執務室の窓からメイヤードの後ろ姿を見送りながら、もちろんハーベイはきつく言った。
「この、演技派」
これはスタンに向けてのものだった。
「お褒めの言葉と受け取っておくよ、ハーベイ。あーあ、ようやく帰ってくれたかなー。メイヤードさんは嫌いじゃないけど、繰りごとをのべだすと長いからなあ。それに、ホワイトさんのままで帰ってほしかったし」
メイヤードの髪は見事な白髪だ。三十代なかばで、量もふさふさしているが、なぜか色素がぬけるのが早かった。しかし、ホワイトというのはそこから来ているのではない。
「それはまあ……僕も、そうだけど。あのまま怒らせ続けたら、どうなってたかわからないし」
「だろ?」
スタンは大きく伸びをした。
「さーてっと……うちのマスターは、いったいどこをほっつき歩いていらっしゃるのか……」
「たぶんマスターは、もう塔のことも、三日後にせまった式典のことも、思い出しもしないんだろうな」
ひとまわり以上歳の離れているスタンとハーベイだったが、その見解だけは同じだった。
ふたりとも実に楽しそうに計画を練るポップを見ているのだ。
見ていなくとも、一番弟子として常にそば近くに仕えているふたりには、ポップの性格がよくわかっていた。
「バッジを盗まれたって!?」
ダンテとゼノンが神妙な顔をしてポップに報告しに戻ってきたとき、最初は、怒るのかと思った。
シャムロック・バッジは、そのへんのアクセサリとは違うのだ。
それは『魔道士の塔』の卒業免状であり、つまりポップに認められた、ポップの直弟子を意味する。これがなければ、いかに優秀な成績を誇っていたからとて、『塔』の卒業生──ポップの直弟子とは名乗れないのだ。
シャムロック・バッジはポップ流アバンのしるしだ。
そしてこのバッジをつけて、塔の卒業生たちは世界中に派遣される。
魔法使いの手を借りたいさまざまな事件や出来事に、依頼を受けて塔から卒業生がおもむく。
うまくいけば依頼料のいくらかが卒業生に支払われ、残りは塔の運営資金となる。
塔主であるポップが急ごしらえではあったが、強力につくりあげたシステムだ。
だから、そのバッジを盗まれるなどということは、あってはならない失態だった。
しかしポップはダンテとゼノンを責めなかった。
今思えば、そのときから計画を思いついていたのだろう。
「しょーがねえな、魔法使いったって人間だからなあ。で、どこで盗まれたって? それくらいわかるだろ? まさか落としたってーんじゃないだろうな」
ポップは初めて恐い顔をした。
オレの手ずからつくったバッジを落としたりなんかしやがったら、タダじゃおかねえぞ、という表情だった。
「そ、それは……宿屋に泊まったときに。夜、寝る前には確かにありました」
「ドロボーが入ったことにも気づかなかったのかよ、二人して。ったく、情けねえな」
責めはしなかったがそれが心底あきれた、という口調だったので、ダンテとゼノンは本当に情けない顔になった。もっとも、ポップはそんなことを気にとめるたちではない。
「まあいい、とうぶん謹慎してろ。ほかの学生たちともあまり顔を合わせるな。スタン、ハーベイ。バッジを取り戻すまで、こいつらを走り使いに使ってやれ。多少こきつかってもいいぞ、それくらい覚悟はしてるだろうからな」
「あの、マスター……」
おずおずとゼノンが口をひらいた。
「バッジを没収、なんてことは……」
「没収してほしいのか?」
ゼノンは思いきり首を横に振った。
「しないよ、安心しろ。あれの裏にはおまえらの名前が彫ってあるんだからな。いまさら没収してほかの名前にするのも面倒だ。それよっかもう少し精進しろ。バッジを取り戻したら、もういちど卒業試験を受けさせてやる」
「………!!」
ダンテとゼノンも、スタンとハーベイですら息をのんだ。
それほどにポップの試験というのは、この世のものとは思われないほど無理難題であったのだ。
スタンとハーベイはひさんだなあ、と思いこそしたものの、ポップにとりなしてやろうなどとは思わなかった。バッジを盗まれたのは事実なのだ。その責任は追及してしかるべきだった。
「ええと、おまえら、どこに派遣されてたんだっけな」
「パプニカのオーランド地方です」
ダンテとゼノンが答える前にスタンが言った。
「この王都より南にある、ササール山脈に囲まれた田舎にしては洗練された都市です。王宮の内装に使われている白大理石も、ここの特産だったかと思います。農産物ではオレンジ、レモン、オリーブ。海が近いので海産物も豊富です。石網におおぶりの貝を直接のせて焼き、バターとレモンで味付けしたものなどが……」
そこまで言ってスタンははっと口をつぐんだ。
口をすべらせたのがわかったからだ。おそらく、ポップの計画はこれで確定的なものになったろう。
「そおかあ、貝のバター焼きかあ……」
山育ちのポップにはそれはとてつもないごちそうに思えたのだった。
パプニカの王都も内陸にあり、海産物も運ばれてくるものの、それほど新鮮さは望めなかった。
「……マスター。わかってますか? 今は不届きにもシャムロック・バッジを盗んだ者を、見つけだし、取り押さえなければならないのですよ」
