悪夢
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雨で濡れた大地が、足音をより大きく立たせる。
ジャミルは細剣を腰に下げ、グレイとミリアムの前に向き合う。
「穏やかじゃないな。お前ら何者だ」
事と次第によっては…と、柄に手をかけた。
「……………………」
グレイは馬から下りてフードを脱ぐと、ボリュームのある髪がふわりと浮くが、雨で濡れて張り付いた。ミリアムも地に足を付けるが、フードは脱がずに胸元を掴んで姿を隠そうとする。
「俺の名前はグレイ。冒険者だ」
「で、そのグレイさんが、俺様に何の用よ」
ジャミルとグレイの視線の間を雨が降り注ぐ。バーバラが濡れた前髪を避けながら、ジャミルの後ろへ回った。ゆっくりとした歩みだが、足音が聞こえない。フードに隠れたミリアムの顔が、いぶかしげにしかめられる。
「聞きたい事がある」
「馬車を壊すほどの事か。よっぽどだな、聞いてやるよ」
「ガラハドという男を知っているか」
グレイの瞳は意思を持って、真っ直ぐにジャミルを貫いた。
「さあ」
「アルツールで、アイスソードという剣を購入した男だ」
「………………ああ」
耳を傾けていたジャミルのポーズが僅かに変わる。
「殺したのは、お前らか」
落ち着いた口調で、グレイは問う。
「ああ」
ジャミルは表情を変えずに答える。
「なぜ、殺した」
怒りを隠しきれず、声が震えた。
「理由か?特にないな。強いて言うなら、アイスソードを譲ってくれなかったという事だ」
「それだけか」
握り締めた拳が、ぶるぶると震えた。
「他に何がいる」
「返してもらおうか」
「嫌だね」
金属を引き摺る音を立てて、細剣が抜かれる。ジャミルの目がすうっと細くなり、グレイへ剣を向けた。やれやれと首を横に振り、皮肉な笑いをする。
「また、交渉決裂か」
バーバラが何かを言おうと僅かに唇を開くが、声を発せずに閉ざされ、ジャミルの横顔を見つめるだけであった。彼女だけにわかるように、彼は唇を動かす。
もう戻れない、と。
理由などは関係無かった。
ガラハドを死に至らしめた事実は拭いようもない。
ジャミルには、許される気など無かったのだ。
「交渉する、価値もないな」
グレイは刀を抜かずに、格闘の構えを取る。
「……………………」
ミリアムは間合いを取る為に、小走りで彼らから離れた。
雨のせいなのか、凍えるように身体が寒い。
ジャミルと別れ、今この時の間に一体何が起こったのか。何が彼を変えたのか。どうして……わからない……。心の中で訴えかけるしか出来ない。
こんな悲しい出来事、夢なら早く醒めて欲しい。ミリアムの願いも虚しく、戦いは始まった。
ジャミルが身を屈めたかと思うと、瞬時にしてグレイの懐に入られる。見開く瞳は、冷たく無慈悲なジャミルの瞳を映した。だが、突き刺そうと狙いを定められた動きを逃す事無く、グレイは反射的にジャミルの利き腕を捻り上げる。
がら空きになった腹に目掛けた蹴りはフェイントで、高く上げられた足は頭へ回し蹴りを浴びせた。
「ぐっ」
視界がぐらつき、脳震盪を起こす。
グレイの手がジャミルの顔面を鷲掴みにし、勢いを付けて岩壁へ叩き付けようとするが、飛ぶようにジャミルの足が持ち上がり、グレイの首に巻きついた。捻ろうとするが、後頭部を掴まれて地面へ押し付けられる。
背中に馬乗りになり、グレイは隙を与える事無く関節技をかけた。肩の付け根が、メリメリと音を立てる。ジャミルは顔を伏せたままで動かない。
「よお、気は済んだか」
真後ろからジャミルの声が聞こえる。先ほどまで捕らえていたジャミルの身体は、蒸気のように消え失せて行く。べしゃりと、尻餅をついた。振り返ると、冷たい瞳が見下ろしている。だがその下にある口の端は上がっていた。利き腕をしきりに回しているように見える。初めの一撃は当たっていたようだが、いつどこで幻に変わったのかは読めなかった。
