「……ねえ、ポップ。しばらくってどれくらい?」
ロン・ベルクの庵を出て、リンガイアへと向かう旅の空の下で、ダイはポップにそう聞いた。
「そうだなあ……半年くらいかな」
「半年も!?」
ダイは驚いた。ダイとしては、半月程度の家出のつもりだったのだ。
アルキードへは行ったことがないから、ルーラでは行けない。が、隣国ベンガーナへは何度も行ったことがある。ベンガーナから歩いてアルキードを目指せば、大した日数はかからない……そう思っていたのだ。
しかし、リンガイアとなると反対方向である。
ダイはポップに抗議した。
「……ポップ! 大体なんだって、リンガイアに行かなきゃいけないんだよ!?」
「そりゃおめー、ノヴァに頼まれたからじゃないか。聞いてなかったのか? ノヴァの親父さんに、自分は元気でやってますって、伝えてくれって言われたろ?」
「だって、ノヴァはルーラが使えるじゃないか。それくらい、伝えようと思えばすぐに行って帰ってくるくらいの芸当は出来るよ」
やれやれ、というふうにポップは肩をすくめ、
「お・ま・え・は〜。修業中の奴がどのツラ下げて家に帰れるっていうんだよ? ノヴァは自尊心のカタマリだし、師匠のロン・ベルクは両腕が使えないと来てる。だからロン・ベルクの雑用もしなきゃいけないし、一人前にもなってないのにノヴァがリンガイアへ帰れるわけないだろ」
「だって……!」
ダイはまだ釈然としていないようだ。
「……ダイ! 来い!」
突然ポップはダイの腕を掴むと、飛翔呪文で空へと浮き上がった。
「ポ……ポップ?」
「見ろよ、下を。おまえが守った世界だぜ」
その言葉にダイは目線を下ろした。途端、緑のパノラマが視界一杯に広がった。
とかく人通りの少ない森を抜けると、そこにはまだ色づいていないとうもろこしや麦の畑が見えた。ポップが更に、綺麗に区切られた畑がパッチワーク状に見える高さまで上昇すると、やわらかな曲線をえがく山々がちいさな村を囲んでいるのが見えた。
(なんだか、山が村を守っているみたいだ……)
しかし、よく見ればその山にも、何か大きな力でえぐり取られたように山肌が剥き出しになっている箇所があって、崩れた岩がそのままになっている。ダイは陰鬱な気分になった。
「……ポップ……」
つい親友の名前を呼ぶ。こんなとき、ダイはいつもポップの名前を呼んで、心を落ち着かせてきたのだ。
ポップはすべてわかっている、とでも言いたげにうんうんと頷き、
「ダイ。あれ見てみな」
ポップはダイをその山の崩れた部分に連れていった。
余りに少しだったので上空からはわからなかったが、その一画には、少しずつ植林が施されているようだった。針葉樹らしい幼木が、あちこちに植えられている。ボロボロに見えた山肌も、近くで見ればもうすっかり雨に降り硬められて、簡単には崩れそうにはない。僅かながら雑草も生えだしている。
きっと後数年もすれば、この山肌も緑に覆われ村の人々の格好のハイキングコースになるかもしれない。
そう思うとダイは何だか嬉しくなった。
「スゲェよな、自然って」
ポップも感動したように呟いた。
「あっこまで破壊されたのに、もうこんなに緑が萌え出ている。いや、それは村の人々の努力の成果もあるんだろうけど。二年前には、こんなちいさな村さえ大戦に巻き込まれたんだ。ここも恐らく、大魔王バーンの空中要塞から爆撃を受けたんだろうな……でも、今はこうして復旧を始めてる。良かった。負けていたら復旧もクソもないもんな」
ポップは静かにダイに向き直った。
「おまえがくれたんだよ、ダイ」
目を見開いてダイはポップを見つめた。
「おまえがバーンを倒してくれたから、オレ達は今も生きている。生きてゆける。今の平和も何もかも……おまえがいればこそだ。だからオレ達はもっと、おまえに感謝しなくちゃいけないし、おまえももっと、オレ達に我儘を言っていいんだ。……なのにおまえはパプニカの城に閉じ込められて勉強漬けになってる。それは、言っちゃナンだがおまえは基礎学力が劣ってるから、少々荒療治でも単語や数式を覚えるのはいいと思うんだが、だからオレも反対しなかったんだが……ダイ、おまえ、今どんなことやってる?」
ダイは頭を巡らせると、
「えっと、アレクサンドロスの論理学と、兵法の仁の書の五章目と、歴史は銅の時代と呼ばれていた頃のやつで、素粒子がよっつの相互作用で重力相互作用と電磁相互作用……」
「なんだそりゃあ!? 暗号か!?」
ポップが突っ込んだ。
「ダイ、それの意味わかって言ってンのか!?」
「実は全然わからない」
ダイは照れたように苦笑した。
ポップは呆れた表情で息をひとつ吐き出すと、
「姫さんもなあ……困ったもんだな。こいつの頭に論理学やら奈にら詰め込んだって、どうなるもんでもあるまいし」
「ポップはそれじゃあ意味、わかってるの?」
「わかるわけねーだろ、馬鹿」
ダイは思わずポップにじゃれかかった。じゃれかかりながら、ダイには何となくポップの意図が掴めたような気がした。
ポップは、時間を作ってくれようとしているのだ。
毎日毎日、城の中で、自室と年老いた知恵者の講義室を往復するだけの……レオナの婚約者として、未来のパプニカ王として、恥ずかしくないだけの知識と教養を身に付ける日々。ダイは、それに応えようとしていた。しかしその一方で、鬱屈していたのも確かだった。
だからこそ、アルキードに行こうとしていたのではなかったか……?
ダイは自問自答した。行って、どうしようと思っていたわけでもない。ただ、どこか……パプニカではない、違う所へ行きたかっただけだ。
そんなダイに、ポップは理由を与えてくれた。
ついでにノヴァに会ってこよう。リンガイアの親父さんに、ノヴァの様子を伝えに行こう。
脳天気にめちゃくちゃに行動しているようでありながら、その実、ダイの為に良い方向になるように行動してくれいるのだ、ポップは。すべて自分の責任にして。
「飛翔呪文使えばあっというまだけど、旅の醍醐味はやっぱ歩きだよな。気づいてるか、ダイ? オレ達、大戦中に色んな国を回ったけど、一回も名所を見たことも名物料理を食ったことも無いんだぜ。まーそれどこじゃなかったってのも事実だけどさ。今回はレオナから軍資金もたっぷり貰ってきたことだし、のんびりしようぜ。本当は半年と言わず、一年だって旅したいくらいなんだから。行こうぜ、ダイ。きっと講義では聴けないような、素晴らしい出来事が待ってるさ」
「……うん!」
ダイは、ありがたくて申し訳なくて、そして、嬉しくて、万感の思いを込めて返事をした。
>>>2003/11/2up