翌日。
魔道士の塔は例によって騒がしかった。
しかしその騒々しさはいつものようなお気楽なものではなく、永遠に保護者を失うような、そんな悲哀に満ちたものだった。石づくりの塔も、みずからを補修し、新たな命を与えたあるじとの別れを嘆いていたのかもしれない。
「マスター、本気でベンガーナへ行っちゃうんですか?」
ラウールが聞いた。
ラウールは塔の最上階のポップの私室で、荷づくりを手伝わされていた。
ポップはラウールの方を見もせずに答えた。
「そうだよ。なに、おまえ、嘘だと思ってたの?」
「そりゃ、まあ……みんな、そう思ってるんじゃないですか? だってマスターは、魔道士の塔の創設者じゃないですか。いくら運営をスタンに任せたからって、ほんとに引退しちまうとは思わなかったですもん」
「全員まだまだオレという人間をわかってないな」
「マスターを理解できたら人間おしまいだ、と、このあいだルドルフが言ってましたよ」
「……あの野郎、いつかシメる」
ポップはしたたるような悪意をこめてつぶやいた。
うわあマジだ、とラウールは思った。
本気か冗談かわかりにくいポップだったが、塔に入りたてでまだ俗世間のまっとうな感覚を残しているラウールには、どちらかがよくわかった。
ポップがラウールを引きずり回していたのは、そのへんが理由なのかもしれない。
今までの塔にはいなかったタイプだ。
実際、ポップはルドルフよりラウールに期待していた。
それなのにルドルフと組ませたのはポップの悪意ではなくて親切心だ。
どんなに大目に見てやってもラウールには魔法力もなく、頭も大していいとは言えない。
そののびやかな発想と感性がルドルフの才能と結びついて、よい方向へ伸びていってくれるといいな、という親心だった。もちろんラウール達には秘密にしていた。
「マスターっ。そろそろお時間ですよおっ!」
階下からスタンの声がした。
時間とは、大魔道士の送別式のことだ。
身内で飲み会を開いてそれで終わり、というようなちゃちいものではなく、もっと堂々とした、いかにも大魔道士にふさわしい、見送りの儀式だ。
ポップが希望したわけではなかったが、大魔道士を手放すとあれば、レオナにも色々と事情があるらしい。
それもわからないでもなかったので、ポップも真面目に出席することにしたのだった。
当の主役はポップなのだったが。
ポップはラウールを追い出して、正装に着替えた。
あちこちにダイのつけた所有印が残っている。
傷は回復呪文で治したが、それはそのままにしてあった。
(……にゃろう、無茶苦茶しやがって)
口の中で毒づく。
お互い初心者だったので仕方がないが、どう考えてもこっちの方がダメージが大きい。
ポップは激しく、つい流されてしまった昨夜のことを後悔した。
※
式は屋外で行われた。
王宮前の広場だった。
ポップが到着するより先に人々は広場に詰めかけていて、お歴々は用意された椅子にきちんと座っていたし、兵達も正装して整然と隊列を組んでいた。
ひときわ目立つのは、やはり青いふさ飾りをつけたダイ直属の護衛隊だった。
ラッパが吹き鳴らされ、ふれ係の声がして、ポップの登場を皆に告げた。
今回は、本物の大魔道士だ。
前回の平和記念祝誕祭の幕内を知っている者には苦笑とともに、深い感銘を与えた。
同じ黒い髪と紫の瞳を持っていても、貫禄というか、迫力が違う。
深い緑の法衣に長いマントをつけ、典礼用の杖を持ったポップは、全身からいつもは押さえている強大な魔法のオーラを立ちのぼらせて、遠目にもただものではない、という印象を与えていた。
中には、この前の祝祭のときとはあまりにも様子が違うことに、気づいた者もいないではなかった。
「ポップ様ーっ!」
「大魔道士様あーっ!!」
遠くから眺めることしか許されない一般大衆から歓声があがった。
その声には、多分にパプニカを出て、ベンガーナへ行ってしまう大魔道士を惜しむ気持ちが含まれていた。
スタンは祝祭のときのように、自分は参列せずに張られた天幕の向こうからそれを伺っていた。
『君も本当は参列しなくちゃいけないんじゃないの、スタン?』
「オスカー」
今度は姿もなく、声だけを聞かせてきた同僚に、驚きもせずにスタンは答えた。
「僕には裏方が似合ってるんだってこと、どうして誰もわかってくれないのかな……僕はここで、マスターがまた何か妙なことをしでかさないように、見張っている役目だよ、オスカー。なんなら、君、僕の代わりに出てくれてもいいよ」
『幽体のままでいいの?』
オスカーは笑う。
「いいよ。好きにすれば? ここで君がマスターより目立って、話題をさらっていっちゃったら、マスターは烈火のごとく怒ると思うけど。……あの人も目立ちたがりだからなあ。ぶつくさ言って出てったけど、今頃は得意絶頂! だろうな」
『ヤなやつだな、スタン……』
うらめしそうにオスカーは言った。
もし姿が見えていたとしたら、本当に本物の幽霊と思われたことだろう。
オスカーは話題を変えた。
『そういや、ハーベイは? ハーベイも参列してないようだけど』
「君にも、知らないことがあるんだね。ホッとするよ。その調子で、姿の見えないことをいいことに、あちこちデバガメするのはやめてくれよ」
『まぜっかえすなよ。本当にどうしたんだ?』
「寝てる」
スタンはいい天気だね、と言うのと同じ口調で言った。
オスカーはしばらく無言だった。
『……それって、あのまま寝たきりってことか?』
「あのままってのがどのときのことを指すのか知らないけどそうだね、メイヤードさんと遊んでる最中昏倒して以来だね。もう数週間寝ているよ。あ、でもときどきは回復呪文が使えるやつに回復してもらってるから、死ぬようなことはないよ」
『……僕は、何故マスターが君を塔主に選んだのか、わかったような気がするよ……』
この性格。どう言っていいのかはわからないが、とにかくスタンが最強だ。
最凶と言ってもいい。
スタンには魔法力など必要あるまい。
そんなもの無くとも、スタンは立派にやっていける。
「へー。どうしてなの? 自分でもわからないのに」
スタンの細い目は、表情を読み取らせない。
オスカーはためいきをついて、こんなやつと組まされたハーベイの不幸を思いやった。
>>>2002/1/19up