悪事
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『……二階堂…………監督。なに、を。どうして……』
豪炎寺の声は震えてしまっていた。なのに、なのにだ。胸は高鳴っていく。
「そのままじゃ午後の授業が受けられないだろう」
豪炎寺。声を低めて、優しく呼ぶ。
「ほーら。ズボン下ろせって」
『う、く…………』
豪炎寺はゆっくりと音を潜めて空いた手を下へ持っていく。ベルトの金属が音を立てて、顔が羞恥で熱くなる。身体を落ち着かせるように壁に寄りかかり、震え続ける膝に力をこめて立つ。
ベルトを外して、ズボンのホックとチャックを外し、下ろす。下着を少しずらすだけでも、反応してしまった自身が覗かせてきた。羞恥と緊張の中に潜めく期待――――さきほどより、血液を集めて膨張してしまっていた。
『かんとく』
小さな小さな声で“下ろしました”と答える。
「ん。……どうなってる?」
『あの…………………、…………』
報告できずに、息遣いだけがスピーカーから通った。
「濡れてる?」
『……はい』
先端からは蜜が滲み出ている。
「握ってみて」
『はい』
手で包み込む。自分の身体の一部なのに、違う生物のような感覚がした。触れるだけで、秘める興奮が伝わってくる。
「いつもどんな風にするんだ?」
『……………………………』
「おかずは?」
『……………………………』
「まさか俺とか」
『……………………ふ……』
息遣いが変化したように聞こえた。
まさかの可能性に、二階堂は携帯を持つ手に汗が滲む。
澄ました顔の豪炎寺が、自分の前では愛らしい顔もしてくれる豪炎寺が、まさか。情事も交わしているのだから可能性はあるにはあったが抜け落ちていた。自分で欲情してくれるのは彼が好きなので嬉しいは嬉しいが、隠れてされるのは恥ずかしい。
「ええと、豪炎寺……」
『……ごめんなさい……。木戸川の先輩が落とした監督のシャワー室の盗み撮り…………転校してからもずっと使ってました…………』
鼻声で白状する豪炎寺。聴きたくない内容もあり、耳を塞ぎたくなった。
『盗み読みした父の本より……いけない感じがして…………いけない気持ちにもなって……』
「あー……写真を落とした先輩って誰だか覚えているか」
『……知りません…………たぶん、監督の肉付きについて熱心に研究していた方たちかと…………。どこの筋肉を育てればいいかだとか、話していました……』
「ああ……そう……」
目元を手で覆い、気を取り直す二階堂。
『かんとく、ごめんなさい……』
「いいよ。豪炎寺、いつもする時みたいにしてみてくれないか」
『無理です……できま、せん…………』
電話越しに首を振るう豪炎寺。恥ずかしすぎてべそをかいてしまっていた。
「無理なもんか。できるよ。してごらん」
『二階堂監督……』
「俺の前でしている事、思い出して。豪炎寺、出来るよな?」
湧き上がる情欲が耐え切れなくなり、豪炎寺は自身を包んだ手を上下させて擦り上げる。
じゅ、くちゅ、と淫らな水音が鳴り、息を乱して腰が動く。
『……あっ………はぁ………はぁ………っ、………ふぅ……っ……うぅ…………』
「もっと聞かせてくれよ、豪炎寺」
豪炎寺はもっと聞こえるように携帯を持ち直す。曇りそうな熱い息、濡れた声を二階堂に聴かせる。
二階堂の息も荒くなっていた。性欲が若い身体のせいか押さえ込めず、自身を取り出して豪炎寺と一緒に自慰を施す。
『かんとく、かんとくっ……』
はぁ、はぁ、と飢えた獣のような息をして、豪炎寺は二階堂に呼びかける。
「豪炎寺?俺を、使っていいよ。好きにしてごらん」
『……………………っ…………!』
二階堂の言葉に、秘薬の効果が過った。
――――飲ませた人を思い通りにできる。
豪炎寺の脳裏に、二階堂を思い通りにする妄想が走り出した。
抵抗できなくなるように抑え込み。
包み込んで愛撫する。
いつも二階堂がしてくれているように。
いつも二階堂が気持ち良くしてくれているように。
「豪炎寺、俺のどこを触りたい?」
豪炎寺の妄想に二階堂が拍車をかけてくる。
『抱き締め、たいです…………』
