その、同じ朝のことだ。
「……起きろ、ポップ!」
おさえた声で、だが荒っぽくダイは寝ているポップのシーツをはぎとった。
「んー……なんだよ、ダイ、まだ薄暗いじゃねーか」
ポップはまだ枕から離れずに言った。
部屋は、カーテンのせいでもなく雨のせいというわけでもなく曇っていた。
つまり、まだ日の出前ということだ。
「薄暗かろうと何だろうと、もう今日が最後の一日なんだからね。時間は一瞬たりともムダにできないの。さあ、起きて。昨夜聞いた家に乗り込むよ。本当はオレは、夜のうちにケリをつけたかったかだからね」
ちいさな村で、魔道士の塔の学生のことはうわさになっていた。
ダイとポップは一夜の宿を快く許してくれた家のおばさんからそのことを聞いた。
おばさんはスープをふるまってくれながら言った。
「最近はどうしたことだろうねえ。先日も、塔の学生と名乗る子たちがこの村に来てね、半信半疑だったんだけど、ちゃんと魔法も使えるようだし、卒業免状だというバッジも見せてくれたし。あんたたちも持ってるのかい?」
ふたりはそろってバッジを見せた。
「ありゃまあ、本当だ。それじゃ、本当にこれが大魔道士さまのお弟子さんという証なんだね。えらいねえ、あんたたち。ちらっと聞いただけだけど、大魔道士さまの修業というのは、なんでもとても厳しいものなんだって? その中でこの四つ葉のバッジをもらえるのは、ほんのひと握りしかいないとか」
ダイはぷっとふきだした。
そんなダイをポップは肘でつついて、
「ええ、まあ……オレは、そんなに厳しくないと思うんですが。人によってはそう感じるのかもしれませんね。魔道士の塔は、オレ達おしかけ弟子が集まってできた学校ですから、みんな好んで修業しているはずなんですが」
「でも、厳しいって言ってたよ?」
おばさんはおなべをゆるくかきまぜた。
「卒業試験は、ですね。卒業試験っていうのはこのバッジを取るための試験なんですが、それだけは大魔道士様がじきじきに出題されるんです。どんな問題かは学生によって違います。あとは、学生がおのおの自分で好きなようにカリキュラムを組んで、勝手に勉強するんです」
「けっこうアバウトなんだねえ……でも、すると、さぼる子はさぼり放題なんじゃないのかい?」
おばさんは首をかしげて言った。
「そういう不心得なものは、全員で審議にかけて投票されます。塔に残すか放校するか。あまりくわしいことは言えません、魔道士の塔は、大魔道士様というより、塔の学生みなで運営しているようなものなんです」
「ふうん。よくわかんないけど大変そうだねえ」
「それよりおばさん。その、先日来た学生ってどこにいるんですか? もしかしてオレ達、そいつらと同じ任務を帯びてきたのかもしれないんです」
ダイが話題を変えた。
塔の成り立ちや運営方法など、今のこのさいには関係ないことだ。
「あ、そうだったのかい? それなら、この狭い村に有名な塔の学生さんたちが何人も来たのもわかるよ。ええと、マムルークさんの家にいるよ。この村じゃ一番の金持ちさ。マムルークさんは家に大魔道士さまのお弟子さんが来たってんで、舞いあがっちゃってせっせともてなしたり、人を呼んで自慢したりしているよ。そのおかげであたしも、招待されておいしいものを食べたり、ちょっとでも魔法を見せてもらったりしたんだけどね」
※
まだ目覚めていない村の通りを歩きながらダイは言った。
「少しは魔法が使えるようだね、その子たちも」
ダイとポップは、まだ眠っていた親切なおばさんを起こさないように、ひとことお礼をしたためて、宿賃とばかりコインを何枚か置いてきた。
かきおきには黙って出ていってすみません、任務がひと段落したら改めてあいさつにうかがいます、と書いた。
ポップはあくびをかみ殺しながら、
「ああ……そうみたいだな。ったって、初歩の魔法くらい、やりかたさえ知ってれば誰でもできるんだけどな。努力しだいで。おばさんの話によると、やつらの使った魔法はろうそくに火をつけたり消したり、花の成長を促進して咲かせたり、ってなくらいだったろう。初歩の初歩だ。魔法ともいえない」
それは手品か奇術のたぐいだ、とポップは言いたいらしかった。
さもあらん、森羅万象、およそ役に立ちそうにないことまでことごとく修めている世界最高の魔法使いだ。とてもそうは見えないが。
