薫紫亭別館


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「よせ、ダイ。それ以上、こっちに来るんじゃない」
 ダイは完全に寝台に上がって、オレににじり寄った。その分だけ、オレは後ずさろうとしたが、掴まれた手が、それを許さなかった。
「ダイ、頼むから……!!」
 うろたえてオレはせわしなく辺りに目をやった。
 無意識に助けを求めたのだ。サイドテーブルに、百合の花をいけた花瓶と、中身をいっぱいに満たした水差しがあった。どっちでもいい。ほとんど反射的に、オレは空いている方の手を伸ばしてそれを掴んだ。
 しかしそんなオレの動きは、ダイにはお見通しだったらしい。ダイは、いとも簡単にオレの手を捉え、力を込めた。
 ぽたぽたと、水と、それから花が垂れ落ちてきた。
 オレが手にしたのは花瓶だった。持っていられなくなって、オレは指の力を抜いた。花瓶は音もなく寝台から床に転げ落ちた。百合と水とを、撒き散らしながら。
「ポップ」
 ダイがオレを呼んだ。声音に確かに抑えた怒りがあるとオレは思った。どうしてかはわからなかったけれど。ダイは何を怒ってるんだ?
「……嘘つき。もう、逃げようとしてるじゃないか。ついさっき、そばにいてやるって言ってたくせに。口約束なんか信用出来ないね」
「おまえが手を離さないからだろ! 口だけじゃ信用出来ないって言うなら、誓約書でも何でも、文書の形にして残しゃいい!! 何枚だって書いてやるよ、それでダイが安心するんなら。なんなら、血判も押してやろうか!?」
 ──言い過ぎた!!
 オレははっとして口をつぐんだ。オレは確かに、口で失敗することがよくある……オレはそろそろとダイを見上げた。
 ダイは怒ってはいないように見えた。うわべだけは。オレは体を強張らせた。
「……あ……」
 かすかに薄笑いを浮かべて、ダイはオレを組み敷いた。先程こぼれた水が、服ごしに染み込んできて、その冷たさにオレは悲鳴をあげそうになった。
「ダ、ダイ。冗談だろ?」
 この期に及んで、オレはまだ冗談だと……いや、冗談にしてしまいたかった。そうすれば、ダイがにっこり微笑んで、うっそだよーんとでも言ってくれはしないかと思ったのだ。
 ダイは笑っていたが、それはにっこりなどという表現からは程遠いものだった。狩人が、獲物を見つけたときのような残忍な笑み。駄目だ。オレは目を閉じた。半分やけくそになっていた。
(……え!?)
 ダイは下肢の服だけを乱暴に引き抜くと、すぐに足の間に体を割り込ませてきた。両足をかかえこみ、胸につくように折り曲げ、指先で場所を確かめる。
「ダイ、待て……ッ!!」
 オレの止めるのも聞かず、ダイは、無理矢理オレの中に押し入ってきた。体がめりめりと音をたてて引き裂かれ、目の前が真っ赤に染まった。
 気が遠くなりかけるのを、新たな痛みが引き戻した。ダイは容赦なく、律動を繰り返し、オレを揺さぶった──嘘だろう──それなりに覚悟して臨んだことだったのに、まさか、何の準備もほどこされず捻じり込まれるとは思わなかった。
 こんな、こんなことが自分の身に起こるはずがない。これは夢だ。オレはそう思い何度も首を振り、目を覚まそうとした。悪夢の化身であるダイの下からなんとか這い出そうとした──すべて徒労に終わったが。
(……は……ああッ……あッ……)
 声もなく、荒い息づかいだけを漏らしながら、ぼんやりと涙に濡れた目でオレはダイを見た──ダイはじっとオレを見つめていた。金色に光る竜の目で。オレの苦悶など映ってないかのような目で。
 痛みより何より、その目がオレの心を冷えさせた。
 この目で見られるくらいなら、今の、生きながらむさぼり食われる恐怖の方がまだマシだ、と思えるくらいに。
 唐突に、それまで気づきもしなかった百合の匂いが鼻についた。この匂い……この百合は、レオナの遺体のそばに飾ってあった花と同じものだ。
 そのときオレは気がついた。
 レオナを殺したのがダイだということに。
 噂は真実なのだということに。
「ダ……イ電脳っ!!」
 苦しい息の下から、オレはようやく声を絞りだした。
「レオナを殺したのは、おまえだ……っ、おまえが、レオナを死に追いやったんだ……っ!!」
「何故そんなことを? ポップ」
 ダイは否定も肯定もしなかった。ただ静かな目でオレを見下ろした。
 わかるとも。他の誰にわからなくとも、このオレにはわかる──肌を通して、おまえの本心が伝わってくる。……なんだ? ぐるぐると色んな感情が渦を巻いて、その奥にあるものを、恐らく一番大事なことがらを、ダイは渦の中に隠している。
 オレは手を伸ばしてダイの顔にふれた。
 ダイは一瞬、ひきつったように震えた──ようにオレには思えた。もう何が何だかわからなくなっていて、手を伸ばしたのさえ、自分で意識してやったことではなかった。
 ふっと、ダイが動きを止めた。ダイはまだ中に居座ったままだったが、それだけでもオレは楽になって、細く息をついた。
(………?)
 今まで無機的に無感動にオレを見ていた目の光が、少しやわらいで、後悔しているような、でも満足したような、ふしぎで奇妙な感情を覚えているようだった。
 その目が近付いてきた。
 ダイは初めて、オレに──キスした。
 長いキスだった。まるでそれまでの乱暴な行為の埋め合わせをするかのように、ダイは、いつまでもオレに口づけて、離そうとしなかった。
 このときばかりは、オレも素直にダイを受け入れた。……最初から、こんなふうにしてくれれば良かったのに。そうすれば、オレだって、そりゃ少しは抵抗したかもしれないが、死ぬほどイヤだとか、そこまでは思わなかったろうに。
 そうすれば、知りたくもなかったことを、知ることもなかったろうに。レオナ。
 そこまで思い返して、オレは今の自分の状態に気づいた──ダイもそろそろ終わりが近いらしい。
 何度も体を重ねているうちに、自然にわかるようになった。相変わらずダイは優しくしてはくれないけれど、それもすっかり慣れてしまって、オレも、最中に別のことを考えられるまで成長した。
 終わると、ダイは、オレのあごを持ち上げて、長いキスをする。これだけが、ダイがオレを好きな証のような気がする。このキスが無かったら、いかなオレでも、あの夜限りで逃げ出していただろう。
「……失礼します」
 のろのろと身支度をととのえて、オレは書類をかかえ、執務室を出た。ダイは引き止めなかった。
 終わってしばらくは、ダイはオレと顔を合わせたくないらしい。オレが先に眠ってしまって、朝、起きてもダイがいることは皆無だった。まあ臣下の手前、当たり前かもしれないが、オレが出てゆくと、ダイは露骨に安心するようなのだった。

>>>2003/4/1up


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