薫紫亭別館


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 ただならぬ気配を感じてスタンは顔をあげた。
 夕方だった。塔の執務室で、スタンはそろそろ灯りをともそうかなと考えていた頃合いだった。
 スタンは魔法の才能などからっきし無い男だったが、それでも塔にいるからには多少の修業もしたし、多少のふしぎにも慣れていた。
 スタンはじっと部屋の一点を見つめた。
「……オスカー……」
 もやもやと、煙のようなものが人のかたちをとろうとしている。
 スタンの目の前で、煙は薄茶色の髪をした華奢な青年の姿らなった。
 スタンは全く動じなかった。
「どうした、オスカー? 幽体のままうろうろするのはやめろと言っただろう。君の特技なのは知っているが、知らない人が見たら、本当に幽霊と思うかもしれない」
『塔の中だからいいじゃないか、スタン』
 くすくすと、幽体……オスカーは笑った。
 その目はスタンというよりも、どこか遠くを見ているような印象を与えた。
 スタンはペンを置き、話をする体勢になった。
 オスカーは満足げにまたくすくすと笑った。
『ハーベイがマスターの居場所を突き止めたよ、スタン』
「へえ?」
 スタンは意外そうな声を出した。
「そうなのか? ハーベイからは何の連絡も入ってないが」
『ついさっきのことだからね』
 何がおかしいのか、オスカーは笑い続けている。
 スタンも糸のような細い目をして、いつも笑っているように見えるだけに、この二人のツーショットはいささか不気味だった。
「あのねえ。君、わざわざカールから、ベンガーナでのハーベイの活動を覗いてたのかい? こそこそ覗くくらいなら、表立って協力してくれたらいいじゃないか。君が手伝ってくれれば、もっと手間が省けたのに」
『その苦労がむくわれたときがいいんじゃなかったの?』
「そんなところから盗み聞きしてたのか……あきれるな。で、何の用だ? マスターが見つかったことを、ハーベイの代わりに報告に来ただけか?」
『君って、僕に対しては、日頃の穏やかさがなりを潜めるよね』
「悪かったな。僕の性格を熟知しているやつにまで、仮面をかぶる気はないよ。僕の性格が悪いのは知ってるだろ? 君こそ、その怪しげな幽体でうろうろする趣味さえなけれれば、僕の代わりにここで執務をとっていたかもしれないのに」
 オスカーはポップの直弟子ナンバー2だった。
 つまり、スタンとハーベイの次にシャムロック・バッジを貰ったことになる。
 2というのは同等の1が二人いるからで、ナンバー2も二人いるのだ。
『僕はそんなことに興味はないよ。君も、だろうけど。でも今は過去形だね。おめでとう、君はまんまとマスターの策にはまって、塔の運営に興味を持ち出したようだしね』
「勝手に決めるな。本当に、何の用なんだ」
 スタンは少しきつい口調で言った。スタンにしては珍しいことだ。
 オスカーはまだ笑って言った。
『ああ、ごめん。ちょっとビジョンが見えたから』
 一気にスタンは緊張した。
 この怪しげなナンバー2は、魔法力こそハーベイに及ばないものの、色々と特技があったのだ。
「……なんだ。言え」
『えらそうだなあ。ま、いいや。じゃあ言うよ。塔や勇者様がどんなに画策しても、マスターはもう、ここには帰ってこない。いや、何回かは帰ってくるかもしれないよ。荷物もまとめなきゃいけないし、事後処理だってあるだろうしね。……でも、それは君の仕事だ、スタン。君が、塔のあるじだからだ』
「……僕だけじゃない。ハーベイもいる」
 歯の間から押し出すようにスタンは言った。
 オスカーはせせら笑った。
『本気で言っているの、スタン? なら僕は君を軽蔑するよ。ハーベイの魔法力は確かに注目に値するものだけれど、管理者向きじゃないよ。……それに』
「それに?」
 スタンはおうむ返しにした。
『それに……これからは、魔法使いの出る時代じゃないって気がするんだ。気づいてる? 世界中から魔法使いが減っていってるっていうこと。僕達は、消えてゆく運命なのかもしれない。だからマスターは、ほとんど魔法力のない君を後継者に選んだような気がするんだ』
「………」
『半信半疑って顔だね。でも本当だよ。カールには、そういうことを調べる機関もあるからね。なんなら次に来るとき統計結果を持ってきたっていい。塔も、いずれはこの方面のことを、整備しなくちゃいけないね』
 オスカーはカールに派遣されていた。
 カールからの要請で、魔道士の塔からオスカーとエドモスの二人がカール王立学院に魔法講師として招かれたのだ。エドモスというのが、オスカーとコンビを組んでいる、もう一人のナンバー2の名前だった。
「……それは、君の、予見?」
『ビジョンだよ』
 オスカーは言った。
 どういう言い方をしようとも、オスカーが未来を見通す視力を備えているのは確かなのだ。
 もっとも、見ようとして見られるものでもないらしい。
 それはいつでもランダムに訪れてきて、そのせいでオスカーは、いつも焦点のあわないけだるげな瞳をしているのかもしれなかった。
『そろそろ、僕は帰るよ。エドモスは熱血漢だからね。あんまりサボっていると大目玉をくらっちまう。マスターは、本当にいい人選をしたよ。さしもナマケモノの僕でも、エドモスと組んでるかぎり、こうやってずっと遊んでいるわけにはいかないものね』
 オスカーの姿はまたもやもやと煙がかったようになって、やがて消えた。
 スタンはそれを見届けると、決意したように言った。
「……マスターはもう帰ってこない……か。いいとも、オスカー。そこから見ていればいい、その怪しの目で。僕がこの塔を動かしてやる」
 唐突に消えた、だがまだその辺に漂っているに違いないオスカーに向かって、スタンは宣言した。

>>>2002/1/8up


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