薫紫亭別館


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 イレーネはコの字型に配置されたソファの空いた方に座って、エルヴィンの話を聞いていた。
 エルヴィンはこれまでの経緯を洗いざらい、質問まで交え、イレーネの気が済むまで吐かされると、次にイレーネはこう指示した。
「……ちょっとリヴァイ、って言ってみて」
「……? リヴァイ」
 ううん、と唸ってイレーネは首を振った。
「イントネーションがちょっと違うね。リ、じゃなくてヴァ、の方を心持ち強く発音する感じで。んじゃ、もう一度」
「リヴァイ」
 イレーネは女教師めいて頷いた。
「発音はそれでオッケー。じゃ次は、喋り方ね……いかにも上流っぽい丁寧なトコロはいいんだけど、もう少しだけ命令形、というか諭す感じで。子供に言い聞かせるみたいにして」
「失礼だがイレーネ、それはどういう理由で……」
 エルヴィンが困惑して尋ねるのと、娼館の表戸が激しく叩かれたのが同時だった。
「リヴァイ! 大変だ!! お前ンとこの三つ子が破落戸に絡まれてるぞ!!」
 エルヴィン達がいる部屋まで聞こえてきた内容に、思わずエルヴィンも立ち上がった。あちこち殴られた打ち身が痛むが、それどころではない。自分を助けてくれた彼女達がピンチなら、今度はエルヴィンが助けなければ。
 部屋を出て、廊下を声のした方向へ走る。そう大きくない建物で、表戸はすぐにわかった。
 飛び出す。もう既に先に、リヴァイが知らせてきた男と走り出していた。
 ――まさか、飛び降りた?
 表戸が開いた気配はなかった。ふと上を見ると、二階と三階の窓から心配そうな女の顔が覗いていた。営業中のリヴァイの女達だろう。客らしき男の影も見える。すぐ引っ込んでいったが、コトの最中ならそんなものだろう。エルヴィンは振り切って後を追った。
 速い。エルヴィンが本調子でないのをさておいても、リヴァイの足はまるで宙に浮いているかのようだ。
 一緒に走っていた男はとっくに脱落して途中でへばっている。リヴァイは場所だけ聞いて、先に行く事にしたのだろう。
 エルヴィンはそうはいかない。リヴァイに追い付けないなら、この男に案内して貰うしかない。
 な、なんだてめえ、と怪しむ男をなだめすかして案内させる。
 ほどなくして現場が見えてきた。
 リヴァイの足元には既に倒された男達が折り重なっている。見覚えがある、エルヴィンを袋叩きにした破落戸達だ。リヴァイは残りの数人を相手にしていた。エルヴィンは目を奪われた。
「………」
 水の中を流れるような動き。周りがそれこそ雑魚に見える。
 エルヴィンが見ている前で、滑らかに破落戸達は地面に沈んでいった。ほぼ一撃で、あの小さい体の何処にそんな力が潜んでいるのかと驚嘆する。敏捷性、瞬発力も申し分ない。後は持久力があるかどうか……とつい、スカウト目線で考えていた時、
「あーっ! 軍人さん、来てくれたのー!?」
 問題の発端となった三つ子がエルヴィンを見つけて駆け寄ってきた。
「見て見て。ウチのリヴァイ、カッコイイでしょー?」
「あの子、強いでしょ? 軍に入ってもやってけると思わない?」
「リヴァイってば強いし料理うまいし綺麗好きだし、あんだけの子は中々見つかんないわよー?」
 ねーっ、と三人で盛り上がる彼女達の顔には、エルヴィンと同じような青あざが出来ている。
 エルヴィンは痛ましげに眉を潜めた。女性の顔に何て事を、と言うと三つ子達はきゃー、やっぱり優しいー、とご機嫌になって、
「私達の事はウーラ、って呼んで。見分けつかないでしょ?」
 ウルリケ、ウルスラ、ウィルマのどれかの名前である彼女達はそう言ってにっこり笑った。
 破落戸を全員片付けたリヴァイがこっちに歩いてきた。
