夏祭り
- 豪炎寺side前編 -
訪れた祭の当日。豪炎寺は早めに家を出て病院で寝ている妹・夕香の元へ訪れた。
一年近くの昏睡から目覚めた夕香はまだしばらく入院が必要な身であるが、回復へ向かっており退院もあと少しだと知らされている。
「夕香、起きているか」
「わあ、お姉ちゃん!」
豪炎寺が入ってくると、夕香は読んでいた本を置いて感嘆の声を上げた。
「それ、こないだの浴衣だね!」
サリーより受け取った浴衣を着て見舞いへやってきたのだ。前もって夕香には見せていたので、実際着た姿に妹は羨ましそうな視線を送る。
「良いなぁ〜」
「好評だったら小さいサイズも作るそうだ。夕香が退院したら一緒にお祭へ行こう」
「うんっ」
にっこりと微笑む夕香。
「私はこれからお祭へ行く。夕香のお土産を明日にでも持ってくるよ」
「うん。お姉ちゃんはカントクと会うの?」
「………………え?」
夕香の言う“カントク”は二階堂を指す。彼女の一言に豪炎寺の目は点になり、頬をほんのりと上気させた。
二階堂と行くなど一言も話していないし、ここは稲妻町であり彼の名前が出てくる事が突拍子過ぎる。
「違うの?」
「どうして、二階堂監督となんて思ったんだ?」
「だって、こうするから」
夕香は耳の後ろに髪をかける動作をした。先程、話しながら豪炎寺のした仕種であった。
「お姉ちゃんはカントクの話をする時、よくこうするから」
「……え…………ああ、そうだ」
自分自身でさえ気付かなかった癖に内心驚きながら、豪炎寺は頷く。妹に嘘など吐けない。
「やっぱりそうだ。顔が同じ兄弟の人たちも一緒?」
武方三兄弟の事を言っているのだろう。豪炎寺は首を振るう。
謎に思った。どうして夕香が木戸川の事ばかりを話すのかと。すぐに答えは浮かぶ。
――――夕香の思い出は木戸川で止まっているのだ。
一人時間に取り残された妹に、豪炎寺はかける言葉が見つからない。つい、会話を遮るようにして部屋を出て行こうとした。
「夕香。そろそろ私は」
「ねえお姉ちゃん」
夕香の丸くて澄み切った瞳が豪炎寺を捉える。部屋を出ようとした思考が停止した。
「カントクとキスするの?」
「えっ?」
豪炎寺の顔が火を噴く。
「夕香、一体何を言い出すんだっ」
大胆発言に動揺しながらも嗜める。ふと、夕香が読んでいたらしい本に目が行った。
表紙に長身の若い男性教師と主人公らしい少女が描かれた少女漫画のようだ。どうやら、これの影響をモロに受けたに違いない。
「夕香。漫画を読みすぎると疲れるぞ。それと、そういったものは父さんに話しちゃ駄目だ」
「わかってるよー」
夕香はキャッキャと笑って漫画の続きを読み出す。どっと疲労を感じながらドアノブに手をかけた豪炎寺に、彼女はまた放つ。
「あ、お姉ちゃん」
「なんだ?」
「その髪の毛で行くのは変だよ」
豪炎寺は洗面所で立てられた自分の髪を流して下ろし、病院を後にした。
二階堂と待ち合わせているのは駅前。改札口の横で浴衣を着たそれらしき男性を見つける。歩み寄り、声をかけようとした時、脳裏で夕香の声が再生された。
――――カントクとキスするの?
どくん、と胸が大きく高鳴る。二階堂とは今回が“初デート”のようなもの。つい先日約束した時は期待で破裂しそうな気持ちになった。キスだって当然したいに決まっている。しかし、二人の抱える現実は厳しく、外で浮かれるのは危険な行為だと理解もしている。なのに、頭ではわかっていても逸る気持ちはおさえきれない。
「か、かん、とく」
緊張でどもりながら二階堂の浴衣の裾を引っ張った。
「おお、豪炎寺か」
振り返り、笑いかける二階堂。その顔は普段の木戸川清修監督の中年男性であり、夕香の持っていた漫画の青年とはかけ離れたものであった。たぶん父親の方が年齢は近いだろう。それでも豪炎寺が心から慕い、恋しているのは彼であった。彼の笑顔を見て、強張った気持ちが解れるように豪炎寺は自分を取り戻す。
「二階堂監督、浴衣とてもお似合いです」
「有難う。久しぶりにおろしたんだ。豪炎寺のは稲妻柄なのか、よく似合っている。綺麗だよ」
「は?」
思わず、豪炎寺は聞き返してしまう。二階堂はハッとして慌てるように言い直す。
「いや、可愛いよ。可愛い」
「……は…………はい……」
ぽかんと唇を薄く開き、豪炎寺は小さく頷く。二人の頬は互いに染まっていた。
「では行きましょうか」
「ああ」
歩き出す二人。顔はなんとなく合わせ辛く、豪炎寺は俯く。鼓動ばかりが忙しなく鳴っていた。
どくん、どくん、どくん。一歩進むごとに、内側から鼓動が押してくる。
履物は歩き辛く、浴衣も足が開き辛い。豪炎寺は二階堂に抜かされてしまいそうになった。
「豪炎寺?」
