譲りの賢者の才能を鍛えた方がいいと思ってさ」
テランの魔道士の谷なら勉学には打ってつけだろ? とレオンは妹に同意を求めた。
「嘘つきっ! クロエ姫を追い掛けてゆくんでしょ!?」
ディーナは少々表現がストレート過ぎるのが難点だ。レオンは苦笑した。
「そうだよ。でも、ディーナ。応援してくれるって言ったよな?」
「言ったけど……、でも……」
ディーナはドレスを握りしめながら目線をさまよわせている。
部屋は留学に伴う引越しの荷物で溢れていた。レオン自身は着替えを数点持ってけばいいか、くらいの考えだったが、母はそれなりの支度をせねばと思ったらしく、有能な召使達が来ててきぱきと荷造りしてくれたおかげで今は、レオンが自分で選別したいと思ったもの以外は綺麗に整理、梱包されている。
「本気……、なのね……。本気でテランに行っちゃう気なのね」
レオンは頷いた。
「パプニカはどーすんのよっ! レオンはパプニカの王子でしょ!?」
「パプニカはディーナが継げばいい。ディーナは性格が母さんそっくりだし、きっとオレよりうまくやれるさ」
明日の朝、レオンは出発する。
といっても、帰国する彼女とメルル妃に同行させて貰うだけだが。さすがテランは魔法大国だけあって、ルーラの使える隋人を連れて来ているらしい。この多過ぎる荷物は、後で船便か何かで送る事になるかもしれないが。
「知らないわよ、ばか! 一回パプニカを出てったら、もう、レオンの戻る席なんか無いんだからね」
ディーナは顔をくしゃくしゃにして、ぽろぽろと大粒の涙を流して泣きじゃくる。
こんな風に、彼女も素直に感情を出せるようになるといい。死んで生まれたという彼女。彼女が常人と違う空気を纏っているように見えるのは、そのせいなのだろうか。彼女の半分は今も、あの世に囚われたままなのだろうか。
「悪い。迷惑かけるな」
レオンはディーナの肩を抱き寄せた。
妹が泣いた時は、いつもこうやって機嫌を取った。自分が妹に甘いのと同じくらい、ディーナが兄に甘い事をレオンは知っている。
「……振られて戻ってきたら笑うわよ。パプニカの全土に広めて、晒し者にしてやるから」
「いいよ。その時はオレはディーナの家来になって、ディーナに仕えるよ」
でも今は彼女の側にいて、彼女の支えになりたい。
その夜、父がいない隙を見計らって、レオンは父の部屋に忍び込んだ。
「大魔道士様……」
父の部屋には大魔道士の肖像画が飾られている。
「オレは貴方を超えてみせます。実力は無理でも、クロエ姫の心の中で、貴方より大きい存在になれるように。貴方の影を消せるように。貴方より先に、オレの名前を呼んで貰えるように」
レオンは父の部屋のポップの肖像画の前に立ち、見上げて宣戦布告した。
>>>2011/6/13up