ぱちり。
「う……どこだ、ここは……はっ。どーして私が地面で寝てるんですっ!? それにこの縄はっ!?説明してください、スタン君っ!!」
ロープぐるぐる巻き、転がされたイモ状態のメイヤードは、きれいさっぱり薬から冷めて、この場で唯一、話ができて、塔の幹部であるスタンに当然の要求をした。
ダンテとゼノンは沈没していた。
「メイヤードさん、お目覚めになったんですか!?」
スタンが意外そうに叫ぶ。
「……っかしいなあ。通常の二倍の量を用意したのですが。メイヤードさんが安らかに、夜中もしくは朝までぐっすり眠れるように。メイヤードさん、もしかしてあなた、いつも薬を服用して、効きが悪いんじゃないですか?」
「なんですか、それは!? さてはスタン君、私に一服盛りましたね!? おあいにくさま、実は私は神経性の胃炎なんです。誰のせいでストレスがたまっているのか、君にもわかってもらいたいですね。ポップ様の薬こそ断りましたが、隊の面倒をみてくれるお医者様にはお世話になりっぱなしなんですよ。残念でしたね」
「なら、もう一度おやすみになってもらうまでです」
「そうはいかん」
野太い、別人のような声がメイヤードの咽喉から漏れた。スタンは緊張した。
「──しまった!!」
「遅い」
低く言うと、メイヤードは体をいましめているの紙で出来たこよりででもあるかのように、軽々とひきちぎった。
「………っ」
スタンは歯痒そうにつぶやいた。
「ブラック・メイヤード……!」
「そうだ。私だ。私が『私』になったからには、もう塔のやつらの好きにはさせん」
メイヤードは二重人格なのだった。
そして、これこそが本来のダイの副官、狂戦士、ブラック・メイヤードと呼ばれるパプニカの鬼神なのだ。
「よくも私も虚仮にしてくれたな。礼は倍にして返してくれる」
どこぞの塔主と似たような主張を持っているが、現実的な危険度はこちらのほうがはるかに高い。
メイヤードはむくりと起き上がった。
さほど違和のように筋肉がついている、というほどでもないのに、立ち上がったメイヤードからは野生の肉食獣のような恐怖が感じられた。
「……くそ……っ」
スタンではメイヤードにかなわない。
魔法の才能も怪しいが、それ以上に腕っぷしにも自信の無い男だ。スタンはもっぱらその頭脳と統率力を買われて、塔主代理をつとめるまでになったのだ。
スタンは寝こけているふたりに助けを求めた。
「……の、起きろ。ダンテ、ゼノンっ!」
「よく寝ているようだな。ふ……ん、こやつら程度では、たとえ三人がかりだろうと魔法が使えようと、私にかすり傷ひとつ負わせられるかどうか。ムダなことだ」
せせら笑いながらメイヤードはスタンに近づき、
「どうした。私にもう一度寝てもらうんじゃなかったのか? さっきまでの威勢はどこへやった?」
服の衿をつかんでぎりぎりと締めあげた。
スタンの顔が深紅に染まった。
「……ダイ様が帰ってこなかったら、そのときにこそこの首ねじ切ってやる。そこの二人も、むろん。魔道士の塔を根絶やしにしたあと、私もダイ様の探索に行き、そこで一緒にいるであろう大魔道士も殺してやる。ダイ様は嘆かれるかもしれないが、そんな感傷は一時で過ぎる。大魔道士など、ダイ様には百害あって一利無しだ」
「それが本音か、メイヤード……っ!!」
苦しい息の下からスタンはそれだけを口にした。
「当然の帰結だ。私はダイ様の副官として、ダイ様のO御為にならない者を排除する役目がある」
「あー。……その気持ちは嬉しいんだけど、ポップはポップでいてくんなくちゃ困るから、例外にしといてくんないかなあ」
虚空から声だけが降ってきた。
「ダイ様っ!?」
スタンを離してふりかえったメイヤードの目に、今まさに実体化しようとしているダイ、ポップ、それにあとふたりの人物が飛びこんできた。
「……マスター!」
スタンも叫んだ。かすれ声ではあったが。
完全に実体化して、転移を完了させたダイは、目に質問をはさむ隙を与えることなく、
「オレの正装はどこ? メイヤード。間にあったよね。まだ、オレの出番じゃないよね?」
「そ、それはもう。……って、ここはどこっ!?」
メイヤードはホワイト・タイプ──通常モードに戻って、いつものようにうろたえた。
「落ち着いてメイヤード。スタン、ここは?」
ポップの手下にダイは聞いた。
「岬の上の……」
「いつからハーベイがオレになったんだ」
スタンが説明しようとしたときポップが言った。
ポップも幕の中から外をのぞき見て、つつがなく式典が進行しているのを知った。
「野郎、オレの席に堂々と座ってやがる。後でヤキを入れてやらなきゃいけないな。大魔道士は、二代目だけど──オレひとりで充分だ」
「マスターがさっさと帰ってらっしゃらないからじゃないですか……」
そすがのスタンも疲れたように言った。
「だってよー」
「こらこら。言い争いはあとにして」
ほっとくと今度はポップVSスタンの師弟対決の構図ができあがりそうだったので、ダイはあわてて割って入った。
「……あ。すみません、勇者様。ここは『勇者様&マスター遅刻対策本部』です。勇者様の正装もここに持ってきてあります、その簡易テーブルの下に」
初めて明かされるこの部署の名称、それを受けてメイヤードがテーブルの下から衣装箱を取り出した。
「ささ、ダイ様、早くお着替えになってください。どこかおケガはございませんか? おなかがおすきかもしれませんが、式がすむまで我慢してくださいね。チェスタトンが祝祭用の特別料理に腕をふるっているはずです。ここへ用意させますから、まずはあちらへ。アンリが、ダイ様の代わりをつとめておりますから」
