父さまは次の日の朝ごはんを食べて、太陽がお空のてっぺんに来たくらいに帰っていった。
僕はいつのまにか眠ってしまったらしく、もっとも肝心なことを聞きそびれてしまったような気がするのだけど、起きたときにはもうすでにいつもの父さまに戻ってしまっていたので何も言わなかった。
こころなしか、父さまはなにか決意をみなぎらせているようにも見えた。
ポップもいつもどおりだ。だから僕は安心してはしゃぐことが出来た。
帰りぎわに父さまはそっと僕だけに聞こえるように耳打ちした。
「ディーノっていうのは、父さまのもうひとつの名前なんだ。父さまの本当の父さまがつけてくれた。だからお前はどこに行ってもいくつになっても、父さまと一緒なんだよ」
いきなり何故こんなことを言い出したのかはわからなかったけど、僕は素直にうなずいた。
それはとてもいい由来だと思った。
それから父さまはぱったりと来なくなってしまった。
どのくらい来てないのか、この時の止まったような川辺ではあまり意味をなさない。
ただ僕はますます大きくなって、ついにポップと同じベッドで眠ることを断念せざるを得なくなり、床に厚めの敷物を敷いてそこで眠ることにした。
「おおいディーノ……お前邪魔だよジャマ。夜中にトイレ行きたくなってもしっぽ踏んづけそうで恐ろしくて行けやしない。いいかげん観念して、もひとつの部屋で寝ろ」
やあだよ。僕はポップといっしょがいいの。
「甘ったれだなあ……。まあまだ一歳なんだから当たり前か。ああッでもこの図体は一歳どころじゃねえぞッ。いいかディーノ、今はまだいいけど、もっと大きくなったらオレを圧死させる前にあっちの部屋行けよ」
相変わらずポップは平気でブラックなことを言う。
僕達は淡々と日々を過ごしていた。
僕はポップから魔法を習った。……というか、契約だけはしたけど魔法にはあまり興味がなかったので逃げ出した僕と追いかけるポップで毎日鬼ごっこをしていたようなものだ。
そんな所は父親そっくりだとポップが笑う。
僕はこんな日々に満足していた。ポップだけがいれば良かった。
そしてそれがやってきたのは、そんなささやかな幸せを噛み締めていたときだった。
「国王陛下と女王陛下がお呼びでございます。王子ディーノ様を王宮に迎え入れたいと……」
使者は僕のすがたを見て恐れおののきながら、それでもせいいっぱいの威厳を保つべく努力しながら父様達からの親書を読みあげた。
なんだかつくりものみたいだ。
命令された事だけを忠実に実行する機械みたいだ。
「……あいわかった。それでは吉日を選んでディーノ様をお連れして参内いたす事にする」
当然断るものと思っていた僕はポップの返答を聞いて驚いた。
抗議にうなり声をあげる。僕の咽喉はどう訓練してもこれ以外の音を出すことは出来なかった。
(どうして了解しちゃったの、ポップ!)
使者が怯えきって帰っていくと僕はすぐにポップに話しかけた。
ポップだけが、声にしなくとも僕の意志を明確に理解してくれる。
「あのなあ、お前、ずっとオレだけを相手にしてこの水辺で暮らす気か?」
そうだよ! それで何故いけないの!?
「そういうワケにもいかんだろうが。お前だってオレばっか見てんじゃアキるし、弟か妹がドラゴンだったらいいなって思ってたろーが。ちょうどいいじゃん、この機会に外の世界見るのも。外ったって王宮に戻るだけだが……ここはお前の国なんだよ。誰も危害を加えたりしないさ」
僕はウッと詰まった。
ポップには何でもお見通しなのだ。
「……このあいだ、王女が産まれたってよ」
ポップには、僕の知らない情報網を持っているのだろう。ここにいながらにしてポップは、外の世界とつながっているのだ。
「お前の妹だ。残念ながら人間だが……。お祝いに行こう、お前のつとめだよ」
つとめって何だろう。こんな事なら妹なんて産まれなきゃよかったのに。
僕は王宮になんて戻りたくないのだけど、このままここで暮らしたかったのだけど、仕方ない。
ポップがそう言うなら、僕はしたがうしかない。
反抗なんて想像もてきなかった。
ポップに見捨てられたら、僕はどこにも行くところがない。生後半月で自立できる気がしたあの頃とはちがうのだ。
わかったよ、ポップ。
僕達はのろのろと荷物をまとめた。もっとも僕の手は人間ほどうまく動かないのでそれは専らポップの役目だったけど。
転がして遊んだ鞠。大きめの鈴。まだ僕がちいさかった頃ポップと一緒にくるまった毛布。
たくさんの楽しかった思い出をつめこんで、僕達は水辺を後にする。
でもきっと戻ってくるよ。
お城でどんな生活が待っているのか予想もつかないけど、僕の家はここなんだ。
空から見下ろした水辺は本当に美しくて、とても悲しくて、ポップが僕の首を抱いてくれているのを感じながら僕は泣いた。
※
(もうやだッ! 僕帰るッ!!)
