薫紫亭別館


back 進撃top next



 馬の馬装はその馬に乗る兵士自身がやらなければならない。
 鞍を乗せたりハミを噛ませたり、ちみっちゃいリヴァイにはひと苦労なんじゃないかとハラハラしながら見守っていたら、馬の方が足を折ったり首を下げたりして協力していた。誰が主人かよくわかっている。
 立体機動装置の邪魔にならないよう、短くデザインされたマントを羽織ってくるくる準備する姿は、見ていて非常になごむ。しかしその背後には、リヴァイより頭ひとつ抜けた体格に恵まれた男がそびえ立っていて、書きつけ片手に注意事項を読み上げていた。
「――と、いう訳だ。聞いてたか? リヴァイ」
「聞いてない」
 すぱっとリヴァイは否定した。見事な切れ味だ。
 エルヴィンは怒髪天を衝きながら、
「……ちゃんと聞きなさい! 命にかかわる事だぞ!!」
「だってソレ全部カスパル班長やエミールから聞いたし。何回も言わなくていいって、エルヴィン」
 後ろのエルヴィンを振り返りもせずに、リヴァイは手を動かしている。
「よくない! どんなに強かろうと、お前は初心者だ。注意してし過ぎる事はない。壁外では一瞬の油断が命取りになる。そんな時、如何にして焦らず平常心を保つか、助けを求めるか、知っている事が明暗を分けるんだぞ? もう、暗記させて復唱させてもいい位だ」
「……なあ。お前、ウザイって言われないか、エルヴィン」
 口やかましいエルヴィンとげんなり顔のリヴァイ。
 微笑ましいのは結構だが、今から危険を伴う壁外調査に出発するとはとても思えない会話だった。
 ちょっと前なら不謹慎だ、と顔をしかめる者もいたが、今はこいつらはこーいう奴等なんだ、と認知されている。しかしそろそろ誰かが助け舟を出さねばならない。
 そしてそれは、エルヴィンより立場が上の者であるべきだった。
「私がよく言い聞かせておくから、君も自分の班に戻りなさい。エルヴィン」
「カスパル班長」
 口髭を整え、黒い髪をオールバックに撫で付けたカスパル班長はエルヴィンとはまた違ったタイプの紳士だ。新人を育てる事にも定評があり、リヴァイに限らず、問題のありそうな新兵はこの班長の下に配属される事も多い。
「後進にかまけて、己の支度がおろそかになっては私がキース団長に面目が立たない。リヴァイの事は私に任せておきなさい。断言は出来ないがちゃんと生きて、連れて帰れるよう努力するから」
「は……」
 どうかよろしくお願いします、とエルヴィンは自分の頭を下げるついでにリヴァイの後頭部をがっしり掴んで、無理やり頭を下げさせた。不意を突かれて頭を鷲掴みにされたリヴァイは、姿勢を戻した後、腹立ちまぎれにエルヴィンの足をげしげし蹴った。
「失せろクソ野郎」
 エルヴィンが自分の班に戻ってゆくと、カスパル班長はまだ渋い顔でエルヴィンのいた場所を睨みつけているリヴァイの隣に立ち、
「エルヴィンにはああ言ったが……実の所、連れて帰って貰わねばならないのは私達の方だ。初陣ではあるが、君なら巨人の圧力に負けずに動く事が出来るだろう。私達は君を頼りにしている」
 班を代表して、頼む、と今度はカスパル班長が頭を下げる。
 気づくと、エミール達もまた、リヴァイと班長に向けて礼をしている。
「……任せとけ」
 首をすくめ、リヴァイは簡単に請け合った。


