「ダイ一人で来いって!?」
アルキードに戻ったポップは、パプニカからの使者の口上を聞いて顔色を変えた。
使者は無機的に繰り返した。
「は、左様……王女は、アルキード国王ダイ様お一人だけと会見したいと希望しております。我がパプニカの側も、王女一人でお待ちしまます。期日はそちらのご都合のよろしいようになさって下さい。決まりましたら、使者など遣わしてお知らせ頂けると幸い……」
使者が言い終える前に、ダイを差し置いてポップは返答を述べた。
「わかった。ではこれより、三日の後にパプニカに参上することにしよう。大仰な出迎えなどは不要、ルーラで直接城に出向く。時刻は午後二時とする。急ぎ戻り、レオナ姫にそう伝えよ」
勝手に場をとりしきるポップに、ダイは怒った様子もなく、むしろ使者を追い返した手腕に感心した表情で、
「ポップって……変わり身が早い」
とつぶやいた。普段とのギャップが凄すぎる、と言いたいらしい。
「……いい、いい。もうおまえは何も言うな。オレ、どっと疲れたわ。ラーハルトはどう思った? パプニカの意図」
ひらひらと手を振って、ポップはダイからラーハルトに意見を求めた。
幾分むっとしたダイを無視してラーハルトも答えた。
「罠だと思われます。これでもダイ様の参謀である、悪知恵と口の回るポップがいなければ、幾らでも言い含められると踏んだのではないでしょうか」
「でも、あっちもレオナだけだぜ」
同じくその場にいたヒムが嘴を突っ込む。
「レオナだけでもダイの手には余るだろう。それがパプニカ側の狙いかもしれんがな。もしかして、二人きりになって情に訴える作戦かもしれん。婚約までしてた仲ではあるし」
クロコダインまでがかなりひどい事を言っている。
さすがのダイも頭に来た。
「もう! 何だよみんなして、そんなにオレが信用出来ないの!? 大丈夫だよ、とって食われるワケじゃなし、うまく切り抜けてみせるよ。任せといてってば!」
「無理だな」
「な」
「な」
ポップの言葉に全員同調していた。
三日後。会見の日、ダイは一人でパプニカへと飛んだ。
「お待ちしておりました、ダイ様。ようこそおいで下さいました」
見慣れた侍従が出迎える。
よく考えれば、つい最近までダイはこの城にいたのだった。王宮で働く者は、名前は知らないまでも顔くらいはほぼ覚えている。しかし、今では以前のような親しみは感じられなくなっていた。
これまでもそれほど気安く扱われていたわけではないが、滲み出る親愛の情が消えて、代わりに嘘寒いよそよそしさがその態度から感じられる。見から出た錆び、という格言が心に浮かんだが、
(想像以上に厳しくなりそうだよ、ポップ)
ダイは内心でポップにごちた。
侍従に先導されて、通されたのはレオナの私室だった。てっきり玉座の間か接見室に案内されると思っていたダイは、ここでも面食らった。
「いらっしゃい、ダイ君……ほんとはお帰りなさいって言いたいんだけど……元気だった?」
レオナは薄くではあったが念入りに化粧し、着ているドレスも公式用のものではなく夜会にでも着ていくような、暗い色のシックなデザインのものだった。ダイは僅かにレオナから目を逸らしながら、
「うん……まあね。レオナは?」
「ええ、ありがとう。私は元気よ。今日の会見は……わかってるわね、私達の婚約をどうするか……よ。婚約を破棄するのかしないのか、するとしたら責任はどちらにあるのか。その辺をはっきりさせておかないと、私も、パプニカとしても体面が保てないの」
レオナは冷静そうだった。少なくとも、そう装っているように見えた。
ダイはいたたまれなさに逃げ出したくなった。
責任はもちろんダイにある。ポップを追いかけて、アルキードで王となった。凄まじく身勝手な行動だと自分でもわかっている。ポップは自分とレオナの為に身を引こうとしていたのだし、全面的に非はダイにある。
違約金を払うにしても、新興の貧乏国であるアルキードにそんな余裕はない。ようやく国民が食べていけるというレベルなのだから。何より、レオナの名誉は金ではあがなえない。ダイは詰まった。
「レ……レオナ、それは……」
「わかってるわよ。アルキードにそんな無茶な注文したりしないわ」
ダイの心を見透かしたようにレオナは苦笑して言った。
「だから、婚約は取り消さないわ。だって、私はダイ君が好きなんですもの! ダイ君がポップ君でないと駄目だったように、私もダイ君でなきゃ……イヤなの」
冗談めかした口調だったが、レオナは真剣だった。ダイはその場限りの嘘や思い付きで逃げられる状況ではないと悟った。
