「マァム……よく来たな。もう会えないだろうと思ってた」
ノックして入ってきたのはマァムだった。
「あら……どうして?」
「ダイに聞いた。ネイル村に帰るって……」
不思議に落ち着いて二人は話した。昨日、あれほどの言い争いをしたものとは思えなかった。
「私、忘れるわ。ポップ」
静かにマァムは言った。
「あなたのこと何もかも。そして、村の誰かと恋をして結婚をして、子供を産んで……幸福になるわ、私。もう二度と、世界を救えるようなとんでもない大魔道士なんて好きにならないわ」
マァムはまっすぐにポップの目を見た。
「私、忘れるから……すぐ、忘れるから、もうひとつだけ教えて。ポップは、これから先どうするの? ううん、旅に出るとかじゃなくて。あなたが死んでいるのなら、本当の寿命が来た時どうなるの? もう一度……死ぬの? それとも、ずっと……このままなの?」
ポップは痛い所を突かれた、というように顔をしかめた。
それは、ポップ自身にもわからないことだったからだ。
「マァム……」
「ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」
ポップは何と答えればいいのかわからずに、マァムの次の言葉を待つしかなかった。
「私が知っているのは、ただの魔法使いのポップだけだわ。一緒に冒険をして、同じ夢を見ていたの。きっと彼は、今もどこか冒険の旅に出ているのね。私は彼を待ちきれずに故郷へ帰っていってしまうのだけど、いつでも、きっとおばあさんになっても、彼が訪ねて来てくれれば両手を上げて歓迎するわ。……その頃には子供どころか孫だっているかもしれない。でもその子達も彼が来るのを待ちわびているのよ。だって、彼はそうさせずにはいられない人だったんだから! みんなが彼を愛しているのよ。彼がふらふらと、一人でどこかへ行ってしまってさえ……ね」
一息に言うと、マァムは安心したように笑った。
「それを言いたかっただけなの、今日は。ポップよりもきっと私の方がパプニカを出て行くのが早いから。武神流拳法はもう後継者が育っているし、何もかもあなたが采配を下していた魔道士の塔よりは、引き継ぎが早いもの」
マァムはそこで言葉を切って、
「彼によろしくね、ポップさん。そして伝えて、元気でいてね……って。私には確認するすべもないけれど、ポップさんならわかるもの。私は幸せになるから、どうかあの人も幸せでありますように。魔が、彼を見失いますように」
最後は、ネイル村に伝わる旅の安全を願う文句で終わった。
マァムがつむじ風のように通り過ぎていった部屋は、穏やかな空気で満たされていた。
さっきまでのポップの混乱も、これからの未来に対する不安も、みんなマァムが持って行ってくれたような気がする。
「……ありがとな、マァム」
ポップはそっと呟いた。まだ普通に生きていた頃の自分、それを覚えていてくれること。
それが彼の、一番の望みだったのであるから。
※ アルキード (2) ※
「ポップがいなくなったって!?」
昼休みに魔道士の塔を訪れたダイは、そこでポップの失踪を知らされた。
大魔道士の執務室には書き置きひとつ。仕事の細々とした指示と、後を頼むとだけしか書かれていなかった。
もうほとんど仕事の委譲は終わっていたので塔にはそれほどの混乱はなかったが、ああついに……といったような、悲しいような諦めたような雰囲気が塔を覆っていた。しかし、ダイはそれでは終わらなかった。
「よくもオレに黙っていなくなったな、ポップ。もう許さないぞ。泣こうが喚こうが押さえつけて、絶対にオレのものにしてやるからな」
怒りに燃えたダイがアルキードに行ったのは夕闇の降りる時刻だった。
「ラーハルト! ポップはどこ!?」
目聡くラーハルトを見つけ、えらそうにも怒鳴りつける。
しかし返事をしたのはラーハルトではなく、隣にいたクロコダインだった。
「おお、ダイじゃないか。久しぶりだな」
ダイは返事もせずにラーハルトに近付いた。
「ポップはどこ? ラーハルト。あいつはオレから逃げ出したんだ。絶対につかまえてオレのものにしてやる。おまえは知ってるだろ? オレの気持ちを。いつなりと協力するって言ったじゃないか!」
自分より背の高いラーハルトの胸ぐらを掴んでダイは言い募った。必死だった。そこに、
「何をわからんことを言っとるんだ、ダイ。ポップはここになぞ来てないぞ」
呆れたようなクロコダインの声。ダイは思わず振り向いて、
「え……ウソ。だって、ポップは……」
「本当です、ダイ様。ここにポップはおりません」
ラーハルトも同意した。
「昨夜、ポップは確かにここに来て、私とだけ話して去ってゆきました」
「なんと! そうだったのか。ポップも人が悪いな、来たのなら一声かけてくれれば良かったものを」
無邪気にクロコダインが声を上げたが、
「クロコダイン。私は少しダイ様と内密の話があるのだ。すまないが後を頼んでよいか」
ただならぬ雰囲気を感じて、クロコダインは了解のしるしに片手を上げた。
「貴重なお時間を割いて頂いてありがとうございます、ダイ様」
場所を移してラーハルトはうやうやしく言った。
「前置きはいいから早く始めろラーハルト。おまえは、オレの知らないポップの事を何か知っているんだな?」
「かなり多くの事を。聞いて頂けますか、ダイ様。これには、ポップだけでなく私も関わっているのです。私には大したことのない話ですが、ポップには大問題だったのです。こうしてダイ様にお話するのも彼の意志には反することなのですが、あえてお話します……その方が、ポップの為にも良かろうと思うからです」
ラーハルトは話した。何もかも、包み隠さず、すべての事を。
それは以前ポップがマァムに語った事とほぼ同じ内容だったが、ほんの少し違っていたのは、ラーハルトがポップと同じ境遇だったからだろうか。
「……私達はもう成長しません。死体が成長するでしょうか。死体に何かが乗り移って操るように、私達も、自分の体に取り憑いて操っているのです」
ラーハルトはそこで手刀で指先を少し切って、
「見てください。切れば血は出る、痛みも感じます。しかし、痕は残りません。私達の体は、いつもあの血を飲まされた時の状態にしておこうと働いているのです」
竜の血を飲んだ人間は不老不死になるという。
不老とは──これか。
不死とは……こういうことなのか?
「じゃ、ポップも……」
「そうです。同じ状態です。彼はその為に、私を『リリルーラ』で探し出しました……自分と同じ状態かどうか、確認するために」
陽が翳っていた。夜になろうとしているのだ。
「しかし私には、先も言った通り大した問題ではありませんでした。魔族と人間との混血児がアンデッドになっただけのこと、どれ程の違いがありましょう。もとより人の間で暮らす気などさらさらございませぬし、あちらも受け入れようとはしないでしょう。だからこそ、混血児達の王国を、つくってやりたいと思ったのかもしれませんが……」
ラーハルトは少々心苦しそうに、
「こう言ったからとて、ダイ様ならお怒りにはなりますまい。ポップは、自らの異常に大変に思い悩み、いつかはダイ様の前から去らねばならないと思っていました。ただ単に、この異常を知られたくなかったからではありません。それは確かに理由のひとつですが、ほんの一部にしか過ぎないのです」
ラーハルトの声がだんだん激昂してきていた。
目は主君であるダイを超えて、同胞となったポップを見ているかのようだった。
>>>2004/5/1up