「これを見てください」
ハーベイはテーブルの上に地図を広げた。
先ほどの地図ではなく新しいものだった。
「さっき、文房具店で購入してきました。スタンがしるしをつけたものは余り詳しくないものだったので。あ、町の名前は僕の頭の中にきちんと入ってますから大丈夫です」
ぬかりなくペンとインクも買ってきていたハーベイは、ダイの目の前で地図にしるしを書き入れていった。ダイは黙ってその作業を見ていた。
途中、注文したお茶が運ばれてきたが、ハーベイは顔もあげなかった。
ダイは邪魔にならないようにふたつのカップを手前に引き寄せた。
「……マスターが訪問した先は、とりあえずこれだけです」
ひと段落ついて、ハーベイは説明を始めた。
「これだけというのは、今から増えるかもしれないからです。でも、これだけでもあれば、マスターを見かけた方から情報が入るかもしれません。マスターが何を言っていたとか、この町を気に入ったようだったとか、あるいはすぐに帰ったとか。好き嫌いの激しい方ですからね、意外と簡単に見つかるかもしれません」
ハーベイは茶をひと口すすって、ダイが思ってもいなかったことを提案した。
「二手に分かれましょう、勇者様。魔道士の塔は全面的に勇者様をバックアップします。勇者様も、ベンガーナの町すべてに行ったことなどないのでしょう? ルーラが使えないなら、その方が能率的です。それから、これを」
ハーベイは自分のシャムロック・バッジを取り出すと、ダイにさしだした。
ダイは思わずハーベイの顔を凝視した。
「これは……!?」
「僕のシャムロック・バッジです。もし僕に連絡を取りたいことがあれば、それに話しかけて頂ければ通じます。いえ、直接話が出来るというわけではないのですが、バッジを中継役にして、僕から勇者様の所まで伺います。やはり、そちらからも連絡が取れないと何かと不都合ですからね。僕が勇者様に用事のあるぶんには、バッジを渡すこともないのですが」
どうも、ハーベイからだけなら、いつでもダイに接触できるらしいが、こっちからは不可能なので、ハーベイはこれを貸してくれたらしい。ダイはそう見当をつけた。
「……ありがとう、ハーベイ」
心の底からの感謝をこめてダイは礼を言った。
以前に巻き込まれた騒動で、塔の者にとりバッジがどんなに大事なものであるか、よおくわかっていたからだ。
「いえ」
そっけなくハーベイは言って、さっさと打ち合わせに入った。
少々照れ隠しの意味もあったかもしれない。
「……では、勇者様はこの地図の西半分を。僕が東半分を担当します。それでよろしいですね?」
「ああ」
「ときどき僕はスタンとも連絡をとって、新しい情報を仕入れます。それも勇者様にお知らせしますから安心してください。マスターも、パプニカに帰っていることがあるかもしれませんし」
「ああ。そうだね」
ダイはうなずいた。
今朝もポップは塔にいたのだから、いつもいつもベンガーナに居続けているというわけでもないのだ。
ポップに会って話を聞くためには、塔とも煩雑にコンタクトを取る必要があった。
「では」
挨拶もそこそこにハーベイは立ち上がった。
ダイはそれを引き止めた。
「待って。……どうして塔がこんなに協力してくれるのか、聞いてもいい?」
「………」
ハーベイは躊躇したような珍しい表情をしたが、それは本当に一瞬のことで、次にはハーベイらしい吐き捨てるような口調で、言った。
「……僕らにとっても、マスターは必要な人だからですよ、勇者様。僕らはマスターの命令に決して逆らうことは出来ないけれど、それでも、憤りや不安を感じていないわけじゃない。マスターがいなくなって、塔がどうなってしまうのか……まだ、僕の肩には重いからです」
「………」
ダイは少し考えた。
このプライドの高い少年が、内心の葛藤を吐露してしまうほどに慕ってくれている塔の学生達を捨てて、ポップはどうしようと言うのだろう。
ダイなら、ダイを慕ってくれている護衛隊を捨ててゆくことなど出来はしない。そしてレオナも。
ダイは黙って自分を送りだしてくれたレオナのことを思った。
いつも情緒不安定気味な、心配性の副官のメイヤードのことも。
