薫紫亭別館


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 リヴァイが来てから十日が経っていた。
 その間 、リヴァイはエルヴィン以外の人間とほとんど馴染もうとしなかった。かろうじてハンジとミケが、何かとちょっかいを出しては撃沈していた。もっともリヴァイのせいばかりとは言えない。エルヴィンが何時も行動を共にして、大事に囲いこんでいたせいもある。
 相変わらず昼間はエルヴィンとマンツーマンで、今は立体機動中にブレードを使った斬撃などの訓練を行なっている。演習場から見える範囲で行なっていた時はさすがにぎこちなかったのが、目に見えて上達していった。こういうのをセンスがある、と言うのだろう。
 それが、この夕刻の食堂にはエルヴィンの姿が見えなかった。
 今日も訓練後に水を浴びてきたのだろう濡れ髪のまま、リヴァイはいつのまにやら持ち歩いているマイ桶を置いて席を確保し、配膳場所に並ぶ。ミケが近付いていって、聞いた。
「一人か? エルヴィンはどうした?」
「……キース団長に呼ばれて行った。次の壁外調査の時期を決めるとかで」
 簡潔に答える、その内容は調査兵団の兵士達にとって重い。
 一度の壁外調査で犠牲になる兵士の割合は、この時点ではまだ五割を超える。つまり今、食堂にいる兵士達の半分が消える。心臓を捧げた兵士として死ぬ事を恐れはしないが、やはり、何かもの思わずにはいられない。しかし。
「ち……超高級ブランドシャンプー!」
 まったく場違いな声が食堂中に響き渡った。
 ハンジがリヴァイの残したマイ桶の中を覗きこんで、タオルで包んでいたシャンプーとリンスのボトルを発見して狂喜している。
「こら。勝手にヒトの荷物を漁るんじゃない」
 油断も隙もねえ女だな、と呆れたように言いながら配膳を持ってリヴァイは席に戻る。
「だってー、リヴァイいっつもいい匂いするんだもーんっ。どんな石鹸使ってるのか知りたかったんだもーん」
 そう、普通は石鹸だ。
 シャンプーなどはここでは嗜好品、贅沢品の類に属する。
「ああ……ローゼには余り種類が無いと聞いたからな。ここに来る前に買っといたんだ」
「ローゼには、って……お前、シーナ出身か。リヴァイ」
 ミケが聞き咎めて聞いた。リヴァイは本当に、ほんの僅かに、眉を寄せた。
「………」
 無言で薄いスープをすする姿に、聞かれたくない事情を聞いてしまったのだとミケは察する。
 エルヴィンもシーナの名家の出だ。そこらへんで何か繋がりがあったのかもしれない。そんな気まずい雰囲気も、ハンジがぶち壊してくれた。
「貸してっ! ねえコレ貸して、すっげーイイ匂いっ、癒されるー!」
 ハンジは常に我が道を行く。が、リヴァイは、
「駄目だ」
「えーっ、何でーっ! ケチーっ!!」
「いや、おまえ一人に貸すくらいなら構わないんだが……」
 リヴァイは首を巡らせて、ぐるっと食堂内を一瞥し、
「ここにいる女はハンジだけじゃないだろ? コイツに貸したら、私も私もとか言って全員貸してと言って来るのが目に見える。ハンジに貸して他には貸さない、ってのも不公平だしな。すると俺の使う分が無くなる。だから駄目」
 あれ結構まともだ。
 取っ付きにくいだけで、中身は普通の感覚を持っているらしい。
「大丈夫っ! リヴァイに貸して、なんて言える女は私くらいだよっ!」
 それも正しい。正しいが、微妙に暴言を吐いているような気がするのは錯覚だろうか。
 早くも馴染みになった頭痛がやってきて、ミケは無意識にこめかみを押さえた。
「お前ら……何、脳天気な話してんだよ」
 したたるような声。
「壁外調査だぞ!? もう少し緊張感持てねえのかよ!」
 バルトだった。バルトがリヴァイ達の席につかつかと近付いてきて、噛み付くように怒鳴った。
「なあ、ミケ」
 リヴァイがミケに向き直った。
「コイツ誰だ?」
 あっけらかんと聞く。
 ……そういえばハンジとミケ以外、誰もリヴァイに自己紹介していなかった。ミケは他己紹介だが。
 焦ってミケは彼がバルト、という名前であること、口調は乱暴だが根は悪い奴じゃないこと、等々を大急ぎで説明した。したが、リヴァイの反応はやはり、はかばかしいものではなかった。
 ハンジの時もそうだったのだ。喚くバルトをじっと見上げて、無言を貫く。敵か、味方か、そうする事で相手がどう出るか、検分しているような目付きだった。ハンジの時はなし崩しにうまくいったが、今回は。
「メシがまずくなった。帰る」
 椅子を引いて、まだ半分以上残っている食事を置いて立ち上がる。
 皿やカトラリー類は、元の配膳場所に戻さなければならない。リヴァイはちょっと考えて、先にその辺りを戻してくる事にしたらしく、マイ桶はそのまま食器類を手に取った。
「人の話を――」
 無視された形になったバルトが、リヴァイの肩を掴む。
 刹那、銀色の光が一閃……する前に、ここにいない筈の人物の声がした。