 三つ子の彼女達は現金にもリヴァイの方に取って返して、リヴァイに抱きついた。ありがとうー、とか怖かったー、だの、リヴァイはそれらひとつひとつに答えてやりながら、ぽんぽんと彼女達の体を叩いて異常がないか確認していた。
「念の為に、ドクトル・アントンの所に行った方がいいな。後から症状が出てくるかもしれないし」
「えー大丈夫よー。大したことないしー」
「リヴァイが手当てしてくれればいいわよー」
「アントン先生、胡散臭いからヤだー」
 ……自分は胡散臭くなかったのだろうか。エルヴィンは思わず自分の身なりを見下ろした。
「誰が胡散臭い、だ。この頼れる闇医者に向かって」
 でっぷりと太った男が人の輪から外れて話しかけてきた。
 丸眼鏡の底の目が笑っている。粘ついたクセ毛を後ろでひとつに束ねた、多分エルヴィンと同年代だろう男にリヴァイはチッ、と舌打ちした。
「まだ呼んでないぞ、ドク」
「久しぶりにリヴァイが立ち回りしてるって聞いてね。ここん所、リヴァイに喧嘩売る奴も少なくなってたから実入りが減っちゃってさ。ちょっと出張しにきたんだよ」
 三つ子を診察に行かせようとしていた割には、リヴァイは嬉しくなさそうだ。
 後で知ったが、このドクトル・アントンという男は腕はいいが高額の治療費を取る事で有名で、リヴァイがのした破落戸達は大抵この医師の所に運ばれ、問答無用でボられる。支払いをばっくれるとまたリヴァイが出て行って新たに痛めつける。最初に戻る、のコンボだ。
 患者の提供料、という事でリヴァイにも幾らかキャッシュバックがあり、娼婦達には不可欠の性病診断や予防の為の薬もここで処方して貰っている。持ちつ持たれつ、という訳だ。
「まあいい。丁度いい、こいつら診てやってくれ。腹でも殴られてたら大変だからな」
 リヴァイが言った。
「料金の先払いしてくれるなら」
「患者はつくってやっただろうが」
「出来れば現物支給で。具体的に言えば、この辺にチュッ、と」
 ドクトル・アントンは吹き出物の痕が残る自分のほっぺたを指し示した。
 リヴァイはものすごーく嫌そうに顔をしかめたが、やがて、ドクトルの前開きのシャツをむんずと掴むと自分に近寄せ、一瞬だけ唇を重ねて、すぐ離れた。
「これでいいな。後は頼むぞ」
 リヴァイ、払い過ぎー! もったいないー! と三つ子達が連呼している。
「リヴァイ、あの……」
 エルヴィンが案内させた、リヴァイに三つ子達の危機を知らせに来た男がリヴァイの袖を引いていた。
 リヴァイはああ、という顔をすると、こちらは腰を屈ませて低くなっていた頬に、軽くキスをした。
「今日は助かった。また何かあったら知らせてくれ」
「お……おう!」
 飛び上がって喜びながら男は去っていった。羨ましそうに見守る観客がいる事から、リヴァイは恐れられているだけでなく、かなり人気があるのだと知った。そういえば、イレーネは客、と言っていたか。主人であるリヴァイ自身も、もしかして客を取る事があるのか。その結果が今着ているこの服なのか。
 エルヴィンはシャツを脱ぎ捨てたくなった。
 エルヴィンがもやもやと葛藤していると、リヴァイが蚊帳の外にいたエルヴィンに気付いた。
「……そういえばいたな。わざわざ来なくても良かったのに」
 エルヴィンは言い返した。
「三つ子の彼女達……ウーラ達は私の恩人でもある。駆けつけるのは当然だろう。私が出る前に、君に全て片付けさせてしまったが……」
「言ったろう。あいつらを健康で元気に保つのは俺の責任だと。清潔で、安全に商売出来る環境を整えるのも仕事のひとつだ」
 リヴァイの三角巾スタイルを思い出す。
 さすがに今は外しているが、リヴァイがすぐ後始末の掃除に行ったのは、だからなのか。やりきれない。
「だが……あれはよくない。やめた方がいい……、と思う」
 何が、とリヴァイが聞く。
