手塚の手がおもむろに香りの元であるアロマキャンドルのカップに触れた。
「点けたのか」
「そうだよ。嫌か?」
「大石がそれで良いのなら、構わないさ」
手を離し、振り返れば大石はソファに座っている。
「適当にくつろいで。手塚の部屋も同じだろ」
手塚の決めた場所は大石の隣であった。
香りのある部屋
-手塚×大石・後編-
手塚がソファに座ると、大石はずれて距離を取る。
想像以上に避けられているようだ。
「大石、俺が何か気に障る事でもしたのか」
「してない。で、用は何?」
「避けられている理由を聞きに来た」
直球な意見を言う。回りくどいのは苦手であった。
ふー。大石は息を吐き。
ずずっ。とうとうソファの端まで寄ってしまった。
あまりにも手塚らしい行動。だから辛くなるんだと、大石の心は痛む。
手塚がドイツへ行ってしまうのが寂しい。
こんな本心は過ぎた話を蒸し返すようで言い辛い。
察してくれ、など望めないから、こうして離れるしかない。
「どうした。具合が悪いのか」
手塚が気遣おうとしてくれる。
お前のせいでね、などの皮肉を大石は言えない。きっと手塚は本気にしてしまうだろうから。
「手塚はさ、いつも手塚だよな」
独り言のように大石は呟き出す。
「ん?」
「いつもそこが安心だし、尊敬したりもした。けど、辛くなる時もある。今はそんな所なんだ」
「ん、そうなのか」
「そうだよ……」
肘掛にもたれるように、顔を伏せる大石。
「しかし大石。俺はそう俺のままじゃない。お前が辛いと俺も辛い」
「まーたそういう事言う」
「なぜだ大石」
手塚の声色が変わる。反射的に身を起こし、大石は手塚を見た。
「大石は俺の事を信頼してくれるのに、どうしてお前の事を心配させてくれないんだ」
手塚の視線が大石の利き手を見据える。
全国へのメンバーを決めた、あの勝負の事を言っているのだと察した。
二人の記憶を一つ思い出すだけで胸が詰まりそうになる。
「当たり前じゃないか」
声が裏返りそうになりながら返す大石。
「手塚には手塚の事を考えていて欲しいからじゃないか」
やめてくれ。そんな言い方をされたらドイツへ――――
言おうとした言葉が頭を過った時に、手塚の中で何かが繋がった気がした。
思えば当然だった。振り返れば一方的だった。
こんなにも大事なのに、わかっていても離れるのは辛い。
青学全国制覇の夢は二人で交わしたものだった。しかし、プロになる為にドイツへ行く事は手塚だけの夢。
あの時と同じ感覚で、大石だけに夢を告げてしまったのだ。
「ああ」
息が吐かれ、手塚は頭を垂れる。
「すまなかった。一人で辛い思いをさせて、すまなかった」
「手塚……」
大石は寄り添い、手塚を抱き込んだ。
彼の落ち込む姿は見たくはなかった。すぐに駆け寄って、慰めて、元気付けて、普段の彼に戻したくなる。
「いいんだ。いいんだよ手塚」
「すまない……本当に気付かなかったんだ……俺は……」
「だからいいんだって。俺だって気付かなかったんだから」
輝かしいものだけに目を向けて、それに伴う辛さから背けて、忘れてしまっていた。
大石の手が手塚の背に回り、優しく撫でる。テニスウェアの感触が、手塚の体温が、手に伝わってくる。
「手塚、俺も悪かった」
手塚の顔を上げさせ、大石の両手が背中から後頭部へ回り、耳に触れた。
視界が狭められ、大石の顔だけしか見えない。
見慣れているし、息のかかるほど近付き、触れ合った事もあるのに、手塚の胸は初めて見るような驚きで高鳴る。
微かな音を立てて眼鏡が取られて、大石にかけられた。
視界の範囲は戻るが、ぼやけてしまう。
「まだ手塚を見るのが辛い」
「大石」
手塚は取り返そうと手を伸ばすが、動きに隙が出来、かわされてしまう。
眼鏡をかければ手塚がより鮮明に映る。度が強く、裸眼の大石には目を凝らすと眩みそうになる。
視界が優れない手塚と、合わない眼鏡をする大石の視線は交差し辛い。
そうだ。それくらいで良い。
悪戯めいた笑いを見せようとするが、泣き出しそうに歪む。
けれども手塚には判別できず、からかわれているような気分になった。
「大石、そろそろ返してくれ」
「嫌だよ」
