その手を離さない
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 膝を抱え、顔を埋めて座る風丸。
 あの後、拘束されていた元の部屋に戻された。うがいと手洗いを許されたが、口や手にはまだあの感触や味を覚えている。手首と足首は縄で縛られているが、来た頃よりは緩めであった。もうそんな事はしなくとも、抵抗の意思を失っていたのだから。
 部屋には一人きり。まだ豪炎寺は戻って来ない。
「……………………………」
 風丸は瞼を震わせ、顔を上げる。何か気配を感じたのだ。
 予想は当たり、ドアのノブが回って男に連れられて豪炎寺が戻って来た。
「風丸っ」
 豪炎寺は風丸を見るなり、彼に駆け寄る。後ろのドアは静かに閉められた。
「ああ……風丸……」
 床に膝を突き、風丸を抱き寄せて背を撫でる。
「豪炎寺……」
 風丸は薄く笑う。遅れて彼は豪炎寺が拘束されていないのを知った。しかし、背を撫でる際に袖から露出した手首が血で汚れていたのは視界に入らなかった。
「すまない。俺に巻き込まれたせいで」
「そんな事言わないでくれよ。それより、豪炎寺は大丈夫だったか」
「ああ、心配ない」
 豪炎寺は身体を離し、風丸の横に座り込んだ。
 風丸は前を見据えるだけで、豪炎寺を見られなかった。話さなければならない事を懸命に頭の中で整理し、言葉を探している。


「風丸……。円堂に申し訳が立たない」
 豪炎寺が掠れた声で詫びた。
「なんでそこで円堂が出て来るんだよ」
「だってお前たち……」
 言葉を濁し、息を吐く。
「気にすんな。たぶん……円堂だったら、俺が豪炎寺と一緒に捕まった事……俺らしいって言ってくれるさ」
「風丸」
「だから、良いんだよ」
 それに、豪炎寺こそ――――
 続けられない言葉が、脳裏に流れた。しばしの沈黙の後、決意して風丸は放つ。
「……………………。その……豪炎寺に謝らなきゃいけない事がある」
「どうした」
「お前がいない時、携帯が鳴っているって俺たちの携帯を渡されてさ。なんでも無いように、嘘の返信を書かされた。豪炎寺のも、俺が代わりに出した」
「そうか」
 返す豪炎寺の声は、やや上擦っていたような気がした。
 意識のし過ぎだろうか。風丸は頭を振るう。とても二階堂との関係は聞けなかった。


「今、何時なんだろうな」
「だな」
 他愛の無い話題を振る。
 部屋の明かりは点いていないが、外から差し込む月明かりが淡く照らしており真っ暗ではない。今夜はたぶん、満月のような気がした。
 二人はどこか安堵していた。一度嫌な目に遭えば、悪夢もこのまま時を過ごせば終わると思い込んでいたのだ。けれども時の流れの退屈は、そう持て余せるものでもなかった。
 静寂を乱し、ドアが開け放たれる。
「よお、お二人さん!まだ朝まで時間があるな」
「……………………………」
「……………………………」
 風丸と豪炎寺は顔をしかめ、構えた。
「俺たち、話し合ったんだけどな。もしもの事を考えて、君たちの体力を出来る限り削っておく事にしたよ。つまり、このまま休ませられない」
「……………………………」
「……………………………」
「俺たちも頑張るからさ、一緒に頑張ろうよ。楽しい事しよう」
 楽しい事。それが何を示すのか。想像するだけで虫唾が走る。
「くそっ」
 忌々しそうに嫌悪する風丸の横で、豪炎寺が立ち上がった。
「わかった。相手をしよう」
「話がわかるね。もう吹っ切れちゃった?」
「ただし俺一人が引き受ける。風丸は休ませてくれ」
 風丸は豪炎寺を見上げたままで固まっていた。その表情は信じられないものを見るかのように、衝撃で染められている。
「……そうだな。俺たちはエースストライカーを潰したいだけだからな。その意見は飲むよ」
「豪炎寺!何言ってんだよ!カッコつけんな馬鹿!」
 部屋を出ようとする豪炎寺に風丸が叫ぶ。
「違う」
 振り向き、首を横に振る。
「もう嫌なんだ。俺のせいで誰かが傷付くのは」
「お前のせいじゃないだろ」
「……有難う」
 微かに口元が綻んだ。それが今にも泣き出しそうな顔に見えて、風丸の心も悲しくなる。そんな感傷も虚しく、ドアが閉められた。
 扉の向こう側から、低い声と物音が聞こえる。何を話しているのかはわからない。男たちの暴走を、身を持って知っている風丸にはたまらなく恐ろしさが込み上げた。
「豪炎寺……豪炎寺……!」
 風丸は身を起こそうとするが転び、虫のように這い蹲ってドアの元へ寄る。壁を利用して膝立ちになり、肩で叩いて訴えた。
「……豪炎寺!豪炎寺!やめろよ!てめえら最低すぎんだよ!」
 喉が絡み、声が枯れそうになる。それでも叫び続ける。
「やめろよ……!酷い事しないでくれ!頼むよ!」
 叫んでも、叫んでも、誰も応えてはくれない。