レオナは雄弁なため息をつきながら、
「……これが王族だの勇者だのじゃない、普通の一般人だったらね。よくある三角関係の、そりゃちょっとややこしいヤツかもしれないけど、修羅場ったり何なりして決着つけるのだけど。私達には、それを自分達の裁量で解決する自由も無いんだわ」
どう言われてもダイには返す言葉もない。
ただ、ただ、レオナが一方的に話すのを黙って聞いているしかない。しかし、婚約を破棄しないというのなら、他にどんな条件があるだろう? ダイは少し身構えた。
「そんなに心配しないでよ。私が苛めてる気分になってくるじゃないの。ちょっとだけ、私の我儘を聞いて欲しいの……ダイ君には、不本意だとは思うけど」
レオナは寂しげに笑うと、部屋を横切って廊下に通ずるのではない、もうひとつの扉の前に立った。
そこで背を向けたまま、レオナは押し黙った。
非常に気まずい数分の後、レオナは思い切ったように、言った。
「ポップ君とは……もうした?」
一瞬、何を言われたのかダイはわからなかった。
「ポップ君と寝たんでしょう? じゃ……やり方はもう、わかってるわよね」
ゆっくりと扉を開く。
そこはレオナの寝室に繋がっていた。薄暗い部屋の中に、王族が使うにふさわしい豪華な寝台が見えた。
「来て」
レオナはダイの手をとって招き入れた。
「レ……レオナっ!!」
さすがのダイも声を上げた。それの意味する所が完全に理解出来たからだ。
レオナも一歩も引かなかった。
「抱いて、ダイ君。私を覚えていて。私……私、いつかは置いていかれるとわかっていたわ。私はそれを認めたくなくて、全てポップ君のせいにしていたの。ポップ君さえいなければ……って。でも、どちらにせよ同じことだわ。ダイ君にパプニカは似合わない。そして、隣にいる人物も。あなたにふさわしいのは夢と冒険、それを一緒に叶えることの出来る魔法使いなの。こんな半人前の賢者や姫じゃ、足手纏いにしかならないもの」
必死にレオナは訴えた。
「もっと早く気付けば良かった。もともと相容れない運命だったという事に。いいえ、それでも私はダイ君が好き……時間を巻き戻して何度繰り返しても、きっと同じ結果になる。だから、抱いて。私を覚えていて。あなたがどこに行っても誰を好きでもいい、ただここに、あなたを好きだった女の子が一人いたことを忘れないで……!」
好き、だった。
過去形でレオナは言った。
ダイはとても悲しい気分でレオナを見つめた。
決して嫌いではなかったのだ。むしろ好きだった。どうしてこんな結果になってしまったんだろう?
あのまま行けば、勉強は嫌ではあったけれども順当に帝王教育を施されて、晴れてめでたくレオナと結ばれていたはずなのに。
そうだ──ポップ。
ポップがパプニカを出て行くと言ったからだ。あの時、初めて自分の気持ちに気付いた。
ポップがそう言ったのは自分の異常に気付いたからで、そうなってしまったのは自分の父親のせいで、しかし元はといえば、ダイがポップを忘れてしまったせいで……。
もしポップが普通の体であったなら、ポップは今でも魔道士ギルドの長だったろうし、彼自身もマァムと結ばれていたはずなのだ。
今ならわかる。マァムはアルキードの事情を打ち明けられたのではなく、ポップの体の状態を教えられたのだ。アルキードの事であったなら、あの慈愛に満ちた女性はポップに付いていって、アルキードとアルキードの子供達の為に働いただろう。自分にはどうしようも出来ない事だった故に、マァムは絶望し、故郷に帰っていったのだ。
では、ダイにはポップが救えるのだろうか?
今はいい。今なら付きっきりで守ってやれる。
だが、これから先はどうなる? 恐らく自分は、成長の止まっているポップを残して死んでしまうだろう。
「ダイ君……?」
うつむいて、黙りこくってしまったダイをレオナはいぶかしげに見上げた。
その声に引き戻されてダイは言った。
「レオナ……オレは、ポップが好きなんだよ」
「知ってるわ」
「レオナを傷つけるよ」
「いいのよ」
レオナの白い手が、ダイの首に絡みついた。覆いかぶさるように寝台に倒れこむ。
「私もダイ君が好きよ。でも私にも、ダイ君より大切なものがあるの。パプニカという、私の生まれ育った私の国が。私達にはお互い、相手よりも大事なものがあるのね。その一点において、私達は、誰よりもわかりあえるわ」
後は言葉はいらなかった。
この世で二番目に好き合った者同士は、言葉を交わさずに深くわかりあった。
>>>2004/7/6up