薫紫亭別館


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 夢物語だ。エルヴィンは思う。
 上もそんなに優しい世界じゃない。人口過剰で、食料の供給が追いつかないのが現状だ。
 更に十三人、リヴァイも入れて十四人もの大所帯を受け入れる事が出来る一軒家となると、シーナ内ではまず無理だろう。ウォール・ローゼの、北の町、ユトピア区ならなんとかなるか……? だがそこでは、自給自足は難しい。一年の半分ほどが雪と氷で覆われ、作物が育たないからだ。
 ではどうする? 開拓地でも紹介するか?
 ……いや駄目だ。開拓地の土地と作物は全て王政に管理され、自由など無きに等しい。
 全員一緒、という所にこだわらなければ、エルヴィンの実家の力でバラバラの土地に仕事を斡旋する位は出来ると思う。……が、彼女達はそれでは納得しないだろう。今まで皆で力を合わせて生きてきたのだ。何より、リヴァイと離れる事を、良しとしないに違いない。
「………」
 エルヴィンは同じベッドに眠る、リヴァイの寝顔を横目で眺めた。
 見ず知らずの、初対面の男とこんなに簡単に同衾していいのか。襲われるとは思わないのか。自分の力で排除出来るからか? 確かにこんな状況では、不埒な真似をしたら即バレするが。
 衝立の向こうの室内には常に、何人かの娼婦達がたむろしている。
 地下街に昼夜の別はない。人々は眠らない。誰かが必ず起きて生活を営んでいて、リヴァイの女達である彼女達も思い思いの時間に起きて、二十四時間取りこぼす事なく、営業に励んでいる。さすがにリヴァイが寝ている時は、気配を殺して出来るだけ静かに振舞っているが……次々とこちらを覗いては、誰? といぶかしんでいる。
 どうにも目が冴えて、眠れない。
 エルヴィンがここで寝かされているのは打ち身の腫れが引くまでここで世話になる事に決まったのと、エルヴィンが女達に乱暴したり、こっそり抜け出して逃げ帰ったりしないように、見張りの意味もある。
 信用されてないな、とは思うが、まだ会って一日なので仕方ない。
 ……そうか。頭が小さいんだ。
 エルヴィンは自分の肩近くにある、リヴァイの後頭部を見てぼんやり思った。
 頭身バランスが取れている。だから離れた所で見れば、そこまで低く見えないのか。
 無意識にエルヴィンは手を伸ばして、リヴァイの頭を撫でていた。
 気づいたのは、すり、とリヴァイが頭を擦りつけてきたからだ。びくっとして思わず手を引っ込めると、エルヴィンの手を探すようにもぞもぞと動き、脇の下あたりに額を押し付けて落ち着いた。
 息が当たる。リヴァイがくっついてる部分が暖かくて、動けない。
 こ、れは、まずい……かもしれない。
 確かに可愛い。同い年の筈のウーラ達が、あの子、と呼んでいた理由がよくわかる。
 客にもそんな態度を取っていたのか? エルヴィンは不安になる。
 起きている時のあのクソ生意気な言動と、眠っている時のギャップと。抱かれている時は?
 下腹部が熱を持ち始めたのがわかった。
 エルヴィンは必死で素数を数えて、なんとかなだめようと努力した。
 会ってすぐ、抱きつくようにして包帯を巻いてもらった事を思い出した。治ったばかりの鎖骨をいじる、獲物をなぶる猫のような目付き。あのままイレーネが入って来なかったら……?
 客に、なれたのだろうか。なすがままに流されて、このしなやかな体を抱いても許されたのだろうか。
 多分、無理だろう。リヴァイにその気はなかった。だから凶悪なのだ。
 エルヴィンは情けない気分になって、リヴァイが起きるまで一睡もせず、拷問のような時間を耐えた。


