悪夢
-6-



 ザザア…………ザア……
 ザザア…………ザア……
 押しては退いていく波の音を静かに聴いていた。
 瞳は水平線を真っ直ぐに捉え、その先に見えゆく目的地が現れないかと待っていた。
 後ろから気配を感じ、声をかけられる。
「ジャミル」
 振り返ると、バーバラが立っていた。


 船の甲板の上。ジャミルとバーバラはメルビルから乗り、リガウ島を目指している。先日のグレイとの戦いで傷付いた衣服は捨て、新しい物に着替えていた。
「島はまだ遠いな」
 視線を海へ戻し、手摺りを掴んだ。
「リガウか。随分遠くまで来たね」
 バーバラがジャミルの背中へ話しかける。
「帰りたいって思う事は無い?」
「帰る?どこへさ」
 ぽつりぽつりと、言葉を交わした。
「エスタミルだよ」
「俺の居場所なんて無いさ」
「ファラって娘は?」
「会えないよ」
「怖いんだ」
「見苦しいかもしれないが、まだアイツがいなくなったって認めたくないんだ」
「ずっとそんな感じだったよ」
「話したら、認めちまう気がするんだ。アイツが、本当にいなくなっちまう気がして」
 ジャミルの声の悲しみはどこか遠い。まるで他人事のようであった。
「もう、ダウドはいないよ。ずっと後悔するの」
「このまま、俺も消えたいよ」
「馬鹿だね」
 バーバラはジャミルの背にもたれかかる。じわりと体温が伝わって染みた。
「もしアイツが今の俺を見たら、どう思うんだろうな。怒られるかな」
「あんたが一番、わかっているんでしょう」
「この手で刺したのは俺なんだ。なのに、アイツは責めなかった。俺はさ、叱られたかったんだろうな」
「ダウドは悲しむよ。そう思うのは生者にとって都合の良い言い分かね」
「もういないのに、ああ思う、こう思う………か」
 会話が途切れると、また波の音が良く聞こえるようになった。


「アイツ、来るのかね」
 沈黙を破り、おもむろに口を開くバーバラ。
「グレイか。来るだろうな。ミリアムも」
「倒すんだね」
「ああ」
 返事はすぐに返ってくる。ジャミルにもバーバラにも迷いは無かった。
「許される気はない、救われる気もない」
「もう良いんだね」
「ああ」
 背中合わせのままで目を瞑る。2人を包み込む海は世界へと繋がり、どこまでも続いていた。ジャミルはそっと耳に手を当てる。
 届く波の音は、エスタミルと変わりは無い。ダウドも好きだった波の音。耳を澄ますと、彼の声が聞こえてきそうな気がした。ジャミルが波の音を聞きながら耳に手を当てる時、それは何らかの決意をする時であった。まるで、ダウドへ報告をするかのように。
 もう、本当に良いんだね。バーバラは薄っすらと瞼を開いた。








 開かれたジャミルの瞳には、深い闇が存在した。深く、どこまでも深く、揺らぎを見せない。
「狂人か………」
 炎を纏った四天王の1人フレイムタイラントは彼を見下ろし、呟くように言う。哀れみのような声色を含んでいた。ジャミルの横に立つバーバラが握られているのは依頼したアイスソード。彼らは持ってきたのにも関わらず、刃を向けてきた。トマエ火山中心部で魔物と人は対峙する。
「我を倒して、どうするつもりだ」
「どうもしない」
 ジャミルは両手を前に出し、印を組んだ。
「なるほど」
 フレイムタイラントは息を吸い込み、咆哮した。辺りの温度が急激に高まり、熱風が吹き上げる。怯む事無く、ジャミルとバーバラは立ち向かう。


