パラレルお題
唯一有彩色      <7>
 久しぶりだと言う男の言葉に必死に記憶の海を探るが、月は男が誰かを特定する事が出来なかった。
中学の頃だと言ってもあの写真に載っているからには最高でも3年ほど前の話だ。
思い返せばそれなりに親しかった友人の名前や顔は出てくるが、目の前にいる男に関しては全く思い出せない。
「暗かったけど、見た時にすぐ夜神君だって分かったよ。
嬉しかった。ぼくにとって君はとても大事な人だから」
「……大事?」
「君はぼくを救ってくれた。
いじめられて、いつも下を向いていたぼくに手を差し伸べてくれた」
 いじめと言うフレーズで、やっと月の記憶に引っ掛かるものがあった。
中学時代、確かにクラスで無視されている同級生にも変わらず接した事があった。
月はクラスの中でも人気がある方だったので、それをきっかけに少しずつそういう事は減ってクラスの人間とも普通に話せるようになった。
 だがそれは月にとっては特に意識もない行為だった。
月は父親に徹底して教わったことを実行したまでだ。


悪い事を決して許すな。弱いものを必ず守れ。


 だからそれは同情でも正義感でもなんでもない、ただそうするのが当たり前だからしたまでの行為だった。
呼吸をするくらい意識しない事を覚えてなんていられない。
「ぼくは君のおかげで立ち直れたと思った。
でも駄目なんだ。
高校に行って独りになって、ぼくはまた元に戻ってしまった。
…………辛かった。
だからぼくは君と生き甲斐である絵に救いを求めた」
 そう言うと男は置いてあった卒業アルバムを取って月に見せた。
その開かれたページには月が花のアーチをくぐっている例の写真があった。
「これ、綺麗だよね。ぼくはこの写真を再現しようと思ったんだ」
 そうして陶酔したような表情でそこら中に散らばる、積み重なったキャンパスを見やっている。
恐らく置いてあるキャンパス全てがあの写真を元にしたものなのだろう。
自分の知らない所でそんな事をされているのは不愉快な話だ。
本能的な気持ちが悪さを感じる。
 男はおもむろにその積み重なったキャンパスへ向かって歩いて行った。
一番上のキャンパスを取りじっと見つめる。
「でもだめなんだ」
 ぼそりと呟いたかと思うと、いきなり男はそのキャンパスを床に叩き付けた。
強い力を加えられたキャンパスは木わくが砕け飛んで壊れた。
男は壊れたキャンパスをなおも踏み付けて叫ぶ。
「あの眼の醒めるような赤が表現出来ないっ!
どんな絵の具を使っても出来ないっ!!
君の美しさを引き立てるあの赤が必要なんだっ!!!」
「……それで血か?」
「そうさっ!至高の赤だよ!」
 狂気に顔を歪ませた男を月は恐ろしく冷たい眼で見ていた。
相手は結局自分で状況を打破することが出来ず、ずるずると内に篭ってしまった人間だ。
それが社会から引きこもり芸術家を気取って犯罪を起こしている。
即物的なだけ銀行強盗などの方がましなくらいだ。
 ひとしきり暴れて多少気が済んだのか、いくぶん興奮を押さえて男は置いてあったナイフを手にとった。
「ほら。綺麗だろ?夜神君」
 すっと男の手首に刃が入れられじわじわと血が滲み出した。
良く見ればその手にはリストカット痕が何本も入っている。
つくづく病んだ男だと月は内心呆れた。
おそらく『至高の色』もあの下らない自傷行為で発見したのだろう。
 血液の生臭いにおいが鼻に付いた。こんなもののどこが至高の色なのか。
「お前の主張がどんなものでも女性を使ってあんな事をした意味はない」
 きっぱりと言い切った月に男は平然と答える。
「そうだね。あれは無意味だ」
 何故か同意した男に月は驚きをかくせなかった。
男にとってあの殺人は至高の芸術作品のはずだが、もうそれにはとんと興味をなくしているように見える。
「あれは駄作だ。
はじめから駄作だと分かっているものを作るなんてぼくは間違っていた」
 男はすっとナイフを月に向けた。
「ぼくはこれから君で最高の芸術を作る。
冷静になってみれば君の美しさを君以上に表せられるものなんてあるはずないからね」
 愉悦の表情で笑う男に、どこが冷静だ。と月は心の中だけで吐き捨てた。
「そして誰もがぼくの芸術を讃えるんだ。
ぼくは最高の芸術家になる。誰からも認めてもらえる……」
 その言葉に内心舌打ちする。
どうやらもう証拠隠蔽を考える思考能力も欠如しているらしい。
これでは時間稼ぎが難しくなってしまった。
「君の芸術は一般には理解され難いと思うよ」
 呆れたようなつぶやきに大きく反論するかと思ったが、男はそんなことはなく自信たっぷりに笑った。
「ぼくの芸術は認められるよ。キラのようにね」
 返された返事に月は思わず唖然とした。
なぜそこでキラの名が出るのか。
驚いている月に向かって男は嬉々として説明する。
「キラはぼくと同じ芸術家だ。
キラは犯罪のない世界という芸術作品を作ろうとしているのさ。
そして人々に少しずつ受け入れられている」
 先駆者と行った所か、と笑う男を呆然としながら月は眺めた。