「キスだ。ウーラ達の言葉じゃないが、もったいないだろう」
「あ? 減るモンじゃないし、別にいいだろ。それで診察してくれるなら安いモンだ」
「もう少し自分を大事にしなさい。体は減らないかもしれないが、心が……神経が、すり減るだろう」
「………」
 デコピンの要領で、リヴァイは中指と親指で強くエルヴィンの鎖骨を弾いた。
 ぐあ! と声を上げてエルヴィンはその場に膝をついた。
「体売ってる女達の前で、よくそんな事が言えるな。二度とそれは口にするな。――ドク!」
 三つ子を伴って診療所に戻ろうとしているドクトル・アントンを引き止める。
「こいつも連れてってくれ、ドク。それ位の代金は払ってるだろうが」
 ドクトルはもじゃもじゃと頭を掻いた。
「男は別料金なんだよなー。もちろん、リヴァイなら特別にタダだが」
「うるせえ。過払い請求すンぞ」
 軍人さんも一緒なのー? やったー、アントン先生だけじゃムサくってー、と彼女達は嬉しそうだ。
「軍人さん? 憲兵なのかい? ま、リヴァイのおおせなら仕方ない。ついておいで」

 エルヴィンは地下街の建物の、更に半地下になっているドクトルの診療所に足を踏み入れた。
 物は多いが、予想よりは片付いている。……と思ったら、リヴァイがこんな所で俺の女を診察させられるか! と激怒してたまに掃除に来るらしい。さもありなん。ドクトル・アントンの油っぽい、ぺたっとしたクセ毛を見ながらエルヴィンは頷いた。
「ちょっとー。変なトコ触ったら、リヴァイに言いつけるからねー」
 ウーラ達は患者を寝かせる床頭台に並んで座って、ドクトルの診察を待っている。
 ちなみにリヴァイが患者にしてしまった破落戸達は、入院用の個室に鍵をかけて閉じ込めてある。脱走防止、らしい。運んだのはリヴァイのシンパとドクトルの子飼いだ。人の良さそうな見かけによらず、油断がならないのはリヴァイと同じだ。
「んじゃ、次は君ね。えーと、軍人さん、ここ座って」
 診察の間、ウーラ達に背を向けてエルヴィンは立っていた。幸い、ウーラ達の怪我は大したことはないらしく、むしろエルヴィンの方が重症だった。本気で殺されかけのだから、当然だ。
「ん。さすがリヴァイ。応急処置としてはカンペキだ」
 ドクトル・アントンはリヴァイの巻いた包帯の上から調べながら感嘆した。
「あの子器用だからー。教えれば何でも出来るのよねー」
「ねー」
「ねー」
 手当ての仕方をリヴァイに教えたのはドクトルらしい。だが、さすがに骨折の治り具合まではわからないらしく、鎖骨を重点的に診てやってくれ、とリヴァイはドクトルに頼んでいた。デコピンをした負い目もあるのかもしれない。悪化させたのでは、と表情には出さないが心配していたのがわかった。
 不用意な発言をした自分が悪いのに、そんな思いをさせてしまった事をエルヴィンは恥じた。
「よし、OK。大丈夫だよ、骨はちゃんとくっついてる。でもしばらく、激しい動きはしないようにね」
 飄々ともう帰っていいよ、とドクトルは告げた。
 ちゃんと送ってあげてね、軍人さん、と付け加える。
「あ、それから、次の定期健診は来週だから、リヴァイにもちゃんと来るよう言っといて。リヴァイここンとこサボり過ぎ。半年は来てないぞ。何かあってからじゃ遅いんだからね」
 ――エルヴィンは戦慄した。
 健康そうに見えたリヴァイだが、実は病気にでもかかっていたのか。
「ドクトル・アントン……自己紹介が遅れましたが、私はエルヴィン・スミスと申します。ウォール・ローゼはトロスト区、調査兵団所属です。僭越ながら、リヴァイについてお聞きしてもいいでしょうか」
 礼を尽くしてエルヴィンは尋ねた。

>>>2013/9/19up


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