薫紫亭別館


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 彼女が先をずんずん歩く。
 美しい人形のようだった彼女が、少しずつ人間に近付いてゆく。怒っているのだ。
 レオンが彼女を誘いに行くと、彼女より彼女の母のメルル妃の方が積極的で、渋る彼女の背中を押して送り出してくれた。メルル妃はどうやらレオンが留学を希望した理由に気付いていて、応援してくれているらしい。まあ初対面で求婚したし、バレバレではある。
 断られた所も見ていた筈だが、母親に気に入られている、というのは強みだ。ありがたい。
 将を射んと欲すればまず馬を射よ 。
 ちなみに体調が悪い、と言って自室で横になっていた彼女は、心配して様子を見に来たメルル妃に仮病と見抜かれてこっぴどく叱られたらしい。病弱だからといって、無闇に甘やかしている訳じゃないんだなあ……しかし、占い師ってそんな事までわかるのか。メルル妃恐るべし。
 そんな経緯もあって、彼女はメルル妃の勧めに逆らえなかったものと思われる。
 彼女は不本意かもしれないが、彼女との外食デートはレオンには単純に嬉しい。この所、どうも彼女はご機嫌斜めだったが、同じ不機嫌ならわかりやすい方がいいし、自分は道をよく知らないから、彼女が先に行ってくれるのは助かる。
 レオンは彼女の揺れる黒髪を眺めながら、同時に周りの風景にも目をやった。
 城をちょっと離れると、すぐに緑が広がる。恐らく麦畑だろうそれらの中に、ぽつん、ぽつんと家が点在しているという感じで、申し訳程度に石畳で舗装されている道の両端には、国務大臣が種を撒いたり植えて回ったという草花が競うように咲き誇っていた。
 遠くには森の緑。澄んだ湖もある。
 これなら充分に客を呼べる。もしくは王族や貴族達の保養の為の高級別荘地にするとか。
 なんとなくレオンが進言すると、
「それはダメ」
 彼女は一言で切って捨てた。
「母は昔ながらのテランを愛していて、観光客の招致に賛成じゃないの。私も騒がしいのは嫌よ。だから、テランはこれでいいの」
 少しは機嫌が直ったのだろうか? 返事があった事に安堵しながら、レオンはそっと足を速めて彼女の隣に並んだ。彼女は避けなかった。よし、これ位の間合いに立つのは許されているらしい。……パプニカで塔を案内した時と同じ距離だが。
 遠くで野良仕事をしていた老人が、彼女を目に留めて頭を下げた。彼女は鷹揚にちいさく胸の辺りで手を振った。道すがら擦れ違う人々も、彼女に道を譲って、彼女が通り過ぎるまで端っこでお辞儀している。
 国民に対しては彼女も仏頂面ではいられないらしく、愛想が良いとは言えないものの、誰々さんこんにちは、などと名前付きで声をかけている。
 幾ら小国とはいえ、国民全員の名を覚えるのは容易ではないだろう。
 レオンは感心した。更に尊敬した。自分はパプニカの王子として、そこまで努力してきただろうか。
 うーん、とレオンは唸った。どうしたの? と彼女が聞いた。
「あ、ごめん。いや、気のせいかもしれないけど、何だかご年配の方ばっかりだなって……」
「ああ……」
 彼女いわく、まだ子世代が育っていないから、だそうな。
 魔道士の谷が出来て人口が増えたとはいえ、皆が結婚して子を持った訳ではない。テランはやはりまだまだ過疎地だ。子供少なめの老人多め。何というか、働き盛りの壮年の年代が少ないっぽい。
 とはいえ、テランはもうずっとこれでやって来たのだし、余り心配はしていないらしい。子供は少しずつでも生まれてくるだろうし。いずれにせよテランは農業でも観光でもなく、魔法や学問で国を立てるという方針で、それで短期の留学生も受け付ける事になったらしい。
「でも、良かったわ」
 彼女はレオンを見上げて微笑んだ。
「貴方が余りに簡単にテランに留学を決めたから、私、レオンにとって王子という身分はそんなに軽いものなのかしらって、身損なっていたのよ。少しばかり気に入った女の子がいるからって、簡単に投げ捨ててしまえるくらいの。でも、レオンがテランを見る目は為政者としてのそれだわ。そうよね。そうでなければやはり、パプニカの女王様がすぐに許可を出す筈ないものね」