また伸ばそうとする手塚の両手を捉え、手の平を合わせて指を絡ませる。
「大石」
次第に手塚が苛立ちだす。視界のはっきりしない落ち着かなさがあるのだろう。
「せっかく二人きりなんだ」
手塚の動きが止まる。
合わせた手を押されると、身体は傾きソファに半身が倒された。
手を離さぬまま、大石は手塚の上に乗り、顔を近付けて額を付ける。手塚の鼻に眼鏡のフレームが当たった。
「良いのか」
低く問う手塚。
大石は返事を口付けで返す。指を解き、手塚の顎に添える。短くも、唇を味わうかのように落とした。
「ん」
大石の喉が嬉しそうに鳴る。今度は手塚が口付けをしてきたのだ。
唇は口から頬、耳と移動して首筋へ顔を埋めてくる。こそばゆさが、また嬉しくなり。
「あ」
熱い吐息が漏れた。
だがまだ眼鏡を諦めていない手塚の手だけはやんわりと除ける。
代わりとばかりに大石のウェアのボタンを握るようにはずした。
「大石」
手塚の視線が大石の目に合わせようとしてくる。
これ以上先は、口付け以上先は、随分と久しぶりの行為だった。
理由は簡単である。大事な大会に身体の負担はかけられないからだ。
「どうしよっか」
大石は眼鏡を上げて言う。いい加減くらくらして気分が悪くなった。
甘い香りを放つアロマキャンドル横の時計に目を凝らす。
「かけないなら返してくれないか」
「英二はすぐには帰ってこないと思うけど、ほどほどにな」
手塚の訴えは流された。情事が終わるまで大石に返す意思はないのだろう。
「手塚はさ、恥ずかしくないの?」
時計を眺めたまま問う大石。
「久しぶりだし、いつもと全く違う場所だし」
大石に聞かれるまでもなく、手塚の胸は緊張と期待でドクドクと高鳴っていた。
意識をすれば鼻腔をあの甘い香りがくすぐってくる。
「大石。それでも俺は俺で、お前はお前だ。たとえ何が変わろうとも。俺はそう信じたい」
振り返る大石の表情は複雑そうな笑みであった。
こんな時に言うべき事じゃない。
いかにも手塚らしい。
そんな手塚だからこそ愛おしい。
様々な思いが込められていた。
「では、しますか」
「無論だ」
おかしな確認に、緊張が解れていく。
合意が成立すれば、手塚の手はすぐに大石の腰を捉える。
「性急すぎるって」
大石は喉で笑い、身を起こす。
そうして後ろへ倒れ、両腕を上げて伸びをする仕種で手塚を招こうとする。
「良いよ、手塚。おいで」
手塚も身を起こし、今度は彼が跨った。
「あ。手塚……ちょっと」
身じろぎして込み上げるものに耐える大石。腰を捉えていた手塚の手はズボンへ入り込み、脇に触れてきたのだ。くすぐったくて身体が動いてしまう。
「くすぐっ……たいよ。あ……そこは駄目だって………ああ」
初めは眼鏡が無いからそんな触り方をするのだと思った。
いつまでもやめない行為に、漸くわざとだと気付く。
笑い過ぎて目尻には涙が浮かぶ。呼吸も乱れ、次第に色を持っていく。
「手塚。なんとか言ってって」
手塚が顔を近付け、ボタンが外れて肌蹴た鎖骨に舌を這わせてきた。
片腕の手首を掴まれ、蠢く指が大石の手の形を感じようとする。
「は」
「……手塚ぁ」
手塚の息が大石の肌にかかる。身体が熱い。内側からも外側からも熱くなってくるのだ。
「俺を見てよ」
「大石」
空いている片手で手塚の顔を上げさせ、唇を合わせる。
ずれるが構わず舌を絡め合う。口の端についた唾液は舐め取って。
「ん…………ぅ」
「……あ」
口付けに夢中になる中、大石の片足が器用に靴を脱いで持ち上がり、手塚のズボンのゴムを引っ掛けた。
「おい」
手塚は目を丸くさせて口付けをやめる。
「誰かさんはほどほどと言ったはずだが……?」
「言ったよ。でもこんなんでどうするんだ?」
身体を合わせていれば、互いの中心がどうなっているかはわかっていた。
欲望が抑え切れないほど高まっている。
「ほどほどだよ。一回、な?」
大石の瞳が動いて手塚を捉えた。理性をものともしない本能に巻きつけられた鎖を引かれた気分になる。
「しかし」
躊躇う手塚。それもそのはず、慣らす道具もない。
無い訳でもないのだが、今身体を離せばムードぶち壊しとなる。
「大丈夫」
