耳元で、音がした。
 水をはじくような音を。短く、高く、鼓膜をくすぐる。



俺にもちょーだい!
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「かんとく」
 豪炎寺が目を閉じ、唇を二階堂の頬に寄せた。
 ちゅ。耳元で、音がする。
「かんとく……」
 豪炎寺の瞳はとろんと熱を秘め、頬を上気させている。
 鼻と口からは“はっ、はっ……”という熱い息を吸っては吐いていた。
「二階堂監督」
 ちゅ、ちゅ。豪炎寺は二階堂の顔中を口付けで愛撫を施す。
「ごうえんじ」
 二階堂は豪炎寺の名前を呼んでから、彼の頬を撫でる。
「ごうえんじ」
 手は首筋を伝い、肩を撫でて腕を摩った。


 二人が戯れを行う、すぐ傍のテーブルでは冷め切った料理が置かれている。
 向かい合う椅子では二階堂の膝に豪炎寺が乗り、愛撫に夢中になっている。
 食事が、空腹という欲求が入ってこない。
 二人の目には相手の姿しか映っていない。心の奥底から、好きという気持ちが止め処なく溢れている。
 今夜は、抑えきれない。素直な愛情を真っ直ぐに示している。
 原因は真人の持ち込んだ例のタレであり、注意していた二人はどこかへ飛んで行ってしまったかのように効能に溺れていた。


「豪炎寺。ご飯は食べないのか?」
 薄れていく理性の糸を紡ぎながら、二階堂は豪炎寺に問いかける。
「もう食べました」
 豪炎寺は二階堂の首元に腕を回し、ぎゅうと抱き締めた。傾きかけた椅子の足がカタンと音を立て、二階堂は一瞬肝を冷やす。
「こら豪炎寺。危ないだろう」
「ごめんなさい」
 腕を放し、じっと二階堂を見上げて詫びる豪炎寺を二階堂は頭を撫でてやる。
 今夜の豪炎寺は素直で甘え上手――――そして欲望に忠実だ。
 そして二階堂もまた、豪炎寺が愛おしくて愛おしくてたまらない。
 二人の想いが通じ合っているのを強く感じていた。
 元から二人は想い合う仲であり、両想いだ。愛だけではなく恋愛感情を持ち、通じ合うのならその先がある。即ち、性交だ。
 けれども監督と生徒という立場であり、豪炎寺がまだ年若い子供となれば、二階堂の理性が決して許さない禁忌の行為。豪炎寺も気持ちを抑えて受け止めている。
 だがしかし――――。今夜の二人の理性は乱されている。
 セックスがしたい、という欲求が頭から離れてくれはしない。
 抑制の術を知らない豪炎寺の下肢は正直にテントを張ってしまっている。本人は愛撫に夢中で昂りに気付いていないのが幸いであった。けれどもそれも時間の問題であり、豪炎寺は中心が窮屈なのを悟ってしまう。
「……っ!」
 豪炎寺は股を閉じ、急にぎこちなくなる。二階堂は察しながらも知らない素振りをした。
 そして、わざと羞恥を煽る行動を取る。
「豪炎寺」
 膝を撫でながら、もう片方の手で顎を捉え、瞼に口付けを落とす。豪炎寺が敏感に反応し、瞼の震えを味わう。
 膝の次は太ももを撫でる。豪炎寺がもどかしそうに腰を動かす。視線は俯きっぱなしだ。中心の熱を沈めさせようとしている。
「……可愛いな」
 つい、本音が零れてしまう。
「へ?」
 下を向いていた豪炎寺ははじかれたように顔を上げ、目をぱちくりさせる。二階堂は己の口を手で塞ぐ。
 可愛い――――。こんな肝心な時に口にするのは二階堂にとっては恥ずかしく、豪炎寺には嬉しくはない事この上ない言葉。二階堂は失言だと詫びる。
「すまん」
「……………そっ……」
「ん?」
 言いかけた言葉を噤む豪炎寺に、二階堂は問いかけた。
「どうした?」
「そ、そういうとこ、…………いい……です」
「は?」
「かわいい、です。かんとくも」
「……………………………」
「……………………………」
 恥じらいながら見詰め合う二人は顔を赤くしている。


「……………………………」
「……………………………」
 もう抑えきれない。
 二人はたがを外すかのように、豪炎寺が二階堂に向き合って肩に手を置けば二階堂が腰を抱いた。
 先ほどの緩やかな愛撫とは変わり、深く長い口付けを何度も角度を変えて繰り返す。
「……っ……ふぅ………」
「………は………っ……」
 想いを剥き出しにして唇を求めれば、歯がぶつかる。
 二階堂が豪炎寺にねっとりと舌を絡めてくれば、豪炎寺も真似して舌で二階堂の歯列をなぞりだす。
「あ…………」
 豪炎寺の唇の横から、水のようにとろりと唾液が流れる。二階堂が舌で掬ってやり首に手を回せば、かくんと頭がもたれてきた。頭の中が快感と幸福に満たされていき、ぼんやりとして二階堂に身を任せていく。
「…………ふぁ………」
 首筋を舌先でなぞれば、薄く開いた唇の隙間から、鼻の抜けたような、なんとも心地良さそうな音を漏らす。
「…………ん、……ぅ……」
 そこから、ひくんと震えて愛撫の刺激に耐えようとぎゅうと身体が強張り、またふにゃりと身体の力が抜けた。
「かん、とく」
 体勢を整え、二階堂の衣服の胸を掴み、彼の名を呼んで求める。
 甘えと、媚びと、欲情を込めた音で、二階堂を求める。
 豪炎寺のこんな声を聞いたのは初めてだった。本人も出すのは初めてなのだろう。
 二階堂は掴まれた手をやんやりと解かせ、包むように握り、視線の高さを合わせてじっと見詰めて想いに応えた。引き寄せられるように顔を近付けていく二人に、突如"それ"は割り込んだ。


 ブルルルルルルル……!


