「ダイくんはまだ帰ってこないわね」
そう言って、レオナは謁見室の椅子のうえで上品に足を組みかえた。
ここはあまり身分の高くない者を目通りするときに使う略室だった。
「いよいよ明日ね、式典は。さて、どうするつもりなの? ダイくんが間に合わなかったら」
レオナはちろりと集めた雁首をながめやった。
朝早く、レオナは使いをやってここに登城するよう申しつけた。
スタンとハーベイ、それにメイヤードはやはり、と内心思いながらも出頭した。
三人は、ひざをついて女王の前に神妙にしていた。
「そ、それは……」
メイヤードは口ごもった。ひたいにはあぶら汗が浮き出ている。
が、スタンとハーベイは涼しい顔をしていた。
「ダ、ダイ様は式典までには帰ってくるとお約束くださいました。ですから私も、そのお言葉を信じて、今日まで按配してきたのでございます。お帰りにさえなられれば、衣装ももう出来上がっておりますし、式典の予定を書いた進行表なども……」
「私は、もし帰ってこなかったら、と聞いているのよメイヤード」
レオナは苛立ったようにさえぎった。
「もう。こんなことなら許すんじゃなかったわ。ポップくんの気まぐれや酔狂は今に始まったことじゃないけど、それにつきあうダイくんもダイくんよね。腹が立つからポップくんの相談役の地位、取り上げてやろうかしら」
ポップは魔道士の塔の塔主であったが、正式にはレオナの相談役としてパプニカにとどまっている。頭をさげたままスタンが言った。
「そうなさればマスターは殊のほかお喜びになることでしょう」
「そうね。ポップくんには地位とか身分とかが通用しないものね」
レオナはためいきをついた。
「そりゃ、お金は好きみたいだけど。ここで任を解いたら、そしてダイくんを巻き込むななんて言ったら、ポップくんは待ってましたとばかりどこかへ飛んでいっちゃうだろうしね。なんって扱いづらいヤツなの、そんな人とは知ってはいても!」
レオナは勢いよく背をもたせかけると、反動ですっくと立ち上がった。
ドレスの裾をさばく。高貴さと愛らしさが必ずしも相反するものではない、ということを証明するような動作だ。
「いいわ、とにかく立ちなさい。ほかに人目も無いんだし、そんなに改まることはないわ。それより、本番のことを考えましょう。ダイくんの役目はどうしようもないから、帰ってきてくれるのを祈るしかないけど、ポップくんのほうはどうする? なにかいい案があるかしら?」
レオナはガラにもなく焦燥している感じだった。
理由は三人にも容易に察せた。そのくらいのことがわからなくて、ダイの副官やポップの直弟子としてやっていけるわけがない。
パプニカ女王レオナとしては、なんとしても式典にふたりを出して、パプニカに勇者と大魔道士あり、と世界に知らしめる必要があるのだった。
いかに今の世が平和とはいえ、といって、各国に甘く見られるわけにはいかない。
為政者としての、レオナのそれは本能だった。友情がどうのこうの、とはまた別の問題だ。
「ハーベイを影武者にたてたらいかがでしょう」
唐突にスタンが提案した。
「このハーベイを見てください。黒い髪、紫の目、マスター・ポップと同じ色合いです。もしマスターが間に合わなかった場合、ハーベイを正装させて、式をとりしきらせればいいと思います」
「ち、ちょっと待てスタンっ。いきなり何を言い出すんだっ」
寝耳に水のハーベイが抗議した。
スタンはいつもの春がのごき口調で、
「そんなに意外なことかい? 僕はまた、てっきりハーベイもいいアイディアだと喜んでくれると思ったんだけど。だってマスターの身代わりだよ? いっときでも大魔道士、と名乗れるんだよ」
「………」
ハーベイは押し黙った。あきらかに心動かされたようすだった。
スタンはたたみかけるように言った。