術の腕も立つのか。口惜しさにグレイは歯を食いしばる。剣はグレイ、術はミリアムと担当を決めて戦っていた彼らには不利すぎる。だが、退けるはずも無い。グレイは立ち上がり、ジャミルと向かい合う。
「惜しかったな」
睨み付けるグレイ。その瞳は相手が憎くて憎くてたまらないという、憎悪の色に染まっていた。
ジャミルは僅かに視線を逸らす。ダウドを失った時の、かつての自分はあんな瞳をしていたのかもしれない。過去に咎められ、罰せられている気分なのに、酷く懐かしい。
「まだ、続けるのか」
「当然だ」
「後を追うつもりか」
「さらさらない」
「良かったよ。その気持ち、大事にな」
ジャミルが手を上げると合図だったのか、バーバラが荷台から下ろした弓を放り投げ、受け止める。そうしてバーバラは引き摺るようにしてアイスソードを取り出し、やおら持ち上げた。
「これだろう?アイスソード」
軽い足取りを始めると、バーバラの姿が一瞬にして移動し、ぐっと近付く。膝を曲げて高く飛び上がり、グレイに切り掛かる。グレイは鞘から刀を半分だけ出し、身を守った。空いた手を大きく、仰ぐように出す。ミリアムへ手を出すなという合図であった。肉弾戦が不得意な彼女が戦う意思を見せれば、集中的に狙われてひとたまりも無い。刀を構える表情には、余裕が無かった。
バーバラの細くも筋肉のしまった腕は、軽々とアイスソードを持ち上げ振るっていた。彼女の独特のステップは何かがありそうで、下手に乗りかかれない。攻撃を受け止めるだけで、攻めに変える事が出来ない。一撃一撃に衝撃があり、じわじわと押されて行く。
「は」
背後へジャミルが回り込み、弓を引く。大きく跳んで交わし、立っていた場所に無数の矢が突き刺さる。近距離で連射をしてきたのだ。バーバラの剣を追い返し、空を切ってジャミルを払う。
これは水晶玉で覗いた、ガラハドを倒した戦法にそっくりであった。この策にはまっては、ガラハドに申し訳が立たない。だが、このままでは二の舞になりかねない。術があれば戦況はかわるのかもしれないが、ミリアムの力を借りる訳にはいかない。
「考え事かい?」
体勢を低くしたバーバラが脇を狙ってくる。避けきれずに、衣服がぱっくりと裂けて、切り傷が刻まれた。血が溢れて、みるみる赤に染め上げていく。アイスソードを地面に突き刺し、武具を曲刀に持ち替えて連続攻撃をしかけてくる。
背後には影のようにジャミルが控えており、こちらも細剣に持ち替えて接近戦を持ち込まれる。曲刀を刀で受け止め、細剣を小手で受けた。だが衝撃は和らぐ事無く、折れそうになる膝をこらえる。
「がぁっ」
バーバラの肘がこめかみに炸裂した。横へ飛ばされた身体を、ジャミルの膝蹴りによって返される。地に転がり、起き上がろうとした顔の影に人影が差した。ジャミルが背を突き刺そうと腕を高く上げる。回避出来ず、痛みに耐えようと目を瞑るグレイを淡い光が包む。ミリアムの身体能力を高める術であった。すんでの所で転がるようにして一撃を交わし、細剣が地を突く。身を起こし、一目散に場所を離れ、飛び込んで伏せた。
長い髪と衣服がバタバタと音を立てる。ミリアムの大術が雨風を巻き込み、竜巻となってジャミルとバーバラを覆う。竜巻は渦を巻く毎に温度を下げ、雨の粒は硬い氷となり、吹雪となって襲い掛かる。雲をも吸い込み、空のヴェールを剥いだ。
グレイの腕の隙間から見えるミリアムの周りを、光の粒子が舞っている。両手を掲げ、大きく息を吸い込むと粒子がはじけ、空から光の閃光が吹雪諸共吹き飛ばす。
「まだまだ!」
印を組み直して目を瞑り、詠唱を始める。身体から熱気が上がり、火花が散って炎が包む。炎は背中で形を形成し、巨大な鳥の姿となって大きく翼を羽ばたかせる。高く舞って、光の柱へ飛び込んだ。轟音を立てて爆発し、火の海が一面に広がった。爆風でミリアムのフードがはずれ、金色の髪が覗く。
雲の隙間から太陽が顔を出し、大地を輝かせる。水溜りに真っ青な空が映った。
