軽いノックが廊下に響く。
せっかちのような、面倒そうな。心は別の所にあるような、そんな音が。
叩かれた扉の部屋にいた樹は扉を開ける。予想通り、相手は菊丸であった。
菊丸のノックの癖などわかりはしない。けれども、仲間にあんな叩き方をする人間はいないのだから、消去法で彼だと察していた。
香りのある部屋
-菊丸×樹・後編-
「どうしたのね」
本日二度目の出会いに、樹の口元は綻ぶ。
「あーこれ、助かった」
視線を合わさず、畳まれたTシャツを返された。
「はあ……」
受け取る樹の表情に影が差す。
「明日でも良かったのに」
逸らしていた菊丸の瞳が樹を捉える。
「早い方が良いだろう」
「今日中に返されると、明日は会ってくれなさそうですね」
「そうじゃないって」
声を潜めながら強い口調で放ち、次にはさらに小さく囁く。
「……部屋、誰かいる?」
「いないのね」
「入っても良い?」
「お前がいちいち確認なんて珍しいですね。どうぞ」
「刺があるな……」
菊丸は辺りを見回して樹の部屋に入った。
「…………………………………」
相変わらずの警戒というか、自意識過剰というか。
樹は突っ込みたい衝動に駆られたが喧嘩をする気はないので黙っておいた。
「あ」
扉を閉めるなり、樹は玄関横の壁に押し付けられる。反射的に吐息が漏れた。
「…………………………………」
声を発そうとした口内に菊丸の指が入り込む。明かりをつけていない玄関は、部屋からの僅かな光が差し込むだけで薄暗い。
「ん」
口を動かそうとすると中の唾液が指に絡んで水音を立てた。息を呑む樹に、菊丸は正面から彼の瞳を覗き込んでいる。大きくも鋭い目つきに樹の胸は高鳴り、頬が上気した。
「は」
指が引き抜かれ、別の指が入り込み、弄られる。
菊丸の身体が樹の胸に密着し、顔が近付けられた。
頬を舐め上げられ、口を閉じまいと耐えれば身体がぶるりと震える。
昼間は自身を曝け出し、菊丸自身も受け入れたというのに、愛撫で身体はすぐに熱を持っていく。けれども流されず、樹は菊丸の手首を掴んで指を出させた。
「何もこんな場所でしなくても良いのね」
「…………………………………」
菊丸の口は不満そうに歪むが、樹に連れられるまま寝室へ向かう。
しかし、ベッドに行く前に後ろから抱き着いて床に組み敷いた。
不意打ちと機敏さで、樹の方が体格は良いが倒すのは菊丸にとって容易い。
「菊丸っ」
樹の手から持っていたTシャツが落ちる。
菊丸は応えず、樹の首筋に甘く噛み付き、熱い吐息が肌にかかった。
「……あ………あっ……」
柔らかい肉を吸われれば樹の全身に微弱な電流が走り、手足が何かを求めるように伸ばされる。
菊丸は顔を上げ、息がかかる距離で見下ろされる。熱っぽい視線に、樹も熱を帯びて半眼で見詰め返した。そのまま唇を合わせようとした菊丸を樹はかわす。
「む」
またもや菊丸の口は歪んだ。横目で樹は捉える。
「なんか……おかしい」
樹の呟きはすぐに返された。
「何がだよ」
「どうして、暗い場所とか、硬い場所でしたがるのね。柔らかいベッドがここにあるのに」
疑問を口に出す樹。
初めはただのムードだと思っていた。だが次第に、おかしな点に目がついてくる。
「そっちの方が気持ち良いですよ」
出来るだけ優しく言う。
「気持ち良いだけが全てじゃないだろ。硬い場所なら散々やっただろうが」
口早な菊丸。彼の言う通り、二人の情事は硬く暗い場所で交わす事が多い。後ろ暗い行為には相応だと自嘲していた。けれども今のこの場所は違う。
