唯一有彩色 <10>
肉の刺さる音を感じた。人の呻く声。
抜かれたナイフ。
飛び散る赤い血。
まるでスローモーションのように動いていく事象。
目の前の体がぐらりと揺れた。
重なりあう人影。
自分の方に倒れ込んでいくそれを受け止めようと一歩前に出る。
胸にどさりと重量を感じた。
そこからずり落ちていくその体を引き止めようとして手を伸ばすと、
ぬるっとした血液の感触が身を襲った。
「夜神っ!」
倒れ込んできた月の体を抱いてLは叫んだ。
確かに基端の刃と憎しみの感情はLに向けられていた。
そして不意打ちのその動きにLはなす術もなかった。
このままあと一歩で刺されると言う瞬間に、目の前に飛び出して来たのだ。
夜神月が。
それはLにとっても、元端にとっても信じられない情景だった。
そう、なぜ私を庇う必要がある。
お前は私が死んだ方が嬉しいんだろう?
疑問を抱きながらLは月を強く抱く。
ふわりと柔らかい髪の匂いが鼻を掠めた。
場に不似合いな石鹸の匂いが一瞬だけ、血液の生臭い臭いをかき消す。
傷口からはどくどくと新しい血が流れてくる。
生温く、暖かい。
「なんで庇うんだよ……そんなに……そんなに、そいつが大事なのかよ」
基端の呟く声が聞こえた。
それを聞きLは怒りに打ち震えた。
夜神月は血を流し力なく倒れているというのに、その原因である男はすぐそばで平然と生きている。
Lはそっと月の体を床に降ろした。
そしてすぐそばで呆然として立っている基端を殴った。
予備動作はほとんどなかった。
不意打ちに近い一撃を顔面にくらい基端が倒れる。
床に転がった基端の腹をLは思い切り踏みつけた。
潰れた蛙みたいな声を基端があげる。
怒りに支配された為かLの顔に感情と言うものは全くない。
無表情で行われた一方的な暴力は、視覚的にも元端を打ちのめした。
怖気がする。
狂った人間にも狂っていると思われるほど、Lのその様子は尋常ではなかった。
Lは何度も何度も元端を踏み付ける。
踏みつけるとその度に元端は痛みに呻き声を発した。
連動するその動作はまるで何かのおもちゃのようだった。
やがてその呻きすら聞こえなくなる。
恐怖と痛み、そして腹を蹴られ続ける事による呼吸の難しさが元端の意識を失わせた。
しかしLはその事に気付かず、ただひたすらに元端を傷つける事に専念した。
「……りゅー……」
小さく声が聞こえた。
空気のわずかな振動にLは反応して、振り向く。
月を傷つけられた怒りに肝心の月を忘れていた。
見てみれば月の体は血で真っ赤に濡れている。
ざわっとLの背筋に悪寒が走った。
頭の中がぐちゃぐちゃとしてしまい何も考えられない。
とにかくLは月の元に駆け寄った。
真っ赤な血の色が視界を埋め尽す。
月を抱き寄せるとひゅーひゅーと息をする音が聞こえた。
月のちょうど脇腹あたりから血は吹き出している。
Lの白いシャツや古ぼけた色のジーンズが赤い色に侵食されていく。
その光景に異様なほどの恐怖を覚え、それをかき消すようにLはさらに抱く力を強くする。
「りゅう……が」
「月くんっ!?月くんっ、月くんっ!御無事ですか!?」
名前を連呼し、見るからにひどい状況なのに無事かどうか必死で聞いている。
そんなLをいやにおかしく感じ、月は小さく笑みを漏らした。
ただし上手く笑えずに唇の端がわずかに歪んだに留まったが。
「無事じゃない……病院」
片言の月の言葉に、やっとLは病院に連れて行かなければならないと思い至った。
それすらも頭に浮かばないほどにLの精神は混乱していた。
急いで月の身体を抱き上げる。
血がぽたりとLの足に落ち、びくりとLの身体が震えた。
「どうしましょう、月くん。このままじゃ月くんが死んでしまいます」
ふざけた事を言う男に月は息も絶え絶えに答えた。
「馬鹿……そうならない様に、さっさと病院に連れてけ」