スタンがくぎを刺した。
「わーかってるよ、心配するな、スタン」
ポップは楽しそうに、ますます不安になるような笑顔をつくって、スタンが一番言ってもらいたくなかったセリフを吐いた。
「オレが行ってやる。このオレ、大魔道士みずからが乗り出すんだからこれはもう成功まちがいなし! だよなー。そうだ、ダイも誘ってやろう。あいつも、たまには気晴らしが必要だしな」
「マスターはいつも気晴らししまくってるじゃないですか……」
もはやムダと知りつつスタンはぐちった。
ポップがこうなってはもう誰にも止められない。いや、いることはいるが、その人物はたいていポップに丸めこまれて、行動をともにするのが今までのならわしだった。
「マスター! マスターはともかく、勇者様を巻き添えにするのはやめてくださいよ。これまで何回、メイヤードさんにねじ込まれたと思ってるんです」
「なにが巻き添えだ。失礼なっ」
「マスターはそうでも、ほかの大部分の人達はそうは思わないんですよ。はっきり言うと、僕達が迷惑するんです。魔道士の塔と勇者様を守る護衛隊との仲が悪いのは、マスターのせいです」
「………」
思いあたるふしがないこともなかったのか、ポップは押し黙った。
しかし、長くは続かなかった。
「……だってよー、一人じゃさびしいじゃん」
ぽろっと本音を吐いた。
「それならほかの者にしてください。魔道士の塔から何人でも、好きなだけどうぞ。ただ、勇者様だけはやめてください」
「ヤダい、ダイとがいいんだいっ」
「子供みたいなこと言わないでください!」
ポップは十七歳だった。さて、子供というか大人というか、微妙なところだ。
「それじゃこうしよう、スタン。これからオレが行って、ダイに交渉してくる。その上でダイが断ったらオレもあきらめよう。な?」
「マスター!!」
スタンの怒りむなしくポップは部屋から消えうせた。
次に現れるときにはダイをともなっているだろう。いつものパターンだ。
「ス、スタン……」
肩をおとしたスタンに元凶のかたわれが声をかけた。
「ご、ごめん、スタン。オレ達のせいで」
「あ、いいんだよ、ダンテ」
スタンは元凶ふたりが気に病むことのないように、いつものほんわかした身ごなしに戻って、
「マスターは誰にも止められない。僕だって、いさめたところでムダなのはわかってたんだ。そりゃきっかけをつくったのは君達だけど、その前からマスターは逃げる口実を探していたろうしね。もう少しで平和記念祝誕祭だから」
祭りでのポップの役割はというと、おもに行事進行である。
つまり最初から最後まで出ずっぱりなのである。
それでも去年は、初の式典ということと目立ちたがりな性格も手伝って、まともに役向きをこなしたのだが、終わったときにはすぐに正装を脱ぎ捨てて、
「もう二度とこんなしち面倒な役目はごめんだ」
と、言って周りに当たり散らしたのだった。
直接被害を受けたのはダイと、やはりスタンだった。ハーベイは立ちまわりよく逃げだしていた。
塔のほかの者もできるだけ遠巻きにして、怒れる大魔道士に近づかないようにしていた。
さわらぬ大魔道士にたたりなしだ。
もっとも、さわらなくてもたたるときはたたる。
「マスターのお守りは勇者様に任せておけばいいんだよ。おまえ、真面目すぎるんだ、スタン。表面的には、だけど」
「そうだねえ」
意味がわからずダンテとゼノンは首をかしげた。
「……?」
スタンはおっそろしく酷薄な部分を内心に秘めている。
言動がやわらかいから見抜かれないのだが、一応、コンビを組まされているハーベイにはそれがわかっていた。
面倒見がいいのも世話好きなのも本当だったが、それは親切心からではなくて、すっきりしてないと落ち着かない、そんな片付け魔な欲求からだったらしい。
かくいうハーベイは、以前はスタンを本当の優等生だと勘違いして敬遠していた。
が、そうではないと知ってからのほうが、少々逸脱気味のハーベイには好感が持てたようだった。
だからといって、馴れ合おうとはしないところがハーベイなのだが。
「ま、もう少し待っててね、ダンテ、ゼノン。すぐマスター帰ってくると思うから。君達の処分は決定しているけど、マスターがどうするつもりなのか見届けるのも君達の義務だよ。ああ、どうするのかはわかってるんだっけ。勇者様とオーランド地方へ捕り物に行くんだ。これは、ちゃんと式典までに帰ってくるか、心配してたほうがいいな」
そんなことをまったく悪気のない口調で言うものだから、ダンテとゼノンはちいさくちぢこまるしかなかった。こいつ恐ええ、とハーベイは思った。
と、スタンは執務室のポップの巨大な机に回って、引き出しからなにか取り出した。
ポップがいないときはスタンがこの机のあるじになるので、スタンの手によって引き出しの中身も多少整理されていた。
「ああ、あったあった。これだ」
スタンが取り出したのは薄紙につつまれた薬包だった。
ひと包みずつダンテとゼノンに手渡しながら、
「マスターが調合した胃薬だよ。胃が痛くなったら服むといい。高価は抜群だよ。原料はなにか知らないけど」
僕も服んだことがあるんだ、とスタンは無邪気に笑って言った。
>>>2001/1/17up