 携帯の震える音が、雰囲気をぶち壊す。音の発信源は豪炎寺の鞄の中だ。
「す……すみませんっ」
 豪炎寺は二階堂から離れ、携帯を取り出しに向かう。手持ち無沙汰になった二階堂は食事の後片付けを始めた。
 ――――監督との時間を邪魔するのは一体誰なんだ。
 苦々しい気持ちで携帯を開いてみてみれば、真人からの電話であり、豪炎寺は心底うんざりした。狙ってか、天然なのか、彼はいつもいつも二階堂との甘い時間を破壊して乗っ取ろうとまでしてくるのだ。
「………………はい……?」
 不機嫌極まりない声で受ける。
『お!修也、ひょっとして寝てた?』
「……いいや……」
『お前も、二階堂選手も具合はどうだ?』
 具合は良すぎなくらいである。
「大丈夫だ」
『そっか、良かった。俺も落ち着いてきたよ』
 豪炎寺もホッとした。
『……今日は悪かったな。二階堂選手にも迷惑かけたし』
「監督は怒ってないから、気にするな」
『随分とはっきり言うんだな』
「……え?」
 真人の反応に、どきりと……いや、ぎくりに近い動揺を覚える。
『修也は二階堂選手と本当に仲が良いんだなぁ』
「……………………………」
 口元が緩む。にやけるとでもいうのか、優越感が頬の筋肉を和らげる。
『俺も元プロに教えてもらいたかった』
「今からでも遅くないんじゃないか?」
『ちぇっ、なんだよそれ。ま、いいや。せいぜい仲良くしてれば?』
 真人の声に不機嫌な色が混じった。けれども豪炎寺は優越感が心地良く、なぐさめる気持ちにはならなかった。
「真人もゆっくり休め。お休み」
『ああ、お休み』
 ぷつっ。電話が切れた。
 携帯をしまっていると、洗い物を終えた二階堂がやってくる。
「電話、終わったのか?」
「はい。真人からでした」
「真人くん、具合はどんな感じだったか?」
「真人も俺たちを心配していました。大丈夫そうでしたよ」
 二階堂が安堵の笑みを浮かべれば、豪炎寺も笑みを返す。
「豪炎寺。片付けも終わったし、風呂も沸いてる。入るか?」
「…………………っ………」
 返事をしかけた所で、己の言葉が蘇る。
 ――――お風呂も、眠るのも、二人一緒ですよ。
「……はい」
 遅れて、こくんと頷く。
 すると、二階堂が手を差し伸べてきた。どうやら二階堂も豪炎寺との約束は忘れていないよう。
 豪炎寺は胸を高鳴らせながら二階堂の手を握った。
 一緒に風呂だなんて、木戸川在学中の部室に設置されたシャワーを思い出す。二階堂も髪を洗いに来た事もあり、当時から意識はしていたものの覗き込むような真似は断じてしていない。
 今の二人にとっての裸の付き合いは、汗を流して爽やかになる行為ではない。あの時とは、全く違うのだ。楽しみに心踊る中に、緊張の風が胸を吹き抜け、怖さの影を落とす。






 一方その頃。真人は今夜の寝床である豪炎寺の部屋のベッドで、つまらなそうに寝返りを打っていた。
 タレの効能が薄れてくれば、余裕も出来てきて、余裕が過ぎれば退屈になってくる。
 電話越しの豪炎寺がとても楽しそうで、尚更自分の状況が暇で暇で仕方なくなってきた。
「お、そうだ」
 上半身を起こし、鞄を持ち上げてベッドに乗せる。
「これこれ……と」
 取り出したのは尾刈斗より受け取った“あやつり人形キット”。袋の中にはパーツの他に、車で拾った豪炎寺の髪の毛が入っている。
「これで遊んじゃお!」
 ひひ。悪戯っ子の顔を覗かせた。
 付属の取り扱い説明書を読みながら、豪炎寺の髪を指で摘み、腹で擦る。
「ん?」
 なぜか違和感がして、凝視した。どうも質感が豪炎寺のものとは異なる感じがする。しかし豪炎寺の髪の特徴など詳しく知るはずもなく、気のせいだと思い直した。
 真人はわからなかったのだ。拾った髪が豪炎寺のものではなく、二階堂の白髪などと。ほんのりと先が青付いている事など気付きもしなかった。






 真人の企みなど露知らず、二階堂と豪炎寺は脱衣所で衣服を脱いでいた。部屋は狭く、男二人では窮屈で自然と寄り添う形となってしまう。
 二階堂が上着を捲し上げ、腹筋を露にさせる頃、豪炎寺はまだ上着のボタンをのろのろと外していた。
 先に裸になった二階堂はタオルで軽く性器を隠し、豪炎寺に"先に入っているよ"と告げて浴室へ行ってしまう。脱衣所で一人きりになり、部屋が少し広くなると豪炎寺の着替えるペースが速くなった。
 けれどもズボンに手をかけると、また動きは遅くなる。
「……………………………」
 ゆっくりと、ゆっくりとズボンを下ろせば、下着が覗く。下着には性器のあたる箇所に染みが出来てしまっていた。食後の愛撫で昂り、汚してしまったのだ。下着をも下ろし、性器が現れれば、それはまだしっとりと濡れている。
 豪炎寺は見えないように腰にタオルを巻いて隠した。
 そして浴室に入れば、既に湯船に浸かっている二階堂が微笑む。
「よお」
 豪炎寺は手早く湯で軽く身体を流してから、湯船に入ろうと足を跨ぐ。隠す場所が見えないように、タオルの上から手を添えた。










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