夏祭り
- 風丸side前編 -
祭の当日になり、夕方が近付いてくると神社の周りが賑やかになっていく。
円堂と祭へ行く約束をした風丸はというと、自室で鏡を前にして唸っていた。
「うー……ん……」
サリーより受け取った浴衣を身に着けたのでほとんどの支度は整っているのだが、いまいち髪型がしっくりこない。いつものトレードマークのようなポニーテールがどうも気に入らず、何度も結び直していた。なかなか家を出ない彼女に母がノックをしてくる。
「貴方、まだ出ないの?円堂くんとの待ち合わせ良いの?」
「わかってるって」
髪をとかしながら時計を見て“まずい”と声を上げた。
「もうこれで良いや」
荷物を持って風丸は部屋を出た。
円堂と風丸が待ち合わせを決めたのは鉄塔前。二人が遊びに行く時はここと決めていた。
しかしシンボルに明かりが点いてからというもの、同じような待ち人をよく目にするようになり、今や待ち合わせスポットだ。
風丸は全速力で向かう。浴衣は走り辛いが、おかまいなしにがむしゃらに走った。
「は……っ……は……………は…………!」
円堂の姿が見えると、名前を呼んだ。
「おーい、円堂―っ」
円堂が声に反応して見回すが、気付いてくれない。とうとう追いついて、彼の肩を叩く。
「えーんど」
「え、ああ、風丸」
「遅れてごめん」
頭を下げるようにして膝を持って息を吐く風丸。夏の暑さも相俟って走ったら熱くなってしまった。
「そんなに走らなくても良いのに。真面目な奴だな」
「こういう性分なんだよ」
顔を上げて円堂の浴衣を見る。
「円堂のはそれかぁ。なかなかに合うんじゃないか」
「風丸は風丸じゃないみたいだ」
「そう?」
走って乱れた衣服を整えて風丸は言う。
円堂の反応は褒めているのか貶しているのか、わかり辛い。
「それより髪、どうしたんだよ」
「なかなか決まらなくてさ」
自ら己の髪を手に取り、流してみせる。風丸は髪を結んでいなかった。結局、何もせずに来てしまったのだ。
「早く行こうぜ」
「ああ」
歩き出す円堂の後をついていく。
あーあ。風丸は一人落胆した。浴衣姿を見せるのは初めてだった。少しぐらい気の利いた反応を期待していたのだが、淡白すぎる。大げさなものや喜ばせるようなものではなく、ただ少しぐらい"良いんじゃないか"くらいは言って欲しかった。
これから祭だ。楽しむんだ。風丸は考えを切り替える。
「わぁ…………」
「すっご……」
神社前の出店の通路が見えるなり、円堂と風丸は声を上げた。去年より明らかに人が増えており、盛り上がっている。
「何食べようか」
「目移りするなー」
二人が群れの中に入ると、人が多いせいかぎゅうぎゅうとしてしまう。
「わ」
風丸が後ろから押され、反射的に円堂の肩を掴んだ。
「ご、ごめ…………」
詫びようと開いた唇が途中で固まった。息がかかりそうなくらい顔が近く、二人とも目を丸くさせてぽかんとしている。時が止まったような感覚に陥り、熱が急激に上がっていく。
「めん……」
手を離し、風丸は俯いた。
円堂に触れていた手は後ろに隠し、数回開閉させる。ついこの間までは同じくらいだと思っていた円堂の肩はすっかり大きく――男のものになっていた。
「風丸、カキ氷があるぞ」
「ほんと?食べるか」
「おう」
円堂がカキ氷屋の方を向いたまま、風丸の腕を捉えて引っ張る。強引な力に足がもつれそうになった。
「円堂、引っ張るなよ」
「急がないとカキ氷溶けちゃう」
「溶けねーよ」
すかさず突っ込めば二人の間に微笑みがこぼれる。店の前に辿り着くと、さっそく円堂は注文した。
「おっちゃん、レモン味。風丸は?」
「ブルーハワイ」
「わー、共食いだ共食い」
はやしたてる円堂に、風丸は呼吸が追いつかないくらい笑う。
「こら、食べれらなくなるだろ」
髪の色に似た青いブルーハワイを口にした。
「冷た」
「美味い〜」
カキ氷の冷たさと甘さに、まだ笑いは治まらない。こんなに笑い続けたのは随分と久しぶりのような気がする。同じように笑い続けた薄らぐ思い出の中にも円堂は共にいた。
カキ氷の次はやきそばを食べて、二人は神社を目指す。
「なあ円堂」
不意に風丸が円堂の裾を引く。
「ん?どした?」
「あれ、豪炎寺じゃないか」
「え?」
風丸は指を差す。その方向には豪炎寺に良く似た色素の薄い頭が覗いていた。
