水の匂い
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 豪炎寺はベッドに倒れこみ、咄嗟でシーツを掴んでいた。
 白いシーツに差す自分の影の上から、大きな影が重なってくる。
 うつ伏せの体勢から、二階堂が身を乗り出してきたのだ。
 ベッドが鈍く軋み、豪炎寺の肩を二階堂は掴んで仰向けにさせる。向き合う二人の身体――二階堂は豪炎寺をじっと見下ろしていた。
 ――愛おしい二階堂に組み敷かれている。豪炎寺の顔に熱が灯る。心臓もずっと忙しない。
 だが、どこか恐怖を抱いている。不安か緊張のせいかもしれないと思いたいが、どうも違う。
 二階堂は何も言わずに豪炎寺をベッドに倒し、見下ろす顔に表情がない。いつも何かある時は必ず声をかけてくれ、笑いかけてくれる二階堂が豪炎寺の中の二階堂だった。目の前の二階堂は別人過ぎる。
「……監督?」
 呟くように、豪炎寺が呼びかける。二階堂の瞼が瞬くように反応した。
「二階堂監督」
 今度はもう少し、はっきりと呼ぶ。そうして、ぎこちなくも微笑んで見せた。
「……………………………」
 二階堂は沈黙のまま手を伸ばし、豪炎寺の口を塞いだ。
「……?」
 目を丸くさせ、瞬きをさせる豪炎寺。もう片方の手が、胸を掴むようにしてワイシャツのボタンを外しだした。
「…………っ……?……っ……?………」
 何がなんだかわからない。手の感触で下肢へと下りていくのを感じていた。
 ボタンが全てはずされ、ジャージのズボンのゴムに手が掛かった時、豪炎寺は抵抗を見せる。
「……!……っ…………」
 身を捩じらせ、口を塞ぐ手を剥がした。
「…………っ、監督……、何を………!」
 手が今度は手首を捉え、シーツへ押し付ける。走る短い痛みに声を上げた。
「……痛っ…………」
 ボタンの外されたシャツを暴かれ、裸の胸が露になる。ペンダントのチェーンが首元から流れ、飾りがシーツに落ちる。捉えられた手が豪炎寺の意思関係なくぶるぶると震えた。
「二階堂監督……お願いです……何か、言ってください」
 発する声も震えていた。豪炎寺の表情は完全に怯えてしまっている。
 こんなに恐怖するのはベッドに倒され、捉えられて脱がされようとしているからじゃない。相手が二階堂だから、こんなにも恐ろしく、悲しく、信じられないのだ。
「二階堂監督っ」
 訴える豪炎寺に、二階堂は顔をしかめ、一言放つ。
「言えない」
「どういう意味ですか。ひょっとして……俺が制服で来たこと、怒っているんですか」
 豪炎寺のあまりにも的外れな言葉に、二階堂は“え”と呟きを漏らすが雨音に消える。
「だから……足を引っ掛けたり……こんな意地悪をするんですか。そう、なんですよね……監督……。そうじゃなきゃ……監督がこんな意地悪、しませんよね……」
 心底申し訳無さそうに、豪炎寺は目を閉じ、開いた。
「申し訳ありません。俺が悪かったです。赦してください。もう二度としません……。謝りますから監督……そんな顔、しないでください……お願いします……」
「豪炎寺」
 呼ばれて、豪炎寺の瞳が二階堂の瞳に合わせようとしてくる。
 微笑みかけてくれるのを期待して、じっと伺う。


「豪炎寺にとって、俺はなんだ」
 問われて、豪炎寺は嬉々として答える。
「はい。二階堂監督は俺にとって大事な監督です。転校しても、離れてもです。尊敬しています。憧れています。愛しています」
 すらすらと、迷いなく述べて見せた。
「違うな」
「え」
 二階堂の一言に豪炎寺は呆気に取られる。たった一言なのに、随分と冷たく返されたものだ。
「お前は大きな間違いをしている」
「間違え、ですか?」
「監督はこんな真似しないだろう。俺は、お前の思っているような理想の監督じゃあない」
