薫紫亭別館


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「お嬢さんがそんな事を?」
 授業を終え、彼女が出て行った後でレオンは宰相スタンに無理を言って時間をつくって貰い、話を聞いた。レオンが真相を知っている事に、宰相は眉ひとつ動かさずに、
「大筋では合っておりますが……そこまで悲壮なものではありませんでしたよ。マスターは確固たる信念を持って、いつものように非常に上から目線で私達にお命じになりました。まあ、呼びつけられた時にはマスターはほぼ全てを終えられていて、命令に従わなければ永久に失われる、寸前でしたけど」
 つまり、指輪に魂を移す手助けをしなければ、大魔道士様はそのまま亡くなられた、という事らしい。
 選択肢はなかった。魔道士の谷は全力で大魔道士様を支援した。
 大魔道士様が聖母竜の後釜に座るというのも、実は後付けの理由らしい。娘を見守るついでに、テランも守護してくれるという訳だ。一石二鳥にも三鳥にもなって丁度いい。
「宰相は……それで良かったんですか? 他に方法はなかったんですか?」
 釈然と出来ずにレオンは聞いてみた。
「そう言われましても、退路はマスター自身が絶ってありましたし」
 ふう、と宰相は息を吐いて、
「私達はマスターには逆らえないんですよ。もともと押し掛け弟子が寄り集まって出来たのが魔道士の塔ですし、それで強く出られない所があったんですが、だんだんマスターのフォローというか、尻拭いをするのが当然みたいな空気になってきちゃって。何というか、自由な人でしたからね、マスターは。やれば出来る人ですから、外からは立派に見えるでしょうが」
 そういえば塔主も王様も、どちらも望まれて神輿に乗ったような経緯だ。
 父と痴話喧嘩(だよな、アレ……)を繰り広げていた所を見ると、とてもそうは思えないが、優秀な方ではあるのだろう。母も強いし才能あるし、とか言っていたし、魔法の威力はあのモンスターを一撃で倒した事で、レオンもよく知っている。
「実物はナマケモノなんですけどねー。政務なんかも私に丸投げでしたし」
「そ……そうなんですか?」
 レオンの問いに、宰相はひらひらと手を閃かせると、
「ええ。そこ、今お嬢さんと王子の机がある場所、元はそこにソファが置いてありましてね。マスターはよくそこに転がって昼寝していたものです。下手に口出しされても邪魔なだけですからそれはいいんですが、余りにも太平楽な寝顔に、何度口の中にマスタードを詰めてやろうと思った事か」
 いびきをかかないだけマシでしたがね、と宰相は細い目を更に細めた。
 他にも、大魔道士様は好き嫌いが多くてメルル妃に食事を全部食べ終わるまで外出禁止にされていたとか、以前鍋と塩を譲ってもらったとかで、王様になってもその家に薪割りをしに行ってたとか。
 宰相が話してくれるのは、彼女から聞いていたのとは違う、もっと身近な、人間くさい大魔道士の姿だ。
 ふと、レオンは顔を上げて、
「クロエ姫には、こういう話はされていないんですか?」
「娘の中だけでも、美しい父親像としてのマスターを保ってあげようと思いまして」
 ……ああ、うん。真実は知らない方が尊敬出来たりする事ってあるよね。
 レオンは深あく頷いた。自分の父、勇者ダイを思い返してみてもそう思う。
「宰相が大魔道士様に心酔されていた事はわかりました。でも、だからこそ、大魔道士様がいらっしゃらない今の現状に不満はないのですか?」
 彼女に頼めば顕現するとはいえ、指示を仰ぎたい時にすぐにお目にかかれないというのは、宰相だけでなく他の大臣達にとっても不都合な事だろう。その上彼女は体が弱く、負担になるからという理由でほとんどお願いしていなかったらしいし。
「全く支障ありません。元々マスターは遊ぶのが仕事、みたいな方ですし」
「嫌な想像をしてしまいますが、ずっと顕現させたまま、大魔道士様の姿でいて欲しいと思った事はないのでしょうか?」
 レオンは尚も言い募った。
 彼女は大切にされてはいるが、何処か大魔道士様の器としてのみ、敬われているような気がする。
 だから彼女は傷ついているのだろうし、人一倍努力して、王女として正しくあろうと苦しんでいる。レオンにはそれが見過ごせなかった。宰相は僅かに肩をすくめて、
