その手を離さない
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「くっ…………」
 鬼道が歯を噛み締める。
 ウラゼウスの力は圧倒的であった。世宇子と初めて対戦した、あの絶望が蘇るようだ。
 どこで誰がこんなチームを隠していたのか。前に進む度に壁が立ち塞がる。
 メンバーが揃ったとしても、とても適う相手ではない。
「鬼道」
 豪炎寺が後ろへ下がり、鬼道に囁く。
「どうした。怖気づいているのか」
「ああ、怖いな」
 正直に述べた。
「お前はDFに回ってゴールを死守してくれ」
「俺に指示をする気か」
 双方、攻撃的な口調になり、一之瀬が駆け寄って“何やっている”と仲裁に入る。
「俺は勝ちたいんだ。あんな奴らに絶対に負ける訳にはいかない」
「おい豪炎寺。お前、何か焦っていないか」
 一之瀬の瞳が豪炎寺を見据えるが、かわすように顔を背けた。
「頼む。ゴールだけは守ってくれ。必ず俺が、俺たちが得点を入れてみせるから」
「わかった!豪炎寺、任せるぜ」
 明るい声が返ってくる。それは鬼道でも一之瀬でもなく、松野であった。彼は二人を連れてゴール守りへ下がってくれた。
「豪炎寺!」
 風丸が豪炎寺を呼ぶ。二人の視線が交差し、合図するように頷いた。
「わかっている!」
「一撃で決めるぞ!」
 風丸と豪炎寺は走り出し、意地でボールを奪い取って特攻をかける。
 決めるべき技は一つ。言葉を交わさぬとも二人の中で決まっていた。
 今なら、二人の心が一つなら、呼吸が一つなら、絶対にこの一撃は決まる。そう確信していた。
「炎の!」
「風見鶏!」
 一つのボールを蹴る二人の脚が、まさに同じタイミングで重なる。
 炎の翼を纏い、火球となったボールはゴールへ一直線に炸裂した。


 ゴール!


 アナウンスが会場へ響き渡る。
 それを上回る歓声が包み込んだ。
 練習といえども、フットボールフロンティアを制した雷門中と、世宇子の再来を匂わせるウラゼウスの試合は多くの期待を集め、観客席は人で満たされていた。その中には木戸川清修のような偵察目的のチームもいるが。
「おい!やったな!」
 半田が駆け寄り、風丸と豪炎寺の肩に手を置いて得点を喜ぶ。
「ああ……」
「この後は相手に逆転されないようにしないとな」
 二人の反応は薄い。表情は硬く、油断を感じさせない。
「確かに……そうだけど……」
 二人を交互に眺める半田であった。
「豪炎寺と風丸の言う通りだ!ここからが正念場だぞ」
 ゴールの前に立つ円堂がガッツポーズを見せる。
 雷門はウラゼウスの猛攻に決して得点を与えず、1−0のまま時間は過ぎていき、とうとう試合終了の合図が鳴った。
 ――――雷門はウラゼウスに勝利したのだ。


「やったでやんす!勝ったでやんす!」
 飛び上がりながら勝利を喜ぶ栗松。
「勝ちましたね!ま、当然ですよ」
「……うん」
 ベンチを立つ目金の足はガクガクと震えていた。隣の影野は見て見ぬ振りをする。
「イナズマイレブンの伝説はこんな所じゃ終わらないさ。だろ?」
 一之瀬が軽く手を上げて鬼道に言う。
「……そうだな」
 鬼道は口元を綻ばせ、己の手を一之瀬の手へぶつける。パン、と良い音が鳴った。
「しっかし、炎の風見鶏が無かったら危なかったな」
 土門が後ろ頭に手を組んで言う。
「すげえ気迫だったな。よくやったぜ二人とも」
 腕を組み、うんうんと頷く染岡。
「ホントだよ!よくやったぜ!」
 円堂が物凄い勢いで同意し、染岡が数歩下がった。
「なっ!風丸!豪炎寺!」
 満面の笑顔で、二人の方へ振り向く。
 風丸と豪炎寺も応えるように、笑おうと頬の筋肉を上げようとした。