二人きりで、誰にも知られる事無く、心地よく抱き合える。願ってもみない幸運なのに、樹には菊丸がわざと避けている気がした。
「気持ち良いから、するんじゃないのね」
「床だって十分良いじゃん」
樹の口を塞ぐように菊丸は強引に唇を押し付ける。
瞼を強く瞑り、息苦しさか眉間にしわが寄った。
「………………ぐ…………」
樹の手が菊丸の二の腕を掴み、身体を押して半身を起こそうとする。
唇を合わせたまま、二人は床に座り込む体勢になった。
「んう」
いい加減苦しくなり口付けをやめると、菊丸は俯いて樹の肩口に顔を埋める。
樹は片手を背へ回し、そっと抱き寄せた。
「菊丸。落ち着いてください」
背を撫で、頬を摺りつける。
「なにをそんなに焦るのね」
菊丸は応えない。樹は息を吐き、手を下の方へ持っていく。
「じゃあ続き、しましょうか」
「わ」
驚いて顔を上げる菊丸。樹がズボンに指を引っ掛けてきたのだ。
「腰、上げてくださいね」
「え……ああ……」
言われるままに腰を浮かせた。菊丸はハーフパンツ下にスパッツも履いているので、ずり下ろせるものではなく、こうして浮かせる必要がある。明るい場所で下肢を曝け出すのは羞恥を煽られる。自分で脱ぐと言おうとした口がひくつく。タイミングは遅れ、下着から自身を取り出されてしまった。しかも反応を示してしまっている。
「良かった」
樹は無表情で嬉しそうに呟く。
「嫌じゃないんですね」
包むように菊丸自身を手で捉える。
優しく扱おうとする素振りは焦らす作戦だと見抜いているのに、身体は感じるままに熱くなった。
「こう……ほら……」
「うくっ」
指が菊丸の快感の箇所を的確に刺激する。
「弱めなのが、好きなんですよね」
「あっ」
耐え切れず、床に尻をついた。心地よさに足を広げ、樹の愛撫を受け入れようとする。
「でも、それだけじゃ嫌なんですよね」
「……はっ」
握りこみ、親指で頭の部分を弄りだした。
菊丸の背筋が反る。
「は…………は…………」
息を乱しながら、樹の口元を見詰めた。彼だけにわかる、口でして欲しいという合図である。
「駄目ですよ」
樹はきっぱりと断った。
「お前と話がしたいから」
「…………ん………」
菊丸自身の先端から蜜が分泌され、指に絡めて上下させれば卑猥な音を鳴らす。
「あ……っ……樹……」
高まり、膨張し、今にも自身は欲望を吐き出しそうだった。
だが――――
「いっ!」
菊丸は目を丸くして硬直する。こめかみに滲み出した汗の滴が一つ伝った。
樹は指で輪を作り、菊丸自身の先端をきつく締めたのだ。これでは吐き出そうにも吐き出せない。
「あの……それ離してくれないかな」
「それ?」
樹はもう一方の手で鈴口をなぞる。
「うわわ」
ぞくぞくだかびくびくだか、もうよくわからない刺激が走った。
菊丸は汗が溢れ出すのを感じる。本能が塞き止められるという危機に襲われているのだ。
「俺は菊丸と話がしたいんです」
「……あ、ああ」
間を空けて頷く。頭の中は欲望を吐き出したい気持ちで埋め尽くされていた。
「どうしてベッドは嫌なのね?床が趣味なんですか?」
真顔で問いかける一方で、指は容赦なく菊丸自身を弄んでいる。
これは拷問なのだ。やっと菊丸は理解した。
「嫌なもんは嫌なんだよっ」
素直に答えれば許してくれるだろうに、反発してしまう。
目には苦しそうな自身に向いていた。涙まで浮かんできて視界が歪みだす。
「それは答えではありません」
「樹……っ、お前はベッドが良いのかよっ」
声が裏返りそうになるのも忘れ、必死に受け答えをする菊丸。
