豪炎寺……。
豪炎寺……。
眠りの中で自分を呼ぶ声に豪炎寺は重い瞼を開ける。
「豪炎寺」
風丸が肩を揺らして起こしていたようだ。
「風丸……」
応えると、風丸は手首を結ばれた人差し指を口元にあてる。
「黙って聞いてくれ。ここを脱出するぞ」
「……………………………」
豪炎寺の瞳が驚きで見開かれた。
その手を離さない
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「本気か」
声を潜めて豪炎寺が放つ。
「ああ。脱出して、円堂たちに合流する」
「そんな無理をしなくても、夕方には解放してくれるとあいつらは……」
「戦わずに、このまま好きなようにさせておくつもりか」
風丸の訴えに豪炎寺は顔をしかめ、首を振るう。
「危険すぎる。そんな真似をすればどんな報復をされるか。風丸、俺はもう……」
「豪炎寺。お前らしくないぞ。俺たち今まで何と戦ってきたんだよ。そんなもんが怖くてサッカーが出来るか」
力強く微笑んでみせる風丸。その表情は、どことなく円堂を思わせた。
彼は結ばれた手首を差し出す。
「解いてくれ」
引き寄せられるように豪炎寺の手が上がり、縄を掴んだ。
縄を解き、足首も解放させた。自由になった風丸は窓をゆっくりと開ける。
「俺たちが昨日、あのまま拘束されていたらこうは出来なかったさ」
外へ頭を出し、舌打ちをした。
日が昇り見渡しが良いが、それが逆に現状の絶望を覚えさせる。
この部屋は高い階に位置し、しかも足の踏み場は無いに等しい。おまけに中より外の崩れの方が酷く見えた。隣にベランダが見えるが、たとえ移動出来ても男たちのいる部屋に出るだけだろう。
「…………それでも、諦めてたまるか」
風丸は自分を拘束していた縄を腰に巻きつけ、縄同士を繋いで手摺りに結びつける。
「おい、正気か」
豪炎寺が察して後ろから腕を引いた。
「当たり前だ。あいつらが気付く前に早くしないと。悩む余裕なんてないぜ」
腰の縄を持ち、数回深呼吸をして提案を語りだす風丸。
「まず俺が下の階の窓を突き破って縄を繋げる。次に豪炎寺が俺たちの鞄を持って下りてくれ。大事なユニフォームが入っているからな」
「無茶すぎる。……と言っても、無駄なんだろう」
風丸は頷く。窓の桟に手を置き、身を乗り出す。豪炎寺は縄が解けないように握り、彼を見守った。
足の踏み場は無いに等しい――――けれども全く無い訳ではないのだ。爪先が付くくらいの溝がある。それを頼りにゆっくりと身体を下ろして行き、下の階を目指した。
「…………ふう、……ふう」
無駄に冷や汗が滲む。縄は風丸の身体を長時間支えられる程の太さは無い。次には豪炎寺も待っている。微かな気の迷いが全ての終わりに繋がるのだ。掴む手がガクガクと震えた。しかし、もう下り始めたなら止まれない。こんな綱渡り、戦国伊賀島の連中なら難なく出来るのかと思うと、かなり羨ましかった。
「……はあ………はあ」
緊張で無意識に呼吸が荒くなる。自分たちがいた部屋と同じ窓が近付き、囲いに足を付けた。なるべく音を立てないように、足の先で突くが効果は無い。こうなってしまっては、思い切りやるしかないだろう。
「くっ」
片足で蹴り込むと高い音を立てて硝子が割れた。破片は飛び散り、さらに音を立てる。
何度も蹴って硝子を割っていき、出来た隙間に身体を通す。肩が角に擦れて上着がナイフで切ったように裂けた。
床に足を付ければ欠片を踏んでしまう。幸い、下りてきた部屋には誰もおらず、風丸は手早く縄を解き、窓を全開にして手摺りに結びつけた。
「豪炎寺」
大口に対して小声で豪炎寺に合図する。豪炎寺は頷き、二人分の鞄を持って身を乗り出した。
「う」
外へ頭を出した途端、豪炎寺は眩暈を覚え、額に手をあてる。疲労と寝不足が集中力を散漫させていた。