 働かざるもの食うべからず。
 リヴァイの方針に従って、エルヴィンは掃除に勤しんでいた。
 掃除と洗濯は訓練兵の頃から叩き込まれている。リヴァイから掃除用具を渡され、どこそこの部屋と階段をやれと指示され、真面目に掃除すると、よくやった、と褒められた。ちょっと嬉しい。
「おまえ結構スジがいいな。今まで来た奴の中ではピカイチだ」
 ありがとう、と答えながら、ではやはり自分以外にも誰かがここで世話になったのだ、と思った。
 だがもう、過ぎた事を聞いても仕方がない。
 エルヴィンはリヴァイと、リヴァイの女達の信頼を得ようと働いた。女達は商売上か、物怖じしない性格で、リヴァイの言いつけ通り作業するエルヴィンにガンガン話し掛けてきた。
「エルヴィンっていうの? 可愛い名前ね、女の子みたい」
「あたしの知り合いに、エルフィンとエルヴィラ、って子がいるわよ?」
「エオウィン、って子もいたわね。でも、まあ、名前なんかどうでもいいわ。何歳? お金持ち?」
 蝶のように彼女達は群がって、エルヴィンを質問責めにする。
「おまえら、邪魔するならあっち行ってろ」
 リヴァイが助け舟を出してくれた。彼女達はきゃあきゃあと明るく騒ぎながら、
「安心して。あたしはリヴァイ一筋よ」
「妬かないの。もう、リヴァイったら、可愛いんだから」
「大好きよ、リヴァイ」
 一人づつ、リヴァイにくちづけた。
 偏見かもしれないが、娼婦というのは……もう少し湿ったイメージがあったのだが、リヴァイの館の女達は突き抜けた明るさを持っている。精神的支柱にリヴァイ、というしっかりした柱があるからだろう。
 リヴァイは彼女達の元締めでヒモで、何かあれば出張って助けてくれる父親のようであり、守らねばならない子供のようにも見える。食事の用意や洗濯までこなす所を見ると、母親的役割もあるかもしれない。
 同時に恋人で、だが誰も、一定のラインを越えないよう踏みとどまっている。
 リヴァイはみんなのもの、という認識の下に成り立つ、一種の理想郷のような世界。
 リヴァイの方も、彼女達を全員公平に扱っている。
「………」
 彼女達を引き離すのはやはり酷だ、とエルヴィンは判断する。
 エルヴィンは自分で自分の頬を撫でた。
 顔の腫れが引いて、痣が薄くなったらエルヴィンは一度、リヴァイを連れて実家に戻る事になっている。
 それはもう確定事項で、エルヴィンの意見は入っていない。
「だってー、軍人さん一人で帰したら戻ってきてくれるかわからないしー」
「あたし達がついてった所で撒かれたらオシマイだしー」
「リヴァイならその点、大丈夫だしー。最低限の教養もあるしー。あたし達に不利な書類とか出されても読めるし、暴力振るわれたって対抗出来るしー。どっかいい物件見つけてきてね、リヴァイ。軍人さん。あたし達、期待して待ってるからねー」
 ……期待されても。
 こう言ったのはウーラ達だが、他の女達も似たり寄ったりだろう。困る。力にはなってやりたいが、応えられるかどうかはまた別だ。エルヴィンが頭を抱えていると、
「気にするな。……余り期待はしてない。これまでもそうだった」
 リヴァイが言った。
 はっとしてエルヴィンは顔を上げた。
「あいつらはしょっちゅう、そう言って見込みのありそうな男を連れて帰ってくるんだ。すまんがもう少し付き合ってやってくれ。こんな場所で生きていく為には、美しい夢が必要なんだ」
 ……夢。美しい夢。綺麗な夢。
 リヴァイも諦めているのか。ここからは出られないと、そう思っているのか。
 自分ならリヴァイを飛ばせてやれる。地下街なんかではない、もっと広い、大空を用意してやれる。
 それはとても血なまぐさい所だけれど、ここで腐っていくよりは、遥かにマシな選択だろう。
「……おい、手が止まってるぞ」
「あ、ああ」
 つい回想に浸ってしまっていたらしい。リヴァイに咎められて、エルヴィンは掃除を再開する。
 リヴァイにこき使われながら、数日が過ぎた。
 顔は覚えたが、名前までは一致しない。エルヴィンがわかるのは三つ子のウーラ達と、イレーネ、積極的な彼女達には珍しく、引っ込み思案なメリンダ。それくらいだ。メリンダは豪華な金髪を持った、女達の中でもかなりの美形だが、明らかにエルヴィンを避けていた。
 まあそういう子もいるよな、と密かに傷つきながらエルヴィンは雑用をこなしていた。
 料理だけは手伝わされなかった。
 いや、一度芋の皮むきを任されたが、身と皮が同等の量になったのを見てもういい、とリヴァイがさじを投げたのだ。料理は兵団では習わなかった。掃除と洗濯は及第点を貰っていたので、エルヴィンは主にそれらをやっていた。
 今日も女達が営業に行っている間に、エルヴィンは留守の部屋を掃除するよう言いつけられていた。
「……あら」
 イレーネ。イレーネとは最初に詰問されて以来、話す機会はなかった。
 廊下でエルヴィンはぺこりと会釈して、部屋に入ろうとした所を引き止められた。
「……そこ、掃除するの?」
「ああ。メリンダが客を同伴して戻ってくる前に、早めに掃除しようと思って」
 部屋の入り口のプレートには名前が書かれている。
 ドアノブには在宅中と留守中、のリバーシブルの札がかかっており、そのどちらを向けるかで、いるかいないかわかるようになっていた。
「……メリンダ、神経質だから、余り中のもの動かさないでね」
 まだ何か言いたいようにエルヴィンは感じたが、イレーネはそれだけで立ち去った。
 部屋に入る。ごく普通の部屋だ。多少装飾がけばけばしくはあるが、客を迎える為と思えばこんなものだろう。早速エルヴィンはリヴァイが用意した掃除用具の中からはたきを選び、パタパタとかけ始めた。
 エルヴィンの長身を見込んで、リヴァイでは掃除しにくい棚の上だのカーテンレールの上だのを重点的にやってくれ、と頼まれているのだ。
「おっと」
 カツン、とはたきの柄が当たって、棚の一番上から元は菓子が入っていただろう缶を落としてしまった。
 蓋がズレて中身がこぼれている。エルヴィンは拾おうと身をかがめた。
 色とりどりのリボン、コサージュ。アクセサリー入れか……華やかな色合いに隠れて、どこか見覚えがある、地味な物体。これは……、札入れ!?
 エルヴィンは慌ててそれを拾い上げた。
「……全く粗忽なんだから。はたきは振るんじゃなくて、スーッと撫でるようにして使うモンだよ」
 背後から声をかけられた。
 様子を見ていて良かったよ、と言いながらイレーネがメリンダの部屋に入ってきた。
「イレーネ……! 何だこれは。なぜ私の札入れがここにあるんだ!?」
 エルヴィンは自分の札入れを握り締めて抗議した。

>>>2013/9/28up


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