「既に終わってしまった事を、今更ぶり返してああだこうだと議論して何になります?」
 宰相スタンは言い切った。
「そんな非建設的な思考は谷にも、テランにも必要ありません。それに、喪われたのはマスターの肉体だけで、他は全て揃っています。私達にはマスターの考えが理解出来ます。きっと同じ立場に立てば、そしてその力さえあれば、マスターと同じ選択をしたでしょう。それは、当時は多少悩んだ事もありましたが、今はこれでいいと思っています」
「………」
 悄然としてレオンはうつむいた。
 ……これが魔道士の塔、引いては谷の考え方か。それなら、自分に魔法使いは務まりそうもない。
 賢者ならどうだろう。何かとても大切なものを、置き忘れているような気がする。
 レオンは時間を取らせた礼を宰相に言って、部屋を退出しようとした。
 その背中に宰相が声をかけた。
「レオン王子。私には魔法力はありませんが、一度だけ、神秘体験……というものをした事があります」
 レオンは足を止めて振り返った。
「私は魔法力皆無なのでお役に立てたかわかりませんが、私の祈りも何がしかの力になれたら、とあの時、皆と一緒にマスターを引き戻すお手伝いをしました。その時、見えたんです」
 ――どこまでも続く真っ白な雲の園。
 ――とても清浄で清冽で、ずっとここにいたいと思った。
「全員が、同じものを、見たと……!?」
 レオンは信じられない思いで問い返した。宰相は首肯した。
「ええ。いだく感想も同じでした。この世の何もかも捨てて、遠い雲の向こうへ行ってしまいたかった。ですがマスターは踏みとどまり、戻ってきてくださいました。こちらへ。私達の事はオマケにしか過ぎませんが、それで充分です。いつか私が死ぬ時、マスターはそこで待っていてくれて、よくやった、と褒めてくださるでしょう。私達はそれを糧として、これからもテランの為に尽力してゆけるのです」


 ……この国は、大魔道士様の影が濃い。
 レオンは城の裏口から外に出る石段に座って、ぼんやりと裏庭の草花を眺めていた。
 なるほど、宰相がマスターは霊的に進化して云々と世迷言を言っていたのは、その体験があったかららしい。集団幻覚か何かとも思うが、超常現象のエキスパートである魔道士の谷がそう簡単に催眠状態に陥るとも思えない。
 だから、宰相の話は本当なのだろう。いささか宗教ぽくもあるが、それで皆が一致団結してテランを盛り立てていこうとしているのだから、未だ部外者のレオンの口出しする所ではない。
 それより、父が迷わず彼女より大魔道士様を選んだであろう事の方がショックだった。
 父にとって大魔道士様は親友でそれ以上の存在で、だから他の者の扱いが二の次になってしまうのは頭ではわかるのだが、どうも気持ちがついていかない。
 なんとなく、父は母やディーナを天秤にかけても大魔道士様を取るような気がするのだ。
 息子の誕生日を祝うパーティーにかこつけて、彼女を呼んで、用意周到に襲わせるモンスターまで準備して。利用された時点で自分は大魔道士様より下だよなー……、と軽く落ち込む。
 ぶるぶると首を振って吹っ切る。
 自分ももう12歳、父が大魔王バーンを倒した齢だ。そろそろ親離れしてもいい時期だろう。
 しかしすると、大魔道士様は親友より娘である彼女を取った訳で、テランから閉め出された父が少々哀れでもある。もちろん彼女を優先してくれた事で、レオンは大魔道士様に感謝しているが、それで彼女が苦しんでいる事も、大魔道士様にはわかっているんじゃないのか?
 彼女の考えている事は筒抜けじゃなかったのか?
 レオンは指輪を外してきた彼女の姿を思い浮かべながらつぶやいた。
「大魔道士……、様……」
「呼んだか?」
 ひょい、と後ろから誰かに覗きこまれた。黄色いバンダナが目に入る。これは。
 ――大魔道士様!?
「うわあっ!!」
 レオンはびっくりして飛びのいた。
 大魔道士ポップは口の前で人差し指を立てて、きょろきょろと辺りを見回しながら、
「シッ。オレが起きてるのがバレたらマズイんだ。用件は手短に済ませろよ。で、何だ?」
 え。もしかしてこのヒト、自分のあの呟きだけで出て来たのか。
 こんな簡単に降臨していいのか。彼女にお願いする手順は踏んだのか。
 てゆーか、もしかして大魔道士様、彼女の意思に関係なく出て来れるんじゃないのか?
