疑惑
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 雷門と木戸川清修の練習試合は、木戸川清修の学校で行われる。
 二階堂が学校のグラウンドへ入ると既に来ていた木戸川の部員たちが声をかけてきた。
「ちーっす監督、遅いじゃん」
「遅刻はしていないだろう?」
 部員たちの視線はベンチに注がれ、準備をしていたらしい副監督の教育実習生が顔を上げて挨拶をする。ジャージにタイムウォッチを首に下げて長い髪を小さくまとめ、随分と気合が入っていた。
「二階堂先生、おはようございます」
「おはようございます。早いですね」
「監督が遅いだけっしょ」
 すかさず口を挟む部員に逆手で突っ込み、二階堂は副監督の元へ歩み寄った。
「今日の対戦相手はフットボールフロンティア優勝校でエイリア事件を解決させた雷門中ですからね、気合を入れてかからないと」
 副監督は意気込みに頬を染めてはきはきと言う。
「確か、元木戸川の生徒がいたんですよね……?」
「ああ豪炎寺の事ですか。彼はウチにいた時も雷門に行った時もエースストライカーを続けていますからね、大したものですよ」
「あの豪炎寺くんがですか。どういう子なんですか?」
「えー……と、真面目な子ですかね」
 二階堂が豪炎寺を思うと、朝に見せた不機嫌な顔が浮かんだ。
「試合が終わったら彼と話をしてみたいんですが、二階堂先生お願いできますか?」
 当然の興味だが、二階堂は昨夜の出来事より煮え切らない返事をしてしまう。
「ええ、いちおう聞いてみますね……。たぶん大丈夫かと思いますが……」
 態度を見透かされたのか、すぐに部員たちが反論してくる。彼らはすっかり副監督にメロメロであった。木戸川に女子マネージャーがいないせいというのもある。
「いちおうってなんなんですか!」
「監督より俺たちが頼んであげますよ、副監督」
「はは、頼もしいなお前たち。その調子で試合も頼むぞ」
 からからと笑いながら、二階堂は部員たちの肩を叩く。
 グラウンドを見回すと、雷門の生徒も数人来ていたが豪炎寺の姿は見えない。家は早めに出ても、遠回りや寄り道をしてここへ来るつもりなのだろう。
 二階堂の予想は当たり、集合時間間近になって豪炎寺はやって来た。
 むすっと愛想の良くない顔で、二階堂と一瞬目が合うがそらしてくる。
 ――――豪炎寺。本当にお前はどうしちゃったんだ?
 二階堂は豪炎寺を心配する事しかできなかった。
「………………………………」
 二階堂から目をそらした豪炎寺は、そっと彼の傍にいる副監督に目をやる。
 確かに二階堂が行った通り、若い女性だった。
 ――――若くて可愛い女教師だぞ〜。
 二階堂の声が脳裏で響き、首をぶるぶると振った。
 ――――可愛くなんかないっ!それに、俺の方が若いし。
 ムッと唇を尖らせ、つんと顔を再びそむけた。
 意味のない比較をするが、優越感などない、寧ろ劣等感に凹んでしまう。
 豪炎寺は副監督に比べて若いは若いがまだ子供で、男である。恋愛沙汰になれば女性にはどうしても敵わない。二階堂の布団で香った香水をつけても、ちっとも効果はない。
 ――――サッカーなら、勝てるのに。
「はぁ」
 溜め息を吐いて鞄をベンチに置く。
 試合がもうすぐ始まるのに、頭は二階堂の事ばかりでいっぱいだった。
 二階堂は対戦相手の監督だというのに豪炎寺は自分が情けなく思ってしまう。こんな気持ちで勝負に挑むなど、最悪であった。
「豪炎寺、行くぞ」
 試合開始に仲間が呼んでくれ、豪炎寺は立ち上がる。


