オレは髪を伸ばすことにした。
トレードマークのバンダナもやめて、服も、マトリフ師匠が着ているような、デザイン次第ではドレスにも見えかねないローブをまとった。
奇妙な季節の始まりだった。
「……どうしたの、ポップ。最近雰囲気変わったね」
「そうか?」
執務室の冷たい床の上でオレを翻弄した後、ダイが言った。オレに言わせれば、ダイがこうして話しかけてくることこそ珍しかった。
こういう関係になってから、私的な会話を交わすことはほとんど無かった。
最中も、ダイは滅多に口を利かない。あの瞬間だって、イッたかイかなかったかわからないくらいの声しか出さない。
「どこがどういうふうに?」
ダイは言いよどんで、すぐに会話は立ち消えになってしまったけれど、執務以外で久しぶりに聞くダイの声に、オレはなんとなく嬉しくなった。
この調子なら、終わった後も変わらぬ様子で顔を合わせることが出来るかもしれない。でも、今のところはまだ無理だと思って、オレは書類を持って部屋を出た。
いつものように中央の噴水を目指す。
庭に人影は無かった。
オレがここで仕事をしているせいで、皆は邪魔をせぬよう気を遣って、この庭園には近付かない。
指定席の噴水の淵に座って、オレは書類を広げた。が、連日の疲れが出たのか、このうららかな陽気のせいなのか、オレはとろとろと眠りこんでしまった。
オレが目を覚ましたのは、驚いたようなデリンジャーの声が聞こえたからだった。
「ポ……ポップ様!!」
オレは目を擦りながらぶうたれた。
「なんだデリンジャー、せっかくいい気持ちで寝てたのに。オレが疲れてんのは知ってるだろ、多少の居眠りくらい大目に見てくれよ」
「私とて、ポップ様が大変なのはよく存じております。それだけならお起こししたりしません──が、本当にポップ様は、今までお休みになっていらしたのですか!?」
「あたりまえだろ」
デリンジャーはまだ信じられないといった面持ちで、じっとオレの右手を見つめていた。右手に握られたペンと、地面に散らばっているチェック済みの書類を見て、オレは大体のところを察した。
「何を見た? デリンジャー」
注意深くオレは言った。
デリンジャーは震える声で、
「……手が! ポップ様の手が、手だけが動いてそこに山積している書類にしるしをつけていたのでございます! どう見てもポップ様は、こう申し上げてはなんですが、居眠りをなさっているようにしか見えませんでした。私は目を疑い、近くに寄って、自分の見間違いを正そうとしました──しかし、手は動いていました。私が大声を出してポップ様をお起こしするまで、動き続けていました」
「………」
オレは探るように老人を見た。デリンジャーは顔を両手で覆って、まともにオレを見ようとしない。
勘付いたのがデリンジャーだったのは天啓だ。
このまましらばっくれて煙に巻くことも出来るけど、デリンジャーなら秘密を共有しても大丈夫だと、彼女は考えたのだ。
「……顔を上げろ、デリンジャー。そして、よくオレを見るんだ。他に何が見える?」
デリンジャーはかなりの労力を払って両手を顔から引き剥がし、恐る恐るオレの方を見た。人を化けモノでも見るみたいに、と内心オレは憤ったが、半分はもう、その仲間かもしれない。
「どうだ、何が見える!?」
「お変わりありません! いつもの、私の見慣れたポップ様です。お召し物が変わったので、雰囲気こそ違いますが──……」
「嘘をつけ! この城の中で、ダイを例外とすればオレに一番近しいのはおまえだ。おまえにはわかっているはずだ。さあ、オレに気づいたことを言うんだ」
オレが老人に命令したのは、誓ってもいいがこれが初めてだった。
デリンジャーは案の定、雷鳴に打たれたみたいに飛び上がって、正面からオレを見据えた。
「……あなたは誰です、誰なんです。あなたは私の知っているポップ様ではない。あのかたは決して声を荒げて、人に命令されたことはない。もちろん、私は気づいていたとも。あなたの髪は、ポップ様よりクセが無くて色が薄い。目は、紫というより黒に近付いている。肌は白く、顎は細く尖りはじめた。あなたは、私のポップ様の中に巣食っている何者かだ。正体を表せ、悪霊!!」
デリンジャーは激しくオレを睨みつけた。
オレはその視線を静かに受け止めた。
デリンジャーは、正しくオレの変化を指摘している。オレはうっすらと笑った。誇らしかったからだ。
「何がおかしいのです!」
真っ赤になって老人は怒鳴った。それから、少しずつ距離をとった。オレの正体がわからない以上、うかつに立ち向かうのは危険だと判断したらしい。いつでも逃げ出せるように、助けを呼べるように、油断なく身構えている。
「警戒しなくてもいい、デリンジャー。オレは本物のポップだ。おまえが気づいていてくれて嬉しいよ。全部話すから、もう一度オレを見てくれ」
老人は騙されまいと首を振った。
「デリンジャー! こっちを見ろ!!」
今こそオレは命令していた。上に立つ者の、絶対的な自信を持って。この自信は、オレの自信ではない。オレの中にいる、『彼女』の意識だ。
しびれたようにデリンジャーは立ち尽くし、こちらをゆっくりと仰ぎ見た。
こちら──そう、もはやオレではなかった。
オレ達は二人して老人を見つめた。
「あなたは……」
>>>2003/4/24up