僕は奇妙な既視感にとらわれていた。
笑っているポップと、父様。水辺で過ごした日々が戻ってきたようだった。
でも現実に僕はドラゴンから人間になり、その変身のとき父様がポップに対して行ったことを夢に見た。
そして混乱していた僕の、たったひとつのよりどころだったポップを、父様は引き離したのだ。
僕がここへ来たのはポップを取り戻すためだったのに、僕はなぜか、お茶とバターをたっぷりぬったパンなど食べているのだ。
「まあディーノもポップがいなくて淋しかったようだし、ニ、三日ならここにいられるよう取り計らうよ。ポップ、鏡でロモスの王様に連絡しといて」
「わかった」
しかし……父様に言われても仕方ないくらい、僕はここへ来てしゃべってない。
「かがみで……って何?」
ようやく僕は口をひらくことが出来た。
「ディーノは知らなかったんだね。ポップは、鏡にメッセージをのせてどこへでも送ることが出来るんだよ。もっとも、これはポップオリジナル・スペルだから一方通行でしかないんだけど」
へえええ。そんな事も出来るんだ。
僕ってもしかして、とんでもない人に育てられたのでは……。
「ポップってすごいんだね」
「すごくないすごくない。普通ふつう」
「いやすごいんだよ。父様もポップがいたから大魔王を倒せたようなものだしね」
ポップと父様は、僕には見えないところでわかりあっているようだった。
『ふたりの間に割り込むのはやめたほうがいい』
クロコダインさんはそう言った。ほかの人が手出し出来なかったのも、なんとなくわかるような気がする。
でも僕は駄目だ。父様にポップは渡せない。
「僕ここにいるあいだ、ポップのそばにいてもいい? 仕事の邪魔はしないから。ねえ、いいでしょ?」
僕はふたりにむかって話した。
「……いいよ」
おもわせぶりにひと呼吸おいて、父様は返事をした。
僕がここにいるあいだ、父様はポップに休暇をくれた。
敵に塩を贈ってるのか? なにを考えてるのだ父様は。
「ディーノ準備できたぞー。文面考えたかー?」
ロモスの王様に勝手に帰国したことをお詫びして、数日中に戻る旨を告げた手紙を書いて鏡にのせてもらうことにした。
ポップがなにやら呪文をとなえると、大きな鏡の表面に手紙の内容がえがきだされて、文字は光となって虚空に消えた。
「……すっごい」
ポップの魔法の威力を実感したのは、このときが最初だったかもしれない。
「すごいよポップ! 僕にも魔法おしえてよ!」
「よく言うよ。ガキの頃……今もガキだが、逃げまくってたのはどこのどいつだ」
ポップはそう言うけど、はたから見れば同年齢だと思うよ。
僕はポップよりわずかに背が高いし、ポップも童顔だから誰も二十三歳離れているとは思わないだろうね。
僕はどこへ行くにもポップについていった。
でも気のせいかしら? なんだか視線を感じるなあ。
「へえ。モテるなあディーノ。あちこちから女のコがお前見てるじゃん」
お……女のコ?
「そう。お前の母さんと同じ生物。あったかくっていいにおいがして、やわらかい生きものなんだぜ」
それってポップと同じ……。
「ちがあう!! 全然ちがう。頼むからまっとうな道を歩んでくれえ、後生だから」
ポップが本気で拝みたおしそうだったので、僕はあわててうなずいてみせた。
でも、やっぱり……。
僕はポップのわきに手をいれて、ポップをひょいッと持ちあげた。
「このままロモスへルーラ唱えたらどうなるかなあ」
ポップはおもしろそうに、
「どうにもなんない。またすぐ唱えなおして、パプニカに戻ってくるから」
「……じゃ、口をふさいどくもん! 言えないように」
「ぶはははは。すっげー、さすが親子。そーいうとこダイそっくり」
持ちあげられたままポップは吹きだした。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだ」
僕は急いでポップをおろす。
よりにもよって、父様と同じ事をしてしまうところだったなんて。
