パラレルお題
唯一有彩色      <6>
 ずきずきと手首の辺りが痛む。
ぼんやりとしている意識を無理矢理覚醒すべく、月は瞼をこじ開けた。
体をよじるとかしゃん、という金属の高い音が響く。
どうしてこんな状態になっているのか……



たしか薬品を嗅がされたんだった。



 どうやら連れ去られてしまったらしい。
自分の迂闊さをなじるが、相手はあの時ナイフを持っていた。
殺されていないだけ『まし』だったのかも知れない。
月は頭を横に振って自分への罵詈雑言をかき消すと思考を切り替えた。
 とりあえず脱出の手立てを考えるにも情報は不可欠だ。
辺りを観察してみると雑多に物が置かれた小さな部屋だという事が分かった。
至る所にキャンパスが置かれ、画材が積み上げられている。
いかにも芸術家志望の部屋なので、自分の姿は異質であると感じた。
 月は両手首をベルトで拘束されていた。
ベルトは十字型の鉄板につながれていて、これではまるで張り付けにされたキリストだ。
足は鎖でつながれているので手よりは自由だが、動き回る事はもちろん立ち上がる事など到底出来ない。
 しかし部屋の様子で特に目を引いたのは床全面に敷き詰められた新聞紙だった。
かなりの量が敷かれてるので足から感じる床の感触は新聞紙の厚みでもこもことして柔らかい。
 その新聞紙を観察してみると、一番上に敷かれているのは今日の新聞でまだ新しい。
よく見ればあらゆる新聞社の新聞が敷かれていた。
 そしてどの新聞も一面の記事が切り取られている。
今日の一面記事と言えば例の猟奇殺人犯だ。
それが切り取られていると言う事実に一抹の不安を覚えた月は、嫌な予感がして新聞紙を蹴りあげた。
ズレた今日の新聞の下には古い新聞が敷かれている。
しかしそれは”何かの液体”によって赤黒く変色していた。
血液がしみ込んだ新聞に月は息をそっと吐き出した。
背中に脂汗が流れるのを感じて、落ち着くように自分に言い聞かせる。
(僕なら大丈夫……)
 あてにならない言葉を言い聞かせて、月はじっと自分の目線の先にある薄汚れたドアを見据えた。
神経を研ぎすます。
人の気配は感じない。
「リューク」
 できる限りの小声で月はすぐそばにいるだろう死神に呼び掛けた。
ふっと目の前にグロテスクではあるが愛嬌のある顔が現れ、月は今度は安堵の息を漏らした。
『やっと声かけてきたな。大丈夫か?』
「まだ死んでないから大丈夫だろう。ところでリュークはここどこだか分かる?」
『車に乗せられたから分からないな』
「そう……まぁ分かってもそこまで役立つ事じゃないような気がするし。
ちなみに時間は?」
『大して長くないぞ。10分くらいだ』
「じゃあ住宅地の中か……大声出したら人がくるかな?」
『隣の家からは離れてるぞ。ここ物置きだ』
 物置きと言う言葉に合点が行く。道理で窓がないはずだ。
しかも隣の家から離れているくらいの物置きとは、犯人はそこそこに金持ちらしい。
少なくとも東京の住宅街でそれなりの土地を持てるくらいの。
 思考に没頭していると、ごそごそと言う衣擦れの音が聞こえた。
どうやら犯人の御登場らしい。
がちゃりというドアノブをひねる音がした。
「あぁ、起きたんだね」
 現れたのは間違いなく月が争った相手だった。
中肉中背の月と同年代の男。その手には大量のバラの花が抱えられていた。
真っ赤な色に目を奪われる。
「はい。プレゼントだよ」
『ウホッ』
 思わずこぼれたらしい死神の驚きの声を無視して、月は目の前に広がった赤いバラの群れを見据えた。
「何のつもりだ?」
「何って?君には赤い花がよく似合う。だから買ってきたんだよ」
 男はバラを手にしながらああでもない、こうでもないと月の周囲を装飾する。
男の手がそっと月の頬に触れようとした時、月は男を睨み付けながら冷たく言い放った。
「僕に触れるな」
 言った瞬間、男の平手が月の頬を強か打った。
頬がひりひりと痛んだが、月は睨み付ける事を止めなかった。
「お前は今話題の殺人鬼だな?」
「……殺人鬼なんて酷いな。芸術家だよ」
 男はバラの花を1本手折って月の髪にからめた。
「美しい顔をこの世で最も美しい赤で飾ってあげている。
最高位の芸術だ。神の御技だよ」
「神……ね」
 陶酔するような表情でいる男に呆れた。
馬鹿馬鹿しい話だ。あのような汚らしい死体を芸術と呼び、崇めている。
「神はお前を許さないよ。お前は殺人を犯している」
「神はぼくの芸術を愛でている。神は鑑賞者でぼくは表現者だ」
 男はにやりと笑った。
馬鹿な事を言う男だ。
『神』は弱い者を救い犯罪者を殺す存在だ。
こんなうす汚い事件を愛でるはずがあるわけない。
「お前は犯罪者だ。わざわざ身元を断定し難い者を標的としているし、
力の弱い女性を薬品と暴力で拉致をしている。
捕まらないように行動している時点で許されない行為だと分かっているんだろう?
これは犯罪だ。お前は警察に捕まり、裁きを受ける」
 きっぱりと言い切るがそれを意に介さずに男は口の端を歪めて笑う。
「誰もぼくを裁けない。警察も、キラもだ」
男の手が月の頤にかけられ、顔を上向きにされた。
うっとりとした表情をする男が気色悪い。
「君は特別だ。今までで一番の芸術作品になる」
 そっと近付く男の顔に、月は顎にかかった手を振払って感情のままに頭突きを食らわせた。
「ぐあっ!」
 男が痛みに呻き後ずさる。
月の方も勢いを付け過ぎたため手首の拘束がぎりぎりと痛んだ。
しかし男からは決して目をそらす事なく睨み続けた。
 頭付きを食らった男は怒りに目を血走らせている。
一触即発の空気を破ったのは単調な電子音だった。
ポケットに入れられたままの月の携帯がその存在を主張している。
そしてそのシンプルな着信音が伝えるのは掛けてきた人間を月に伝える。