「そりゃそうですよ。こんな機会、そうそう無いのね」
「そうやって食いついちゃうのかっ。また硬い所に戻るんだぞ。一度味を占めたら、きっと嫌になるぞっ」
「あ」
樹はぽっかりと口を開け、瞬きさせる。
菊丸がベッドを避ける理由がなんとなくわかってきた。彼は二度と味わえないかもしれない快楽を知るのが怖いのだろう。
「ああ……」
樹の手が緩み、塞き止められていた欲望が一気に吐き出される。勢いを増し、多目の量が飛び散り、樹の頬にまで付着した。解放された菊丸は後ろへ倒れこむ。
「菊丸……後のことなんてどうにかなるのね。こんな豪勢なものは無いかもしれませんが、二人きりで眠るくらい、考えればその内見つかると思います……」
樹ははみかみながら菊丸に話しかけるが、当の菊丸はそれどころではない。
頭の中の何もかもがが真っ白になって、今まで経験した事のない快感に浸っていた。抑圧されればされるほど、解放とはこの上も無い快楽なのだと悟りまで開きだしている。
「菊丸?」
起き上がる気配を見せない菊丸に、樹は様子を伺う。
「わっ」
急に身を起こす菊丸。
「わかった!」
樹の肩を掴んで迫る。樹はただ驚くばかり。
「耐えれば耐えるほど気持ち良いんだ!」
「ち、ちょっとっ」
勢いのまま床に押し付けられ、見上げる菊丸の顔に曇りは無い。彼の憂鬱は解決されたようだ。安堵し、樹は口元を綻ばせようとするが、ハーフパンツを掴まれて我に返る。
「いけませんったら」
服を押さえ、首を横に振った。
「なんでだよ」
「なんでも……」
声が途中で小さくなる。菊丸の視線で断る訳を知られてしまったと悟る。
樹のハーフパンツは湿っていた。恐らく、菊丸自身を弄る内に達してしまったのだろう。
「あーあ」
さもはしたない事のように吐き、樹のハーフパンツを下着ごと下ろす。
「俺の見ただけでねえ」
樹の肌は羞恥に染まる。
「だって、菊丸の気持ち良い事は、俺にとっての気持ち良い事なのね」
「そう言われてもねえ」
腰に手が触れ、樹はうつ伏せにされた。手が双丘を掴み、指が隙間に割って入る。
「どうせ出すだけじゃ満足できないんだろ」
「わかっているなら、言わないで欲しいのね」
指が窄みに押し当てられ、沈められていく。
「……あ……」
顔の横に伏せられた樹の手に力がこめられ、ぶるっと震える。
すでに吐き出された白濁の欲望で、窄みは濡れそぼり、指の侵入をたやすくさせていた。それに昼間にも受け入れていたので、すぐに馴染んでくる。
「話がお早いようで」
わざと乱暴に指でかき回せば、樹の喉が鳴った。
指を引き抜き、菊丸は自身を窄みにあてる。再び血液を集めて硬さを帯びていた。
けれども中々挿入しようとしない。窄みに摺りつけ、焦らしだす。
欲望で濡れた窄みと自身は、明かりに照らされると鈍い光を放ち、やがて自身から蜜が分泌されると二人だけが知るあの卑猥な音を出してくる。
「……菊丸…………」
窄みが欲しそうにひくつき、首を精一杯後ろへ回して樹が強請りだして来た。
その甘い囁きに菊丸の興奮も高まってくる。
「どうする?ベッドにしよっか」
「…………………………………」
意地の悪さに樹は唇を尖らせた。
「ほら」
「あっ……」
菊丸が膝で立ち、樹の腰を引き上げる。自身が一気に内を貫いた。
「うあっ………!」
激しい突きに樹は這い蹲るように耐える。空気を取り込もうと開いた口から唾液が床に流れた。
「くうっ………ふっ…………ふう………」
「…………は………っ………は……」