 ジャミルは宙を舞って一回転をして、バーバラの後ろへ回った。唱えておいたあらゆる補助術をバーバラに施す。バーバラは俊足の速さでフレイムタイラントの懐に入り込んだ。炎の鞭が放たれるが、もうそこには姿が見えない。目の前には高く飛び、アイスソードを振り上げるバーバラが映った。
 氷の刃は覆う炎の衣を突き破って、本体である骨を狙い定める。だが一筋縄では行かず、フレイムタイラントは大口を開けてバーバラの身体に噛み付いた。牙が肩へ突き刺さり貫通して、声にならない悲鳴を上げる。牙から焼けるような熱が入り込み、さらなる痛みが襲う。剣を持つ腕がだらりと垂れた。
「はぁっ!」
 すかさずジャミルが回復術をかけるが、牙が刺さっている腕は動かせない。
 バーバラは手を離し、ジャミルにアイスソードを託す。受け取ったは良いものの、重心で身体がよろけそうになる。だが持ち直し、勢いを付けてフレイムタイラントの喉元めがけて飛び上がった。
 ガキッ。剣が骨の付け根に刺さり、硬い音を立てる。フレイムタイラントの身体から湧き出る凄まじい熱に、汗が噴出す。触れれば火傷所では済まないだろう。剣で身体を固定させて、そこから口を開けさせるまで術を投げ付ける。
 フレイムタイラントは叫びを上げ、口を開いた。耳をつんざく程の声に、顔を歪ませる。
「………くうっ」
 解放されたバーバラは放り投げ出された。牙の痕から血液が溢れ出て、全身の血が抜けてしまいそうだった。ジャミルは剣を抜いて着地し、バーバラを地面に叩き付けられる前に受け止める。
 回復をさせるが、バーバラは荒い息を吐き、苦痛の表情を浮かべた。この熱気では体力が回復し辛く、早期に決めなければならないとジャミルは考える。何かの決定打が欲しい。バーバラの顔を見れば、彼女は顔を寄せてと唇だけを動かし、彼は耳を寄せる。
「いけるか?」
 問うジャミルにバーバラは痛みを忘れたかのように、軽く笑って見せた。
「いくしかないよ」
 彼女の瞳の奥にも、揺ぎ無い何かが存在した。握手を交わすように、ジャミルはアイスソードを返す。


 一撃目に攻めに入ったバーバラは守りに入り、フレイムタイラントの攻撃をアイスソードで打ち払っていた。逆にジャミルは術と弓で後方から応戦する。姑息な手段に、フレイムタイラントは眠っていた凶暴性が蘇るのを感じた。バーバラを噛み砕こうと口に銜えた血肉の感触。それはどれだけの年月が経とうとも、染み付いて消える事は無かった。
「手段が無いのなら、終わりにさせてもらうぞ」
 フレイムタイラントは身体をうねらせ、頭を低くさせる。そうして蛇のように地を這い、ジャミルに喰らいつこうと口を開けた。だがフレイムタイラントの口が、開かれたままで硬直する。口だけでは無い、身体そのものが固まっている。ジャミルの身体も固まっていた。炎の揺らぎも固まっていた。
 動いているのはバーバラだけであった。彼女の身体には輝ける水が包み、熱の篭もった空間に涼しさを与えていた。
 水術オーヴァドライブ。術の使用者以外の時を止める、切り札であった。
 成す術のないフレイムタイラントに、容赦なく剣が振り下ろされる。炎の衣を突き破り、骨を砕いて、身体を破壊させていく。氷の刃は美しくも残虐な舞を見せた。
 フレイムタイラントの時は術が解けても動く事は無かった。時間の狭間の中に命は呑みこまれたのだ。




「は――――……っ、は――――……っ、」
 時の流れが戻った後、フレイムタイラントの屍の前でバーバラは地に膝を付けた。どっと汗をかいて、命を持っていかれそうな疲労感に見舞われる。
「やったな」
 ジャミルは安堵の息を吐き、バーバラの元へ歩み寄った。けれども彼女に触れようと伸ばした手は、ぴたりと止まる。何か胸騒ぎがして振返った時、嫌な音が胸の辺りで聞こえた。均衡を失って小股で後ろへ下がるが、足が止まらない。そのまま力が抜けるように、地面へ倒れる。
「……………あ……?」
 何が起こったのか、理解が出来なかった。息が詰まりそうになり、激痛が走った。油のような汗が浮かんだ。胸の辺りが濡れていく感触がする。服に染み込んで、腕の方まで伝わっていく。ひっくり返った視界の中に、バーバラの驚いている顔が映った。彼女の後ろに何かが見える。ぼやけるような、揺らぐような炎が。赤く、邪悪な何かが。
 凍ったように動かない腕を、強引に引き摺るようにして手を顔の方へと持っていく。赤黒いものが汚らしく付いていた。恐らくこれは、泥にまみれた血。
「かはっ……えふっ…」
 その手を口で押さえて咳き込んだ。咳き込む度に身体が痛む。悶えようにも身体が言う事を聞かない。手の平に血の塊が吐き出されて、口内に血の味が広がる。
「ジャミル!」
 バーバラが立ち上がり、駆け寄ろうとしたが倒れ込んでしまう。オーヴァドライブを使用して消耗した体力はあまりにも大きかった。


「残念、利用しようと思ったのですが」
 バーバラの背後から声が聞こえる。覚えのある声にジャミルは低く呻いた。
 胸騒ぎの正体はミニオン。ミニオンはフレイムタイラントの屍を余裕綽々とでも言うかのように眺めていた。
「お見事、とでも言いましょうか」
 ジャミル達の方を向き、手を合わせる。すると、どこからか拍手の音が聞こえて、共鳴して中心部全体に響き渡った。余興なのかは知った事ではないが、煮えくり返る腹立ちを覚えた。










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