全ての悲劇は、俺だけに降りかかれば良かったんだ。



その手を離さない
- 4 -



 仰向けにされた豪炎寺の瞳が天井を映し、染みを捉えた。
 ベッドの横に座った男が足を組めば軋む。
「豪炎寺くん。妹さんはどうだい」
「……………………………」
「君も不幸だよね。サッカーの為に工作に遭ってさ」
「……………………………」
 身を乗り出して顔を覗き込まれそうになり、目を閉じる豪炎寺。
 暗闇の中に浮かび上がる夕香の顔――――次に風丸の顔が出てくる。また、自分のせいで誰かが巻き込まれ、不幸になる。歯がゆさが無意識に腕を動かし、縛られた縄が締め付けた。
「風丸くんは今頃、何をされているんだろうね。君のとばっちりで」
「っ」
 目を見開き、男を睨みつける。歯を食いしばり、搾り出すように言う。
「頼む、風丸を見逃してくれないか。狙いは俺だけだったんだろう」
「その顔、その言い方、人にお願いするものじゃないね。どっちにしても俺たちが今更止めても間に合うかどうか……」
「なんだと!ふざけんな!」
 豪炎寺はもがき、縄が引っ張られて痛々しい音を立てた。
「やめておきなよ。でも辛いね、誰かの傷なんて想像してやる事しか出来ないからさ。考えすぎちゃうと、どうしようもないし。そんな時、どうすれば良いと思う?」
「……………………………」
「気を紛らわせて、忘れる事さ。こんな何も無い所だと、見つけ出すのがなかなか難しいけど」
「くっ」
 男の言葉に耳など貸さず、豪炎寺は身を起こそうと身体をねじって肘に力を入れる。
「聞き分けのない子だな。気持ちはわからないでもないけど」
 苦笑いを浮かべていると、何かを思い出したように後ろに控えているもう一人に目をやった。
「そういえばお前、こないだ彼女に手酷く振られたんだって?」
「いきなりなんですか。傷心を抉るのやめてくださいよ」
「辛いもん同士。慰め合ったらどうだ」
 男は立ち上がり、ドアに手をかける。
「俺はあっちの様子を見てくる。適当にやっててくれ」
 一人が出て行くと、今度は別の――前にいた部屋で質問をして来た男がベッドに座り込んできた。
「様子見に行ってくれるらしいからさ、落ち着きなよ。あーあ、こんなにしちゃって」
 縛られた手首は何本も赤い筋が浮き、内出血を起こしてしまっている。
「あの人さ、何かにつけて俺に振られた彼女の話題振ってきて嫌になるよ」
 はあ。大げさに溜め息を吐く。
「お友達は心配だよね。ああ、そういえば豪炎寺くんは木戸川清修から転校して来たんだっけ」
「……………………………」
「ひょっとして、あっちの学校に好きな人とかいた?」
 無視を決め込んでいた豪炎寺の瞼が僅かに震える。男は見逃さなかった。
「どんな娘?同級生?年上?年下?……良いじゃない、おじさんに話してよ」
「ふん」
 鼻を鳴らし、そっぽを向く。突き放した態度は余計に男の興味を向ける。
「どうしても駄目?お友達とかいた?部活じゃあ……監督さんは気さくそうだよね」
 監督。この単語にも豪炎寺は微かな反応を見せた。
 隠さなければならないもの程、神経は過敏になり目立ちやすい。
「ん?仲良かったのかな。雷門よりは若いし、話も合ったのかな。その人にはなんでも話せた?」
「うるさい」
 あからさまな拒絶を口にした。言ってしまった後で、失言だと唇が薄く開閉する。
「あれ、どうしちゃったの。転校して寂しかったのかな」
 男は手を伸ばして豪炎寺の頭を掴み、自分の方へ向かせた。態度とは裏腹に、表情は強張っている。何かがおかしい。“うるさい”という言葉が怒らせるとでも思ったのか。男の中の勘がそれは違うと知らせる。