「去年のマスターを覚えてる? かっこよかったよね、ふだんはへらへらして骨があるのか無いのかわかんなくて、襟がみひっつかんでしっかりせえ、と怒鳴りたくなる人だけど、さすがにああいう場面では真剣だよね、さすがはマスター、大魔道士様だなあとこっちまで誇らしくなったじゃない?」
「う……ま、まあな」
「それを今年は君がやるんだよ、ハーベイ。確かに君がやったとは、名前は出ないかもしれない。君の栄誉はマスターがかっさらっちゃうかもしれない。でも君の堂々とした態度は、事情を知っている者の胸にきっと残るよ。なんだかうらやましいな」
(す……すごく自然に話を持ってくわねえ)
レオナはちょっと感心しながら、このなりゆきを見守っていた。
「僕には……無理だからね、そういう大役は。いや、髪や目の色が違うからというんじゃなくて、精神的にさ。僕は、表舞台が苦手なんだ。だからマスターの気持ちがすごくよくわかる。マスターも、僕達ならきっとなんとかしてくれる、と思って旅立ったんじゃないかな」
「そ……そうかな」
照れながらハーベイは言った。スタンの内心の酷薄さをたぶんポップの次に知りながらも、こうまで言われると悪い気はしないというものだ。
スタンはハーベ権勢欲や、目立ちたがりの部分をうまく刺激したといえた。
「待ちなさい。いくら色あいが同じでも、影武者なんて成功するはずがないじゃないですかっ。顔だって、背たけだって違うんだから」
メイヤードがもっともな意見をだした。
「遠目にはわからないでしょう。一般大衆の見物はかなり離れた場所からでしか許されていないし、重鎮方ならマスターの気性もわかっているでしょう。なんなら言い含めておいてもよろしい。なにを見ても誰もさわぐなと」
「式典には、各国の来賓のかたがたもいらっしゃるんだぞっ」
「それくらいなら、僕が目くらましの術をかけてあげます。あまり魔法の才能はない僕ですが、修業の末その程度の呪文は操れるようになりました。催眠呪文……ラリホーなんかもいいですね」
「待って。それなら顔かたちもなんとかならない? あったわよね、たしか……モ、モシャスとかいう」
「変身呪文ですか?」
スタンとハーベイは情けなさそうに目を見交わした。
「それは……無理です。変身呪文は魔法の中でも最高に難易度の高い呪文なのです。僕はもちろん、ハーベイにも。ハーベイは僕よりずっと才能がありますが──それでも、五分五分といったところでしょう。仮に、成功したとしても」
「途中で術がとけてしまったり、まったく似もつかぬ外見になってしまうかもしれません」
ハーベイが後をひきとって続けた。
心なしか、ふがいないと顔がひきつっているようにも見えた。
「そう……それなら、しかたないわね」
あきらめたようにレオナも言った。
おそらくポップには簡単なことなのだろう、モシャスなどという呪文は。さらに高等なマホカトールだのメドローアなどという呪文も使えるのだ。
ポップにはこのレベルの呪文など、児戯にも等しいに違いない。
「本当に……才能だけはあるのよね。半比例して、性格はどんどん悪くなっていったようだけど」
直弟子、しかも一番弟子であるふたりは何も言わなかった。
それは骨のズイまで染みこまされていることだからだ。
「じゃあ、ポップくんはそれでいくとして、ダイくんは……いざというときまで、誰か背格好の似た者を座らせておくしかないわね。出番は一番最後だけど、それまで勇者は私の隣で式をともに見届けるということになっているんですもの。本物のダイくんでないのがナンだけど、このさい仕方がないわ」
そこでレオナはメイヤードに向きなおって、
「メイヤード、護衛団から誰かを選んで事情を説明しなさい。くれぐれも、口のかたい者を選ぶのよ。勇者が遅刻したなんてみっともないこと、諸外国に知れたらたまったもんじゃないんだから」
まだダイが遅刻すると決まったわけではないのだが、その可能性が高いとみてレオナは申しつけた。
>>>2001/1/27up