後悔をしなかった日は無い。
 忘れなかった日は無い。
 決して、一度たりとも。


 星が流れる。
 漆黒の闇の中で光を放って。
 星が流れる。
 邪神と戦った英雄ミルザは星になった。
 星が流れる。
 いつからだっただろう。よく見上げるようになったのは。
 思い出も、流れて闇に溶けていく。



満たされる世界
-2-



 風が吹く。揺れる草木が音を立てる。
 町外れの森。宿に着いた後、夜になるとジャミルは外に出て彷徨った。
 よくある事であった。あの日から、引かれるように、逃げ出すように、足は外へ向かうのだ。
 適当な石や切り株を見つけると、椅子代わりにして腰掛ける。
「…………………………」
 ジャミルの喉がひくりと動く。
 座るつもりだった石の上に先客がいた。いつの日からか、先客がいるようになった。
「…………………………」
 声はかけられずに、見詰めるしか出来ない。
 先客は背を向けたまま動かない。気配を全く感じない。目に見える範囲まで近付かなければ存在に気付かなかった。
「…………………お前か」
 声が直接耳元で聞こえる感触。その瞬間に意識が先客から離れた事に怖気が走る。
 目を見開けば先客はこちらを向いていた。
 いつからだっただろう。先客――――仲間であるダークの背に声がかけられなくなったのは。
「何しに来た。また星でも見に来たのか」
「そうさ。ここなら良く見えるから」
 ダークの問いに答えながら、木の幹に寄りかかる。
 ジャミルはほぼ毎晩、夜空を眺めるのが日課となっていた。宿の窓から見上げるよりも、こういった場所の方が良く見える。より良い所へ足は動くのだ。
 出会った頃と比べれば、ダークは随分と喋るようになった。
 しかし、彼を知るにつれ、信頼を抱くにつれ、遠くなっていくように感じるのは気のせいではないように思う。
「ダークこそ、最近よく会うな」
「暗く静かな場所が落ち着くのさ」
 ダークはジャミルを見るのをやめて地に視線を落とす。
「暗いねえ」
「人の事が言えるのか」
「言えないな」
 ジャミルは夜空を見上げる。
 漆黒の闇の中に無数の星が散りばめられていた。こうして眺めていると、ときどき流れる星を見つける事もある。願いはしない。ただ流れる様を瞳に焼き付けている。


 いつもなら、ダークは立ち上がって宿へ戻っていく。
 けれども今夜は違った。彼は座ったまま呟くように語り掛ける。
「せっかくだ。一つ聞きたい」
「…………………………」
「サルーインと戦うのか」
「わからない。戦う選択もあるな。それも面白い」
 ふっ。息の漏れる音がした。ダークの方である。
「星にでもなるつもりか。ミルザのように」
「ああ、ミルザはそうだったな」
 今更思い出したとばかりにジャミルは言う。
 サルーインと戦って力尽きたミルザは天界の星になった。
 闇を照らす星になる。亡き者の魂と共に煌いていられる。
 星から目が離せない。魅力的であった。無意識に望んでいるのだろうか。ジャミルは自問自答する。
「いや、星になりたいのか。このマルディアス、救った所で何になるか」
 今過ぎった思いに図星を指された。見透かされたようで否定の衝動が込み上げ、ダークを睨む。
「なんで俺が命をかけなきゃならない。平和な世界に俺だって生きたいさ」
「平和な世界に何を求める。何を手に入れたい」
「手に入れるとかじゃない。これ以上、広げない為だ」
「何を」
「悲しみをだ」
 手がジェスターして何かを形作る。


 ジャミルにとっての悲しみの象徴。それは失った友であった。


「断言できる。ジャミル、お前が世界を救えば行き場を失う」
 ダークはまたジャミルを見る。何も感じさせない瞳は己を映す鏡のようだ。
「世界を救っても、失ったものは戻らない」
 細められた瞳は哀れんでいるようにも見えた。
「ジャミル、良く話してくれたな。彼の事を」
 ジャミルは良く語っていた。故郷エスタミルにいる友の話を。
 だから会ってはいなくとも、仲間たちは友を知っていた。
「俺は聞く度に思っていたさ」
 次に続く言葉をジャミルは塞いでしまいたかった。


「そんなに大事なら、なぜ捨てた」


「そんなつもりは無かった」
 顔を歪め、搾り出されたように声は掠れる。
 そんなつもりは無かったのだ。あんな結果になるなど、夢にも思わなかったのだ。
 だが過ぎた後で過ぎってくる。本当の本当に予期せぬ事態だったのか、と。
 輝く未来に目を奪われ、気を取られていた。
 その一瞬の間が、破滅をもたらした。
「後悔をしなかった日は無い。忘れなかった日は無い」
 何度も己を責めた。責めて責めて責め尽くし、いつからか責める事で己を保っていた節がある。
 そうして星に救いを求めているかもしれない。だとしたら、なんと愚かで情けない事か。
 認められず、開き直れず、彷徨っている。
「過去にしがみ付き、明日に弱さに恐れている」
 布擦れの音を立ててダークは立ち上がる。
「お前に何がわかる」
「俺も同じものを抱えているのかもしれない。そう、感じるようになってな」
「……………っ…………」
 ジャミルの声は塞がれた。突然の強い風が遮ったのだ。


「…………………………」
「…………………………」
 風が過ぎ去るのを待っているのか。それとも対峙しているのか。二人は視線を交差させて沈黙する。
 いつからか、どこからか、思う事があった。
 思うだけで、口にはしない事があった。
 ジャミルとダーク。二人は似ていると。
 二人は違う人間ではあるが、心の奥底にあるものが酷似していると。
 まるで共鳴するかのように。
 だがしかし、喜ばしいものではない。それがわかっていたからこそ、口には出せなかった。
 あまりにも似た魂は、いつか打ち消しあう運命を悟っていた。
 気付いた時にはまだ理由はなかった。漠然とした何かを感じていただけであった。


 共存は出来ない。絶対に出来はしない。
 互いにどこかわかっていただろう。
 しかも悲しむべきなのに、どこかしら安堵を覚えている。
 彼がいる限り、目的は決して失われない。


 こうして向き合っているのに、全ての終着点を感じずにはいられない。
 風の中の沈黙。いつか刃を向ける約束のようであったと懐かしく思う。










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