返事
-中編-



 夜中、木造の階段を軋ませて、ダウドとアルベルトは宿に戻って、部屋へ向かっていた。昨日は1つの部屋を取って3人で泊まったが、今日は個室を取ってある。足を止めると、小声でアルベルトが話しかけてきた。
「ジャミルさん、結局来ませんでしたね」
「宿に戻って来ているかもしれない。おいら見てくるよ」
「では私も」
「いいよ。だって」
 ダウドは足元を見る。
「ここアルベルトの部屋じゃない」
 階段側からアルベルト、ダウド、ジャミルの順番であった。
「お休み」
「はい………お休みなさい」
 酒場での出来事を思い出して、はにかんでしまう。
 鈍い音を立てて、戸が閉まると、ダウドはジャミルの部屋へ向かった。


「ジャミル?」
 ドア越しにジャミルの名を呼ぶ。
「ジャミルー?」
 手を突くと、開いてしまった。中は真っ暗で、ベッドの布団が盛り上がっているのが見える。
「無用心だよ。盗賊の名が泣くじゃない」
 部屋の中へ入って、戸の鍵を閉めた。そろそろと忍び足でベッドへ近付く。
「眠ってるのかな」
 頭まで被っているので、隙間から様子を覗き見ようとする。
「わっ」
 目が合って、ダウドは声を上げて驚く。
「どうした」
 ジャミルが身を起こすと、引き摺るように布団が落ちた。
「んんっ」
 気だるそうに呻くと、欠伸をする。ダウドが隣に腰掛けると、ベッドが軋んだ。
「酒場へ来なかったから、こっちにいるかと思って」
「すまん」
「ううん」
「もう、寝ても良いか?」
「あ、ごめん」
 立ち上がろうとしたが、ジャミルの横顔を見て、何かが引きとめる。
「まだ何かあるのか?」
 ダウドが腰を上げようとしないので、ジャミルはうんざりした顔になる。


「ジャミル、何かあった?」
 ジャミルは眉を顰めた。勘の良さは、時として都合を悪くさせる。
 口を開けば、ダウドにとても酷い事を言ってしまいそうで、今夜の所は眠ってしまいたかった。そして朝目覚めれば、胸の中に重く圧し掛かる錘が取れるだろうから。
「何も無い」
 適当に手を横に振る素振りを見せる。
「本当に?」
「疑うのかよ」
「そういうんじゃ…」
「俺は眠いの」
「うん………」
 頼りない瞳で、ダウドはジャミルを気遣う。大切にされていない訳ではない。それでも、求める物を与えてはくれない。アルベルトにかけた言葉に、執着するのは見苦しいのもわかっている。それでも、割り切れないのだ。もどかしくて、もどかしくて、抑え切れない。
「おいら、しつこかったね。じゃあ……お休み…」
 今度こそダウドは立ち上がる。
「ジャミル……」
 後ろを振り返った。ジャミルが腰布の端を掴んでいた。


 腕を掴んで、ベッドの方へひきよせると、ダウドはバランスを崩して、よろめくように倒れてしまう。
体も仰向けにさせて、手首を掴んでシーツへ押し付ける。ジャミルは下唇を噛んで、怒っているように見えた。股の間に体を入れられ、足を閉じられなくされる。何か嫌な感じがした。
「眠いんじゃ無かったの?」
 わざとおどけてみせる。
「ダウドが起こしたんじゃないか」
 返された言葉が、なぜだか冷たいような気がした。
「ねえ、悪かったよ。だから許して」
 謝った後に、笑って見せた。
 ジャミルの手が伸びて、腰布をつかまれ、性急に解かれる。乱暴で、僅かに走る痛み。
「ジャミル……」
「嫌か?」
「そうじゃなくて……」
 煮え切らない態度に、苛立ちが募る。ダウドの足を上げ、腰を浮かしてズボンと下着を剥ぎ取った。掴んでいた手を離し、上着を捲し上げられる。つかまれていた手首は跡が残り、ダウドは悲しみに顔をしかめた。
「ジャミル、こんなの嫌だ。どうしたの。何かおかしいよ」
 肘を突き、体を上の方へ引き摺って、抜け出そうとする。
「おいら何かしたかい?それでこんな事するの?ジャミル」
 ジャミルは答えず、自分の衣服を脱ぎ出した。
「ジャミル」
 もう一度名を呼ぶ。抜け出すのはやめた。
「ジャミルっ」
 拳を、ジャミルの裸の胸に叩きつける。