「ですが」
 反論しようとする豪炎寺だが、二階堂は遮って続けた。
「監督というものは生徒を平等に扱うんだ。お前を個人的に愛しちゃいけないんだ」
「ですが監督。監督は、俺のこと好きって言ってくれたじゃないですか」
 豪炎寺の声が鼻声に変わる。
「ああ、言った。俺は監督失格だ。俺は、俺は豪炎寺に監督だなんて呼ばれる資格はない」
「ですが、監督……二階堂……監督……。俺、あの、俺は、ごめんなさい、俺は」
 豪炎寺は混乱した。二階堂の言う意味はわかるのに、返す言葉が見つからない。
 豪炎寺は二階堂に“特別”を求めるのに、平等である存在“監督”を同時に求めた。それが二階堂をジレンマへ叩き落したに違いない。彼は豪炎寺に監督と呼ばれるのが苦痛なのだろう。
 けれども豪炎寺にとって、二階堂は監督であった。その他を知らない。二階堂個人に向かい合いたいと思うが、思うだけで終わってしまう。
「豪炎寺」
 二階堂の瞳が豪炎寺の露になった裸の胸を眺めだす。
 彼の言う通り、監督が生徒に向けるはずもない視線。性を対象にした、いやらしい視線だった。
 あからさまに注がれ、豪炎寺は思わず顔を背ける。男の胸など部室では着替える時に散々同性に見せているというのに、恥ずかしくてたまらない。
「俺は、監督なんかじゃない。子供のお前にはわからないだろうが。大人の男は汚いんだ」
 手首を捉えているのとは別の手が、豪炎寺の胸を撫で、あばらをなぞって腹に指を這わせる。
「ん、く……」
 硬く紡いだ口の中で喉を鳴らし、鼻で呼吸をする豪炎寺。
「っふ」
 また手が上がり、胸が上下した。
「監督。やめてください」
 口調をはっきりさせて放つのに、喉はひくひく緊張で震えている。
「監督は、そんな人じゃない」
「豪炎寺。お前はわかっているのか」
 突起を指で挟み、きゅうと摘まむ。びくん、と身体が反応した。
「お前は俺に倒されて、脱がされて、弄られているんだぞ。お前は、汚されてるんだ」
「違う、違い…………ます」
「強情が過ぎるぞ。いい加減にしろ」
 二階堂の声が大きくなる。彼はとうとう腹を立てだしたのだ。
 手首を開放させ、次に顎を捉えて顔を向けさせる。二階堂の苛立つ表情に、豪炎寺は強張らせるものの、負けまいと平静を保とうとした。
「本当に、酷い事するぞ」
 絞り、掠れた、呻きのような低い声で放つ。
「……監督。教えてください」
「……………………………」
「監督は、俺のこと、どう思ってますか」
 大きく息を吸い、ひ、と音を鳴らす。言葉の合間に、漏らす不自然な音。
 彼の目元に涙が溜まっていたのを二階堂はやっと気付く。
「監督……」
 二階堂がこんな状況で“監督”と呼ばれたくは無いのはわかっている。
 だが、豪炎寺には“監督”と呼び続けるしか出来ないのだ。
「答えたくない」
「…………――っ………!」
 豪炎寺の目が見開かれ、大粒の涙が零れだした。堪えに堪えた涙はとうとう崩壊した。
 彼の中で、何か大きなものが崩れたのだ――――。
 二階堂が辛そうに顔を歪めるも、涙で滲んで豪炎寺には見えなかった。


「あ!」
 豪炎寺の涙から目を背けるように、二階堂が圧し掛かるように彼の首筋に噛みつく。
 まず軽く歯を立てて固定させ、舌で舐め上げる。次に耳を小さく傷めるように何度も噛む。
 豪炎寺が大きく息を取り込んだのを見計らい、口を手で塞いで押さえ込んだ。
「ん………っ…………んうっ…………ん……!」
 舌を耳の溝に這わせ、十分に濡らしたら熱い息を吹きかけた。
「………ふぅ、…………!うあ………あ………!」
 痛みから甘すぎる息吹に、豪炎寺は眩暈する。理性が流され、一度溢れ出した涙が止められない。