「じゃあキスをしてあげるよ」
『たくさん、しても良いですか』
「ああ、いいよ。豪炎寺なら、どこでも触らせてやるから」
『ほんと、ですか?舐めても、いいですか?』
「ああ。豪炎寺がしたい事、いっぱいすればいいさ」
『吸っても、怒りませんか』
「スケベな奴だなあ。しょうがない、ちょっとの悪い事でも許してやるよ」
『じ、じゃあ…………かんとく…………』
ごくん。豪炎寺は口内に溜まった唾液を飲み込む。
『二階堂監督を、抱かせてください』
「…………え……?」
『嫌、ですか』
「え…………ええ……と……」
二階堂は動揺した。別に約束をした訳でもないのに、自分が抱く側だと思い込んでいた。豪炎寺に抱かれるなんて、想像もしていなかった。
抱く側という決め付けは、恐らく二階堂が大人で監督だったからだ。豪炎寺の負担を守る役割だったからだ。男女ではない、男同士だ。どっちがどうという身体の仕組みにはなっていない。二階堂も男、豪炎寺も男、抱きも抱かれもできる。
今の二階堂は子供で役割から脱した存在。その開放感からか、つい調子に乗って豪炎寺に羞恥を与えるゲームをさせている。自身の感覚も、現実味のないものだった。
けれども豪炎寺の一言で、二階堂は現実を知る。同じ存在として、世間の縛りを取り払って豪炎寺に向き合えるのだと。刹那、怖いと思ってしまった。年齢で積み重ねたものを壊して彼に本当の自分を見せるようなものだからだ。残るものはあるにはあるが、何が残るのか。自信が揺らぐのだ。
「豪炎寺…………」
返答に詰まった。豪炎寺の事は嫌じゃないのに、寧ろ好きなのに。好きだからこそ臆病になった。
『変な事、言いましたか』
「違う。違う…………。そう、か。豪炎寺…………」
『……………………………』
「わかった。いいよ。俺を抱きたきゃ抱け」
言ってしまった。弱い心を押し込めて、見栄で言ってしまった。
『いい……ん……、ですか?』
「俺だってお前を抱いているんだ。お前が抱いちゃ駄目なんて決まりはない」
『監督……っ』
つい止まってしまった手を豪炎寺は再び動かす。
二階堂を抱く。二階堂の返事によって解放されたのか、妄想が膨れ上がった。
『二階堂、監督…………あ、ふぁ、………はぁ………ああっ…………!』
豪炎寺が二階堂を抱く想像をしている。耳元で聞く豪炎寺の喘ぎに、二階堂はあまりの羞恥に俯いてしまっていた。盛りのついた中学生の性への憧れは凄まじい。彼の頭の中でどんな目に遭っているのか。二階堂は便座に両足を乗せて、身体を丸める。昂った性器は敏感で、そろそろはじけてしまいそうだった。
「んんっ…………」
豪炎寺より先に処理をして、白濁の液をトイレットペーパーで拭う。その最中に、豪炎寺が果てたような声を上げた。
『はぁ…………はぁ……』
「気持ち良さそうだな、豪炎寺」
『はい……』
「いっぱい出たか?」
『は、い…………』
「そっか。そろそろ切らなきゃな」
『二階堂監督。学校、終わったらすぐに行きますね』
「気をつけてな」
電話を終えて、二階堂は衣服を整えながらトイレの個室を出た。
鞄を横に置いて手を洗っていると、人の気配がする。サラリーマンらしきスーツの中年男が入ってきた。
「ん?」
男は二階堂をじろじろ眺め、いかにも聞こえるような音量で呻き顔をしかめる。
「君、こんな時間にこんな所でなにをしているんだい」
「……………………………」
二階堂は聞こえなかった振りをして、横を通ってトイレを出ようとする。
「どこ行くんだ」
腕を掴んで引き寄せた。強い力に、二階堂は簡単に捕まる。
「学校はどうしたんだい?」
押さえた腕を下に向け、もう一方の腕が首を後ろから押さえつけた。声が出せない。
押さえ込まれる中で、二階堂は自分の衣服を引っ張り、木戸川の文字が見えないように隠した。
「ん?」
顔を前に出し、二階堂を覗き込んでくる。ユニフォームの隙間から見える焼けた素肌が、いかにも少年臭く男には映った。しかし放つ雰囲気は落ち着いており、独特のものを抱く。
そう、一見どこにでもいるような少年なのに、やけに目に付いて仕方が無いのだ。雰囲気に流されるように、男に魔が差す。