 ……と、思ったら、口から出ていたらしい。
「実はそうだ」
 大魔道士様はけろりとして、
「クロエちゃん体弱いし、何処で気を失って倒れるかわからないだろ? オレの意識とクロエちゃんの意識は同調させてあるから、それが乱れたり切れたりすると起きるように、アラームを仕掛けてある。基本は、呼びかけに応えるだけだけど」
 ちっとも悪びれた様子なく言った。
「ま、今回は特別だがな。可愛い娘にミョーなのがまとわりついてると思ったら、おちおち寝とられんわ。んで、なんか呼ばれたみたいだから、出て来た。さあ用件を言え。早く。時間ないんだから」
 じろ、と睨まれた。怖い。
 しかし、いつ見てもえらそうな人だ。この上から目線。確かな実力に裏打ちされた自信。
「それでは言わせて貰いますけど……!」
 レオンは心を奮い立たせて、彼女の為に苦言を呈した。
 大魔道士様はレオンの主張を一応最後まで黙って聞いてくれたが、
「うーん。そりゃ、副作用っつーか必要悪っつーか……」
 説明し辛そうに大魔道士様はあさっての方向を向いた。
 命を譲るという大がかりな魔法の後だ。それに付随する不都合があった、という事だろう。
 予想はしてなかったんですか? とレオンが問うと、
「買い被り過ぎ。オレは神様じゃないぜ?」
 笑って大魔道士様は首を振った。
「そんな何でもわかるかよ。でもまあ、ダイが暴走してくれたおかげで、わかった事もある。多分、オレがクロエちゃんにくっついてなきゃいけないのも、そう先の長い話じゃない。負担かけてるのはわかってるけど、もう少しの辛抱だからさ。それまで我慢して貰おうかなと」
「………」
 ダイ。勇者。レオンの父。
 この人に会う為に、父はなりふり構わず手を打った。
「大魔道士様、父とは……」
「……後回しにしても許してくれるからな、ダイは。甘えさせて貰ってる。目の前で苦しんでいる幼子と、健康で屈強な成人男性なら、前者を選んで当然だろ?」
 似たような会話を彼女とした。役に立たない巫女と世界最高の大魔道士。
「お前だってそうじゃないか、レオン。ダイが差し向けたモンスターに襲われた時、自分はどうなっても、と思わなかったか?」
 そうだ。確かにそう思った。
 大魔道士様も、自分の命に代えても、彼女を救おうと思ったのだろう。
 初めて大魔道士様の気持ちがわかった気がした。レオンが石段に座ったまま大魔道士様を見上げると、ずい、と大魔道士様が顔を近付けてきた。やっぱり余り彼女には似てない。いやこの場合、彼女が大魔道士様に似なかったと言うべきなのか……髪と目の色だけが同じだった。
 が、与える印象が全く違う。
 彼女が夜なら、大魔道士様は日中、新緑に反射してキラキラ跳ねる陽の光みたいなイメージだった。
 人に拠っては眩しくて目を開けていられないが、逆にいつまでも見入って飽きない者も多いだろう。
 父や魔法使い達がそうだ。
 レオンごときでは、まだ大魔道士様と正面から向き合うのは早過ぎる。
 レオンは思わず目を逸らした。
 大魔道士様はレオンの首根っこを掴んで視線を合わせた。
「いいか、レオン。お前は剣の腕前はからっきしだし、学力も魔法力も足りない。だが血筋は折り紙つきだし、クロエちゃんへの気持ちは本物だ。しょうがないから認めてやる。オレがクロエちゃんから離れたら、お前が代わりにクロエちゃんを守れ。出来るな?」
 レオンはこくこくと頷いた。
 もちろんレオンには願ったり叶ったりだったが、それには有無を言わせぬ響きがあった。
「よし。これからクロエちゃんが、昼食はどうするかと聞きに来る。お前はまたクロエちゃんを誘って外へ連れ出せ。オレはちょっと、そこの石段から足を滑らせる事にするから、しっかり支えろよ? その隙に、オレはクロエちゃんに戻るから」
 うまく誤魔化せよ、と大魔道士様は言って、たたっと軽やかに石段を戻るとわざとらしく、オーバーアクションで足を踏み外した。ふわりと髪が舞った。彼女に戻ったのだ。
「……きゃっ!」
 レオンはすかさず立ち上がって彼女を抱き止めた。
 彼女はとてもちいさくて柔らかくて、いい匂いがした。
「ご、ごめんなさい。ありがとう。やだ私、そんなに慌ててたかしら……」
 顔を真っ赤にして、礼を言いながら彼女はレオンから離れた。レオンはそれを残念に思った。
 レオンに昼食の場所を問う彼女は、さっきまで大魔道士様が顕現していた事には、本当に気付いていないようだった。

>>>2011/8/5up


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