「困りましたねえ」
「そうだな」
「ああっダイ様っ、どこかおケガでもなさってるのじゃないでしょうかっ。でないとあの真面目で律儀で誠実なダイ様が、約束の今日までに帰ってこないなどということはありえませんっ」
順番に、いつもののんびりした口調のスタン、
どこか嬉しそうなハーベイ、
そして妻の出産に立ちあう新人パパのように落ち着かなげにうろうろしているメイヤードの言葉である。
「まあメイヤードさん、そう歩きまわったって勇者様が帰ってくるわけじゃないですよ。こちらに来て少し座りませんか? クロワッサンとハーブティーを容易しました」
スタンが言った。おなじみ魔道士の塔の執務室。
本番の日の朝、塔はこれもおなじみの客人をむかえていた。
「あああンた達は、どーしてこんな事態になってもそうのほほんとしてられるんですかっ。式典は今日なんですよ、今日! もう時間が無いんです。式の開始時間までに、といわずとも、ダイ様の出番までにお戻りになられなかったらと思うと、もう私は胃が痛くて痛くて……」
「それはお気の毒に。マスターが調合した薬をさしあげましょうか? これのおかげでうちの某弟子達も、胃に穴をあけずにすんだ、というシロモノなんですが」
「結構です! よけい胃の腑がただれますっ」
「うまいこと言いますねえ。まあ、確かにメイヤードさんにはこれは毒でしょうね。メイヤードさんは、うちのマスターがお気に召さないようですからね」
「あたりまえです。何故あのかたを塔主といただいているのか、私には理解に苦しみますっ」
「そのへんでやめておいてください、あれでも、僕達の大事なマスターですからね。マスターを侮辱されると、せっかく小康状態を保っている塔と護衛隊との仲がますます悪くなります。もっとも、悪くしているのが当のマスターとは僕達も承知していますが」
「わかっているじゃないですか。それなら、ダイ様がもし間に合わなかった場合、塔としてはどう責任をとるおつもりなんですか? 聞かせてもらいたいものですね」
「何故、塔が責任をとらねばならないのです?」
黙っていたハーベイが口をはさんだ。
「以前にも申しあげましたが、塔とマスターとは無関係です。文句ならマスターに言ってください、僕は止めません。そのせいであなたがネズミやカエルに変えられたとしたって、同情はしませんがね」
「脅してどうする。やめなさい、ハーベイ」
困ったようにスタンはたしなめた。あまり困ったような顔ではなかったが。
「それよりもう少し実際的な話をしましょう。勇者様の身代わりは誰かお決めになれましたか?」
スタンは椅子に深く腰かけ、メイヤードにも勧めた。
メイヤードも愚痴っている場合ではないと踏んだのか、不承不承ながらも椅子に座り、ようやく話をする体勢になった。
「ええ、アンリに決めました。隊の中ではいちばんダイ様に背格好が似ている青年です。金髪ですが、それは黒く染めさせました」
「素晴らしい! そこまでは考慮がいたりませんでした。僕がこのハーベイを推薦したのは、ただ単に髪と目の色が同じ、という理由だけでしたからね。ハーベイはマスターより背も低いし、その意味では、今からでも人選を考えたほうがいいですかねえ」
「お、おいスタン」
狼狽したようにハーベイは言った。
「冗談だよ。マスターの代わりができるのは、大勢いる塔の学生の中でも君だけだよ、ハーベイ。メイヤードさんとは僕が話をするから、君は式典の衣装を見てきたら? フィッティングもしなけりゃいけないんだろ?」
ハーベイは嬉々として部屋を出ていった。
ふだんはもっと狷介で可愛げのない少年なのだが、大魔道士、という肩書きにあこがれているハーベイには、たとえ一時期でも身代わりでも大魔道士の正装をして、人前に立てることが嬉しくてならないようすだった。
それをスタンに見透かされているところがまだまだ十三歳、ケツが青い。
たいして歳の離れてないポップが海千山千なのとは大違いだ。
スタンはメイヤードに向き直って、
「で、アンリ……君でしたか、ちょっと塔に呼んでもらえますか?」
「何故です?」
「色々と打ち合わせもしたいですから。影武者のことは、塔と護衛隊と、相互協力が不可欠です。とにかく、今のところは日頃のうっぷんや恨みつらみを忘れて、式典を成功させることだけを考えましょう。ご理解いただけますね?」
「それは、もちろん。輪も、そういうことなら協力するのにやぶさかではありません」
メイヤードの了解を得て、スタンは人をやって隊からアンリを呼んでこさせた。
アンリが到着する前に、執務室ではまだ一幕あった。
「こ……これはどういうことなんですか?」
やってきたアンリが最初に見たのは、執務室のソファにだらしなく四肢を投げだして、ごおごおと寝息をたてているメイヤードだった。
「ちょっと眠ってもらっただけだよ、メイヤードさんに起きてられるとうるさいからね。さすがマスターの調合した睡眠薬、即効性だなあ」
スタンはメイヤードのカップにあらかじめ薬を入れておいたのだった。
「君に説明したほうが手っ取りばやいだろう、替え玉の本人だし。そういうわけで、こまかい指示は君が聞いておいてね、アンリ君」
にっこりと、虫も殺さぬ笑顔でスタンは言った。
>>>2001/2/9up