Lからの着信だ。


 携帯番号を教えてもらった時にLの着信音だけシンプルな電子音に変更した。
様々に紛れてしまう着メロより、そのままの音の方がすぐに気づけると思ったからだ。
一度Lの方が「おそろいの音です」などと抜かしていた事も同時に思い出した。
場に似合わない穏やかな記憶だ。
 だがLからの着信と言う事実は月の高ぶった心を一気に沈めた。
今自分は携帯を通してLと繋がっている。
急速に月の心は冷たさを取り戻した。
こんな程度の低い殺人鬼などに構っている暇はない。
自分の前に立ちふさがるのはLただ1人だ。
目の前の男は障害ですらない。
 程度の低い殺人鬼は月のポケットから鳴り続く携帯電話を取り出した。
ディスプレイを一瞥して、電源ごときる。
「これで連絡とれないよ」
 男は連絡手段を失った月を嗜虐的な目で見つめていた。
だが月はこれでLが異変に気付くだろうと言う確信があった。
月がLの電話を無視するはずがない。
それをLは分かっているはずだ。
 これで自分の現状を外に伝える事ができたと、月は少しだけ安堵した。
もっともLの手助けを借りる事になりそうなのが癪だが。
 男は月に絶望を味わせてやったと気分がよくなったのか、上機嫌に雑多に物の置かれた一角へ向かう。
 積み上げられたキャンパスや画材の山から、血のこびり着いたバケツやのこぎりを取り出して行く。
 月はその様子に少し寒気を感じながらも相手を牽制するため口を開いた。
「お前は警察に捕まる。僕を殺すのはお前にとってリスクが高すぎるからな」
 月は取りあえず時間稼ぎをすることが必要だと感じた。
少なくとも公園などに血の絵を描くには深夜でないといけないはずだ。
作業が遅くなれば遅くなるほど一日の猶予が与えられる。
 今までこの男は身元が割れないようにターゲットを厳選して行動していた。
しかし月は狙われた女達とは明らかに立場が違う。
身元の特定も早いだろうし、電話の履歴を辿れば犯行時間等も知る事ができる。
今までの女達に比べて圧倒的にリスクが高い。
そのあたりを理解すれば、男が今までのような安易な犯行に及ぶ可能性は低くなる。
そして月の時間の猶予も増えるはずだ。
「それは君が警察庁局長の息子だから?」
 あっさりと男が発したその言葉に月は目を見開く。
「何故知ってる……」
脳内を疑問が駆け巡る中、静かに横に佇む死神が口を開いた。
『月……こいつの名前、俺見た事あるぞ』
 唐突なリュークの告白に月は驚く。
思わずリュークの方に目を動かしてしまうと、見覚えのある写真が月の目に写った。
開かれた中学のアルバム。
『月の卒業アルバムに載ってた奴だ』
 その言葉と自分の見たアルバムから、月は必死に記憶のページをめくった。
アルバムの事から考えればこの男と自分は同級生だったはずだ。
 月が置かれたアルバムを目の端に捕えた事に気付き、男は満面の笑みを浮かべた。







「久しぶりだね。夜神君」
やっと月が出せました。
攫われてもヘッドロックかませるくらい月は強いと思う。
(最近の本誌を読むと特に)





prev/ menu/ next