「……………あれ………」
 風丸は可笑しな感覚に囚われる。声が頭の上から出て、天地が逆転したのだ。
 瞳を動かすと、すぐ近くで豪炎寺も倒れていた。そのまま風丸の意識は闇の中へ落ちていく。
「おい。……風丸?」
 円堂が瞬きをさせる。目に映る光景に、頭が理解出来ない。
「豪炎寺さん、どうしたんですか」
 宍戸が駆け寄って豪炎寺を抱き起こして揺らす。反応が無い。
「風丸!おい、風丸!豪炎寺!どうしたんだよ豪炎寺!応えろよ!」
 我に返り、円堂は二人の元へ走った。壁山が音無と共にタンカを持って行き、医務室へ運び出す。


 勝利した雷門ベンチの異変に気付いたらしい観客が指を差して、小さなどよめきが起こる。
「なんでしょうね、あれ」
 武方次男の友も騒ぎを指差す。
「なんか豪炎寺が倒れたらしい!」
 前の方で三男の努が手を振って知らせた。
「豪炎寺が?」
 二階堂は困惑して眉を潜める。
「頑張りすぎたんじゃないですか。ウラゼウスは相当強かったですし。様子見に行ってみましょうよ」
 西垣が歩き出し、二階堂と武方三兄弟もついていく。
 正直、心配ではあったが重くは捉えていなかった。医務室へ行き、扉の前に集る雷門メンバーを見るまでは。
「あ、西垣くん」
 壁に寄りかかっていた木野が背を浮かせて西垣たちの元へ歩み寄る。
「大変そうだな」
「うん……二人とも揃って遅刻するし、おでんで体力は回復させたと思ったのに……」
 二階堂は西垣の隣に並ぶ振りをして、二人の会話に耳を寄せていた。
 医務室の入り口がざわめく。医師が出てきたのだ。
「豪炎寺と風丸はどうなんですか」
 響木が代表して問う。
「二人とも疲労で倒れてしまったのでしょう。ただ、極度のもので……」
 ドアを大きく開いた。風丸と豪炎寺はそれぞれのベッドで眠っている。
「しばらく安静にさせておいてください」
「わかりました」
 響木が頭を下げると、雷門メンバーも頭を下げる。
 大人数でいても仕方が無いので、監督とキャプテンを残して他のメンバーは帰る事となった。去る選手たちは名残惜しそうに何度も振り返っていた。そんな中、二階堂は武方たちの背を押して、響木に向き直る。
「私も残らせてください。豪炎寺は……大事な元教え子ですから」
「そうかい」
 人気のなくなる廊下は次第に静まっていく。
 円堂は風丸の眠るベッドの横に椅子をつけて、彼の目覚めを待っていた。
「風丸……一体どうしたんだよ……昨日からお前変だぞ……。豪炎寺もあんなだし……俺に教えてくれよ……」
 呟くように話しかけた。安静にさせてくれと言われたが、何か声をかけないと二度と目覚めてくれない気がして怖かったのだ。
 響木も中に入ろうとしたが、円堂の姿を見て廊下へ戻っていく。入れ替わるように二階堂が入った。
 豪炎寺の横へ寄り、指先で彼の髪をそっと撫でる。
「ん?」
 また廊下へ戻ろうとした時、偶然それは目に入ってしまった。
 ベッドの上に投げ出された豪炎寺の手首が痛々しく変色している。蚯蚓腫れの痕が何重にも折り重なってかさぶたになってしまっている。かなり最近のものに思えた。
 何をしたらこんな痕が付くのだろうか。想像しても簡単に思い浮かばない。
「豪炎寺」
 無意識で彼の名が発せられた。
 昨日の“急用”は一体なんだったのだろうか。ただの文字の配列だが、どことなく豪炎寺のものでは無い気がして、ずっと引っ掛かっていた。






