「!」
くろすけの全身に緊張が走った。
「いる。もうそこまで来てる。今も食事をしてる。気をつけろよ」
茶色の大地を踏みしめながら、オレたちは身構える。
手に持った槍が、いきなり実在感を増す。
この槍で、オレはたんぽぽ竜を退治せねばならないのだ。
ごくりと生唾を呑みこんで、慎重に歩を進める。
大戦中の緊張が、よみがえってきたようだ。
「あれか……!」
くすんだ緑色の、たんぽぽ竜。背をむけてせっせと食事してる。
たんぽぽ竜を境にしてくっきりと、大地が緑と茶色に塗り分けられている。
ものすごい食欲だ。
見ているあいだに色が塗り替えられてゆく。
ポップが横目で合図する。
わかってる。ヘマはしないよ。
「……ダイ、できるだけ呪文は使わないでくれ。オレが足止めする。ダイは最後の最後に、とどめをさしてくれるだけでいい」
「ポップ!?」
意外な言葉にオレは驚いて問い返す。
ポップはオレにもう目もくれずに走り出す。
「……ポップ!!」
危険だよ。うっちゃんは気のいいドラゴンだとか言っていたけど、あの大きさと食欲を見るかぎり、とてもそうは思えない。
ポップを追おうとしたオレを、くろすけが止める。
「なんだよくろすけ! このためにオレを呼んだんだろう!? このままじゃポップが食べられちゃう!!」
ポップは竜の真正面に立って、いかにも頼りなくはかなく見える。
「たんぽぽ竜は人間食ったりしねえよ!! いいから黙って見てやがれ!!」
たんぽぽ竜は食事をやめてポップを見た。
顔をずずいっと近づけて、今にも遅いかからんばかりだ。
ポップは少しもうろたえずに、黙ってたんぽぽ竜を見返している。悲しそうに。
ずいぶん長いこと見つめあっていたと思った。
でも、本当はそれほど長くなかったのかもしれない。
たんぽぽ竜の方が先に目をそらして、四肢を曲げてうずくまった。
たんぽぽ竜は顔をふせて、泣いているようにも見える。
と、ポップが手をのばして、たんぽぽ竜の顔にふれた。
そのままこっつんと、ひたいをくっつけて、また長い時間。
ああすることで、ポップはたんぽぽ竜と意思の疎通を計っているのだうか。
やがてポップが身を離した。
たんぽぽ竜はくるりと向きを変えてオレ一瞥すると、うなだれたように首をさしだした。
「……え?」
「とどめをくれてやんな。おまえの仕事だよ」
くろすけがオレをうながす。
そうは言われても、こんなシチュエーションは脳裏になかった。
とまどっているオレの耳に、今度はポップの声が聞こえた。
「早くしてやれ、ダイ。たんぽぽ竜はもう覚悟はできてる。このままじゃ生殺しだ。急所は聞いたろ? 首の後ろのつけねだ。ほかのとこには傷をつけないように、一撃で殺してやってくれ」
どうしてそんなに冷静に言えるんだよ!
こんな、処刑される罪人のような無気力な、無抵抗な竜に。
ああ、そうだ。たんぽぽ竜が何をしたというのだろう?
彼はただ、生きていただけじゃないか。自分でつくった世界を、食べて何がいけない?
「……っの馬鹿野郎っ!!」
珍しいポップの罵声。
「かせッ! おまえがやらないならオレがやるッ!!」
ポップは走ってきてオレから槍をひったくると、竜にとって返した。
トベルーラで竜の背に乗って、謝罪の言葉をのべる。
「……ワリイな。オレの力じゃ一撃であの世に送ってやれないと思うけど、できるだけ短くてすむように努力するからな。後のことは任せて、安心して成仏しろ」
言いざま、ポップは首に槍を突き立てた。
非力なポップでも、少しは竜のうろこを貫いたらしい。たんぽぽ竜が狂ったようにのたうった。
竜の咆哮が耳に突き刺さる。
「……くっ」
ポップはずぶりと槍を引き抜くと、もう一度同じ塔主頃に突き立てようとした。
しかし暴れる竜の背で、そうでなくとも荒事に慣れてないポップにうまく突き立てられるはずがない。槍は、ずれた所に突き立った。
「……おい、オメエ、魔法使いがあんなに頑張ってるっつーのに、何もしないのか? たんぽぽ竜もかあいそうなモンだよ、あんなに苦しんで」
だって、だって! どうしろっていうんだ!
