薫紫亭別館


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 また、リヴァイが遠巻きにされる日々が始まった。
「だから黙っておけと言ったのに……、私の忠告を聞かないから」
「うるせーぞエルヴィン。流れでしょーがなかったんだよ」
 兵舎の廊下を、エルヴィンと並んで歩きながらリヴァイは毒づいた。
 エルヴィンはふむ、と顎を撫でて、
「お前が流されるタイプとは知らなかったな。唯我独尊、我が道を行くタイプだと」
「馬鹿言え。集団行動する以上、仲間に合わせるのは当然だろうが。そいつらが聞きたいって言うなら教えてやるさ。その後で何を考え、行動するかはあいつら次第だが」
 リヴァイは先日の出来事を思い返して、鼻で笑った。


 ――地下街についての噂は色々ある。
 曰く、汗や体液を飲む為に果物だけを与えて育てられる子供、赤子のうちに足を潰して、立派な愛玩物となるよう人工的に奇形にされた子供。視姦から死姦まで、およそ金さえあれば出来ない事はないと言われている。解体すら、金額に拠っては許される、背徳の都。
 そして、……成長しない子供。
 成長抑制剤を打たれて、大きくならないよう操作された子供。
 まあ、普通は死ぬ。そんな怪しげな薬を打たれて、多少子供時代を長引かせる事が出来たとしても副作用で、もしくは遊びが過ぎて、薬が効かなかった場合は用済みで。
 そんな薬を打たれていた子供がどんな風に扱われていたか、想像に難くない。
 リヴァイのあの体は。あの身長は。
「納得出来たみたいで良かったな。こっちは思い出したくもねえ記憶だが」
 淡々と言う、リヴァイの闇は深い。
 軽い気持ちで聞き出すには重過ぎる過去だった。鉛を呑んだように暗い面持ちのバルトも、エミール達すらも置き去りにして、リヴァイは食堂を出た。後には、彫像のように固まった団員が残された。
 ハンジは頭を掻き毟った。
「あああもう、何で言っちゃうんだよ。こんな時だけ馬鹿正直にさあ……!」
「ハンジお前、知って――」
 ミケが聞くのにハンジはむきになって否定した。
「知らないよ! 知らないけど、見てりゃわかるだろ!! 言える話なら、私が質問攻めにした初日に聞き出してる……エルヴィンがはぐらかした時点で、察しなきゃいけなかったんだ。あのバカも、テキトーな地名でもでっちあげときゃ良かったのに、融通きかないったら……!」
 ハンジの言う通りだ。
 リヴァイの待遇がこちらから見てどんなに不公平で理不尽に見えても、それを許したのはキース団長であり、分隊長も他の班長達も黙認していたのだから、わざわざ指摘すべきではなかった。詮索するべきではなかった。後悔しても、遅過ぎる。
 長い沈黙があった。
 重苦しい静寂を破って、エミールが食堂内の全員を見渡しながら、言った。
「……いいか、皆」
 つらそうに声を絞り出す。
「この事は全員、胸の奥に秘めておくんだ。リヴァイの名誉の為に。団員に、どんな過去があろうと今の俺達には関係ない。そして俺達にはリヴァイの力が必要だ。近い将来、必ず彼は調査兵団を背負って立つ存在になるだろう。こんなくだらない噂で潰させる訳にはいかない」
 噂にしてしまう事、いや噂になる前に収束させる事を約束して、そろそろと皆は解散した。
 卓の上に、リヴァイのマイ桶が残されていた。
 ハンジはそれを、そっとリヴァイの部屋の前に戻しておいた。
 リヴァイには最初から個室が与えられていた。新兵は普通、四人部屋スタートだ。こんな事も、リヴァイの過去を慮った、団長やエルヴィン達の配慮だったのかもしれない。