 部屋の外側では、乱暴に叩かれ、騒ぎ続けるドアを一人の男が指差す。
「あのー、君の友達ブチギレ起こしてるけど……」
「何もしないでくれ」
 対して豪炎寺は淡々と応える。
 そんな彼は、床に倒されて大柄の男に組み敷かれていた。その様子を他の男たちは囲んで眺めている。
「豪炎寺くん。怖くないのかい」
「さあ」
「君、さっき犯されたばっかりなんだって」
 後ろの方で“慰め合いです!”と訂正が入った。先程、豪炎寺を抱いた男である。
「後ろって締まりが良いらしいね。あいつが良かったって言うからさ、俺たちも試してみようと思うんだ」
「そうか。二つだけ頼みがある」
 豪炎寺は要求を述べた。
「まず、あまり物音は立てないで欲しい。風丸が心配する。次に、制服は一張羅だ。汚さないでくれ」
「わかった」
 特に無理ではない願い事なので、男たちは受け入れる。
「豪炎寺くん」
 組み敷いた男が豪炎寺のボタンを外し始め、もう一人の男が脇に手を回し半身を起こし上げて言う。
「そう気を張らないでね。ゆっくり楽しもうや」
「セックスなんてスポーツだと思ってさ」
「ぎゃはは!そりゃ良いや……って、おっと失礼」
 周りの男も次々と声をかけた。
「それにしても健気なもんだね。ぐちゃぐちゃにしてやりたくなるよ」
 豪炎寺は脱がされ、靴下を残して全裸になる。ご丁寧にも衣服は綺麗に畳まれて、離れた場所に置かれた。
「では、始めましょっか」
「……あっ」
 力任せに膝を上げられて、また双丘へローションを塗りこまれる。先程とは異なる――――加減を知らない乱暴な手つきであった。
「……は、…………うあ」
 声が漏れてしまう口に己の手の甲をつけて抑える。窄みに指が抜き差しされる度に、身体をひくひくと震わせる。その仕種が初々しい恥じらいに見えて、男たちの欲情を増長させた。
 しかしその狂らんは、音を最低限に抑えられた静かな中で行われ、叫び疲れた風丸の耳には、物音と息遣いしか聞こえない。
「豪炎寺……」
 風丸はドアに額をぶつける。擦り付ければ目の奥が染みて、涙が零れ落ちた。
「俺たち……仲間じゃ……友達じゃなかったのか……。こんなの……卑怯だぞ……」
 嗚咽を漏らし、すすり泣く。
 額を擦らして膝を曲げ、へたり込んだ。身体を倒して蹲り、泣き声を抑え込もうとする。
「………………ふ…………っ……うう……」
 抑えようとすれば抑えようとするほど、とめどなく涙が溢れた。こんなに泣くのはいつ以来だろうか。簡単に思い出せないくらい、久しぶりだった。悔しさ、理不尽さ、無力さ――――どれをとっても自分が情けなくて自分自身に失望を覚える。
 俺に何が出来る――――。考えても、考えても、全く見えてこない。