「知るか」
 見下ろす瞳が、すっと細くなった。
 ジャミルの顔が近付いてくると、体も近付いて、押し上げられるようにダウドの足と腰が上がっていく。
「いたっ、痛い」
「ダウドが来たんだろう」
 この部屋を訪ねてきたのも、この旅へついて行ったのも、ダウドの意思。断ろうとすれば、いくらでも出来たはずだ。今、ダウドがここにいるのは、ダウドの意思。間違ってなどいないはずだ。ジャミルは自分を正当化させようと、言い聞かせた。
「嫌なら嫌と言え、抵抗したいならもっと抵抗しろ」
 ダウドが信じられない物を見るように、ジャミルを見上げる。
 ああ、何を言っている。何をしている。言ってしまった後で後悔する。やってしまった後で後悔する。それでも過ちは止まらない。大切な物を自ら崩そうとしている。なんと愚かな事か。それでも過ちは止まらない。


 腰を曲げさせて、太股を腹に付けさせる。片手で固定し、空いたもう一方で、荷物の中へ乱暴に手を突っ込み、潤滑油を取り出す。指に絡ませ、馴染ませる場所に触れた。冷たい感触に、ダウドの体がぶるっと震える。押し込められて、指が侵入してくる。
 ダウドは抵抗しようとするが、思うように力が入らない。恐怖で身が竦んでいた。こんなジャミルは見た事が無い。勝手で強引な所もあるけれど、そんな所もひっくるめて愛おしかった。今はどうだ。姿を見ても、言葉を聞いても冷たい。触れると痛かった。
 どれだけ長く側にいても、どれだけ体を重ねてきても、どれだけ想っても、人は完全にわかり合えるはずは無い。だが、こんなにもわかり合えないものなのか。こんなにもすれ違うものなのか。悲しくて堪らなかった。
「痛い、痛い……痛いよ」
 涙を浮かべて、ダウドは首を横に振り続けた。体を捩じらせても、腰をつかまれて逃げる事が出来ない。
「あ……っ……あ……」
 侵入してくる指が増え、刺激されて、ひくひくと体が震えた。薄く開かれた唇から、濡れた吐息が漏れる。


「ジャミル…」
 呼ぶ声は、すがるように聞こえた。
「何か言って。言ってくれないと、わからないよ」
「…………………」
 何も言う事は出来なかった。思い浮かぶのは酷い言葉ばかり。傷付ける事しか出来ない言葉ばかりであった。
「ジャミル…」
 ジャミルは指を引き抜き、熱くなった自信を押し当てて、腰を沈めていく。一方的なセックスであった。
「………あ……………」
 ダウドが顔を背けると、自身から白濁した液がとろとろと流れる。腰を揺らすと、ベッドが軋んだ。
「はっ…………あ…………」
 ジャミルの口から漏れるのは、呼吸だけであった。苦しそうに、悲しそうに、ただ呼吸をし続けた。
「…………んっ……………」
「……ジャミ、ル……」
 肩を押さえて、体を離そうとする。目を固く瞑って、ジャミルの体を引き離そうとする。頬は涙で濡れていた。揺らされて、途切れ途切れになりながら、ダウドは言う。
「どうして。いつも、そう。大事な、事は、黙って。1人で、抱えて」
 押しても離れないので、腕を叩いた。その姿は、だだをこねているようで。
「おいらは、何。ジャミルの、何。おいらを、荷物にさせない、で」
 上がって下げられた手の先が、ジャミルの頬を掠って傷を作る。
「あっ…」
 ダウドは声を上げるが、ジャミルは気にせずに自身を引き抜き、欲望を吐き出した。


「それで満足?」
 息を吐くジャミルに投げ掛けられた言葉。顔を上げた先に映ったダウドの表情は、初めて出会った頃のようだった。










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