くろすけが冷ややかにオレを見る。軽蔑しきった目つきで。
ポップがたんぽぽ竜の緑色の血に染まっている。
顔に浴びた血をぬぐおうともせず、罪悪感を押し殺した表情で、ポップは作業を続ける。
そのたびに、竜の口からはこの世のものとは思われぬ悲しい、痛ましい咆哮が響きわたるのだ。
「………ッ!!」
オレは耐え切れずに走っていって、ポップの手ごと槍をつかんで思いきり振り下ろした。
その瞬間……!
ばさあッ、と、目の前が真っ白なものに埋めつくされた。
たんぽぽの綿毛だ。綿毛、綿毛、綿毛。
今までたんぽぽ竜だったものがすべてたんぽぽの綿毛に変化して、オレたちは足場を失って地上に落ちた。
「い、いったい……?」
さいわい綿毛がクッションになってくれてケガはない。
オレは何がなんだかわからずに、立ちあがろうとした所へ、
「てーいッ、へたにうろうろするんじゃねえッ!!」
くろすけが怒鳴った。
くろすけは綿毛の山をかきわけて、何かを探しているようだ。
オレは言葉もなく、くろすけのすることを見ていた。
「サンキュ、ダイ」
背後からポップが声をかけた。
しまった。あまりの天界にポップのことを一瞬とはいえ失念してしまった。
ポップはまだ座りこんで、満足そうにオレを見ている。
「だ、だいじょうぶポップ?」
ポップの専売特許のセリフを口にして、オレはポップを起こしてやる。
まだ乾いていない竜の血が手にべったりついた。
全身、血にまみれているポップはもっと気持ちが悪いだろう。
「あったぞ!!」
くろすけが叫んだのにオレたちは同時に見やる。
くろすけの足もとの綿毛に、きれいなエメラルドグリーンの丸いものが鎮座している。
手にとってみると、それは卵のようだった。
「たんぽぽ竜の卵だよ、ダイ」
それはうずらの卵くらいの大きさで、この中に本当にあのたんぽぽ竜の子供が入っているのだろうか、とオレに思わせた。
「たんぽぽ竜は死ぬとき卵をひとつ残すんだ。でも世界を食べつくしてから死んだら、次に生まれる仔竜が生きてゆけない。……だから、たんぽぽ竜は退治されることを選んだんだ。仔竜を孵してもらうことを条件に」
ポップがオレの手の中の、卵にさわりながら言う。
「これが孵化する頃には、この大地もすっかり緑を取り戻して、たんぽぽ竜が安心して生きていけるようになってるよ。たんぽぽ竜が成長して世界を食べつくすのはまだずうっと先だから、これでまた当分世界は平和になるよ」
オレは膝から力がぬけていくのを感じた。
「……な、ななんだあ……。良かったあ……」
オレは膝立ちになって思わず卵に頬ずりした。
ポップはオレを見て嬉しそうに微笑むと、綿毛をいっぱいに手にとって空にまいた。
「そーれいっ」
ぱあッと綿毛が風にのって広がっていった。もとたんぽぽ竜だったたんぽぽの綿毛。
この世界の最初のたんぽぽ竜も、こうやって、たんぽぽの綿毛になって、この世界を満たしていったに違いない。
何度も何度もポップは綿毛をばらまいた。
くろすけも綿毛の山に頭をつっこんで、遠くへ綿毛を飛ばそうとしている。
オレだけは大事に大事に卵をかかえこんで、くろすけとポップが綿毛を飛ばすのを見ていた。
あれだけあった綿毛の山がすべて風にのって消えていってしまうと、オレはようやく重い腰をあげて、帰ろう、とうながした。
>>>2001/4/2up