王子宮にしつらえてもらった特別製の僕の個室で、僕はポップ相手に叫んでいた。
「こらこらディーノ、まだひと月と経ってないぞ。そんなに早くホームシックになってどうする」
のんびりとポップがさとす。
でも今の僕には、大好きなポップの言葉さえも耳に入らなくなっていたのだ。
(だってイヤだよ! こんなところ、なにひとつ僕の自由に出来ないじゃないか! 散歩に行こうものならみんなが怯えた顔して遠回しにこっちを見てるし、近づこうとしたって逃げてくし。ポップ以外の人間が護衛と称してぞろぞろついてくるし! ハッキリ言って、護衛なんているだけムダだよ!!)
「ふむ。それはいえるかも」
首をすくめてポップが言った。
「このご立派なウロコは並みの武器じゃあ傷つかないもんなあ。といって、相当強力な呪文でないと魔法も役に立たんし。もしかして、お前がうっかりミスって人を傷つけないよう見張ってるのかもしれないなあ」
(茶化さないでよ! 僕は真剣なんだから!!)
それは僕はもうポップの二倍ほども大きくて、重さは倍じゃきかないだろう。
かてて加えて全身これ凶器、と言っても過言じゃない。
僕のウロコに下手にさわれば傷つくのはむこうだろうし、しっぽのひとはたきで人は殺せるだろうし、獰猛そうな鉤爪も牙も生えている。
(ねえもう帰ろうよ。またふたりっきりで暮らそう?)
僕は頭をポップにすりよせて甘える。
ポップは腕をおもいきりのばして抱えこんてくれる。
母様。
僕は思い出す。僕が王宮に降り立ったとき、父様は飛び出してきて抱擁してくれた。
貴女はぎこちなく、それでも顔に笑みを浮かべながら僕をむかえた。
きっと妹が産まれたからだろう。
ちゃんとした人間の子を産んで初めて、貴女は安心して貴女の汚点である僕を認めることが出来たのだ。
妹は貴女によく似た、うすい金髪と明るい薄茶の目を持っていた。
乳母の手に抱かれて、妹はすやすやと眠っていた。
貴女は慈愛に満ちた表情で妹を見下ろし、やがて乳母の手から妹を抱きとると、そのひたいに優しくキスをした。
名前は、レオノーラと聞いた。
「……どうした? なに考えてる?」
ポップの声に僕はわれにかえる。
僕の心は思った以上に深手をうけているらしい。
「……いい子だ。泣くなよ……ほら」
ポップは僕のまぶたにキスしてくれた。僕が今、いちばん欲しかったもの。
僕は首をくねらせて、さらにもう一度キスをねだる。
「はいはい」
もう一度。もう二度。もっとたくさんのキスをして。
悲しくなんかないの。うらやましくもないよ。
僕にはポップがいるんだから。
その夜、僕のとなりの部屋で眠っているはずのポップと父様の声が聞こえてきた。
「……ディーノに王宮はあわないよ。せっかくダイが奔走してくれてここに戻るようになったのはいいんだけど、本人は全然ありがたがっちゃいないよ」
「……だからって、また水辺に戻るっていうの!? イヤだよ、ようやくレオナを説きふせたんだ。オレはディーノもポップも愛してるから、一緒に暮らしたいんだよ!」
「それはお前だけだろう。ディーノは、お前がいなくてもそれなりに楽しそうだったよ」
父様は言葉に詰まったようだった。
「……ポップも!? ポップもそうなの!?」
「オレの話じゃねえ。今はディーノだ。あいつはまだ一歳なのに、たいして優しくもあったくもねえ王宮で、自分だけが疎外された家族の肖像を見せられてみろ、誰だっておかしくなっちまわあ。実際、まだひと月も経ってないのにあいつは壊れかけてる。オレは、あいつを連れて出ていくよ」
「……駄目だ!!」
何だか重いものを、落としたような、音が、した。
「いやだダイ! やめろ!」
「駄目だ!! 駄目だ駄目だ駄目だ……! 絶対許さない。……お前は、お前はここにいればいいんだよ!!」
「知ったことかよ……自分勝手もいいかげんにしやがれ!!」
ぱあん! と小気味よい音が聞こえた。
同時に、なにか揉み合うような音。
父様! ポップに何してるの!?
「……やめてくれ……ディーノが、目を覚ます……。あいつは、耳がいいんだ。だから……!」
「知らないよ」
本能で、聞いてはいけないことを聞いているんだとさとった。
僕は、ポップと父様のいる部屋の反対がわの壁まで行って、必死で耳をふさいだ。
特別製の聴覚にいやおうなく入ってくる、ポップの、苦しそうなあえぎ声やすすり泣きを、出来るだけ耳に入れまいとした。
>>>2000/10/31up