「なに落ち込んでるんだディーノ。そんなにダイと似てるって言われたのヤだったのか?」
元気づけるように肩をたたいて、
「いや本当、ディーノのこと可愛がってるんだぜ、あれでも。ほら、ドラゴンの頃は猫っかわいがりしてただろ? ディーノがオレばっかり構うからスネてんだ。もっと甘えてやれば喜ぶぞ」
「……ヤダよ。父様なんてだいっきらいだ。ポップを僕から取り上げちゃったし、それに……」
僕は言葉に詰まる。
「……ポップ、僕と父様とどっちが好き?」
「へ?」
鳩が豆鉄砲をくらったような目でポップが僕を見る。
「なんなんだいきなり。どっちが好きって問題かあ? どっちも好きだよ、なんかヘンか?」
大問題だよ、僕には。
「僕でしょ? そうって言ってよ。だから一緒にロモスに帰ろう。父様なんてどうでもいいじゃないか。あの人には母様も、レオノーラだっているんだから」
……デジャ・ヴだ。僕は結局、父様と同じことをしている。
「……あー、大抵そうじゃないかと思ってたんだよ、ディーノが来たのは。でもダメ。ロモスにはひとりでお帰り。オレは、ダイについててやらなきゃ」
「駄目だよ! こんなところにいたら、父様に何されるかわかってるでしょ!?」
「………」
……しまった! 僕は口をすべらせた事に気づいた。
ポップは急に真顔になって、
「……なんだ、ヒムかクロコダインでも話したか? まったくもう、子供に聞かせる話かよ。なあ」
冷静にポップは言った。
「ありがとう、心配してくれてるんだな。でもほんとに大丈夫なんだよ。だからお帰り。知っているのなら、ここにいるのはつらいだけだ」
イヤだ。ポップが一緒じゃないと帰らない。
「困ったなあ……今生の別れじゃないんだから、会おうと思えばいつだって会えるだろ? ルーラだって使えるようになったようだし、こっちからも会いに行くし。いい子だから」
ぐずって泣いている僕を必死であやしているポップ。
通りすがる人がみんなこっちを見てる。
「ディーノ……」
僕達は衆人環視の中、ずっと立ちつくしていた。
※
「大船に乗ったつもりでまかせてよ。父様が来たら、僕が追い払ってあげるから」
僕はポップの寝室の床に陣取って、すでに寝ずの番の態勢になっている。
「……いや、いいから用意してもらった部屋行って寝ろ。今夜絶対ダイが来るとは限らんだろーが」
「来たらどうすんのさ。ポップじゃ父様に勝てないじゃないか」
「いや、ダイに勝てる奴なんてこの世にいないって……ディーノじゃ無理だ。負ける。確実」
……そこまで言うことはない。
「それに、言いにくいけど……ダイとその、えーと、やるのってば絶対ヤだってワケでもないんだ。だからこそ、関係が続いてきたといえよう」
「講釈してる場合じゃないよ!」
ときどきポップって大ボケかますよね。
「んなこと言ったって……」
ポップがなにやらもぐもぐ言ってる。
え、なに? これじゃダイが喜んじゃう? その気がなくても来ちゃうって?
「やっほー。父様だよーん」
後ろの窓から父様登場。ここからが、本番だ。
「ディーノがまだポップの部屋にいるみたいだから来てみたんだ。添い寝はだめって言ったろう。子供は歯みがいて部屋行って寝なさい」
見事に矛盾したセリフを吐きながら父様が部屋に入ってくる。
「……出ていってよ、父様。ポップが嫌がってるじゃないか」
「嫌がってなんかいないよ。さっき言ってたろう?」
「うわあ最低ー。お前、いつから窓の外にいた?」
緊迫感があッ!
「はいはいどいてどいて。父様はこれからポップといいことするの。見たけりゃ
見てたっていいけど、ディーノには刺激が強すぎるかもね」
ずんずんと父様は近づいてきて、ポップを背にしていた僕の突進を
するりとかわした。
「ディーノ、本格的に遊学やめてパプニカに帰ってくる? 父様が剣技とか体術とか教えてあげるよ。うん、それがいい。そしたらポップともいられるよ」
……誰が! 父様なんかに!!