 ああ、そうか。彼女が冷たくなったような気がしたのはそれでか、とレオンは思った。
 彼女は代々続いた王家の出ではない。大魔道士様が見込まれてテラン王になったからこその王女で、その大魔道士様は既に亡くなられているのだから、彼女が王女でいられる必然性というか地盤はとっくに失われているのかもしれない。
 もちろん、彼女は巫女として崇められている。
 偉大なる先王、大魔道士様の一人娘という事で、敬愛されてもいるだろう。
 でもそれは、彼女自身の力じゃない。
 自分には何の力も才能もないと言っていた彼女。自分のせいで大魔道士が亡くなったと泣いていた彼女。
 きっと彼女は必死なのだ。
 その偉大な父に代わってふさわしい女王となるべく、年上のレオンより深い教養を身につけ、国民の顔と名前を覚え、恐らく彼女には不本意だろう大魔道士様の憑坐としての役目も、甘んじて受けている。だからいつも張り詰めて、他を見る余裕もないのかもしれない。
 もう少し肩の力を抜いて、多少の横着を覚えられたら彼女も楽になれるのだろうに。
「………」
 でもこの硬質で生真面目な彼女がレオンは好きなので、仕方ない。
 自分は彼女の愚痴を聞いてあげて、くだらない話をして、少しでも楽しませてあげられたらいい。色々と聞きたい事は沢山あるが、今はやめておこう。これから食事だというのに、料理がまずくなるような雰囲気は好ましくない。
 テランには実はデートに使えるような小洒落た店はなく、正直食堂、と言った方が近い店が何軒かあるのみだったが、湖のほとりにあるという事でロケーションは悪くなかった。
 レオンはその中でもテラス席のある店を選び、本日のお勧めメニューをふたつ注文した。
 味はまあ普通、だったが、後に供されたデザートが絶品だった。
「凄い! この季節に氷が食べられるなんて思わなかったよ」
 クラッシュアイスに黒蜜をかけたものを口一杯に頬張りながらレオンは舌鼓を打った。
「テランは、実は豪雪地帯だから……」
 同じものを口に運びながら彼女が説明してくれた。テランでは冬に湖に張った氷や雪を氷室に貯めておいて、年中、いつでも花から取った蜜や砂糖を煮詰めたものや果汁をかけて食べる事が出来るらしい。
 もし観光地化するならきっとこれも売りになるよ、とレオンが言うとそうね、と彼女も同意した。
 ふむ、彼女と会話を弾ませるには国の事を話題にすればいいらしい。これはちょっと覚えておこう。レオンは支払いを固辞する店主になんとか代金を受け取って貰ってから、次は、竜の神様を祭る神殿に行きたいと提案してみた。
 彼女はさっさと城に戻りたそうだったが、最後には折れて、案内してくれた。
 湖に一本、張り出すように道があり、その先に元は丸く円柱が立っていたのだろう神殿がある。まるで廃墟の様だが、竜の石像が残っているのと香炉や花が供えられている所を見ると、敬虔な誰かが今も参詣しているのだろう。
「……何だかありがたいなあ。ここにはもう誰もいらっしゃらないのに」
 手を柱に添わせながらレオンは感謝した。一般の民には聖母竜が消えた事は知らされていない。
「そういえば、勇者様は竜の騎士様でもあるから、レオンにも竜の血が流れているのね」
「うん。すっごくうすーくなってるけど。続柄は、一応ひいおばあちゃん……になるのかな? 父さんの父さんが、何代目かの本来の竜の騎士らしいから」
 父さんはイレギュラーなんだって、とレオンは付け加えて苦笑した。
 彼女は風に飛ばされたらしき供えものの花を集めて元の位置に戻しながら、
「何かヘンなの。それなら、本来ならレオンがここの王様でもおかしくないのにね。何だか私、ここにいるの悪いみたい……」
「いやそれは。もともと竜の騎士って一代限りらしいし、竜と魔と人と、どの種族にも肩入れしちゃ駄目らしいし。父さんは大魔道士様がテランの王様になって喜んでたみたいだよ。自分に縁のある国を、自分の親友が治めてくれるって事で。父さん、大魔道士様が大好きみたいだったからさ。自分の部屋に、でっかい肖像画を飾ってるくらい」
 ちょっと行き過ぎてるらしい事はレオンは言わないでおいた。
 が、彼女は突然表情を暗くして、
「そう……」
 と呟いた。