「リヴァイ!!」
 その声に、リヴァイの動きがぴたっと止まった。
 誰も動きを追えなかった。
 スプーンの柄を先にして、バルトの眼球を突き刺す寸前にまでリヴァイは腕を差し付けていた。
「エルヴィン……」
 突如現れたエルヴィンを見やる。
 リヴァイを刺激しないように、だが抗う事を許さない口調でエルヴィンが命ずる。
「その手を下ろしなさい。バルトの目を潰してどうする気だったんだ」
「まだ潰してない……」
 心なしか返答に力がない。
「嘘をつくんじゃない。私が間に合わなかったら、完全に腕を振り抜いていたろう」
 エルヴィンはリヴァイに近付いて、その手からスプーンを取り上げた。
「全く、ちょっと目を離すとコレだ。誰彼構わず喧嘩するのはお前の悪いクセだぞ、リヴァイ」
「………」
 他人の目を潰すことを喧嘩で済ませるエルヴィンが怖い。
「バルトに謝りなさい、リヴァイ」
「嫌だ」
 おや、とミケは思った。エルヴィンが強く言えば、リヴァイは聞くのかと思っていた。
「後から来てゴチャゴチャぬかすんじゃねえよ、エルヴィン。元はといえば、てめえが俺の監視を怠ったのが悪いんじゃねえか」
 リヴァイはスプーン以外の食器もエルヴィンに押し付け、代わりにマイ桶を手に取って、背を向ける。
 ふと、思いついたように振り返った。
 バルトに向けて、凍るようなきつい視線を送る。
「……自分の恐怖を俺にぶつけるな。味方の士気を削いでどうする」
 バルトが硬直した。
 スプーンの柄を差し付けられた時はまだよくわかっていなかったのが、ようやく自分の身に何が起きようとしていたのか理解したらしい。膝の力が抜けて、その場にへなへなとへたり込む。
 リヴァイが鮮やかに退場した後、
「すまない、バルト。リヴァイは少し気が立っているようだ。普段はあそこまで短気な子じゃないんだが……君からも話を聞いておきたいが、指導係としてリヴァイを放っておけない。ではまた、後で」
 エルヴィンは申し訳なさそうに謝罪した。
 が、続けてああもう、こんなに残して。ちゃんと食べないと大きくなれないと言っているのに……などと漏らしながら食べ残しのパンをハンカチで包んでいては、まるで説得力がない。
 確かヤツは結構な名家の出だったような、と一様に疑問が噴き出す中でエルヴィンは押し付けられた食器を片づけ、風のようにさわやかに去っていった。これまでのエルヴィン像が音を立てて崩れてゆく。
「監視……、って言ってたね」
「味方、とも言ってたぞ。あれでも一応、仲間とは認識してくれているらしいな」
 ぽそぽそとミケとハンジは会話した。
 調査兵団に来た時点で、覚悟とか心構えとか、そういうものは決めてきたのだろう。
 だが、アレは確かに扱いが難しい。連れてきた責任もあるだろうが、エルヴィンがリヴァイを囲い込んでいるのは、いらぬ偏見からリヴァイを守る為だけではなく、もしかして物理的な危険から、ハンジ達を遠ざける為にあるのかもしれない。
 実際、ミケもバルトも、エルヴィンが静止しなければどうなっていたか。
 余り想像したくない。エルヴィンですら、リヴァイをコントロール仕切れているとは言いがたい。
「じゃじゃ馬馴らし、か……」
「馴らす事が出来るの? あの子……」
 二人は揃って嘆息した。
「まあ……でも、大丈夫だろ」
 ミケは自分のモフモフふわふわした金髪を指先でくしゃりと掻き混ぜながら、
「見た目はアレだし、多少喧嘩っ早くはあるが、中身は普通にいい奴っぽいし。思うに、一度身内と認めれば甘くなるんじゃないのか。だってどう考えてもバルトより、勝手に荷物漁ってシャンプー云々で騒いだお前の方が失礼だろ。知った顔だから許してくれたんだろう」
「知った顔……、ねえ。私、話しかけても邪険にされた記憶しかないんだけど」
 うーん、とハンジは顎に手をやる。
「一番懐いているっぽいエルヴィンでアレだぞ。察しろ。それに、奴が余り話さないのはエルヴィンに注意されてるからだろう。喋ると伝法さに磨きがかかるようだしな」
「そういえばそんなこと言われてたね」
 訓練初日にエルヴィンに付き合ってリヴァイを待った時に、そんな話をしていた。
 悪い奴じゃない、というのがハンジとミケの一致した見解だったが、周りの反応を見る限り、どうもそれは少数派のようだった。ちょっと気に食わないだけで目を潰しに来る人間など危険過ぎる。多分最初の対応さえクリアすれば何とかなるだろうが、どれが正解やらわからない。
「……その為のエルヴィン、か」
 妙な二人だ。良家の子息であるエルヴィンと恐らく下層階級出身のリヴァイ。
 何から何まで正反対だが、それが却ってしっくりくるのかもしれない。願わくば、リヴァイの鋭すぎる刺をエルヴィンがうまく包み込んで、調査兵団に溶け込ませることが出来ますように。

>>>2013/7/16up


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