 試合は二階堂が豪炎寺に副監督の存在を前日まで隠したように、普段の木戸川からは考えられないフォーメーションで雷門を追い詰める。点は五分五分でPK戦に持ち込まれ、円堂がゴールを守りきって苦戦の末雷門が勝利した。
「また宜しくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
 握手を交わし、試合が終了する。豪炎寺が足を動かそうとした時、二階堂が声をかけてきた。
「豪炎寺」
「かんとく……」
 二階堂の隣には副監督がおり、豪炎寺は"どうしてこの人を連れてくるんだ"と顔を合わせるなり嫌な気持ちが胸に渦巻く。
「豪炎寺、紹介しよう。先月から副監督を務めてもらっている教育実習生の先生だ」
「初めまして、豪炎寺くん」
「…………………豪炎寺です」
「副監督さんがお前と話がしたいらしくてな。いいか?」
「別に」
 腕を組み、ぼそりと答えた。あからさまな不機嫌な態度に二階堂はわざとらしい明るい声で、副監督に笑いかけた。
「あはは、は。どうやら試合が終わって腹でも空いているんでしょう。食堂で話しましょうか」
「そうですね」
 ふふ、と副監督が口元を抑えて微笑む。
 豪炎寺は勝手に腹ペコキャラにされて、余計にイラついた。
 校内の食堂で、二階堂と豪炎寺、そして副監督が四人席に座る。二階堂と副監督が隣同士で豪炎寺が向かい側の席順であった。
「豪炎寺はなにが食べたい?」
「監督が選んでください」
「じゃあ、カレーにしようか。お前好きだったよな?」
 こくん、と頷く豪炎寺。
「仲が宜しいんですね」
「そう見えるなら嬉しいですね」
 さらりと放つ二階堂の発言に、豪炎寺の胸がどきりと高鳴った。
 いっそ冷たくしてくれればいいのにと思うのに、二階堂は豪炎寺に優しかった。
 ――――どうして浮気をするんですか?
 理解できず、言い出せない言葉が胸の中に錘のように沈む。
 副監督が豪炎寺に聞いてきたのは、主にサッカーを始めたきっかけや雷門の戦力についてだった。木戸川を転校した理由は二階堂がさりげなくフォローを入れてくれて答えずに済む。
「有り難う」
 礼を述べ、副監督は席を立った。
 話していく中で豪炎寺は副監督が嫌な人間ではない事や、二階堂との関係も仕事だけのものに見えてしまう。もしや副監督が浮気の相手だと勘繰ってはいたが、当ては外れた。
「豪炎寺」
 向かい側の二階堂が豪炎寺を呼ぶ。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい」
 またこくん、と頷き立ち上がると、二階堂が手を握ってくれる。
 吃驚したように見上げる豪炎寺に二階堂は悪戯が成功したかのように口の端を上げた。
「校内に入るのは久しぶりだろう。先生が外まで案内してやらないとな」
「監督……」
 豪炎寺は頬を赤らめながら手を握り返した。