僕が、こんな低俗な殺人鬼と同類だと……?




 怒りに身体が震えた。
弱いものをいたぶり殺す。
そんな犯罪者と同列にされたのだから当然だ。
だが相手の方が恐怖によるものだと勘違いしたらしい。
上機嫌に笑っている。
 こんな人間話にならない。
あんな汚らしい死体を量産する男がキラと同列なんてあり得ない。
信念も品も知能もない芸術家気取りの犯罪者でしかない。
キラと同列で居て良いのはあの猫背で甘党の不愉快な男ただ1人だ。


 男はバケツとノコギリを月のそばに置いて、さらに奥から鉈などもとり出す。
絵を描く道具として大掛かりすぎて芸術よりも大工じゃないかと内心毒づいた。
 男はナイフを月の顔面に向けた。血で汚れた切っ先を突き付けられる。
「早くしないと時間なくなっちゃうからね」
愉悦の笑みに不覚にもぞくりと肌が粟立った。
相手の異常性を考えれば生理的な嫌悪だ。
 自称芸術家の可哀相な生い立ちやら御高説のおかげで、Lからの電話からけっこう時間がたっている。

まだ見つけられないのか?いい加減早く来い。
目の前の紛い物の世紀の芸術家と違って本物の世紀の名探偵なのだから。

 月は苛立ちを押さえる為にそっと息を吐いた。
「じゃあ始めようか」
 男はそのままナイフの切っ先が下ろしていった。
それは肌にぎりぎり触れる事はなく、月の服のボタンを1つずつ断ち切って行く。
最後のボタンのつなぎ目がとれて胸が外気に触れた。
 一気に現実味を帯びた状態にただひたすら1つのことを願う。



早く来いっ!Lッ!!



 突然がしゃんっと大きな音が響いた。
拙い造りの部屋全体が微動する。
多量に積まれた荷物が上の方からがらがらと落ちていった。
音がした方を振り向くと、貧相な物置きのドアが弾き飛ばされている。
「大丈夫ですか!?月くんっ!!」
 開け放たれたドアの向こうでLが立っていた。
だが柄にもなく汗をかいていて、いつも飄々としている顔は焦りに満ちている。
 必死な顔が間抜けだと笑ってやりたかったが、助かった事への安心とか本当に来てくれた嬉しさとかで月の方が顔が崩れた。



「遅いっ!もっと早く助けに来いっ、馬鹿!」



 安堵の表情で悪態を付く。
月らしい意地っ張りな態度を見てLも安堵の笑みを浮かべた。
書いてて思ったのはL早ーっ!!でした。
普通にありえないくらい早いです。
そこはもうLだからで納得しといて下さい。




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