(レオナ……メイヤード、ごめん)
パプニカに残してきた大切な人々にダイは心の中で頭をさげて、だが今は、ポップを捜すことが先決だと、ダイは立ち上がって店を出ることにした。
※
数日が経った。
こちらの捜索に感付いているのかどうか知らないが、ポップの居所は依然としてつかめなかった。
パプニカにも戻ってきていないようだ。
ダイはもはや、ポップと会ってどうしようとか、何を問い質そうだとか、それさえわからなくなってきていた。
ハーベイが来ると、今からそんなことでどうするんです、と諭されるのだったが。
(だけど……)
ダイは思う。
そも、ポップとは何者だったのかと。
この二年……もうすぐ三年になるが、こんなに長いあいだ離れたことなど無かったような気がする。
長い、と言ってもたかだか数週間だ。
ポップはこの前の騒動、平和記念祝誕祭の頃からダイを避けていたようだった。
そのときは、ポップも忙しいんだろう、ということで気にも止めなかった。
ちょっと油断していたのかもしれない。
どんなことがあっても、ポップは自分のそばから離れないと思っていたから。
少しくらい会わなくても、この関係は変わらないと信じていたから。
だが。
ポップがいざ本当にダイから離れようとしていること、そしてそれをダイが止めたいと思えば、友情という実にあやふやなものに頼らざるを得ないこと、ついこのあいだまでは、そんなこと考えたこともなかったのだけど。
(友情……友情かあ。友情って何だったんだろう)
マッディシティの売り家を見て回りながら、漠然とダイは考えた。
(あの頃は良かったな……良かったなんて言ったら怒られるかもしれないけど、大魔王バーンと戦っていた、あの頃。苦しかったけど、楽しいこともあった……ポップとレオナだけじゃなくて、マァムもヒュンケルも、みんなそばにいてみんなが一丸となって、バーンと戦ってた……)
ダイはふう、とため息をついた。
あれから三年、ダイの周囲は激変した。
身分も地位も、とりまく環境も、怪物島と呼ばれるデルムリン島から出てきた一介の田舎少年だったダイが、今では勇者とあがめられ、パプニカ女王の婚約者としてその国に身を置いている。
とまどいもあったけれど、ポップが一緒だったから越えられた、という部分もかなりある。
はじめから王家の人間として、女王になることを運命づけられていたレオナよりも、武器屋の息子で、同じく田舎の少年から大魔道士にまで成り上がったポップの方が、ダイには近しく感じられたのだ。
その、ポップがいなくなってしまうと思うと。
(どうしよう……なんだかものすごく不安だ。オレってこんなに弱かったのか。そりゃ、今までだってポップに甘えていたとは思ってたけど、こんなに頼っていたなんて、気づきもしなかった)
唇を噛みしめてダイは途方に暮れる。
マッディシティにも人はいるのに、人はダイの手をかすめるほど近くで歩いているのに、ダイは世界にたったひとり、自分しかいないような孤独に襲われた。
(怖い)
大魔王と戦っていたときでさえ、恐怖など、ほとんど覚えなかったというのに──、
ダイは肩をふるわせた。
句碑をすくめこぶしを強く握りしめ、視線をさまよわせて、夢遊病者のようにダイは歩いた。
一方、ハーベイは。
ダイと分担してポップの立ち寄った町を回っていたが、その町のひとつで、初めてこれは、と思った。
ハーベイでなければ気づかなかったろう、かすかな魔法の感触。
結界だ。
そうして、この感触には覚えがあった。
いつも魔道士の塔をとりまいている、魔法の空気。
それは塔の学生にとって、ここにいれば安全なのだ、と、意味もなく安心感をもたらすようなそんな空気で、だからあのオンボロ塔の中でも、皆は好き勝手に騒ぐことができるのだった。
(……この町にいるんですね、マスター!)
ハーベイは確信した。
ハーベイは目を閉じ、おのれのバッジのある場所を探った。
そこにダイがいる。
公衆の面前だったにもかかわらず、ハーベイはルーラをとなえた。
ポップに逃げられないために、一刻も早くダイを連れてこようと思ったのだった。
>>>2002/1/1up