 ぱしゃん。水音がする。
 リヴァイはゆるやかな川の水に首まで浸かって、木の影に隠れている大男に問いかけた。
「……で、てめえは何でここまで俺についてきてるんだ、ミケ?」
 兵舎から川までは往復一時間弱かかる。
 穏やかな、訓練後に汗を流すには最適な川なのだが、水浴びしてさっぱりした後その距離を歩きたくない、というのが不人気の理由だろう。ほぼリヴァイの独占状態だ。
 ミケはそれには答えず、
「……お前が兵舎の風呂を利用しないのは、やっぱり肌を見られるのが嫌だとか、そういう理由か」
「いや。川が面白いだけだ。こんなに水がいっぱい流れている場所なんて地下には無かったしな。寒くなったら大浴場を利用するよ、普通に」
 ちゃぷっ、とリヴァイは頭まで浸かって、またすぐ顔を出した。前髪が額に張り付いてより一層幼い。
 そういや、望楼の上で空を眺めていたな……珍しかったのか、とミケは思う。
「ヤりてーのなら相手するぞ? 花代が払えるなら、だが」
 含み笑いを漏らしながらリヴァイが言う。
「俺は女専門だ。そっちの趣味はないから安心しろ」
 ミケは即座に否定した。
 リヴァイはいつになく楽しげに、手のひらで水を掻いている。
「あのハンジ、ってのがミケの女なのか?」
「やめてくれ。あんなテンション高いの相手にしてたらこっちの身が持たん。同期ではあるがな」
 他愛なく聞くリヴァイに、ミケはふるふると首を振った。
 リヴァイは川岸に手をかけ、
「いい奴だな、ミケ」
 影になっているミケを、覗き込むようにして言う。ミケも、つい振り向いて、目を合わせた。
「何だ急に。気色悪いぞ」
「いや真面目な話。……俺とエルヴィンとの肉体関係を否定してくれたろ? 感謝してる」
「……知ってたのか」
 エルヴィンとは親子説の他に、もちろん枕説もあった。それが広まらなかったのは、ミケが自慢の嗅覚を以ってして、それはない、と否定して回っていたからだ。リヴァイの、一見小便臭そうな少年体型からは、妙な色香が駄々漏れている。
 リヴァイはぺちぺちと自分で自分の腕を叩き、
「ガキの頃に仕込まれたせいか……どんなに取り繕ってもそういう空気は消せねえモンだな。なあ、ミケ、本当に誰と誰がヤったとか、そういうのわかるのか?」
「わかる。生理中の女なんかも」
 使いドコロの難しそうな能力だな、とリヴァイが笑う。
 ミケはなんとなくほっとした。笑えるのなら、まだ調査兵団に絶望していないかもしれない。
「あー、まあ、なんだ……ちょっと気にかかってな。最近メシ時にも一人だしな。班の奴等と一緒にいるのが気まずいなら、俺んトコ来ればいい。ハンジも歓迎する」
「……ほんっとーにいい奴なんだな、ミケ。気を回さなくてもいい、多分、少ししたら元に戻る」
「え?」
 予想外の返事に思わずミケは聞き返す。
「まだちょっと混乱してるんだろう。俺を傷つけたと思って、どうやって謝ったらいいかわからなくて、タイミングを測ってる……って感じだな。罪悪感から目を逸らすしか出来ないなんて、可愛いモンだ。きっとそのうち謝りに来る。俺から近付いてやってもいいんだが、甘やかすと奴等の為にならねえしな」
 ああ、やっぱりコイツは年上だ。視野が広い。ミケは感嘆する。
 リヴァイは続けた。
「バルトだって嫌いじゃない。チビ、って言わなくなったしな。あんな繊細な神経でよく俺に喧嘩売って来られたモンだ。案の定、やり返されてヘコんでるし」
 しかもかなりタフだ。
 地下街育ちの叩き上げに、厳しいとはいえ品行方正な兵士が敵う筈もない。場慣れしてる、と初対面で思った自分の直感は間違っていなかった訳だな、とミケは自画自賛したくなった。
 ふと、リヴァイは慌てたように、
「あ、ミケも好きだからな、安心しろ。てゆーか、調査兵団の連中は全員好きだ。俺の過去を知っても誰ものしかかって来ないし金額を交渉したり、闇討ちでマワしに来たりもしないし、なんって良心的な奴等なんだ……! 正直感動してる。まさかここまでとは思わなかった」
「お前、マジですさんだ生活してたんだな……」
 ほろりと涙ぐむミケだった。
 リヴァイの中で、過去は完全に昇華されているようだった。
 話を聞くと、リヴァイは自分を売っていた組織を壊滅させて名を上げたらしいから、完璧に借りは返した、復讐しきったという事で、そこで割り切ったのかもしれない。隠すから勘ぐられるんだ、最初から言っときゃ良かったのに……とはリヴァイの言。
 エルヴィンがいらん気ィ遣うから、と舌打ちするリヴァイはとてもしなやかで、強い。
 ミケは眩しげに目を細めた。
「余り買い被られても、後が怖いな……壁外調査に出て、巨人と戦えば見解が変わるかも知れねえぞ? 何たって、ウチの死亡率は五割以上だからな」
「そうかもしれない。が、地下の穴蔵でネズミみたいに這い回っているよりずっといい」
 そう言って、リヴァイは水を撥ねさせた。


 数日して、リヴァイがまた同班の兵士達と食事している光景が見られるようになった。多少ぎこちなくは見えるが、どうやら和解したようだ。ハンジとミケはお互いの顔を見合わせて、笑った。
 ――壁外調査が、始まる。

>>>2013/7/22up


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