薫紫亭別館


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 次の日の朝、僕は珍しく……というか、本当に初めて、ポップと朝のあいさつをするのを避けた。
「どうしたディーノ、具合でも悪いのか?」
 ポップが心配して顔をのぞきこんでくる。
 その顔はやや青白くはあったけれども特に変わったところは見当たらなかった。
 あれは夢だったのかしら? そうかもしれない。
 僕は夢うつつだったし、なにより父様がポップにひどい事をするはずがないもの。
 そこまで考えて僕はようやく笑みをかえした。
「あーよかったああ、心配させんなよディーノ。病気かと思っちまったじゃんかよ。お前が病気になっちまったらどーやって治療すればいいんだあ。今まで風邪ひとつひかなかったもんな。これからはお前用の薬も考えなきゃな」
 心底ほっとしたようなポップの声。
 なんだかとてつもなく悪いことをしてしまったような気がする。
「元気ならなんとか大広間まで歩いてくれよ、朝メシが出来てるってよ」
 笑いながら先に立って歩く。
 どこも変わってない。
 ……はずだった。

「……ダイ」
 王子宮の大広間に、父様が待っていた。
「遅かったねふたりとも。待ちくたびれちゃったよ。これから朝の謁見があるんだ、早く食べちゃわないと」
「なんでお前がここにいるんだ、ダイ」
 ポップがかたい声で、問う。
「いけない? ポップが教えてくれたんじゃないか、ディーノが寂しがってるって。だから父親として、朝食くらい一緒に摂ろうと思って来たんだよ。毎日とはいえないけれど、これからは昼食も夕食も出来るだけここで摂るよ」
 さわやかに父様は言う。
 それは、嬉しい……ありがたいはずなんだけど、素直に喜べないのは何故だろう?
「おいでディーノ。お前のためにみんなが用意してくれた食事だよ。今までほっぽってて、ごめんね」
 僕達は三人で食事をした。
 ちいさい頃、あんなに楽しみにしていた三人での食事なのに、今日はまるで砂を噛んでいるように味気なかった。
 こんな食事がこれからも続くのかと思うと、僕は憂鬱になるのを止められなかった。

 それからしばらくして、ポップは宮廷魔道師としての職務が復活して、僕につきっきりでいてくれる事が少なくなった。
 どうやら今までポップは僕の養育係とか教育係とかいう名目がたっていたらしい。
 しかし、王宮に戻ってきて僕の世話をする者が増えたので、以前の職務に戻ってほしいという要望があったのだそうだ。
 僕は知らなかったけど、ポップは世界でも有数の魔法使いなのだそうだ。
 最高と言ってもいい。回復呪文も使えるので本来なら賢者と呼ばれるものなのだが、師の意志をついで大魔道士と名乗っているらしい。
(ポップってすごい人だったんだね)
「たいしたこたあねえよ。ああ、でもごめんな。これからはあまりお前についててやれねえな」
 それが僕にはつらい。
 僕はまだ、ポップ以外の人と意志の疎通が出来ないのだ。
 これからどうすればいいんだろう。
 人間であれば、口でしゃべるだけで意志を伝えることが出来るだろうに。
 なんだかお先真っ暗な僕に、ポップは内緒だよと言ってささやいた。
「今、この国から脱出する方法を考えてんだ。もちろん合法的に、みんなに認めさせてさ。だからそれまで、もーちっとガマンしろよ。きっとオレが、ここから出してやるから」
 その言葉をはげみに、僕は頑張ることにした。