なんとかそれを言い切ると、月の意識はふっと遠のいてしまった。
貧血だ。
月の頭が重力に引かれてLの腕にもたれ掛かる。
Lは月の重みを腕に感じながら走り出した。
早く車へ、ワタリの元に行かなければ。
「ワタリっ!」
ワタリは元端の家族との対応に玄関にいた。
物置き小屋に通じる庭先からのLの声に振り返り、その必死な表情に少し目を見張る。
「ワタリ!月くんがっ」
その言葉に腕の中でぐったりとしている月に気付く。
それを見たワタリの行動は素早かった。
「竜崎、こちらへ乗せて下さい!」
元端の家族に後の事はこれから来る警察へ任せるように伝えると、車の後部座席を急いで開く。
月を抱いたままLが乗り込むのを確認するとと、ワタリも急いで運転席に乗り込む。
ここへ来るのと同じくらいの猛スピードで車を発進させた。
とにかく速く、前へ車を走らせる。
後ろをそっと伺えば後部座席のLは月を抱き締めたままでいた。
月の顔色や出血具合からこのままでは危険だろうとワタリは判断する。
「L、月さんに止血を」
「えっ、あぁ、そうか」
そう言われて初めて気付いた様子だった。
Lらしくない混乱の仕方にワタリは眉を潜める。
バックミラー越しに見れば月の応急処置をしようとするLの手がわずかに震えていた。
「L……大丈夫ですか?」
不調を指摘する声にLの身体がびくりと反応した。
「ワタリ……今私はどうしようもなく、怖い」
Lから漏れた弱気な言葉にワタリは驚きを隠せなかった。
Lは月の止血をなんとか終え、そのままそっと身体を抱き寄せた。
「彼が死んでしまう事が怖い。
死んだら私のせいだ。
いや、そういう問題ではない。
ただ、彼がいなくなることが怖い。
彼が死んでしまったらと考えると……
もう、何も考えられなくなる。
思考が止まってしまう……」
もし彼が死んでしまったら、自分はもうLとしては役に立たないだろう。
そんな事を思いながら月の心音を感じようと胸に耳を当てる。
ほんのわずかに上下する胸と緩やかな鼓動がLの心を少しだけ安堵させた。
「Lは彼を大切に思っているのですね」
その指摘はLにとって意外なものだった。
自分が夜神月に対してそんな思いを抱いているなんて思っていなかった。
だが他者からはそう見えるらしい。
そう言われるといやに納得できる言葉だった。
私は夜神月を大切に思っている。
妙な嬉しさを感じる。
だがワタリの言葉から見え隠れする複雑な感情がLを制した。
ワタリの思い。
Lにそんなにも大事に思う相手がいると言う純粋な嬉しさ。
その彼がLの考えるキラの容疑者であると言う未来の裏切りを思う悲しみ。
そして世界の切り札たるLがキラ容疑者に情をかけているという危惧。
「ワタリ……私はLである事を忘れない。
彼はキラだ」
ワタリの思いを正確に読み取ってLは言った。
自分がLである事はLたる自分が一番よく理解している。
そして月がキラであろう事も。
だが感情は許されない事だからといって止められるものではない。
そして許されない関係である事も止められるものではない。
「ワタリ、私は彼を死ぬまで大事にしたい」
死を免れない関係ならばその間だけでも良い。
「あなたが決めた事ならば、私はそれに付いて行くだけです」
だがそこで「しかし」と言葉を濁す。Lはワタリの次の言葉を待った。
促されて苦々しくワタリが口を開く。
「僭越ながら申し上げますと、彼の死にはL、あなたが最も関わる」
Lは顔をあげた。
目の前にある月の青白い頬をそっと撫でる。
「わかっている。彼を殺すのは私だろう」
このまま行けば月を処刑台に突き出す役目を担うのはLだ。
もちろんこれから先、容赦などするつもりはない。
お互いが熾烈に争い、日ごと死に近付く関係だ。
許されない思い。
「だが、それでも……」
続く言葉は空に消えた。
ただ今は、彼の命のともしびが消えない事だけを祈る。