「うーん……俺からはわかんないな。行ってみるか」
「うん」
人の群れをすり抜けて近寄れば、風丸と同じ浴衣姿の少女の背中が見え、当て嵌まるのは当人しかいないと確信する。
「豪炎寺っ」
声を合わせて呼ぶ円堂と風丸。
「えっ…………」
振り返ったのはやはり豪炎寺であった。
「やっぱり豪炎寺だ」
「円堂……風丸……」
きょとんとした豪炎寺の表情がゆるやかに笑みに変わっていく。
「一瞬、気付かなかったよ」
豪炎寺の髪を指差す円堂。彼女も風丸と同様に下ろしていた。
「お揃いだな」
「ああ」
風丸が自分の頭を指で突くと、豪炎寺は口元を綻ばせる。
「豪炎寺は一人か?」
「え?いや……」
彼女は決まり悪そうに、隣の人物を見上げた。
「どうも。お久しぶり」
大人の男性が円堂と風丸に微笑みかける。二人は彼をまじまじと眺め“あっ”と声を出す。
「二階堂監督」
豪炎寺の連れは木戸川清修の二階堂であった。彼もまた浴衣姿だったのですぐにはわからなかった。
「ここでお祭があるって西垣から聞いて、豪炎寺と連絡が取れたから一緒に回っていたんだよ」
「へえ、そうなんですか」
「………はあ」
顔を輝かせて納得する円堂とは裏腹に、風丸の返事は乏しい。
一見、尤もらしい事を言っているようだが、ふと疑いが渦巻いた。元生徒で交流があったとしても豪炎寺は女性であり、夜に二人きりで行動するのはいかがなものか。だがそんな思いは円堂に話しても“風丸は細かすぎ”と言われてしまうだろうから何も言えない。
考えを巡らせる風丸は、豪炎寺と目が合ってしまう。
「とても賑やかなんだな。初めて来たから吃驚したよ」
豪炎寺の口調は穏やかで、学校の時のような静かながらもはっきりとしたものとは異なって聴こえた。服装のせいか、雰囲気に女らしさが漂う。彼女の隣の二階堂が大人の男なのもあり、余計に性を感じた。一度疑えば、二人がますます妖しく見えてくる。
「そうか、豪炎寺と二階堂監督は初めてなのか。だったら思いっきり楽しんでもらわないと!風丸、二人を案内しないか?」
円堂の思わぬ提案に、風丸は慌てて訂正させようとする。
「円堂、さすがにそれは……」
「なんで?」
なぜと問われても勘としか言えない。
二人の間に入り込むのは、まずいような気がしたのだ。
「あの……」
豪炎寺が二階堂を見上げて様子を伺う。
首を伸ばしたせいか、普段胸元に隠しているペンダントのチェーンが見えた。祭という独特の空間だからか、艶めかしく映り、見てはいけないもののように視線をそらす。
「監督、どうしましょう」
「豪炎寺はどうしたい?先生たちは初めてだから知っているお友達に案内してもらったらどうだ」
「はい」
豪炎寺がはにかむように頷き、円堂と風丸を向いてもう一度頷いた。
「二人が良ければ、お願いするよ」
「そうこなくっちゃ!」
円堂が豪炎寺の肩をがっしりと掴んで隣に並ぶ。
「豪炎寺はもう何か食べたのか」
「……綿菓子、とか……」
「それだけ?」
「ああ」
「もったいないな、もっと食えよっ」
次々とオススメのメニューを並べ立てる円堂に、豪炎寺はマイペースに頷いて聞いていた。
「まったく、円堂の奴……」
「はは、円堂くんは元気が良いな」
腰に手を当てる風丸の横で、二階堂が笑う。風丸も苦い笑いで返すが、次第に笑ってはいられない事態になった。円堂と豪炎寺はどんどん先へ行ってしまい、追いつけなくなっていく。人が多く、間に入られては距離を離された。このままだとはぐれてしまう。
「参ったな、見えなくなって来たぞ」
「円堂、なにやってんだよ」
風丸の声色に苛立ちが混じる。円堂は物事に集中すると他のものに目が入らない癖があり、風丸も十分に理解はしていた。けれども少しは後ろの様子は伺って欲しいし、自分はともかく豪炎寺の連れである二階堂もいるのだ。
「まったく……」
一人呟き、心の内で思う。円堂なんか知るか、と――――。
「二階堂監督。進行方向は同じですし、大丈夫ですよ」
「そうだな」
「急ぎも立ち止まりもできませんから、お店でも見ませんか。去年より増えているんで、私も目新しいものが多いんです」
「すまないな、風丸さん。気を遣わせて」
「いいえ」
困ったように頬を掻く二階堂に風丸は首を横に振った。
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