父様は余裕で僕を見下ろし、ポップのベッドに腰掛けようとした。
「ポップから離れて! 父様!む」
僕は叫んだ。さわらないで、僕の……ポップに! 僕はもう一度つかみかかる。
父様は僕の手をとって、容赦なく床に放り投げた。
「お……おいディーノ! 大丈夫か!」
ポップが走ってきて僕を起こしてくれる。
「ダイ! お前なあ、ちっとやりすぎなんじゃねーか!? こんなシロートの、実の子供に。お前の愛情表現はわかりにくいんだよ!」
「わかってくれる人いるよ。ポップや、レオナみたいに」
父様も寄ってきて、ポップを僕からひきはがすと僕の頭を床に叩きつけた。
二度、三度、何回か殴りつけられると僕の意識は朦朧としてきた。
「やめろ! 死んじまうぞ!」
「大丈夫、ドラゴンは頑丈だから」
「今は人間だろうが!!」
父様とポップの声が聞こえる。でも僕はもう、聞いている事しか出来ない。
指一本動かせない。
「オレだってけっこうガマンしてたんだよ。ドラゴンでさ、オレの子供ってだけでポップ独り占めしてさ。そりゃオレだってディーノが可愛かったからなんとか保ったんだ。でなきゃ、誰が許すもんか」
「ダイ……」
「二年間も独占しといて、これからまだ一緒にいるつもりなんだ。ひどいよね。
ポップはオレのなのに、勘違いもはなはだしい」
父様がポップの足のあいだに身をおいて、手で何かしている。
「こ……こら! やめろ! なにすんだ、子供の前で!」
目をあけていいても、何が行われているのかよくわからない。
「馬鹿野郎……オレ、お前のこういうとこ大ッキライ」
反抗も出来ず、両腕で顔を隠してポップが言う。
「嫌じゃないって言ったろ?」
「取り消しだ、あんなモン……つうッ!」
そう言ったとたん、ポップの喉からとがった悲鳴がもれた。
「ポ……ップ……」
なんとか口を動かして、その人を呼ぶ。
「ディーノ……見ないで。あっちむいてて……頼む、から……」
息をはずませて、消え入りそうに、言う。
「いいじゃん見せてやれば。ディーノはね、オレにそっくりだよ。境遇も、性格も。容姿だけはレオナ似だけど……。ディーノも、ポップにこういう事がしたいんだよ。オレにはわかる。オレは……あいつの、父親だからね」
くすくすと父様が笑う。
「ディーノの第一声、聞いてたろ? ポップを返せだつて。笑っちゃうよね。それ自体、ポップを所有物とみなしている証拠だよ。あれでよく『ポップは物じゃない』なんて言えたものだ」
ポップはもう、なんの意味もない音を発しているだけだ。
「よく見てなよ、ディーノ。ポップの構造は、こうなっているんだ。もっとも、さわらせてなんてやらないけど。そこで指くわえて見てな」
ああ。僕にはなんとなく父様の気持ちがわかるよ。
父様は、僕に、見せつけたいんだ。
自分と同じ、ポップを大好きな僕に、ポップはオレのものだと思い知らせたいんだ。
「ダ……イ、もう……」
ポップが、父様を求めて手をのばす。
どうして僕はここにいるんだろう。
どうして僕は僕で、父様じゃないんだろう。
父様!
「あッ……ん、ダイ、ダイっ……!」
ポップが呼んでいるのは、父様の名前だ。
あんなにせつなそうに、甘い声で、呼んでもらった事など僕にはない。
からみついている腕。
僕も、人間になったときポップを犯しておけば、あんなふうに呼んでもらえたのかしら?
僕はゆらりと立ちあがる。
最後のちからを振り絞って。
さよなら、父様。
僕のために死んで。
父様さえ死ねばポップは僕を見てくれる。
あの甘い声で、僕を呼んでくれるだろう。
僕達は水辺でやりなおす。パプニカもロモスも知った事じゃない。
僕は、ひとりだ。
僕はこの世でたったひとりの、ドラゴンでもある人間だ。
その僕の、おそろしいまでの孤独を、癒してくれるのはポップしかいないのだ。
完全にポップを手に入れるために、僕は父様を殺さなきゃいけない。
パプニカは王を失って悲嘆にくれるかもしれないけど、母様も世継ぎもいるからかまわないだろう。
変化が、はじまる。
普通の青年の姿から、気高く雄々しいブルー・ドラゴンへと。
「ディーノ!?」
驚いた父様がポップから身を起こす。
かわいそうに、ポップは、起き上がる気力もないみたいだ。
でも待ってて。今すぐ開放してあげるから。
「くうッ!」
僕は腕を振り回して、父様を殺そうと詰め寄る。
父様はよけながら、なんとか間合いをとろうとしている。
遅い!
勇者だかなんだか知らないけど、ドラゴンになった僕に勝てるもんか。
僕は勝利を確信した。そして、
「ディー、ノ……」
弱々しい声で、ポップが僕を呼んだ。
何故そんなに悲しい顔をしているの?
もうすぐ父様はいなくなるのに。僕とポップをはばむ者はいなくなるのに。
「いいかげんに、しろ─────ッ!!」
父様の、両手の甲がひらめいた瞬間、僕は腹部に衝撃を感じて気を失ってしまった。
>>>2000/11/8up