 扉が上がる。
 まだこの時、エルヴィンが考案した索敵陣形は採用されていない。普通に三列ほどに隊列を組み、調査兵団は進行を開始した。エルヴィンはキース団長等と共に前方に、リヴァイは後方寄りに配置されている。
 一応初陣、という事を考慮したのだろう。
 リヴァイはカスパル班長の右隣に並んで、並足で馬を駆けさせていた。
 左にはエミールがついている。
「……広い」
 リヴァイが呟いた。口を大きく開けて、空と荒野を見入っている。
「確か、ローゼもマリアも面積は同じくらいなんだけど……外周が長い分、広く見えるのかもね」
 へえ、とエミールの言葉に頷きながらキョロキョロと辺りを見回すリヴァイは、何となく物見遊山気分にも見える。カスパル班長はこほん、とひとつ咳払いをすると、
「……つかぬ事を聞くが、リヴァイ、地理や歴史の座学を受けた経験は?」
 リヴァイに聞いた。
 リヴァイはまだ興味深げに目を輝かせている。
「エルヴィンが何か講義していたが、右から左に聞き流しておいた」
「……なるほど、エルヴィンの懸念ももっともだ。君には座学の講習を増やして貰えるよう、私からキース団長に進言しておこう」
「えっ」
 僕も付き合うから、と人の良いエミールが言う。
 リヴァイは何がどうなってこういう結論に至ったのか理解出来てない様子だ。周りからくすくすと失笑が漏れる。悪意のある笑いではなく、仕方ないな、とでも言いたげな、やわらかい笑いだ。この恐ろしく強くて傍若無人で見た目より遥かに大人な新人は、どこか危うくてアンバランスで、目が離せない。
 エルヴィンが猫可愛がりしている理由がよくわかる。
「いや座学は関係ねーだろ、要は巨人を殺せばいいんだろ? 座学とか時間の無駄……」
 リヴァイがカスパル班長に突っかかった時だった。
「来たぞ! 巨人だ!!」
 人間の匂いを嗅ぎつけて、一体の巨人が姿を現した。目測した所、ざっと五メートル級と推定。
 キース団長が命令を出す。
「散開!!」
 平野部では無理に戦わず、馬で逃げるのが鉄則だ。平地では立体機動装置の最大の利点を活かす、アンカーを刺す場所がない。班ごとに分かれて、充分に引き離してから集結する。あらかじめ決めておいたポイントで、後で落ち合う場合もある。
「………」
 リヴァイは近付いてくる巨人をじっと見ていた。
 ハンジやバルトにした時と同じ、リヴァイにとってはお馴染みの行動だが、傍からは何ボサッとしてんだ、命令が聞こえなかったのか、まさか緊張で動けないのか!? と焦らせる原因になっていた。幸い、と言ってはアレだが、巨人はリヴァイ達より前にいる班を追い掛けている。
「……リヴァイ! 早く、こっちだ!!」
「エミール」
 のんびりと、リヴァイは急かすエミールの方を向き、
「巨人は馬より足が遅い――そうだったな?」
 再確認した。
 そうだ、とエミールが答えるが早いか、
「よし」
 リヴァイは馬を駆けさせた。団の中盤を追い掛ける巨人を、更に後ろから追い掛ける形だ。
 だから見ていたのは、リヴァイと同班の者だけだった。他の班はとっくに広がって退避している。
 ヒュンッ、とアンカーが風を切る音がした。
 リヴァイのアンカーは巨人の後頭部に突き刺さった。
 リヴァイのちいさな体は馬の背から離れ、一直線に巨人の背面に飛んでゆく。
 着地寸前に、リヴァイはアンカーを抜き取った。
 思いっきり後頭部を踏みつけ、その反動でジャンプし、返す刀で巨人のうなじを削ぎ取る。
 一刀だった。一撃でリヴァイは正確に急所を削いでいた。
 アンカーも使わず飛び降りる。
 四、五メートルの高さから地面に降りたにもかかわらず、全く体勢も崩していない。
 しゅうしゅうと、巨人が蒸発し始めていた。
 リヴァイはそれを眺めながら、
「……本当に蒸発するんだな。まあ、返り血とか洗わなくていいのはありがたいが」
 妙に潔癖症な感想を漏らす。
 毎度、訓練後には水浴びを欠かさないリヴァイらしい言い草とも言えた。
 リヴァイの馬が追い付いてきた。
 リヴァイは主人を迎えに来た忠義者の馬の首をご褒美代わりにぽんぽん叩き、その背に乗った。
 少し離れた場所で経緯を見守るしかなかった同班の者と合流する。
「殺せる時に殺した方がいいと判断した。――いいな?」
 終わった後で、カスパル班長に了解を取る。
 カスパル班長は重々しく頷き、
「君以外の兵士なら無謀、と叱りつけた所だが……君が行ける、と判断したのならそうなのだろう」
 ――承知した。
「今回の場合、中盤の兵士達が囮役をこなしてくれた訳か……巨人と相対して、一人の犠牲も出なかったのは君のおかげだ。ありがとう。まだ一体目だが、これからもその調子で頼む」
「わかった」
 リヴァイはさらりと受け流した。謙遜も自慢もしなかった。
 班列を組み直して、他の班と合流する為、馬を走らせる。いきなり消えた巨人に、誰かが巨人を駆逐したのだと既に噂になっていた。その誰か、がもしかして……とは皆が思っていたが、今はそれを詮索している時間はなかった。壁外調査はまだ始まったばかりなのだ。
「やったな、リヴァイ」
 真実を知るエミール達だけがリヴァイをねぎらった。
 こうして余りにも簡単に、あっけなく、リヴァイは一体目の討伐を果たした。
 リヴァイにとっては当然で、容易過ぎる事が他人にはそうではないのだと、リヴァイが知るのはこのすぐ後の事だ。

>>>2013/7/25up


back 進撃top next

Copyright (C) Otokawa Ruriko All Right Reserved.