 ――――俺の勘違いなのか?
 豪炎寺の気持ちは揺れ続けていた。けれども呼吸をすれば香水の匂いを思い出して、それがどう潔癖の証になるのかを豪炎寺には想像が出来ない。
 二階堂と豪炎寺は学校を出ると繋いだ手を離し、二人で食事の材料を買ってから二階堂のマンションにたどり着く。
「ほら、行くぞ」
 階段を上ろうとする時、また二階堂は手を差し伸べてくれた。
「上れますよ?」
「いいから」
 手を繋いで二人は階段を上る。
「なあ豪炎寺、なにかあったら俺に話してくれよ。俺が無意識にお前を傷つけてしまった時もだ」
「………………………………」
「今日の試合、凄かったな。今回は勝算があったが雷門はさらに上回った」
「………………………………」
「ご褒美をたくさんあげなきゃな」
「……ご褒美?」
「そうだよ、ご褒美だ」
「………………………………」
「………………………………」
 じっと二階堂を見据える豪炎寺。二階堂も目を合わせ、二人の視線は交差する。
 ――――やっぱり、勘違いだ。
 薄く微笑んだ豪炎寺に、二階堂は嬉しそうに安堵の息を吐いた。
 ――――監督に謝って、いっぱい抱いてもらおう。いっぱい好きって言おう。
 豪炎寺の胸も晴れ、部屋に入ったらお預けだった性交をしてもらおうと血潮を熱くさせる。
 二人は二階堂の家に入り、扉に鍵を閉めて玄関に上がるなり口付けを交わす。持っていた買い物袋をすぐさま床に置き、抱き締めあった。
「よーし、抱っこしてやろうな」
 二階堂は豪炎寺を抱き上げ、額に口付けを落とす。
 豪炎寺は首に腕を回し、二階堂の顔中に啄ばむような口付けで返した。
「二階堂監督、さっきご飯食べたんですから、すぐしましょ。セックスしてください」
 すっかりご機嫌の豪炎寺は甘えて強請る。二人きりの時でしか、彼はこんな声は出さない。
「すぐすぎるだろ?まずは冷蔵庫に買ったものをしまわないと。それに、そんなにセックスセックス言うなよ。いつからそんないやらしい子になったんだ?」
「かんとくのせいです」
 ちゅ。頬に口付けをして摺り寄せてきた。
「昨日はズボンも履かないし、まったく……」
「!」
 シャツの中身を見られていたのに、びくつく豪炎寺。彼の動揺は身体を密着させた二階堂に全て見通されてしまう。
「そんなにしたいなら、今度から下着も脱いで待っていたらどうだ?可愛くエッチにおねだりしてごらん?」
「監督はすけべだから、駄目、です」
「エッチな事して欲しいんだろう?」
 ん?低い音で問われる。その音が豪炎寺にはとても心地良く、どぎまぎと鼓動を速める。
「エッチ好きなんだろ?」
 耳元で囁かれ、豪炎寺の顔がカッと火を噴いた。
「………………………………」
 口をぱくぱくさせて声が出ない豪炎寺に、二階堂は追い討ちをかけるように"俺はお前とするのが好きだよ"と続け、さらに豪炎寺の身を羞恥で焦がした。
「一緒にお風呂入るか?」
「!」
 ぎゅうと抱きつく事で、豪炎寺は二階堂に想いを伝えようとする。
 ――――好きです。大好きです。
 二階堂は豪炎寺の頭を優しく撫で、気持ちがわかっている事を伝えた。
 抱き上げられたまま居間へ上がり、ソファに下ろされる豪炎寺。二階堂が買ったものを冷蔵庫にしまっている間、そわそわと足を揺らしながら彼を待つ。
「ん?」
 思わず声を上げる豪炎寺。
 足が、なにか硬いものを踏んだ。
 拾ってみればそれはヘアピン。ピンク色の、いかにもな女物だった。
 熱いくらいだった熱が、急速に冷めて冷たくなる。
 そして、二階堂が戻ってきた時に感情は爆発し、立ち上がって怒鳴りつけた。


「監督!!!一体どういう事なんですか!!!!」


「えっ?」
 二階堂には状況が飲み込めない。豪炎寺はずかずかと大股で歩み寄り、ピンを見せ付ける。
「これ!!女の人のでしょう!!!?」
「え…………、ああ?」
 二階堂はピンを見るなり、一昨日訪れた教え子のものだと悟った。
「昨日の監督の布団、変な、香水の匂いしました!!女の人をベッドに上げたんですか!!?」
「えええ」
 唐突過ぎる豪炎寺の猛攻に二階堂はたじたじになるが、やっと昨夜から急におかしくなった豪炎寺の異変の理由がわかった。
 彼は二階堂に浮気の疑いをかけていたのだ。
「ご、豪炎寺、違うんだよ」
「なにが違うんですか!!監督の馬鹿っ!!浮気者っ!!!監督なんて、二階堂監督、なんて」
 ぶるぶると肩を震わせ、喉さえも震わせながら搾り出すような掠れた声で放つ。
「大っ嫌い……です!!!!大!!きらい!!!ですっ!!!!」
 顔をくしゃくしゃに歪め、俯き、硬く瞑られた瞳から涙を滲ませた。










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