 心は悲しみで潰され、恐怖に満ちているのに、二階堂の熱に身体だけは敏感に反応してしまう。しかもこのような行為は未経験の豪炎寺には刺激が強すぎる。思考と判断力が崩されていく。
 押さえた指が滑り、口の中に入り込む。豪炎寺の口内は唾液が溜まっており、水音を立て、発する声も濡れてきている。
 二階堂は顔を上げ、豪炎寺と向き合い、口の中へさらに指を入り込ませた。表情を硬くして、淡々と口内を犯しだす。
「…………む、……ん…………っ、……ふ、………」
 頬を濡らし、瞳を潤ませて豪炎寺は訴えるように二階堂から視線は外さなかった。
 鼻の抜けたような声で鳴き、指から逃げようと赤い舌を覗かせていた。口の端からは水のように唾液が流れてしまっている。
「ん、…………とく……………」
 二階堂の名を呼んだらしく、また新たな涙を零した。
「は」
 指を抜き、手を胸に這わせて、顔を埋めて突起を口に含む二階堂。包み込む口内の熱と唾液の滑り。突起という目立つ卑猥な場所に集中された。
「……監督っ……!……や……めてください……!」
 豪炎寺が引き剥がそうと二階堂の頭を掴もうとする。しかし、突起を甘く吸われてから噛まれてしまうと、豪炎寺自身が信じられないような声で鳴いてしまう。
「……ひ、……っ………ひぃっ………!」
 もう片方も指の腹でこりこりと刺激を受けていた。
「い、いやです、……いやです、監督……」
 豪炎寺は頭を振るい、拒否する。思考が追いつかない中、否定だけが信号を発している。
 自分の中で、得体の知れない生き物がどろどろと這いずり回り、理性を掻き乱していくようだった。理性を乱され、快楽に身を任せようとしてしまう。色に呑まれた、はしたない獣へと変えようとしている。
 豪炎寺自身、普段意思がはっきりしている性格だけに、自己嫌悪感は並々ならぬものがあった。
「お願いです……っ……、いや、です。………こんなの……いけません………!」
 突起は刺激を受け続けて勃ち上がってしまう。男の薄くも筋肉のある胸につんと強調した突起は、哀れなほど淫猥だった。
 弄ぶように両の突起を指ではじかれ、身体が跳ね上がりそうになる。
「……ひ……っ!」
 身体が敏感になってしまっているのを豪炎寺は悟っていた。その一番の中心を二階堂は身を起こして暴こうとズボンに手をかけて下ろす。
 下着越しに豪炎寺自身はそそり立って主張してしまっている。先端の方は染みまで作ってしまっていた。
 散々嫌だと訴えていたのに、この始末。生理的現象に豪炎寺は情けなくなった。もう全てが嫌になる。
「豪炎寺。嫌じゃなかったのか」
 ギンギンに血液を集めた豪炎寺自身を、二階堂は指で軽く突く。染みがじわりと広がったような気がした。
「……もう……」
 豪炎寺は膝を立てて、かたかたと鳴らす。
「もう………………赦して…………ください…………。もう……たくさん……です」
 自身を手で隠し、ふるふると首を振った。
「……俺の気持ちを、これ以上…………からかわないでくだ……」
 言い終える前に二階堂の手が乱暴に豪炎寺の手を払い、下着を下ろして自身を取り出す。
「―――――――っ――!!」
 強引に自身を握りこみ、素早く上下させた。もはや限界だった豪炎寺はあっという間に果ててしまう。
 精は勢いよくはじけ、二階堂の頬にまで付着した。自身から流れる白濁の精は双丘まで伝い、シーツを汚す。
 豪炎寺は呆然として、身体は人形のように力を失う。こんな醜態を晒し、全てが終わったと思い込んでいた。今度は二階堂の欲望を果たす番だというのが、思考に入ってくるはずもない。










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