「学校、サボったのかい?いけない子だな」
「……………………………」
「なにか言いなよ。本当にいけない子なのかな。じゃあおじさんといけない事しようか」
足を引っ掛け、腕を開放させて前へ押す。二階堂は床に倒れて起き上がろうとする所を、男は仰向けにさせて組み敷いてきた。
「いい加減にしろよ、おっさん!」
二階堂が力ずくで腕を振り解き、男の頬に張り手を浴びせる。しかし、すぐさま返されて、二階堂の方頬は赤く染まった。爪があたったのか、赤い筋から血が滲んだ。
「口が悪いね」
大きい手で口を塞がれ、片足を抱えられて足の付け根を触ってくる。
「んっ!…………んんっ!!………うー!」
二階堂は暴れ、両手で男の手を剥がそうとした。なのにびくともしない。
引っ掻こうとすれば、さすがに痛がり、力が弱まる。
「ふぅ…………っ………はぁ………!」
息を取り込む二階堂だが、男が首を捉えて頭を持ち上げて床に打ちつけた。
「……あ………………」
ぐらりと歪む視界。ぐったりと二階堂は力を失い、薄く開かれた唇が笛のような音を漏らす。
「や……めろ、…………や………め」
朦朧とする意識の中で、うわ言のように拒絶した。
男の性的な視線に反射的に目をそらし、上着を捲し上げられてビリ、とどこかが破ける音がする。
両足を閉じさせられ、膝裏を上げられてハーフパンツと下着を脱がされた。その素足の隙間に、男は取り出した性器を挟み込み、擦りだす。
「……ひ……」
肉棒の感触に腰が浮き、身震いした。だが頭に血が昇る感覚に、意識が蘇ってくる。
「…………この……!」
片足を大きく上げ、思い切り男の頭の横へ蹴りを当てた。
激しい一撃は、一瞬火を吹いたように男をノックダウンさせる。
「まったく……生徒に注意を呼びかけなきゃならんな……」
個室を出る前に整えた衣服をまた整え、二階堂はやっとトイレを出た。電話で警察に変質者がいると連絡をしてから、鞄で敗れたユニフォームを伏せながら替えの衣服を購入する。頬の傷は簡単に水で流すだけで済ませた。
「早く戻りたい……」
一人呟けば、遠くから木戸川のチャイムが鳴る。
放課後の練習は衣服の異なる二階堂を不審に思う者もいたが、笑って誤魔化した。
空が夕焼けに染まる頃に終えて、帰ろうと駅に行けば豪炎寺が立っており、軽く会釈をする。
「豪炎寺。早いな」
「放課後の練習は休みましたので。学校は、休んでませんよ」
「そうか……」
豪炎寺の姿を見て、二階堂は胸がどこか安堵するように軽くなった。
「夕食の買い物、付き合ってくれるか」
「はい。喜んで」
二階堂が豪炎寺の元へ歩み寄る。すると引き寄せられるように二人は手を繋いだ。
どき。微弱な電流が走って二人ははじかれたように顔を上げて見詰め合う。夕焼けの明かりが顔を染めたように映し出して、気恥ずかしさから本当に頬が上気した。
「この時間は人通りが多いし、離れないようにしないと」
「はい」
手を離すが、ぴったりとくっついて歩き出す。
豪炎寺は二階堂の衣服と、朝の時点ではなかった頬の擦り傷が気になって仕方が無い。けれども言い出すタイミングが読めず、眺めるだけであった。
「豪炎寺」
「はい?」
「豪炎寺は、早く大人になりたいか」
「わかりません……」
「俺、早く戻りたいよ」
「え」
流れるように吐かれた二階堂の言葉に、豪炎寺は一瞬聞き逃しそうになる。
「俺のせいで、すみません」
「いやっ…………そういうんじゃなくて。そういうんじゃないんだ」
ぱたぱたと二階堂は手を振った。
――――二階堂監督になにかあったんだろうか。
昼の様子とは異なる二階堂に、豪炎寺の心配は募った。
――――聞いたら、答えてくれるだろうか。
二階堂と豪炎寺は監督と生徒だったから、豪炎寺が悩みを打ち明ける側であった。けれども今は違うのに、二階堂の悩みを自分が受け止めきれるか。自信がない。
せっかく二人で買い物をするのに、気分は上がらない。
半分ずつに分けた買い物袋の重さは平等なのに、それだけでは駄目なんだと思い知らされた。
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