儀式
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「女……?まさかそんな……」
 武方三兄弟のサングラスの奥の瞳が見張る。その後ろで、周りで、木戸川の部員たちが凝視した。
 丸みを帯びた輪郭、胸元にもささやかながら乳房の膨らみがある。
 元仲間だからこそ、豪炎寺の身体の変化を察した。
 確かに、女だった。紛れも無く、女だった。
「女だ――――――――――っ!!!」
 三兄弟は絶叫し、数歩下がって尻餅をつく。
「…………………………」
 大げさなリアクションに豪炎寺の頬が赤らむ。三兄弟の変わらない態度に安心したのも束の間、バレればこれだ。
「女だよ、悪いか」
 呟く声は、女だと言われれば女の声に聞こえた。


「地木流監督」
 二階堂が静かに言い放ち、地木流を見据える。
「一体、どういう事なのでしょうか。説明願えますか」
「そうですね。お話しましょう」
 地木流は事の経緯を語った。二階堂は硬い表情で息を吐く。
「……尾刈斗の校則はわかりました。失敗して豪炎寺が女性になったのもわかりました。それで……戻る方法は……」
「二階堂監督……」
 豪炎寺は思慕をこめて二階堂の名を呼ぶ。
 監督は自分の事を考えてくれている。詰まらない悩みを抱えていたのは、いらない心配だったようだ。
 しかし豪炎寺は二階堂の態度に感激するあまり、すっかり戻る手段が抜け落ちていた。
「ええ、戻る方法はちゃんとありますよ。安心してください」
 にっこりと地木流は微笑み、大勢の前で放つ。


「性交をすれば戻ります」


「…………………………」
 地木流に向かい合う二階堂の顔は目を丸くして、みるみる赤らんでいく。
 後ろに控える木戸川の部員も真っ赤であった。
「地木流監督!生徒の前で何を言っているんですか!」
 赤くなったと思えば今度は怒りだす二階堂。
「おや二階堂監督は意外と照れ屋なんですね」
「そういう問題じゃないでしょう!」
「大丈夫ですよ。責任は尾刈斗が取ります。試合が終わったら、私がしますので」
「なに言っているんですかっ!」
 いつに無く取り乱す二階堂。木戸川の部員は、初めは動揺したものの、ぽかんと監督同士のやり取りと傍観していた。尾刈斗の部員や豪炎寺もぽかんとしている。
「大丈夫ですって。優しくしますから」
「だからなにを!豪炎寺は元ウチの生徒です!大事な生徒です!そんな真似させられないでしょう!」
「ですが、しないと戻せませんよ」
「豪炎寺の気持ちがあるじゃないですか!」
 食らいつかんばかりの二階堂の勢いに、地木流にある閃きが過った。
 指摘してやろうとするが、我に返った西垣が歩み寄って意見する。
「二階堂監督、落ち着いてください」
「……え、あ…………」
 二階堂も部員に諭されて冷静さを取り戻す。
「二階堂監督が怒るのも無理はありません。しかし、これは尾刈斗がした事です。尾刈斗に任せるべきではないでしょうか」
「駄目だ」
 即答で拒否する。冷静さはあくまで表面的なものであり、気持ちはちっとも穏やかになどなっていない。
「二階堂監督」
 豪炎寺も寄ろうとしたが、地木流に肩を掴まれる。
 その一瞬の間、二階堂の目つきが睨みつけるように鋭くなったのを地木流は見逃さなかった。
「そこまで言うのなら……」
 笑顔の下に残酷姓を秘めながら地木流は言う。


「二階堂監督がしてくださるんですか?」


「え」
 二階堂と豪炎寺の吐息のような声が重なった。
 二人は視線を交差させ、すぐにそらす。それはまるで付き合いたてのうぶな恋人同士のように地木流の目には映った。
「なにを言って……。私はただ豪炎寺の意思を尊重したいと……」
「では豪炎寺さんに決めてもら」
「嫌です」
 地木流の言葉を遮る豪炎寺。
「俺は、二階堂監督は嫌です」
 何かを押し込めた表情だった。
 豪炎寺にはもう一つ抜け落ちていた事柄があったのだ。
 二階堂に抱いてもらうという選択肢をだ。これだけは直感で絶対に避けたいと願ってしまう。
「豪炎寺」
 二階堂の声色が厳しいものに変化した。傍にいた西垣は気迫に一歩下がる。
 豪炎寺の前に立ち、見下ろした。彼女はというと、俯いて目を合わせようとしてこない。
「豪炎寺」
「…………………嫌、です」
「地木流監督で良いのか」
 口調は落ち着いているのに、その奥底には怒りがこめられている。
 二階堂が本気で怒っている。豪炎寺や木戸川の彼の教え子は悟っていた。
「…………………………」
「わかった。お前が良いなら先生は何も言わない」
「………………………!」
 豪炎寺がはじかれるように顔を上げ、目を見開く。だが遅く、彼は既に背を向けていた。
「地木流監督、豪炎寺を宜しくお願い致します。良い試合をしましょう」
「はい」
 満面の笑みで地木流は頷く。
 地木流の目には二階堂が可哀想な男に見えた。監督とは哀れな生き物とさえ思えてくる。
 可哀想だの哀れだのは好きな言葉だった。だから笑顔で返した。
「ですが、二階堂監督は少々豪炎寺さんに冷たくはないでしょうか」
 明るい声で話しかける地木流。二階堂は反射して振り返った。
「冷たい……?私が……?」
 心外だと言わんばかりに眉をひそめる。
「私どもの責任ですが、こんな姿になってしまったのです。動揺しているのでしょう。あんな怖い声で言われたら何も言い返せなくなってしまいますよ」
「怖いだなんて」
 指摘されて豪炎寺の様子を伺おうとしたが、瞳が言う事を聞かずに動いてくれない。
「そこで、思いつきました。勝った方に選択権を与えるというのは如何でしょう」
「選択権?」
「はい。尾刈斗が勝ったらこちらで責任を取り、貴方がたが勝ったら二階堂監督が先程言った通り、豪炎寺さんの意思を尊重させるというのは」
「やめてください。豪炎寺は賞品じゃない」
 断る二階堂だが、彼の両隣から武方・長男次男が前に出た。
「やります!」
 声を揃えて放つ。
「お、お前ら」
「豪炎寺は元ウチの部員。助っ人で呼ばれた挙句、好き勝手に弄られたら黙ってられません」
「この売られた喧嘩を買わなきゃ、男が廃りますよ」
 武方たちの主張に、木戸川の部員は次々と賛成していく。
「二階堂監督」
 西垣が最終確認とばかりに二階堂を見据え、頷いた。
「……わかった。お前たちが言うのなら」
 二階堂は頷き、地木流に勝負を挑んだ。
「そういう事です。受けて立ちましょう」
「全力で戦いましょう」
 地木流の後ろに控える尾刈斗の部員が怪しげに微笑む。
 これは本人たちの闘志の表れなのだが、いまいち理解されにくい。