 廊下にいた響木は顔を上げてサングラスを光らせる。鬼瓦がやってきたのだ。
「おお、刑事さん……」
「ウラゼウスに勝ったと聞いた。風丸と豪炎寺が倒れたと、入り口で帰宅途中の雷門から聞いてな。得点はあいつらが入れたそうだし、全く……どこまでも無茶を……」
「無茶……?」
「なんだ、何も聞いていないのか。そんな暇も無かったのか」
 鬼瓦は頭を振るう。響木にはさっぱり話がわからない。
 話し声に気付いた円堂と二階堂も廊下へ出てきた。
「あれ、鬼瓦のおじさん……」
「大介の孫、二人はまだ目覚めないのか」
 円堂は頷く。
「一体、何があったのですか。話していただけますか」
 二階堂が鬼瓦を見据える。逃そうとしない、射抜くような視線。彼は既に不審な点を発見した様子であった。
「わかった、どちらにしても話すつもりだった。休憩室か何かで話そう」
「それならこっちの方にある」
 響木が場所を知っており、先導して鬼瓦、円堂、二階堂を案内する。


 休憩室といっても硝子に覆われた喫煙室であった。けれども人はいない上に自販機も取り付けられているので、表で言えない話をするには丁度良い場所だろう。四人はバラバラに席に着き、鬼瓦は語りだす。
 ウラゼウスに影山の残党が絡んでおり、追った先のアジトで風丸と豪炎寺を見つけたと――――
「あいつらは捕まっていたと言った。自力で抜け出して来たが、俺が見つけた時点でもう歩けないような状態だった。それでもあいつらは会場に行って得点を決めてきた。試合が終わった拍子にスイッチでも切れて、ぶっ倒れちまったんだろう」
「なんで捕まるなんて……」
 円堂が質問の途中で察する。影山は勝利の為ならどんな手段を使う。残党も同じような手段を使ったに違いない。
「……豪炎寺」
 二階堂は項垂れる。またサッカーのせいで豪炎寺の身の回りが危険に晒されるとは。しかも今度は豪炎寺本人が標的になった。どうして豪炎寺ばかりがこんな目に遭うのだろうか。彼の不運を己の痛みのように嘆いた。
「それで影山の残党はどうなったんです」
 問いかける響木。
「捕まえて、今は務所の方で事情聴取中さ。あいつらが目覚めたら、聴きたい事もある……」
 鬼瓦は軽く詫びて、煙草を取り出した。
 昇る煙を眺め、思いを馳せる。
 風丸と豪炎寺を追ってきた残党を捕まえ、根城にしていた部屋まで案内させた。そこで残りの連中を捕まえられたのだが、物品を押収する際に気になる物を見つけてしまった。くずかごに捨てられていた体液を含んだティッシュや避妊具。女のいた形跡はない。リビングの床にあった不自然な凹み――――
 これらを繋げると、ある最悪の可能性が浮かんでくるのだ。


 性的暴行を受けた可能性を。
 だがしかし、あくまで推論に過ぎない。外れてくれる事を祈るばかりであった。


「……………………………」
 二階堂は缶を購入し、開けて口元に付けながら鬼瓦を盗み見る。
 何か他に隠している。確信を抱いて真実を探ろうとしていた。
 豪炎寺の手首の傷が作られた理由がわかったが、同時に疑いが生まれた。
 ただの拘束だけ、必死に逃げただけでは、あの傷は説明がつかないのだ。相当に暴れ、それなりに長い時間でなければあんな傷はつかない。
 暴力を振るわれたのかとも想像もしたが、傷が手首に集中するのはおかしい。
 相当嫌な事をされたのだろうか。そんなに暴れるほど嫌な事を。
 考えれば考えるほど、胸が締め付けられた。
「あの」
 不意に発せられた声の方向に六つの瞳が集る。円堂が立ち上がり、ドアを押して言う。
「俺、先に戻っています。目覚めた時、誰もいなかったら寂しがるだろうから」
「そうか。俺たちも後で向かう」
「はい」
 円堂が去り、ドアが閉められる。
 彼が戻って来ないのを確認して、二階堂が口を開いた。
「刑事さん……何かを隠していませんか」
「俺もそう思っていたよ」
 響木も同意する。
「やれやれ。ガキがいなくなった途端これか」
 吸殻入れに煙草を落とした。
「まだ二人に聞いて見なければ言えない。推測じゃものを言えねえ」
「わかりました」
 息を吐き、二階堂と響木は納得せざるをえない。


 沈黙する喫煙室。時計の時間を刻む音が微かなものだというのに、やけに気になった。










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