 しまった。彼女は大魔道士様の死に責任と罪悪感を感じているのに、自分は何を無神経に言ってるんだ。
「い、いやでも、その! スタン宰相は、大魔道士様は生きてらっしゃると言ってたよ……?」
 最後は覗うような調子になった。
「そうね。魂も命もここにあるし、顕現すれば外見まで父の姿になるし」
 指輪を見つめながら彼女が言う。
「だって私が呼び出せるのは父、大魔道士ポップの魂だけで、他の神様や、亡くなられた方の霊を降ろしてくれ、と言われても出来ないのよ? 役に立たない巫女と世界最高の大魔道士、どちらか一人しか選べないなら、どう考えても大魔道士の方がいいわよね」
 ううまずい。彼女がどんどん自虐的になってゆく。
「何故、マトリフ様は父の考えに賛同なんかしたのかしら。最初の助言通り、あの子は天命だ、見捨てろと言って諦めさせていれば、父は今も生きていたでしょうに。谷の皆もどうかしてるわ。幾らマスターだったからって、命令を全て聞かなきゃいけない訳ではない筈なのに」
「ちょ、ちょっと待って! 何それ! 大魔道士様が死んだと君に吹き込んだのは、まさか先代の大魔道士様なの!?」
 吹き込んだ、じゃなくて事実よ、と彼女は前置きしてから、
「マトリフ様が亡くなったのは、私が五歳……いえ、六歳の時だったかしら? その頃にはもう魔道士の谷の顧問も引退して、ずっと城で静養なされていたのよ。ご高齢だったしね。私もよく熱を出していたから、同じ部屋で面倒を診てもらう事も少なくなかったし」
 そういえば、大戦時で既に百歳近いご高齢だったとレオンは聞いた事がある。
 そこから更にお年を召したのだから、寝たきりになっても無理はない。
「お若い頃は気難し屋だったと聞くけど、私の記憶ではマトリフ様は日がなうつらうつらしている、優しいおじい様だったわ。本も沢山読んで貰ったし、字を教えてくれたのもマトリフ様だった。私はよくマトリフ様に懐いていて、体調がいい時も悪い時も、いつも側にいたわ。でも時折、マトリフ様は私の事をポップ、と呼んだの」
 彼女と大魔道士様は正直余り似ていないが、やはり親子、通ずる所があったのだろうか。
「それが父の事だというのはすぐにわかった」
 加齢によって現実との境が曖昧になった先代の大魔道士様は、彼女をその父と取り違えて、その父が亡くなっても相談に乗ってあげていたらしい。どれほど気にかけていたか、心配していたかよくわかる。
「今よりもっと子供だった私には、あの子、が誰の事なのかわからなかったけれど、気付いた時パニックにならなかったのは、マトリフ様が説得のあげく最後にはわかった、好きにしろと納得していたからなの。父は、生半可な気持ちで私に命をくれた訳じゃないのよ」
 彼女は左手を持ち上げ、指輪を陽に透かした。
「……父が指輪に魂を移すことが出来たのは、父一人の力じゃなくて、当時の谷の力をすべて結集した結果なの。マトリフ様は、その相談をされていたのよ。父には他に相談出来る人がいなかったの。さすがに母には酷だし、宰相も大臣達も結局はお弟子さんで、余り立ち入った話は出来なかったみたいだし」
「えーと、父さん……勇者相手では……?」
 勇者と大魔道士は親友だった。やや父の方が執着しているようにも見えたが、それは確かだ。
 パプニカとテランに離れていても、ルーラの使える二人には距離など関係ない。それ以外にも、幾らでも話す手段はあった。大魔道士様は一番の親友に、そんな一大決心がいるような事を、打ち明けようとは思わなかったのだろうか。
「だってそんな相談したら、勇者様が止めに来ちゃうでしょ?」
 彼女は事もなげに言った。
「勇者様は大魔道士である父を止められる、この世でただ一人の方だもの。全ては勇者様には秘密で行われたのよ。勇者様が気付いてテランに来ようとしても入れないよう、結界まで張って。今もそれは有効なの。呪文だろうと海路や空路だろうと、勇者様にテランの地は踏めない。だからこそ勇者様が父にもう一度会う為には、私をここから連れ出さなければならなかったのよ。降ろした時、外見まで父に変わる事は、勇者様には嬉しい誤算だったでしょうね」

>>>2011/7/21up


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