肩で大きく息をしながらも、ミリアムはグレイに回復術をかける。傷の癒えたグレイは立ち上がってミリアムの元へ行き、彼女の視線の先を共に眺めた。視線の先、炎の海は焦げ臭さが漂い、熱気と煙が邪魔をして、ジャミル達の姿が見えない。
「やったかな」
「油断出来ん。あいつらは術にも長けている」
刀を構え、辺りを警戒した。
ヒュッ。
炎の中から、空を裂いて矢が飛んでくる。叩き落とすが、ぞくりとした恐怖が胸を通り抜けた。矢はグレイの心臓目掛けて、正確に飛んで来たのだ。
「あっ」
ミリアムが小さな悲鳴を上げて蹲る。太股を押さえる指の間から、鮮血が溢れ出ていた。矢ではない、他の何か鋭いものが彼女の足を貫いた。
2つの影が姿を現す。彼らの道筋を炎が割れた。
「ふ」
ジャミルが人差し指を立てて、息を吹きかける。指先は光の粒子の名残を残していた。ミリアムを狙ったのは恐らく光術のサンライトアローであろう。
「さすがにヤバかったよ」
口調は至って穏やかで、指先で髪をいじり、身だしなみを整えていた。
その横でバーバラが、炭になった衣服の飾りを払って落とす。2人の身体に目立った損傷はないが、纏う衣服は所々が焦げていた。回復を繰り返して、難を逃れたようだ。
「くっ」
グレイは顔を歪め、刃を向ける。ミリアムは蹲ったままで顔を上げようとはしない。巻き毛がさらりと肩を流れた。
「あんた…………」
バーバラが何度か瞬きをして、前へ歩み出る。
「…………ミリアム、なのかい?」
ミリアムと言う名に、ジャミルの眉がぴくりと動く。
「ミリアム?」
グレイもミリアムを見た。刀の柄を握る手が、僅かに緩んだ。
「そうだ」
ミリアムは足を押さえた手を離し、すっくと立ち上がる。
「ミリアム、知り合いなのか?」
耳の横から、グレイの声が聞こえた。顔を見る事が出来ない。どんな表情をしているかなど、想像もしたくはない。
「こんな、再会とはな」
ジャミルの声は気丈を保つがどこか寂しそうで、彼らから戦意が失われるのを空気で感じた。ミリアムはバーバラの横を通り、ジャミルに向き合った。貫かれた足からは、まだ血液が流れ出ている。
「ガラハドは、あたしの仲間だった。グレイも、あたしの仲間だ」
唇の震えが、声にも浸透する。手が伸びて、ジャミルの胸倉を掴んだ。
「ジャミル、あんただってあたしの仲間だ。バーバラだって」
揺するが、ジャミルの身体は動かない。
「どうして、こんな事。どうして」
「どうしてだろう」
ミリアムは目を丸くする。ジャミルは無表情で、瞳には何も宿っておらず、ミリアムの姿を映していた。まるで身体の中が空洞で何も無いような。全てをどこかへ置いてきてしまったような。ミリアムの知っているジャミルはいなかった。
「許さないでくれ」
「………………………」
黙りこむミリアムの手を剥がし、踵を返し、馬車の方へと戻って行く。バーバラはミリアムの髪を耳の後ろへかけてやり、肩に軽く手を置いて背を向ける。まるでもう、これっきりとでも言うかのように。地に刺さったアイスソードを抜いて、彼の後に続いた。
ミリアムとグレイは、立ち尽くすしかなかった。
バーバラの馬車はもう使えず、大事な荷物だけを馬の背に乗せる。バーバラが手綱を引き、ジャミルがひらりと後ろに乗って腰に手を回した。馬をミリアム達の傍へ近づけ、上から話しかける。
「今度は、はずすなよ」
「じゃあね」
馬が鳴き、メルビルの方へと駆けていった。
カチン。
グレイが刀を鞘に納める。ミリアムは膝を折り、地に両手を付いた。
空を見上げるグレイの顔に影が差す。吹き飛んだ雲はまた集まり、水の滴を落とした。ぽつぽつと斑点を作り、数を増して降り注いだ。生暖かかったが、冷たくなり身体を冷やす。流せない涙の代わりに、頬を濡らしてくれた。
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