……何だか彼女が冷たいような気がする。
テランに来てから一週間経っていた。その間にレオンは魔道士の谷に入学を願い出て、見事却下されていた。規定の水準まで達していないらしい。パプニカの王子として恥ずかしくない程度の学力はあるとレオンは自負していたのだが、谷はケタが違った。
テラン宰相スタンは、レオンが持ち帰った答案を見て、
「あー……、これは、ちょっと遠慮されるかもしれませんねえ……」
白っぽい金髪の中に本物の白髪が混じり始めたスタンは、元々細い目をますます細めて呟いた。
「以前は希望者はとりあえず全員受け入れて、その後の過程を見て放校するか決めていたんですが、最近はそうではないんですね。ま、谷長には谷長の考えがあるんでしょうから、私が口添えする事は出来ません。申し訳ありませんが」
がっくりとレオンは肩を落とした。
魔道士の塔の塔主代理だった宰相スタンなら、もしかして話を通してくれないかなと淡い期待を抱いていたのだが、きっぱり断られたワケだ。自分の実力を思い知らされたのもさる事ながら、レオンは自分の甘さに落ち込んだ。それはもうどっぷり。
どんよりするレオンを見兼ねたのか、スタンは更に言葉を継いだ。
「ですが、個人的にお教えする事は出来ます。谷長もレオン王子が再トライする事くらいは認めてくれるでしょうから、王子が試験にパス出来る自信がつくまで、お嬢さんと一緒に私が見ましょう。机をもうひとつ運ばせます。今日の授業は終わっていますから、明日から私の執務室へいらしてください」
宰相は彼女の教師も受け持っているらしい。
もっとも、この国の大臣達は皆、何かを兼任している。体格のいい庭師さんかと思った人が、国務大臣と知った時の驚きといったら。そういえば国務大臣が土いじり好きで……、と彼女が言っていたような気がする。
外務大臣はふらふらしていてほとんどテランにいないらしいし、でも体は残ってますよとか説明されてレオンには理解出来なかったし、テランには普通の軍隊はなく、あるのは魔法軍だが、軍務大臣は軍を指揮して訓練するより自分の修行に余念がないらしいし。
どうも最低限必要な仕事をこなす限り、全般的に自由なようだ。
ともかく、そういう訳でレオンは彼女と肩を並べて宰相の執務室で、仲良く勉学に励む事になった。
「………」
レオンはそおっと目だけで彼女の様子を窺い見た。
相変わらず無表情だが、レオンの視線に気付くとつん、とあちらを向く。
勉強中、私語厳禁なのは当然だが、それにしてもあからさまに無視されている……ような。
やはり、振られた癖にくっついてきたのが悪かったのか!? 空気読め、と言われても仕方ないのかもしれない。でも、パプニカでは彼女はレオンに感謝してくれて、少しは仲良くなれたと思ったのだけど。
それとも魔法力も学力も足りないとバレたのが悪かったか。
大魔道士様のみならず、宰相や大臣達はもちろん、入学を認められなかった時点で谷の学生達にも劣っていると証明されてしまった訳だから、幻滅されてしまったのかもしれない。更に落ち込む。
といって、逃げ帰るつもりはない。ディーナになんと言われるか。
妹に対する見栄と、王子としてのプライドと。彼女への想いと。彼女と一緒に勉強なんて、これが自分が教師役で彼女に教える立場なら実にいい感じのシチュエーションだろうに、実際は二人まとめて生徒役なのが情けない。盗み見た彼女のテキストは、レオンには全くちんぷんかんぷんだったし。焦る。
かたん、と彼女が立ち上がった。
「お嬢さん?」
宰相スタンが声をかける。彼女は体調が悪いので少し休みます、と言って執務室を出て行った。
レオンも教本を置いた。宰相が非難がましい目を向ける。
便乗してサボろうとしているとでも思われたのかもしれない。レオンはすかさず、
「スタン宰相。宰相はクロエ姫が何故、いつも黒い服を着ているのか知っていますか?」
と、聞いてみた。
「いいえ。あの色が好きだからじゃないんですか?」
宰相は少々ピントのズレた答えを返した。
ううん、とレオンは首を捻りながら、先日の出来事を振り返った。
レオンに遅れること三日、テランにパプニカから船便で送った荷物が届いた。
その中には彼女やメルル妃宛ての荷物もあった。これから息子が世話になる、という事で、母が気を回してくれたのだろう。レオンは開封しないまま二人に届けた。メルル妃は大層喜んで、その場で箱を開けてレオンにも見せてくれた。
入っていたのはドレスだった。女の子らしい、優しい色合いの。
まずい。彼女が黒い服を着ているのは喪に服しているからで、それを知らない母が黒ばかり着ていた彼女に他の色を着せてあげたいと思っても不思議はない。レオンが気を揉んでいると、
「まあドレス。良かったわね、クロエ」
そう言って、メルル妃が無邪気に彼女の体にドレスを当てようとした。
ここであれ? とレオンは違和感を覚えた。
彼女は母親の手をすっと避けて、
「後でいいわ。ありがとう、レオン。パプニカの女王様には私からもお礼の手紙を書くけれど、レオンからもよろしく言っておいてね。クロエが喜んでいたって」
それで彼女は出て行ってしまい、レオンはメルル妃に娘の非礼を詫びられながら、彼女が黒を着る理由はメルル妃も知らない事なのだと知った。
