薫紫亭別館


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 一人取り残されたポップは、左手で唇を覆っていた。
「……野郎、先に取り乱しやがったな……」
 その場にずるずると座りこむ。
「今のはどう見ても、オレの方が取り乱す権利があるぞ……せっかくオレが、不自然に見えないような出奔理由を披露してやったってのによ。フェイントだぜ、こりゃあ。自覚症状も無いクセしていきなり行動に出やがって。おかげで、躱すことが出来なかったじゃねえか、くそ」

                    ※

 どうしよう。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。
 ダイは寝台のシーツにくるまって煩悶していた。
 自分が何をしてしまったのか、それはわかっている。しかし、何故、どうしてあんな真似をしてしまったのか、それがわからないのだ。
 あのとき世界は赤一色に染まっていた。
 全てが静止した中で、唯一動いていた赤色……ポップの唇。
 唐突に、ダイは自分が欲情している事に気付いた。
 その部分が熱を持って脈打っているのを感じる。
「違う。違うよ……」
 シーツに頬を擦り付けながら、ダイは自分を捉えた想いから、目を背けようとした。


※ 憔悴 ※

 新月の夜だった。
 ポップは、真っ暗闇の森の中に立っていた。
「……ラーハルト」
 かつての敵であり、後に仲間となった者の名を呼ぶ。
 黒い木々の間から、背の高い人物が音もなく現れた。
「久しぶりだな、ポップ」
 ラーハルトは案外親しげに話しかけた。
「ディーノ様……いや、ダイ様のご機嫌の程はどうだ? いきなり旅に出たと聞いて、心配していた。オレとしては、ダイ様がお元気でいらっしゃるならどこへ行かれようと構わないが、やはり護衛としては、居所を知っておきたいからな」
 ラーハルトはどうやら、影ながらダイの護衛をしているらしい。
「てめえも大概マジメだなあ。ダイに護衛なんかいらないって、何度言ったらわかるんだよ? アイツ、この世で一番強いんだぜ。それに護衛、護衛ってえらそうに言うなよな。他にも仕事持ってンだろーが」
 ポップとラーハルトは、どうも互いに連絡を取り合っているらしい。それも、ダイには秘密の様子だ。
「……アルキードへ行きたいってよ」
 ポップは言った。
「それは……」
「大丈夫。うまく誤魔化して、ランカークスとリンガイア行脚してきた。まあ、そのせいで見つかっちまったんだが……で、そっちはどうなんだ? 首尾は」
 ラーハルトは周囲にさっと目を配り、誰もいないのを確認してから話し始めた。
「『リカバリィ』の呪文は効果が上がってきたようだ」
 今まで聞いたことのない呪文だった。
「そりゃそうだろう。そうでないと困る。あの呪文をつくる為に、一年間魔法書と首っ引きで研究したんだからな。他には?」
「ヒムとクロコダインが、諸国を巡ってまた新しいのを連れて戻ってきた。……想像以上に世界は病んでいるな。オレのような混血児が、世の中には沢山いるらしい」
 ラーハルトは魔族と人間の混血児だった。
 現在では必ずしも魔族が人間と敵対しているわけではないが、魔族と婚姻を結んだ人間、そしてその子供達などは、同じ人間から白眼視され、迫害を受けているのも事実だった。
 しかしもっとも多いのが、魔族に暴行され妊娠した女性が誰にも知られないように、こっそりと産み捨ててしまうケースだ。この場合、子供達は親の顔も知らないまま死んでゆくか、運良く生き延びても人間を憎み、人間に仇名す存在になるかのどちらかだった。
 悪循環だ。どこかでその環を断ち切らねばならない。
「……ヤメロよそーいう言い方。おまえは立派だよ。そしてオレは、今アルキードに集められている子供達も、立派だと信じているんだ」
 ポップはわざと明るく言い、ラーハルトの皮肉を吹き飛ばした。
「今はまだ、魔族に対する偏見があるのは否めない。だが、いつか、ダイがパプニカの王となり、偏見を無くし、魔族と混血児達を受け入れる体制をつくる。絶対にそうなる。ダイからして、竜の騎士との混血児なんだからな。それまでは、オレ達が責任を持たなくちゃいけないんだ。子供達が人間を襲うことが無いように。そして、人間側の意識も変わる……オレはそう、信じているんだ」

                    ※

 朝がずっと落ち着きなく、講義にも身が入らない様子のダイに、ついにカミナリを落とした老師にダイはこう言い返した。
「うるさいっ! 今は勉強どころじゃないんだっ!!」
 驚いた老師の報告を受けて、レオナは、
「ど……どうしたの、ダイ君!?」
「ごめん、レオナ。今日は休みにしてよ」
 様子を見に来たレオナに、ダイは取り付くしまもなくそう言った。

                    ※

「……どうしちゃったのかしら? 怒鳴ったり、休みにしろと言ったり。スケジュールは脱走事件以後、ずいぶん見直して楽になったと思うんだけど。もっと余暇の時間を多く取るべきかしら? ねえマァム、どうしたらいいと思う?」
 レオナはマァムに相談を持ちかけた。
「私にもよくわからないわ。でも、今までダイって余り反抗したことがなかったじゃない? その反動が来ているのかも。この前の家出も中途で連れ戻しちゃったし……もう少し、放っておいたらどう?」
 レオナの私室。壁を飾る豪華なタペストリ。置き物。女性の部屋らしく、季節の花がふんだんに生けられている。王族にふさわしい、だが華美に過ぎない、趣味のよい部屋だ。
 その中央に置かれた丸いちいさなテーブルに、二人は向かい合って座っていた。
 レオナはうつむいたまま、暗い表情をしている。
 近頃はこんなレオナの姿を見ることが多くなった。マァムは密かにため息をついた。
 知り合った時からずっと、レオナは強いと思っていた。行方不明の王に代わって国を取り仕切り、大戦中はサミットを開いて人心を統一しようとし、新たに五人目のアバンの使徒として、勇者パーティーのリーダー格を努め……同年代のマァムには、色んな意味で尊敬せずにはいられない少女だった。
 ようやく世の中が安定してきて、これから……という時に、レオナはたった一人の人物のた為にこれほど憔悴してしまっている。
「レオナ。私、ダイに理由を聞いてみるわ。ダイだってそろそろ頭が冷えて、後悔している頃だと思うしね。一体何が気に入らないのか、こっぴどく締め上げてやるわ。自分の大事な人にこんなに心配かけて、どうするんだって」
 言い終えてから、マァムは失言に気付いた。
「大事な人……ほんとにそうなのかしら。ダイ君にとって、私は……」
 かける言葉もなく、無言でマァムは部屋を出た。

>>>2003/12/8up


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