薫紫亭別館


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 誰にでも、黙示録を読む運命の日というのは訪れるものだ。
 ダイとポップには、この夜がそうだった。
 新月だった。
 気配でダイは目を覚ました。
 ダイは首を傾けて、枕もとに立つ人物を見上げようとした。
 が、暗くてよくわからなかった。
 見えなかったが、ダイは、それがポップだと、確信していた。
「ポップ……?」
「よお」
 軽い口調だった。
 ダイは横になったまま、聞いた。
「もう、いいの……?」
「ああ」
 短い問いと、さらに短い答え。
 ダイはようやく身を起こした。
 ポップの姿は夜に溶けて、かろうじてシルエットだけが見えた。
 きっとポップにも同じように見えてるんだろうな、とダイは苦笑したくなった。
 寝台が少し沈んだ。
 ポップが端に腰をおろしたのだった。
「理由、聞かせてくれる……?」
「ああ。そのつもりで来た」
 とは言ったものの、ポップはなかなか口をひらこうとはしなかった。
 ダイはポップが話しやすいように、優しく言った。
「どこ行ってたの? この一ヶ月間」
 ポップは口火を切ってくれたことにほっとしたように、
「……ベンガーナ中をうろうろしてた。あちこち見て廻ったけど、やっぱり、あの町に決めた」
「あの町って、オレがポップを見つけた町だね」
 ダイはポップのそばにいた、赤ローブの魔法使いを思い浮かべた。
 あまりいい印象は持たなかったが、ポップは、かなり彼を気に入ったらしいことが、長いつきあいでダイにはわかった。
「そうだ。アッピアシティっていうんだ。首都にそれなりに近くて、王からの呼び出しがあればすぐに出向くことが出来て、でも大きすぎない、人情味あふれる、いい町だ。……あそこに、武器屋をひらくことに決めた」
「……そう。よかったね」
 そうして、自分がもうポップを引き止めないことも、ダイはわかっていた。
 ダイは知ってしまったのだ。
 一ヶ月も離れて暮らしてみて、自分はポップがいなくともやっていけるということ、ポップにいてほしいと思うのは、ただのワガママだということを。
「遊びに行ってもいい……?」
 いつでもポップはダイはそれを当然だと思っていて、これからも、ずっとそうだと思っていたのだけど──。
「レオナの許可をもらったらな」
 ポップはそうではなかったのかもしれない。
 泣きたいような気持ちでダイは思った。
 ポップは本当は、ずっとパプニカを出て行きたかったのかもしれない。
 それでもパプニカにいたのは、うぬぼれていいなら、それはダイのためだったのかもしれない。
「もちろんだよ。泊まりがけでもいいよね? ちゃんと寝巻きも持っていくし、ポップに迷惑はかけないから。……っ」
 自分がポップの枷になってはいけないと、頭ではわかっていたのだけど。
 ダイはいきなりポップにかきついて、叫んだ。
「──やっぱりヤダっ!! 行っちゃヤダよ、ポップ!! どうしても行くって言うなら、オレがついてくっ。もう決めたっ。ポップがなんて言ったって、ついてくからねっ!!」
「ばあか。それじゃ元のもくあみだろうが」
 冷静に言って、ポップはダイのひたいを人差し指でつん、とつついた。
「なんのためにオレがベンガーナへ行くことにしたんだよ。……それに、おまえには出来ないよ。オレについて、ベンガーナへ来ることは」
「そんなことないっ。オレ、行けるよっ!」
「嘘だね」
 ポップは妙に冷めた口調で言い切った。
「おまえに出来るのか、本当に、確実に? レオナやメイヤードや慕ってくれる兵や、パプニカの民を捨てて、オレについてくることが?」
「う……」
 ダイは詰まった。
 それはダイも一度ならず考えたことだった。
 自分には出来ないだろう。たぶん。
「そ……それじゃ、ポップはどうなんだよ! ポップだって、魔道士の塔や、レオナや……オレを置いて行くんじゃないか。どうしてそんなことが出来るんだよ! オレって、その程度のヤツだったのかよ、ポップにとって! 武器屋をやりたいからって、簡単に捨ててしまえるくらいのヤツだったのかよ!!」
「ンなわけねえだろ、ばか」
 激昂したダイをなだめるように、ポップは再度指ではじいた。
 ポップは珍しくも逡巡しながら、言った。
「……捨てたくないからいくんだ」
「……え?」
 意外なことばにダイの方がびっくりした。
 どう考えても、捨てられるのはこっちではないか。
 ポップは本気でベンガーナへ行くようだし、残されるのはダイ達ではないか。
「正確には、捨てられたくないから……かな。ダイ、おまえ、オレが何もしなくとも、後ろにいてくれるだけでいいって思ってるだろう」
「う……うん」
 そのとおりだった。ダイはうなずいた。
「その気持ちはありがたいんだが、そうすると、おまえはオレに失望するよ。きっと。オレは甘ったれだから、甘えさせてくれるやつには本当にとことん甘えちまう。今はそれでいいかもしれないが、後十年、二十年経ってもそのままだったらどうする? そんなの、気色悪いだろ?」
「………」
 そこまでは、ダイは考えてはいなかった。
 ダイは想像してみた。
 その頃にはダイも王となって、レオナの夫として片腕として、政務をとっているだろう。
 もう少し背も伸びて筋肉もついて、もしかしてヒゲなんかたくわえてるかもしれない。
 そのかたわらに、いつまで経っても子供のままの、年月だけは同じだけ重ねた大魔道士。
「……けっこうイイと思うけど」
「あほか────────────っ!!」
 ばしいん!! とポップはダイを平手で殴った。
 だいぶ調子が戻ってきたようだ。
「いいか、もーちょっとその足りない脳ミソで、想像力を働かせて考えてみろ! 大人の稚気とか少年ぽさなんてのは、そいつがきちんと仕事して、世間サマに認められているときだけ許されるんだっ! ろくに仕事もしないでふらふら遊びまわって、それで大魔道士でござい、なんてふんぞりかえっていられるかっ」
「……いいじゃん。本当に大魔道士なんだし」
 ひっぱたかれた頬を撫でながらダイはつぶやいた。
 もう一発ポップがはたこうとしたので、ダイは慌てて口をつぐんだ。

>>>2002/1/17up


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