大石は手塚の腰へ手を持って行き、ジャージのポケットを探った。
「ほら」
取り出して見せたのは軟膏。小さく、入れっぱなしにしていたので手塚本人はすっかり忘れてしまっていた。
「なぜ知っていた」
「俺は副部長だよ」
「…………………………………」
軟膏の蓋の方を差し出されると、手塚は噛み付いて大石が取る。蓋は床の下に置いて、開いた軟膏を返した。
大石の両足を手塚の肩に乗せ、手塚が大石のズボンと下着を下ろす。
「……肩、大丈夫か?」
「ああ」
余所見をして呟くように問う大石に、手塚は淡々と指に軟膏を出し、大石の窄みに塗りつけた。
「久しぶりだから、ゆっくり、な」
「わかっている」
手塚の指が大石の窄みに入り込み、慣らし始める。
言われたまま通りの、ゆっくりな動きであった。
「んん」
指の侵入だけでも異物感と痛みに、唸る大石。
「………っふ」
しかし慣れだすと、苦しみ以外のものが湧き上がってくる。
察したのか指の本数を増やし、速めてきた。
「大丈夫か?」
「ん。手塚もキツいだろ?そろそろ大丈夫そうだ」
「わかった」
自身を取り出し、手で持って窄みに宛がおうとする。
けれども、視界が不自由で場所が定め辛い。
「……そう、そっち。そこだ、手塚」
大石が場所を誘導する。
「……大石……」
腰を沈め、手塚は自身を大石へ挿入した。
「……は………、あ、あ」
大石は大きく息を吐いて手塚を受け入れる。
手塚自身が入り込んで行けば行く程、血液を溜めて膨張した大石自身から流れ出る欲望。
「ん……すまないっ……」
手塚は大石の了承を得ずに腰を揺らしだす。彼の我慢はとっくに超えていた。
衝動のままに腰を打ち付ける。
「んうっ、ん」
大石は揺らされ、手塚の肩に乗った足が揺れた。
手塚と大石。二人の男が身体を動かせば、ソファが軋み、鈍い音を立てる。
求めれば感じる、求めただけ音が応える。
さらに二人を興奮させた。
「はぁ、あ、あ、はっ……」
「……はぁっ、はぁ」
快楽だけが優先され、口から漏れるのは息遣いのみ。突き上げる快感が理性を押し流し、本能を晒し出す。愛しい人を受け入れている。愛しい人に受け入れられている。とても心地が良い、幸せの絶頂であった。
手塚と離れるなんて、想像もしたくない。嫌だ、嫌だ、絶対に嫌だ。
大石は心の内で本心を叫ぶ。
すまない。
心の声が聞こえているはずはないのに、手塚は謝りたい気持ちになった。
時が止まるか、今がずっと続くか、永遠を願わずにはいられない。
しかし永遠というものはない。快楽は駆け抜け、手塚に限界が訪れようとしていた。
「大石」
「ここにして」
大石は自ら上着を捲し上げ、腹を見せる。彼が息をすると、艶めかしく上下した。
手塚は自身を引き抜き、大石の腹に欲望を吐き出す。
ソファの軋みは止み、薄く唇を開いて息をする手塚に、大石は眼鏡をはめてやる。情事の終わりを示しているようだった。
「手塚お願い、ティッシュを取ってきて」
大石はソファから転がったまま頼む。彼が動くと吐き出した欲望が流れて、汚れが酷くなってしまうのだ。大石の腹から下は二人分の体液でぐしゃぐしゃになっていた。
「わかった」
「そこのベッドの横、俺の鞄の脇のポケットに入っているから」
「ああ」
手塚は立ち上がり、ベッドの元へ行き、横にある鞄を開けてポケットティッシュを取り出す。
まずは己自身を拭って、衣服を正した。
早く大石に持って行こうとしたが、あるものに目が留まり、後ろを向く。
「大石」
「ん?」
手塚の瞳には、大石のベッドの近くにおいてあったアロマキャンドルが映っていた。
「この香り、思いのほか気に入った。慣れただけかもしれないが」
部屋に入ってから、ずっとこの匂いを嗅ぎ続けていた手塚はすっかり虜になっていた。
甘すぎるくらいが良い。大石と同じ事を考えていた。
「じゃあまたおいでよ。近い内に」
振り向き、大石を見れば彼の口元は弧を描いている。
「そうだな」
手塚の口の端も上がる。
二人の笑みは色を持ち、頭では先ほどの甘い情事を反芻させていた。
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