「はい」
呼ばれて、歩調を速める。だが、途中で躓いて転びそうになった。
「大丈夫か」
二階堂の大きな手がそっと身体を支えてくれる。ただ添えられるだけなのに、頼もしくて安心できた。
「歩き慣れないか。気付かなくて悪かった。少し遅く歩くよ」
「い、いえ……」
首を振るう豪炎寺。余計に顔を合わせ辛くなってしまった。
ゆっくり歩きながら、二人は神社前にたどり着く。出店が並び、多くの人々が行き交っていた。
「凄いな、稲妻町は。木戸川とは大違いだ」
「本当ですね」
人の群れの中へ入れば、さらに実感する。
「はぐれないようにしないと」
「っ」
二階堂は呟き、豪炎寺の手を握ろうと伸ばす。豪炎寺の鼓動は跳ね上がり、反射的に引っ込めようとしたが触れる前に二階堂は止める。
「あのな、別に子ども扱いしているんじゃないぞ」
「わかっています……」
確認を取ってから二階堂が手を握り、豪炎寺はそっと握り返す。しっかりと彼の手の感触を確かめたのは初めてのような気がした。二階堂の手は少々かさついており、握り続ければじわじわと温度が伝わってくる。繋がっていると恋焦がれる想いまで伝わってしまいそうで、怖さと恥ずかしさが胸の中に渦巻き、気持ちの置き場所がわからず身体に熱を溜め込んだ。
「豪炎寺」
「はい」
「何か食べるか?」
「そうですね……」
辺りを見回すと、綿菓子が目に入る。
「あれが食べたいです」
「よし、わかった」
手を繋いだまま綿菓子を二つ購入し、食べた。
「綿菓子なんて何年ぶりだろう」
二階堂の呟きに、豪炎寺はくすくすと笑う。
「ん?」
不意に二階堂が豪炎寺と視線を合わせ、瞳を覗き込んできた。
「監督?」
綿菓子の割り箸を咥えて空いた手が豪炎寺の頬に触れる。
豪炎寺は目を丸くして、びくんと身体を震わせた。
「監……督……?」
指が顎をなぞられ、上げられる。
「あ」
豪炎寺の唇から、自分の声ではないような息が漏れた。
「やっぱり」
二階堂の視線は豪炎寺の首筋に注がれる。
「豪炎寺、蚊に刺されてる」
「え」
「ほら、ここ」
指先が首を伝い、肌に薄っすらと浮かぶ小さな脹らみの周りを円で囲う。豪炎寺は目を硬く瞑り、喉をひくんと反応させた。
「痒くないか」
「いいえ……」
眼を開け、息を吐くように呟く。
「掻くんじゃないぞ、傷になる」
「はい」
二階堂の手が離れる。豪炎寺は二階堂の手を解き、刺されているらしい首筋を手で押さえ、眩暈がしそうな感覚に耐える。いきなり触れ慣れない箇所に触れられるのは刺激が強く、人酔いもあってくらくらした。
手をぶらつかせて神社を目指しながら、豪炎寺は夕香の事を語る。
「夕香のお土産になる物を持っていってやりたいんです」
「妹さん、元気なようで良かったよ。何が良いだろうな」
豪炎寺は顔を上げて口元を綻ばせた。やっと目が合わせそうになった、その時である――――。
「豪炎寺っ」
背後から聞き慣れた声がして、振り返れば円堂と風丸がいた。
友人と出会って嬉しく思う中、無意識に風丸の髪を凝視してしまう。彼女の髪は下ろされており、艶やかな髪が縁日の幻想的な光に照らされて不思議な魅力を放っていた。
風丸は浴衣を着るのを嫌がっていたが、とても似合っている。彼女は快活で女らしい。豪炎寺は一人で風丸と比べ、少し落ち込んだ気持ちになった。同じ雷門サッカー部の女子選手で親近感を持っていたが、全く違う。ろくに二階堂と顔を合わせられない自分とは全く違うのだと。
どうにかして気持ちを切り替えたくなった豪炎寺に、円堂が良い提案をしてきた。
この祭へ訪れるのが初めての豪炎寺と二階堂を案内してくれるのだと言う。
「監督、どうしましょう」
「豪炎寺はどうしたい?先生たちは初めてだから知っているお友達に案内してもらったらどうだ」
こういう時、二階堂はいつも豪炎寺の意志を尊重してくれる。その時に向けてくれる笑顔が、豪炎寺はとても愛おしく感じるのだ。
「はい。二人が良ければ、お願いするよ」
「そうこなくっちゃ!」
返事をするなり、円堂が肩を掴んで並んできた。
「豪炎寺はもう何か食べたのか」
「……綿菓子、とか……」
さっそく食べ物の話題を出してくる円堂は、あまりにも彼らしくて自然と喜びが込み上げてくる。
「それだけ?」
「ああ」
「もったいないな、もっと食えよっ」
円堂は何事にも一生懸命な友人だった。口には出さないが、彼の前向きさに何度救われたかわからない。二階堂への想いを突き通せたのも、彼の捻じ曲げない意志が移ったのかもしれない。
そんな事を思いながら、円堂の話に相槌を打っていた。
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