緑の卵。おっきい宝石みたいな、たんぽぽ竜の卵。
「どうじゃね、様子は」
おひげさんがオレに声をかけた。
「はい、異常ないです。……不思議ですね、こんなにちっちゃくて殻もあるのに、この卵がちゃんと生きてるってわかるんですよ」
「ふぉっふぉっ、そうじゃろそうじゃろ。ワシも経験があるからわかるよ」
オレは卵をふところに入れて、注意深くあたためている。
なんだかとてもシアワセな気分だ。
「どのくらいで孵るんでしょう?」
「夜が明けたら」
「夜!?」
この世界にも夜ってあるんだー。ずーっと昼かと思ってた。
ああ、向こうの基準で判断しちゃいけないんだっけ。
この世界にはオレの知らないことがたくさんある。
「向こうの世界では……どれくらいなんでしょう」
「それはわからんよ。お前さん達の世界から来たのはお前さん達が初めてじゃ。あっちとこっちとでは時間の流れが全然違うそうじゃが、しかしここで夜が明けるのを待っていても向こうではそんなに経っていないんじゃないかね」
おひげさんはそう言う。
そうかもしれない。オレたちはもうここで一週間くらい過ごしたような気がするのだけど、向こうでは一日と経っていないのかもしれない。
でもそんなのは予測にしかすぎない。
今帰れば一日や二日の留守ですんでも、夜が来て明けるのを待ってたら一年くらい経っちゃうかもしれない。
そしたらレオナは心配するだろう。それに、オレたちは何も言わずに出てきてしまったのだ。
ふう。オレはため息をついた。
心情的には卵をこの手で孵してやりたい。
卵をとるかレオナをとるか、それが問題だ。
「オレが帰ってなだめてやってもいいぞ」
ポップがかばんから顔を出す。
おひげさんのがま口かばんも、また違う世界への入り口らしく、かばんの中には砂漠が広がっていた。オレたちはそこのオアシスで、体を洗わせてもらったのだ。
「ちっちっ、帰るならそっちが帰れよ。魔法使いはオレとかばんの中で遊ぶんだようっ」
くろすけも顔を出して言う。
「それもいいなあ。でもダァメ。オレは帰るよーん、あっちの世界へ。オレにはまだあっちの食いもんに未練があるの。うすく焼いたビスケットとかハーブをたっぷり効かしたシチューとか」
「けっこう食い意地はってんだな、お前」
今までたんぽぽ茶に文句ひとつなかったポップの一面を見て、くろすけは呆れたように言った。
「そうさ、オレは俗物なんだっ。他にも、生ハムときゅうりをはさんだサンドイッチとか、絞りたてのフレッシュ・ジュースとか。あちこち名物食べ歩きだってしたいんだっ。たんぽぽ茶は飲み飽きたっ」
「うーむ、それじゃあここにはいられんなあ」
「わかってくれて嬉しいよくろすけ」
意外にもあっさりと、くろすけは納得した。
うるさく見えてもさすがはこの世界の住人、というところか。
「……で、そっちは?」
話がオレに戻ってきた。
オレは?
オレは、どうしたい?
のそり、と今まで風景にとけこんで視野に入らなかったわにわにが動きだした。
「ど、どうしたのわにわに?」
「帰る」
「おい、待てよ! オレも帰るから!」
ポップがかばんから飛び出て、わにわにをひっつかまえる。
「置いてくなよお、帰り道わかんなくなっちまうだろーが」
わにわには無言。
「じゃあな、くろすけ。おひげさん。ダイ。たんぽぽ竜が孵りそうになったらまた祈ってくれよ。その祈りは必ずオレに届いて、またこちらへの道がひらくから」
「ち……ちょっと待って! 道って……、自由に行き来できないの!?」
そんな話は聞いてない。
「なんだ知らなかったのか?」
「………」
これだ。ポップはいつもこうなんだ。
だいたい今回のことだって、ポップがちゃんと説明してくれればオレはこんなに悩まなくてすんだのだ。
最初っから違う世界に竜退治に行くと聞いて、竜を退治しても卵が残ると知っていれば、オレだってひといきに苦しませずに逝かせてやれることが出来たのに。
「ちゃんと説明しただろーが。この世界に満足できる者だけを残して、他の世界への道を閉ざしたって」
……そう言えば聞いたような気もするが、ええい、今はンな事どうでもいいのだ。
「ポップの馬鹿あッ!!」
「な、なんだいきなり」
ポップがびっくりしてオレを見た。
ポップの馬鹿! こいつは、オレを残して帰ってしまっても平気なんだ。
少しはオレみたいに、断腸の思いで悩んだらどうなんだ。
それにたんぽぽ竜への愛情とか同情とか、うしろめたさとかそんな感情は無いのか。
えらくさばさばしやがって、てめえの血は何色だあ。
「こら、ダイ。馬鹿って言うほうが馬鹿なんだぞ。ブラスじいちゃんに習わなかったのか? それは精神的に貧しいことのれなんだぞ」
いけしゃあしゃあと。日頃オレをバカだボケだと罵倒してんのは誰ななんだよ。
勝手なんだから。
……でも、離れられないよ。
「……おひげさん。卵をお願いします」
オレは卵を取り出して、おひげさんに手渡した。
「……よろしいのかな?」
「……はい!」
オレはきっぱりと言い切った。
たんぽぽ竜の卵もそれは大事だけど、もっとずっと大事なものが、オレを置いて帰ろうとしている。
向こうに戻ったとき、オレはおひげさんに預けた卵を思って泣くかもしれない。
でも、ポップを帰してオレだけがここに残ったら、今度はその比じゃないくらい泣くだろう。
「……いいのか?」
ポップも心配そうに問いかけてくる。
「うん」
いいよ、何を失っても。ポップと別れるよりは。
オレは安心させるように笑って、肩に手をまわした。
「さよなら。おひげさん、くろすけ。卵をよろしくお願いします。いつかまたオレ達はここを訪れます。あの古い塔はもう使えないかもしれないけれど、きっと……。オレ達が死を与えてオレ達がこの世に出現させたこの卵の、成竜になったすがたを見に。それまでどうか達者で、お元気でいてください。くろすけも……」
オレはおひげさんはくろすけに向かって頭をさげた。
おひげさんは神妙らしく頷き返した。
「まあ帰る前に、たんぽぽ竜に名前つけてけって! たんぽぽ竜に名前つけんのも、英雄の仕事のウチなんだぜい」
「へええ、そりゃいいや! こら、わにわに、ちょっとくらい待っててくれたっていいだろ。おーいダイ、なんて名前にする? たんぽぽ竜だから……やっぱり、ぽぽちゃんとか」
くろすけとポップがよってたかって雰囲気をぶち壊した。
ポップはわにわにに逃げられないよう、背中にどっかり座りこんだ。
歩くはた迷惑め。しかもなんつーネーミング。
「それは駄目。たしか、三代前のたんぽぽ竜がそーいう名前だった」
「んじゃ二代前とこないだのは?」
自分を無視して話がすんでゆく。
「えーと、竜之介とりゅうこだったな」
「ミケとかタマとかチビとかコロとか」
「犬や猫じゃねえんだぞ」
「それじゃロイエンタールとかウォルフガングとか」
「もうちっと親しみやすいのにしろよ」
わにわにが眉間にしわを寄せている。苦悩しているなあ、ごめんよ。
「……大変じゃのう、おぬしも」
同病相憐れむ。おひげさんとオレは、期せずして同時に大きくため息をついた。
>>>2001/4/5up