「宰相。失礼ですが、大魔道士様が亡くなられたのは、いつ頃……」
「何を突然。マスターは死んでなどいませんよ。人聞きの悪い事を言わないでください」
「えっ」
確か、彼女が二歳の時にメルル妃が彼女の死を予知した、という話だったから、七、八年だろうと見当をつけていたのだが、この返事は予想外だった。
「で、でも、実際……」
「パプニカで会ったんじゃなかったんですか? メルルさんからそう聞きましたが」
塔からの移住組は大魔道士様の事を王様ではなく、以前からの呼び方通りマスター、と呼ぶ。
王様としてより、師と煽いで接した意識の方が強いらしい。
だからメルル妃の事もマスターの奥さん、またはメルルさん、彼女の事はお嬢さんになる。宰相は気分を害したらしく、預かりものの王子であるレオンに強い口調で、
「勝手に殺さないでくださいウチのマスター。私だからちょっと注意される位で済みますが、他の者に言ったらただでは置かれませんよ。全く、誰がそんな事を王子の耳に入れたんです? そちらも呼び付けて、厳重に勧告しなければ」
自国の姫がお嬢さん、なのだから、自分の事もパプニカ王子というより勇者様のお子さん、という認識なのだろう。人によっては不敬と取るかもしれないが、レオンは宰相スタンに好感を持った。
「ですが、大魔道士様は禁呪の使い過ぎで亡くなられた、と……」
レオンは世間一般で流布している死因を持ち出した。
彼女の話が事実なら、大魔道士様の死の原因はこの国のトップシークレットだろうから、おいそれと自分が知っているとバラす訳にはいかない。
「その言い方は正しくありませんね」
宰相は自分の席を立ち、レオンの前まで歩いてくると、
「マスターは死んだのではなく、霊的に進化して一段上の階梯に上がられたのです。王子ならご存知かと思いますがこの国の守護神、聖母竜マザードラゴンは大戦の際に失われました。マスターはそれを悼み、御自分がその後を継ぐことを決意され、私達も賛同しました。マスターの魂は今は指輪の中で眠っていますが、有事には目覚め、テランを救ってくださるでしょう」
丁度パプニカでお嬢さんを救いに現れたように。
宰相スタンはにっこり微笑み、そう結んだ。
……うまく煙に巻かれたような気がする。
授業を終えてレオンは廊下を歩いていた。一週間前にやって来た時の印象通り、ちいさな城だ。パプニカと比べると、田舎にある別荘かな、と思うくらいの規模の。
でも居心地は良かった。
公的な場と、彼女とメルル妃が住む私的なフロアはきっちり分けられていて、レオンもそのプライベート部分に部屋を一室貰っていた。メルル妃も彼女も、自分達で掃除し、食事もつくる。朝と夜、レオンは二人と食卓を共にするのだが、調理したのもその二人と知って驚いた。
メルル妃の料理は決して普通の主婦の家庭料理の域を出ていなかったが、素朴で味わい深く、母から娘へ受け継がれるにふさわしい味だと思えた。初日、レオンが気付かなくて次から手伝いを申し出ると、
「レオン王子はテランに留学にいらしたのでしょう? それなら、勉強に専念してくださいな。お客様に手伝わせる訳にはいきませんし、家事は女の仕事です」
メルル妃はやんわり断った。
こんな所にもパプニカとテランとの違いを感じる。
母もディーナも包丁なぞ触った事もないだろうが、もし料理するとしたら、男女平等! とか言いながら一番面倒な作業をレオンに押し付ける事だろう。魚の頭を落とすとか。
リアルに思い浮かべてレオンは苦笑した。
それにしても彼女がケーキを食べるだけで感動したのに、尚且つ料理まで出来るなんて。
レオンはぐっと拳を握り締めて喜びを噛み締めた。これなら養える。
ちなみに昼食は、城で食べるか外食するか申告する事になっている。宰相の個人指導が午前中で終わるので、午後からは自習しようと城の外へ遊びに行こうと自由、という訳だ。
そうだ。彼女を外食に誘おう。
体調が良くなっていれば、の話だが。聞きたい事が沢山ある。
喪に服して黒を着ているという彼女だが、他が皆、宰相のように大魔道士様は生きている、という考えなら、メルル妃が他の色を勧めるのも頷ける。メルル妃自身は黒ではなく、好んで紫色を着ているようだし、この温度差、チグハグ感は何だろう。
宰相が嘘をついているとも思えない。
一国の宰相としては確かにぶっ飛んだ発言だったが、大魔道士様が守護神としてこの国を見守っているのは事実のようだし、内情はどうあれ、彼女も巫女として機能している。それによくよく考えれば、まだ十歳の女の子に、お前の父親はお前の身代わりで死んだ、などと教える筈がない。
彼女は大切にされていた。
塔からの移住組には研究一筋で妻帯し損ねた者も多く、マスターの一人娘である彼女を猫可愛がりしている。大臣達にしても、結婚しているのは国務大臣だけだ。
だから彼女にも、表向きの理由と同じく、禁呪で亡くなったと言っている筈だ。
彼女は何処から死の真相を知ったのだろう。そしてそれは、本当に真実なのだろうか!?
レオンははやる気持ちを押さえて、彼女の部屋へ足を向けた。
>>>2011/6/22up