 そのいつかは、けっこう早くやってきた。
 ある朝の会議で、母様……女王が宣言したそうだ。
 僕を、ロモスへ遊学にやると。
「すでにロモス国王に了解はとってあります。ロモスには私の旧知の、獣王クロコダインがいます。彼に、第一王子ディーノの教育を頼みたいと思います。彼もリザードマンでありながら人のあいだで立ち働いている者、きっと、王子の力になってくれるでしょう。その際、かねてより王子の教育係であった宮廷魔道師ポップの、その任を解き、あらためて王子のお側役に命じます」
 この国では、王様である父様よりも母様の言葉のほうが優先される。
 もともとこの国は母様のものであり、母様がこうと断言した以上反対できる者などいないのだ。
 この宣言はしかし誰になんの相談もなく、父様にさえ内密に行われたらしい。
 その意味で反論もあったが、パプニカの厄介者である王子のこと、すぐに可決されたという。
 ……反対したのは、父様だけと聞いた。
「やったぞディーノ! パプニカ脱出だ!」
 ポップが喜び勇んで知らせに来てくれた。
「どうした? もっと浮かれたカオしろよ! ロモスだぞロモス、行ったこと無いだろ? パプニカに勝るとも劣らぬキレイな所なんだぜー。オレとダイが冒険に出て、初めて立ち寄った国でもあるんだ。その頃の話もしてやるよ。あー楽しみだなー」
 気がかりはそこだ。
 話を聞いているだけだとポップは父様のことが嫌いじゃないらしい。
 でも最近はそうとも言い切れない。一緒に摂るようになった食事だって、会話らしい会話なんて無い。
 僕には相変わらず優しく接してくれるけど、父様にもそうしてほしいと思う。
 僕は、ポップも父様も大事なんだ。
(そんなにパプニカを出るのが楽しいの? ポップ)
 僕は聞いてみた。
「ああ? お前は嬉しくないのかディーノ? せっかくオレがレオナに働きかけてパプニカ脱出の手筈を整えてやったっちゅーのに。お前だってここにいるの嫌がってたじゃないか」
 それはそうだ。でもなにかひっかかる。
 ポップは僕のためというより、自分のために工作を急いだような気がするのだ。
 原因は父様とのことだろう。
 父様とのあいだに一体なにがあったのかは知らない。知りたくない。
 知ってしまったら、取り返しがつかないような気がする。
「ディーノ」
 不意にポップが僕を呼んだ。
(な、なに? ポップ)
「あのさあ。今日からまた、昔みたいに一緒に寝ないか?」
 ぎくっとした。
(で、でも、圧死しそうだから別々に寝ようって言い出したのはポップだよ)
「ダイジョーブ大丈夫。よく考えりゃーディーノがオレをつぶすわけないもん。それくらい信用してもいいよな?」
 無邪気に言わないでほしい。
 その提案は嬉しいけど僕の体重は半端じゃないんだ。
 まかり間違ってホントにつぶしちゃったらどうするんだよう。
「なーいいじゃんディーノ、一緒に寝ようよー」
 必殺甘え声。
 この声にさからえるヤツなんてこの世にいない。
(う、うん)
「ダメだよディーノ。そろそろひとりで眠れるようにならなきゃ」
 父様。

 父様はいつのまにか僕の部屋の入り口に立っていて、ゆっくりとこちらに向かって歩き出した。
(ポップ?)
 ポップはさりげなく僕の後ろに隠れるようにまわりこんだ。
「ディーノ、ごめんね。まさかレオナがお前を遊学させようとは思わなかったんだ。でもロモスならルーラが使えるし、ちょくちょく遊びに行くよ」
 にこやかに父様は近づき、僕のうろこを撫でながら話した。
「それにレオナの言うことも一理あるし……。クロコダインって本当いいやつなんだよ、父様もたくさん助けてもらったんだ。ね、ポップ」
「あ、ああ……」
 みじかくポップが答える。
「父様、これからポップと話があるんだ。出発の日取りとか決めないとね。ごめんね、ポップ借りてくよ。ああそれから、その事でポップ今日はここに帰れないから、悪いけどひとりで寝るんだよ」
 ポップの、息をのむ音が、聞こえた。
 無造作に父様は僕の影にいたポップをひっぱりだし、ひきずるように連れていった。
 ポップがなにかを訴えるように僕を見た。
 僕はなにも出来なかった。
 どうすればいいのかわからなかった。

>>>2000/11/1up


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