「監督さんと仲良かったんだね。もしかしちゃって、手とか出された?」


 少し捻ってやれば、この緊張状態ではすぐに真実が引きずり出される。
 豪炎寺の表情がありありと男の目の前で変化した。羞恥と恐怖が混ざったような衝撃。だが、嫌悪は感じられない。
「……そんな訳あるか。監督はそんな人じゃない」
「ごめんね変な事言って。豪炎寺くんの好きな人だもんね」
 カッと顔を熱くさせる豪炎寺。誘導にまんまと引っ掛かったのだと悟る。秘めた想いを声に出されれば動揺を隠す術はなかった。
 男は豪炎寺の髪を撫でて囁く。
「今もその人の事、好きなの?好きな人を聞いて悪かったね、言えないよね。転校して離れ離れか。可哀想な豪炎寺くん……」
 首を振るい、手を退けようとする豪炎寺。
「勘違いは止してくれ」
 好きじゃないとは言えなかった。嘘でも言えなかった。
「そうかな、結構イイ線だったと思うけど。ねえ、ホントに慰め合おうか」
「やめてく……」
 言い終わる前に男は身を起こし、豪炎寺に跨る。身を乗り出し、顔の横に両手を置いて迫った。
「悪いようにしないから。そんなに張り詰めていると疲れるよ。リラックスとでも思って」
 冗談じゃない。豪炎寺はそう返したかったが、歯と歯が噛み締められて声が発せられない。
「まず、呼吸を楽にしようか」
 男の手が学ランの金ボタンを掴み、ぷつぷつと外し始める。そこから覗いたシャツのボタンも外し、胸元を開ける。しなやかな筋肉。瑞々しい若い肌。未成熟な少年特有の色が香った。
「なかなか、エロい身体してるね」
 舌なめずりをして、男は性的な視線で豪炎寺の素肌を見下ろす。
「く………………」
 顔を歪め、視線を逸らす豪炎寺。しかし、合わせなくても視線が兎にも角にも気持ちが悪い。
「そんなに怯えないで。見えるよ、豪炎寺くんの震えが」
 上下する胸の動きで呼吸の乱れがわかる。
 とん。胸の中央に指を置く。呼吸が静まった。
 線を描くように下へなぞられ、ズボンに引っ掛かる。
 ベルトのバックルを掴むと身体全体がぶるりと震えた。
「ああ、そうだった……」
 男は思い出す。足がベッドに固定されていては不便だ。
 縛り直したいが、さすがに暴れられて始末に終えないだろう。
「弱ったな」
 途方に暮れる男であったが、救いの手は差し伸べられた。


「よお、どうしている」
 風丸の様子を見に行った男が戻ってきたのだ。
「ん……邪魔だったかな」
 胸元を肌蹴させた豪炎寺と跨る男を目にして頬を掻く。
「邪魔じゃありませんよ。足を縛り直すのを手伝ってください」
「風丸は、風丸はどうだったんだ」
 同時に喋りだす二人。男は顎に手をやり、一人頷く。
「ふむ。まず足を縛り直そう。そうしたら、風丸くんがどうしているか教えてあげよう」
「本当だな」
「ああ、信じなさい」
 男たちは二人掛かりで豪炎寺の足を縛り直す。ベッドから離し、足首同士を結んだ。
 戻って来た男はパイプ椅子を持ってきて、豪炎寺の顔が真っ直ぐ見える位置に置いて座る。
「それで風丸は……」
「風丸くんなんだけどね。君と同じように半分脱がされていたよ」
「なっ……」
「酔っ払いの悪乗りだよ。異様な雰囲気だからそのまま戻って来た。残念だったね」
「……………………………」
 目を閉じる男。放心した豪炎寺の表情はさすがに辛いものがあった。そうして瞼を開け、跨った男を見て言う。
「慰めてやってくれ。抱いてやっても良いんじゃないか。お前さ、アナルファック好きだろ」
「だからどうしてそう俺を弄るんですか」
「暇だからさ。楽しいもん見せてくれたら黙っててやるよ」
 喉で笑い、背もたれに寄りかかった。
「さ、始めようか」
 跨った男は待ってましたとばかりに豪炎寺のベルトを外し、ズボンと下着を下ろす。それでも豪炎寺は反応せず、うわ言のように“風丸、すまない”と呟いていた。
「俺の方、向いてくれないかな」
 豪炎寺自身を掴み、上下させて刺激を送ってやる。
「っふ……」
 生理的現象からは逃れられず、くぐもった吐息が漏れた。
「俺の事、あの人だと思っても良いよ」
「…………………………!」
 即座に反射し、男を睨みつける豪炎寺。何かを言えば全て弱みにされる。視線だけで抵抗するしかなかった。
「…………っく、う……」
 だが中心から身体をかけめぐる快感に血潮が沸いて、頬が上気する。声を必死に押さえ込もうと唇が震える。瞳が切なさに細められる――――
 その光景は男にはたまらなく情欲をそそるものだった。
「ん、………んう………」
 堪えきれず、目を瞑る。
 刺激を与えられた自身は血液を集めて膨張し、先端からは蜜が零れだし、卑猥な水音を立てだした。やけに心地の良い箇所を押さえられ、達するのにそう時間はかからない。
「……はっ……!……あ!」
 快楽が駆け抜け、勢い良く欲望がはじけた。白濁の液は男の手を、豪炎寺の腹を汚す。
「はあ………はあ………………」
 瞳を開けると涙が滲む。寝ていても、濡れた下肢の様子はわかるし、何より感触が物語ってくる。
「少しは落ち着いた?じゃ、本番しようか。あのーすみません、ローションとゴム宜しく」
 男は座って観察をしている男に手を上げて頼む。まるで居酒屋のようだ。
「パシりかよ。ま、いっか」
 席を立ち、部屋を出る。数分も経たぬ内に道具を持って戻って来た。
「ほらよ。あとこれ敷いておけ」
 タオルも一緒に渡し、受け取った男は結合するであろう場所の下に敷く。
「さてと」
 ネクタイを外し、スーツを脱ぎ、シャツを脱ぎ……上半身裸になる男。ベルトを緩めてジッパーを下ろし、準備を整えローションを手に垂らしだすと、豪炎寺が言葉を漏らした。先程上がった身体の熱は引き、表情は強張っていた。