 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。漸く豪炎寺は男たちから解放された。
 水の使用を許されて、浴室でシャワーを浴びる。湯は出ず、冷たい水をタイル壁に手をついて頭から被った。
 下肢は誰のものかわからない体液でぐしゃぐしゃに汚れ、散々男の性器を受け入れた窄みから白濁の液がどろりと流れ、一人身震いする。硬い床の上で長い時間行為をしたので、身体の節々に痣が出来ていた。
 鏡があり、横目で見れば疲労しきった顔が映る。男たちの思惑通りに、豪炎寺の体力は限界まで削られてしまった。
「……はぁ…………」
 息を吐き、ついた手を引き摺るように床に座り込む。いちいち洗うのも面倒で、ただ水を浴び続ける。
 冷たい水は身体の熱を下げて凍えそうになった。指の先はもはや感覚が無い。
「俺は間違っていない……」
 色を失った唇が微かに開閉し、音を発する。
「……ですよね…………二階堂監督……」
 こんなにも愚かな行為を冒した自分を、どんなに離れていても見守ってくれそうな人の名前を呼んだ。
「……監督…………二階堂監督……」
 両手で顔を覆う。こんなにも顔を水が流れていくのに、涙はなぜか流れてくれなかった。


 豪炎寺は浴室から上がると、男の一人から埃っぽいシーツを受け取りバスタオル代わりに身体を拭けと言われる。水気を吸い取り、着替えて風丸のいる部屋に戻った。彼は部屋の隅に座り込んで眠っている。先に眠ってくれていた事に安堵を覚えたのか、豪炎寺は倒れ込むように床に転がって眠りにつく。すぐさま寝息が聞こえ始めた。
「……………………………」
 すると、風丸の瞑られた瞳が開いた。死んだように眠る豪炎寺を見据えて、目を細める。水でも浴びたのか、髪はしっとりと濡れて勢いを無くしている。
 ずっと目を閉じて豪炎寺が戻ってくるのを待っていた。時計の無い、感覚の捉え辛い空間では永遠の時のようにも思えたぐらいだ。
 だが、いざ豪炎寺が戻って来て何になるのだろうか。声を掛ける暇も無く、彼は眠りに入ってしまった。
 俺に何が出来る――――。何度も何度も自分に訴えかける。
 そうしてとうとう、心の内で彼に助けを求めた。
 円堂。お前ならどうする。お前なら、何て言ってくれる?


 諦めるな!


 円堂の口癖が脳裏で響いた。
 風丸は心の中で“無理だよ”と告げ、頭を振るう。しかしそれでも、円堂は訴え続けるのだろう。


 諦めるな!決して諦めるな!


 風丸が折れるまで、何度でも円堂は励ますのだろう。
 円堂とどれだけ一緒にいても、これだけは真似出来ないとどこかで思っていた節がある。
 今、この時ほど、円堂の勇気が欲しいと願った事はないだろう。
 円堂。俺にお前の勇気を貸してくれないか。
「円堂…………」
 風丸の瞳が意志を持つ。
 たとえ何があろうとも、屈してたまるものか。諦めてたまるものか。
 絶対に二人で試合会場に行ってみせる。必ず勝利を得てみせる。
 強い言葉で自分自身に言い聞かせ、奮い立たせる。
「……待っていてくれ」
 風丸は腹をくくった。






 風丸に意志が宿ったのと同時刻。
 離れた場所で携帯電話が呼応するように鳴った。
「……俺だ」
 返事をした後、頭を振るって眠りを覚ます。外は日が昇り始め、ビルを朝焼けが染めていた。
 車の中、運転席から身を起こす男――――鬼瓦である。
 彼は影山を逮捕した後、彼から残党がいる事を聞き出し、未だ引退出来ない身でいた。影山に関する全てが終結しなければ役目は終わらないのだろう。
 突然現れたチーム・ウラゼウスに残党が絡んでいるらしい所まで追い詰めていた。しかしそれ以上の情報が集らず、とうとう雷門との対戦が免れないまま当日を迎えてしまった。ここの近辺にアジトがあるらしく見張っているのだが、なかなか尻尾を捕まえられない。
「よく聞こえない。もう一回言ってくれ」
 携帯を持ち直し、聞き返した。
 電話の相手である部下は、はっきりとした声で放つ。


 アジトらしき建物を発見しました!


「どこだ。すぐ向かう」
 携帯の前で数回頷いて切り、ハンドルを持つ。
 アクセルを踏み、車を走り出させた。










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