「じゃ、本当は魔法じゃないの?」
「いや、魔法は魔法だろう。少なくとも片方は」
「どういう意味?」
ダイはいぶかしんだ。
「二人のうち一人は、魔法が使えるという意味さ。ダイには言ってなかったっけかな……バッジを盗まれたダンテとゼノンだが、宿屋に泊まったとき、つまり寝ているときに盗まれたと言うんだな。しかし、かりにも魔法使いが、それに魔法使いってのはほとんどが神経過敏でな、誰かが部屋に入ってきたりしたら必ず起きるし、ましてや大事な任務の最中だ。それなのに泥棒に入られたのに気づかなかったなんていうのはありえない。だからこれは、少なくともラリホーが使えるやつがいるってことだ」
「ああ! ダンテとゼノンに気づかれないように、眠っている上からさらに催眠呪文をかけたんだね!?」
ダイが叫んだ。
「そのとおり。だから二人は気づかなかったんだ。しかし、今ごろこのあたりを歩いてるってえと、ルーラとかトベルーラなんかは使えないみたいだな。使えたらその場でほかの国にトンズラしているだろう。旅行したことがなくても、オレ達みたいにトベルーラで距離をかせぐこともできたろうしな」
ダイは感心してポップを見た。やはり腐っても大魔道士だ、大魔道士には考えの及ばないことまで見当がついている。
「なるほど。そういうふうに考えれば、相手のレベルがどのらいかわかるね。……でも言っちゃ悪いけど、たいしたレベルじゃないようだけど」
勇者であるダイより、魔法のレベルが低いらしい。
「たいしたレベルだって、オレ達にかなうわけないけどな」
ポップはからからと笑った。
ポップがどうして、こんなにのんびり旅してきたのか、なんとなくダイにはわかったような気がした。
やろうと思えば、ポップには一日で解決できてしまうことなのだろう。
犯人の居場所を特定するのには時間がかかるだろうが、それさえできれはあとは赤子の手をひねるより簡単なことだ。
だからこそ、ポップはできるだけ進みたくないと、昨夜も朝になってからでいいだろうと主張したのだろう。
「……やっぱり、確信犯なんじゃないか」
式典に出席しないための。
「なに? なんか言ったか、ダイ?」
「あ、いや。ううん」
ふるふると首をふって、ダイは、昨夜教えてもらった村一番の金持ちだという、マムルークさんの家へと向かった。
「……いない?」
ちょっと茫然として、ダイとポップは玄関で立ちつくした。
応対に出たのはこの家の使用人らしい、小間使いのおし着せを着た女の子だった。
マムルークさんの家はそれはパプニカの城の豪奢とは比べものにならなかったけど、それでもニ、三人の人を使う余裕はあるようだった。
「私にも何がなんだかわからないんです。あの方達は朝が遅くて、いつも朝食の時間にお起こしにゆくまで眠っていらしたんです。それが今、塔のお仲間さんがみえましたよ……とお起こしに行ったときには、部屋には……」
小間使いの子は、エプロンの裾をもて遊びながら言った。
「昨日はいた?」
ダイが聞いた。
「ええ、もちろんです。まだしばらくは、この家に滞在なさる予定だったはずです。ご主人がおふたりを気に入って、食事も身のまわりの世話も心配しなくていいとおっしゃって……」
「ふうん……ねえ、ご主人はまだ寝ている?」
ポップが目をすがめた。
ダイとポップが訪問したのは、訪問にはいささか非常識な時間だった。それでも使用人達は起きだして、庭を掃いたり仕事に精を出していたが。
「マムルークさんですか? え、は、はい」
「すぐに起こして、奥さんがいれば奥さんも。そして、そいつらが泊まっていた部屋を見てもらって。なにか無くなっているかもしれない」
「ええっ!?」
小間使いはすぐに家の中に駆けこんでいって、言われたとおり主人夫妻を叩き起こしたらしかった。
家の奥がさわがしい。やがてどたどたと怪談をのぼる音が聞こえたかと思うと、二階からぞうきんを引き裂くような絶叫が響きわたった。
「……逃げられたみたいだね、ポップ」
「……しかも立つ鳥あとを濁しまくってったぞ」
タッチの差で逃げられて、しかもどうやらこの家からも何か盗んでいったらしい二人組を訪ねてきた自分達に、どんな嫌疑がかかるかあまり考えたくないダイとポップだった。
>>>2001/2/1up