 合図の笛が鳴り、練習試合が始まった。
 FWの豪炎寺が前に出てボールを蹴り込む。すかさず木戸川が妨害に向かうが、目が合うと戸惑いが生じ動きに隙が出来る。
「遠慮するな」
 豪炎寺は言うが、内心説得力がない気がした。
 頻繁に練習試合を行う木戸川なら女性選手との試合もあっただろう。しかし、相手はよく知った元仲間が女性化してしまった姿なのだ。腫れ物に触るような――怪我人扱いに似た感覚であった。
 そうこうしている内に後ろから前から選手がやって来て、豪炎寺は転んでしまう。
「うわっ……」
 彼女の上に屋形が倒れこみそうになるが、横に転がって避けようとした。しかし、手が掴むように腕に触ってしまう。
「ごめん」
 詫びる屋形の手を豪炎寺は振り解いて立ち上がり、走り去った。
「そんなに嫌なのかよっ」
 後ろから声がするが、振り返らない。
 豪炎寺はどうしても負けたくなかった。木戸川は豪炎寺を思ってくれているのに、好意を跳ね除ける。
 身体が男から女にされて体力が低下しており、短時間で得点を決めようと好戦的に乗り出す。
「ファイアトルネード!」
 足を開き、上着が捲り上がるも、形振り構わず必殺技を撃ち込んだ。
 ゴール!さっそく尾刈斗に一点が加えられる。
「やったな」
 降り立った豪炎寺に尾刈斗がタッチを求め、応えた。
 パン!良い音が響く。


 そんな豪炎寺の様子をベンチから眺める二階堂と控え選手たち。
「豪炎寺。なにをそんなにムキになっているんでしょう」
 控えの一人、段堂が呟く。
「さあな。先生はすっかり嫌われているようだし」
「もし俺が女にされたら二階堂監督にお願いしよっかな」
「おいおい」
 苦笑いを浮かべる二階堂だが、他の部員も“俺も俺も”と挙手をした。
「豪炎寺がその気なら、監督は俺たちで取っちゃいますから」
「先生は元から木戸川の監督だろう?」
「そうですけど」
「ねえ」
 部員は顔を見合わせ、くすくす笑う。その奥には密かな苦味が含まれていた。
 二階堂が何も言わなくても、なんとなくわかるのだ。
 二階堂が豪炎寺の事をずっと気にかけていた事を。いっそ声に出してくれれば大っぴらに嫉妬できるというのに――――
「二階堂監督、ウチなら勝てますよ」
 控えのもう一人、石井が二階堂にもたれかかる。反対側から段堂も寄りかかってきた。
「こら。試合中だぞ」
 窘める二階堂だが、彼らはやめない。
「俺たちなりの試合への意気込みです!」
「そうです!」
「一体なんなんだ……」
 困り果てる二階堂であった。


「…………………………」
 豪炎寺の瞳が木戸川のベンチへ向けられる。
 二階堂が別の方を見ていたが、石井と段堂と目が合う。彼らはニーっと笑って二階堂の腕を両端から絡めて挑発した。
 そう、これは木戸川部員による、二階堂の気遣いと元仲間の好意を無下にした豪炎寺への当て付け。
 豪炎寺が二階堂を慕っており、二人の仲が良い事を知っているからこそ彼女の態度に反旗を翻したのだ。特別な関係やそこに生じる複雑な感情などは知らない。けれどもそんなのはどうでも良く、とにかくムカムカしていた。
「…………………………」
 豪炎寺は静かに表情を固くする。
 二階堂がこちらへ振り向きそうになると、心音が跳ね上がり、慌てて目をそらす。
「?」
 胸元の衣服を掴み、俯く。心音はまだ早鐘のように鳴っていた。
 普段はこんなにも緊張しないというのに。一体どうして、落ち着かないのだろう。
「ふむ……」
 尾刈斗のベンチで地木流が喉を鳴らす。瞳は豪炎寺を捉え、細められる。
 やはり儀式で女になった身体は、女であってもただの女ではない。
 豪炎寺の様子を見て、予感は確信へと変容していった。










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