「これしき……」
頭を振るい、限界の神経を集中させて縄を伝う。風丸が渡れたという事実が、少しだけ気を楽にさせてくれた。下の階の窓の囲いに足を置いて着地しようとした時、連中の一人が様子を見にドアを開ける。
「おーい眠っているか…………っておい!」
風の音が抜け、部屋には誰もいなかった。
「畜生!すっかりそんな気は抜け切っているものかと!」
男はその場で戻り、仲間を叩き起こす。抜け出したと思い込んでくれたおかげで、豪炎寺が縄を伝っている最中だというのは気付かれなかった。
「まずいぞ」
男たちの大声が下からでも良く聞こえる。風丸は豪炎寺から鞄を受け取り、靴紐を結び直して走る体勢を整えた。
「豪炎寺、急ぐぞ。このまま下を目指せば外に出られるはずだ。このビル相当古いから、閉じ込められても強引に道を作れば良い」
「わかった」
風丸が走り出し、豪炎寺も後を追うように駆け出す。だが――――
「うあ」
足を滑らせて転んでしまう。振り向いた風丸は悟った。豪炎寺はもう限界なのだと。
「大丈夫か。安心しろ、絶対俺がお前を会場まで連れて行くからな。お前が俺を庇った分、今度は俺がお前を守るよ」
手を差し伸べ、起こし上げる。
「歩けなくなったら言ってくれ。負ぶってでも運んでやる」
豪炎寺は手を握り返し、二人は走り出した。リードをする風丸が風のように走れば、豪炎寺も共に風となる。通路を抜け、階段を見つけて下りた。何度下りてもなかなか底は見えてこない。今何階なのかも表記するものも見当たらない。
「は…………は………」
汗が噴出し、足が棒のようになる。上の方から数人の足が迫る音がする。立ち止まる暇は無い。
漸く一階に辿り着いたが、豪炎寺が膝をついてしまった。
「豪炎寺、乗れ」
風丸は座り込み、背を向ける。けれども豪炎寺は断った。
「心配するな……もうここまで来たなら走りきる……。それに風丸……お前ひょっとして寝てないんじゃないか…………」
「余計な事考えるな。なら行くぞ」
解けてしまった手をもう一度握り、気力を振り絞って走る。
外の光が見え始めた時、前からやってくる足音に二人は身を竦ませた。
「まさか」
先回りされたか。隠れる場所を咄嗟に求めても間に合わない。
万事休すか。覚悟して硬く目を瞑るが、聞き慣れた声に見開いた。
「おい!お前たちは雷門中の!」
鬼瓦である。部下一人を連れて駆け寄ってきた。
「鬼瓦さん!」
声を揃えて呼び、つい力が抜けてその場に手を付く。
「どうしたこんな所で。今日はウラゼウスとの試合じゃないのか」
「俺たちは捕まっていたんです。影山の残党たちに」
「ならここに残党共が……。自力で抜け出してくるとは、さすがイナズマイレブンだ。その調子だと試合会場に行くつもりなんだろ」
鬼瓦は部下に目をやった。
「おい。二人を試合会場へ運んでやれ。俺の車の鍵を貸す」
「間に合うんですか……いいえ、間に合わせるんですね、最善の限りを尽くします」
「後は俺たちに任せろ」
「はい!」
風丸と豪炎寺は立ち上がり、部下が先導して出口へ案内する。
残った鬼瓦は携帯で救援を呼ぶ。あらかじめ近くに他の部下たちも手配してある。
「勝って来い」
拳を握り締め、一人呟いた。
あの二人を見て、ふと何度も夢に出た後悔を思い出す。友が巻き込まれた事故に、もしも自分が居合わせたのならば、少しでも接触できたなら、運命が少しでも変わったのではないかと――――
「大介。お前の孫は、良い仲間を持ったよ」
目を静かに閉じ、友の顔を思い出した。
風丸と豪炎寺は鬼瓦の車に乗り込み、部下が運転席に座って走り出す。
試合会場はフットボールフロンティア全国大会が行われた場所だ。ここがどこかはわからないが、道を知っている鬼瓦の部下が送ってくれるのは心強い。