薬で眠らされていたわりには素晴らしい現実認識能力を発揮して、いそいそとメイヤードはダイを手伝った。どことなくほほえましい光景でもあった。
「マスターはどうなさいます?」
スタンが聞いた。
「それって、オレにも正装してハーベイと代われってことか?」
「……失礼しました。忘れてください、今の質問」
聞くまでもなく、そのにがにがしげな表情を見れば答えはわかりきっていることだった。
それでスタンは質問を変えた。
「それにしても、マスター。新しい顔となつかしい顔がご一緒のようですが」
ラウールとルドルフはぎくりと体をこわばらせた。
ふたりはポップに連行されるようにして、ここに連れてこられてしまったのだ。
スタンはルドルフを覚えていたようだ。もっとも、ルドルフがまだ在籍中にスタンはバッジを手に入れて、すでにポップの片腕として働いていたから、塔の管理者として当然かもしれない。
「ああ。今回の騒動の原因だよ。責任とって、塔で学ばせようと思ってさ」
「……なにかヘンじゃありませんか? その言葉」
原因というなら、懲罰を与えるとか罪をつぐなわせると言うのが普通ではないだろうか。
スタンはいぶかしげにメイヤードに締めあげられた首をひねった。
もう痛くはなさそうだった。
「そーだなあ。本当の原因って言や、シャムロック・バッジもが引き金だったのかもしれないなあ。でも、これは卒業免状だし、いくら成績が良くたって努力したところで、手に入るとはかぎらない。まぼろしみたいなモンだ。でもそのまぼろしを追い求めて、なりふりかまわぬっていうのも悪くないよな。うん。そう思わないか?」
「さあ……僕にはマスターのお考えは計りかねますが」
用心深くスタンは答えた。
ポップはその答えに満足したようだった。 ポップは笑った。
「それでいい。納得してないものを、わかったふりをしてうなずくことはない。それが言えれば一人前だ。そのことを、あいつらにも教えてやれ」
ルドルフとラウールをさして言う。
「理解力が及べば、ですね」
ポップとスタンがなにやらひどい会話をしているあいだに、ダイの支度がととのったようだった。
「ポップ」
晴れ着を着せてもらった子供のように、ダイは誇らしげにポップの前でくるりと一回転してみせた。
じっさい、晴れ着には違いなかった。
「似合うぞ、ダイ」
「ありがとう。朝はもうどうなることかと思ったけど、寸前で間にあったかせもういいよ。……ポップってば、自分流に祭りを祝うのはいいけれど、オレを巻き込むのなら最初からそう言って。打ち明けてくれさえすれば、オレだってむやみに反対しないんだから」
「………」
ポップは無言のまま固まった。
ダイにはすべてお見通しのようだ。
「じゃね」
長いマントをひるがえして、ダイはアンリと交替すべく天幕を出ていった。
その気負いのない足取りは、すでに王者の風格を漂わせていた。
「うーん……くそガキもおっきくなったなあ……」
感慨をこめてポップはつぶやいた。
「それは、なんだかんだと理由をつけて、イヤなことから逃げまわっている万年少年のマスターとは、心がまえが違いますよ」
「うるさい、スタン」
※
レオナは、隣にいたアンリがさりげなく席を立ったことで、あるていど予想していたのだろう。
アンリと同じ、だがまるで生まれつきその衣装をまとっているかのように堂々とした、その人物がこちらに歩いてくるのを認めたとき、レオナは、
「ダイくん……!」
戻ってきたらああも言ってやろう、こうも言ってやろうと考えていたもろもろのことが押し流されて、かろうじて名前を呼ぶのがやっとだった。
「ただいま、レオナ。……ごめんね」
たぶんこの一瞬が過ぎれば、祭りが終わればレオナも自分を取り戻して、あれこれと追求したりなじったりするのだろう。しかたないな、とダイは思う。
それだけのことをしでかしてきた自覚もあるし、悪い、とも思っているし、……どうも自分は、ポップならお荷物だと感じたり厄介だと思うことがらの、そのすべてを愛しているようだ。
とりあえず今回は、式典のクライマックスを飾ることと、その後レオナにこってりしぼられることだ。
ポップに化けたハーベイの声がした。
ダイの出番だ。
ダイは席を立ち、ダイを待っている彼の剣のもとへ、一直線に歩いていった。
わーっ、わーっ……という、民衆のすごい歓声が聞こえる。
ポップは天幕の内で両腕を組んで、ダイと民衆とを見やっていた。
「ダイは……りっぱな王になるな」
「そりゃもうっ、ダイ様ですからっ! あの威厳、あの責任感、これまでの偉業、どこをとってもこれ以上王として、レオナ様にふさわしいかたはいらっしゃいませんっ!!」
すぐさまメイヤードがあとを続けた。
「そうだな……」
ポップはどことなく寂しそうだった。
スタンが素早くそれを見咎めた。
「マスター?」
「いや、なんでもない。それより、ルドルフ、ラウールも、こっち来て見物したらどうだ? なかなか壮観だぞ。やっぱ絵になる男だなあ、ダイって。そこの馬鹿ヅラして寝てるやつらも起こせよ。あとでどーして起こしてくれなかったんだ、なんて言われても困るしな」
その指示に嬉々として従ったのはメイヤードだった。
メイヤードは一人でも多くの者に、ダイの威容を見せつけたいようだった。
「……マスター……」
多少の不安をスタンの胸にかきたてながら、幕外ではダイが、高々とダイの剣を天上にむけてふりあおいで、勇者、ここにあり──と、その存在を、世界中の人々に知らしめていた。
>>>2001/3/3up