「やめて……くれ……」
「あ、怖いよね。気持ち良くさせてやるからさ。俺は掘られた事はないんだけどねえ」
「いやだ……」
「大丈夫、大丈夫」
 膝を閉じて上げさせ、下から双丘へ手を滑り込ませる。先程、豪炎寺自身が吐き出した精液が伝ってきており、しっとりと濡れていた。
「やっ……!いやだ……!!」
 もがき、暴れだす豪炎寺。座っていた男も立ち上がり、二人掛かりで押さえ込む。
「大人しくしてよ。痛くなっちゃうよ!」
 窄みに指が触れ、先が入り込んだ。
「つぅっ……!」
「ほら。大人しくしてくれって」
「やめろ!離せ!触るな!」
「嫌がるのも無理ないけどな」
 助っ人に来た男が苦笑する。
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――――
 豪炎寺の脳裏が“拒否”で埋め尽くされた。秘められた恥ずかしい場所に、知らない男の指が触れた。
 これからされるであろう行為は絶対に何が何でもされたくはなかった。
 した事がなかったからだ。許されなかったからだ。
 二階堂と想いを寄せる仲ではあったが、抱擁や口付け止まりだった。それ以上はまだだった。二階堂が決して許さなかったのだ。それでも、あさましく求めた事もあったが断られた。二階堂は豪炎寺を大事に想い、大切に扱ってくれていた。
 ああ、それなのに。今、それが崩されようとしているのだ――――
「あ!」
 指が出し入れされ、丁寧かつ慎重に窄みを広げようとする。
 ローションを纏った指は滑るように何度も出たり入ったりを繰り返す。膝ががくがくと震え、不覚にも熱い息が吐かれる。痛みとは異なる何かが入り込んでくる。その侵食は、心が死んでいく気配さえ覚えた。
「あ………ああ………」
 指がより奥へ入り込み、本数が増えだす。ゆっくりと、確実に広げられていく。
「……………は…………」
 一度欲望を吐き出した自身が再び血液を集めて、はしたなく蜜を垂らす。
「そろそろ良いかな」
 男が指を引き抜き、すっかり硬くなった自身に避妊具を取り付けて、慣らした窄みに宛がう。足の間に頭を入れて肩に乗せ、引き寄せて体勢を固定させる。
「じゃ、いただきまーす」
 腰を沈めた。
「………いっ………!」
 豪炎寺が目を丸くすれば溜まった涙が零れた。棒で串刺しにされたような感覚に、たまらず悲鳴を上げる。男は豪炎寺を気にせずに、自分勝手に腰を動かす。
「きっつい!」
「……あっ……あっ、あっ、あっ、あっ」
 ベッドが軋み、肉と肉がぶつかり合う。結合部を体液とローションが淫らに鳴った。
「ひっ………!」
 揺らされれば揺らされるほど、男の肉棒が豪炎寺の内へ深く深く侵入していく。豪炎寺は男の好き放題に欲望を押し付けられる。突き上げる衝撃に脳が揺さぶられ、頭がぼんやりと痺れてくる。まるで人形にでもなったかのように雑に揺らされ続けた――――


 二階堂監督。ごめんなさい。
 豪炎寺は心の内で二階堂に詫びた。
 風丸。すまない。
 自分のせいで傷付けられているであろう風丸に詫びた。
 円堂。お前になんて言えば良いのか。
 サッカーを再び始める希望を与えてくれた。そんな大切な親友の大事な人を傷付けてしまった。


 どうしてこうも俺は人を傷付けてしまうのだろうか。
 豪炎寺の心は闇へ沈み、深淵へと堕ちていく。


 闇の中に一滴の明かりが灯る。最も愛すべき存在、夕香の顔が浮かんだ。
 夕香が事故に遭った時、なぜ彼女なのだろうと思った。なぜ夕香ではなければならなかったのかと。
 出来るなら、代わってやりたかった。
 夕香の事故は自分が原因だったと知った時、激しい怒りを覚えた。なぜ俺を狙わなかったのかと。


 ああ、そうか。豪炎寺は納得を覚えた。
 今受けている痛み。それは受けるべき痛みだったのだ。
 夕香の受けた痛みはこんなもんじゃない。目覚めないくらい酷いものだった。
 抱いた恐怖。失った時間は二度と戻らない。
 これで少しでも、夕香と痛みを分かち合えるなら――――
 喜んで受け入れてやろうじゃないか。


 耳の遠くで、男が気だるそうに息を吐くのが届いた。










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