「かなり飛ばしても、開始ギリギリです。準備を整えていてください」
「わかりました。有難うございます」
二人は鞄からユニフォームを取り出し、後部座席で着替えを始める。途中で風丸は豪炎寺の傷だらけの手首に気付くが、あえて問わなかった。ユニフォームを着ると、風丸が鏡を豪炎寺へ向け、豪炎寺がヘアワックスで髪を整える。いつもの逆毛に戻ると、脚の上に手を置いた。
「豪炎寺。準備は完了か」
「ああ、問題ない」
冷静な表情の内に、熱い炎が灯る。
「二人とも座りましたね。シートベルトしてくださいね。全速力です」
部下も感化され、一緒に燃え上がった。
一方その頃、試合会場では風丸と豪炎寺を除くメンバーがベンチに集合し、いない二人を待っていた。
「キャプテン。豪炎寺さんと風丸さん、どうしたんでやんすかね」
「どうしたんだろうな」
息を吐き、腕を組む円堂。答える声はどこかはっきりしない。
「円堂。何も聞いていないのか」
鬼道が問う。円堂は首を横に振った。
昨日は結局、急用があるからと風丸は泊まりには来なかった。メールは断りのものだけで、それきり全く連絡が入らない。豪炎寺まで一体どうしたのだろう。仲間たちの中で円堂が一番疑問を抱いていた。
なかなか始まらない試合に、観客席もざわつき始める。
「何かトラブルでも起きたのでしょうか」
通路の手摺りに肘を突き、木戸川清修・西垣が隣の二階堂を見上げた。
二階堂を挟んだ先の武方長男が言う。
「豪炎寺とあと一人が来ていないらしいぞ」
「……………………………」
二階堂は無言で雷門のベンチを見下ろしていた。視線の先の円堂が木野に肩を叩かれている様子を見て、目を瞬かせる。何かがやっと動いたらしい。
「円堂くん、電話よ。風丸くんから」
木野が円堂に携帯を渡す。開いて耳を寄せれば、風丸の声が聞こえた。
「風丸か!」
『円堂……』
第一声は、鼻声に聞こえた。しかし気を取り直したようで、しっかりとした口調で風丸は話す。
『円堂!今、会場に着いた!そっちに向かうからあと少しだけ待っていてくれ!豪炎寺も一緒だ!』
「豪炎寺もか!うん、わかった……うん……」
円堂の背後で影野が“あっ”と声を漏らす。他の仲間たちは指を示した。
薄暗い通路から、風丸と豪炎寺が手を繋いで走ってくるのが見える。
「すまない!待たせた!」
汗を拭いながらやってくるものの、試合前から随分と疲労しているように感じた。
「お前らどうしたんだよ、汗だくだぞ」
「これでも食べてしゃきっとなさい!」
心配する半田を押し退け、夏未が“極上のおでん”を二本差し出す。
「助かる!」
奪い取るように貰い、熱さも気にせずに食らい付いた。昨日の昼から何も食べていないのだ。忘れかける程の遠い空腹がやっと満たされる。
「さて、来たからには絶対に勝つぜ」
おでんの串を咥える風丸の口の端が、凶悪そうに吊り上がった。
「徹底的に叩きのめしてやる」
豪炎寺が手を組み、ボキボキと骨を鳴らした。
二人から沸き起こる邪悪に満ちた闘争心に、一年生たちが抱き締め合って身震いする。
「怖いっす!」
当然、怖いのは一年だけでは無い。円堂など声をかけようとして手が中途半端な角度で停止していた。
「あの……サッカーはGK以外、基本的に手を使っちゃ駄目だからな。わかっているなら良いけど……」
このまま殴り合いの乱闘を起こしそうな勢いである
「円堂」
ギギギ……。風丸の首が円堂の方を向く。
「今回は前線に出させてもらう。DFの役目を担えそうに無い」
こくこくと円堂は頷く。意見などとても言える雰囲気ではない。
かくしてメンバーは揃い、雷門とウラゼウスの試合が始まった。
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