肌と肌がぶつかり、息遣いさえも掻き消そうとする。身体を合わせる前から高まりきっていた二人が限界へ到達するのは早い。しかし避妊具は付けておらず、菊丸は自身を引き抜こうとするが、樹は意識的に内を締め付ける。
「あ!」
はちきれそうな自身は欲望を吐き出してしまう。
「んん、あああっ」
ただでさえ菊丸自身に窄みはいっぱいになっているのに、そこからさらに体液が溢れたのだ。
苦しいはずなのに、快感と幸福に脳は浸りきっていた。
今度こそ自身を引き抜くと、窄みから菊丸の欲望が伝い、しかも樹自身も達して床を汚していた。その様を後ろから全て菊丸に見られてしまっている。この上も無い羞恥の中、腰を下ろせば床は冷やりと冷たくベタついた。
これで終わりでは無い。次はベッドでの行為が待っているのだ。
床には二人分の衣服と湿ったティッシュが丸まって転がっている。
ベッドからは鈍く軋んだ音が鳴っていた。
その上で樹の身体に菊丸が跨り、二人の身体は吸い込まれるように沈んでいく。
「……あっ、あっあ……」
樹は菊丸を見上げ、薄っすらと汗を浮かべて息を乱す。
「ん、く……」
菊丸は低く呻き、額の汗を手の甲で拭う。
菊丸自身はまたもや樹の窄みに深々と突き刺さり、樹の上げられた両足は菊丸の腰に絡み付いていた。結合部は体液で滑り、動こうとすれば淫らな音を鳴らす。膨張した樹自身は菊丸の腹にあたり、零れる蜜は下肢へと流れていく。
「まだ、だかんな」
ときどき菊丸が付け根を掴み、欲望を吐き出させまいとする。
「溜め込んで出すと、すげーんだから」
彼は自分が味わった絶頂を樹にも体感してもらおうとしていた。
「あの」
樹が語りかけようとすると、すかさず菊丸が口付けで塞ぐ。
「菊、丸」
菊丸は身体をあまり揺らさず、樹の話を妨害して遊んでいた。二人とも辛い状況なのに、それを逆に楽しんでいる節がある。
「ん」
顔を上げた菊丸の鼻がひくついた。鼻腔をくすぐる香りに気付く。嗅いだ覚えがある気がした。
「やっと気付きまし、た?」
語尾が嬉しそうに上がる。菊丸が身体を動かしたのだ。
樹は腕を上げ、ベッドの棚を指差す。そこにあるのは氷帝から貰い大石が引き取る羽目となったカップ型のアロマキャンドル。
「それは……」
「氷帝の人から貰ったのね。皆匂いがくどいって言うんで、俺が引き取りました。良い匂いだと思うんですけど」
樹は流暢に話す。ずっと菊丸に言いたかった事であった。
「いつから……」
「お前がTシャツ返しに来る前ですよ」
「気付かなかった」
がくっ。菊丸は頭を垂れる。なぜか負けたような気持ちになった。
「どうしたのね。菊丸はどう思います?」
「俺は……」
菊丸は頭を巡らせる。初め河村の部屋で嗅いだ時は甘すぎて嫌なものに感じていた。しかし今は、好きとは思えないにしろ、気にしない程度のものへ印象は変化していた。
「腹が減る」
甘い香りは夕食を取っていない腹には堪える。
「俺もお腹空いたのね」
樹の笑う胸の動きが菊丸にも伝わってきた。
「そろそろ食べに行きたいのね」
「まだ時間掛かるぞ」
菊丸は自身を引き抜き、樹をうつ伏せにさせて抱きこむように沈める。
静かに動きを速め、身体を揺らしだす。
「シャワーでもう一回するんだからさ」
首筋を甘く吸って離すを繰り返して囁いた。
「まだ、するのね?」
気だるそうに樹は問う。
「何か問題でも?」
「ある訳ありません」
甘い香りに包まれた甘い時間は、まだ終わりからは遠い。
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