唯一有彩色 <8>
ガリガリと爪を噛む音がする。苛立って爪を噛むLを、松田は恐る恐る覗き込んだ。
「あの……」
「なんですか?」
意を決して声をかけるも、Lから返される声には苛立ちを通り越して怒りが込められていた。
自分が怒られている訳ではないのに、思わず後ずさる。
「月くんが本当に大変だって分かったのに、
ここでこうしてつっ立ってて良いんでしょうか?」
松田の疑問に淡々とLは答える。
「意味なく立っている訳ではありません。ワタリと相沢さんを待っています」
「相沢さん?」
ワタリはともかく、松田にとって相沢の名は意外だった。
「模木さんを月くんに見られるわけには行きませんし、
夜神さんには病院に待機してもらっています。
月くんは多少なり怪我をしているはずですから父親の……」
「ちょっ、ちょっと待って下さい!
なんか月くんの居場所が分かってるみたいなんですけど!?」
淀みなく話すLの言葉を遮って松田は声をあげた。
焦った声を出す松田に、しかしLはあっさり答える。
「正確には分かりませんが三カ所までには絞り込めています」
だからこれからワタリの報告を待ち、松田・相沢・ワタリとLでそれぞれの家に月を探しに行くのだと言う。
その説明に松田は感嘆のため息を漏らす。
「こんな短時間でよく犯人の居場所分かりましたね」
「幸いなことにデータは入っていましたから」
薬品の有効時間と犯人の行動にかかる時間とを四カ所の事件現場から逆算すれば大まかな場所は特定できる。あとはその中から犯人の条件を照らし合わせればいい。
犯人は目立つ特徴もない凡百な男だが、それでも犯行の特異性が条件を厳しくする。
「人間を生きたまま麻酔なしで切断してるんです。
そんな五月蠅い作業してても隣人が気づかないなんて条件そうありません」
相変わらずグロテスクな話でも簡単に話すLに、松田はなんとか話の方向を変えようと口を開いた。
「犯人宅にはどれくらいで着くんですか?遠いんなら地元警察と連携した方が……」
「10分もあれば着きますので連携の方が手間がかかります」
「じゅっ……近いですね」
意外な時間に思わず呟く。
だがそう言われると松田の中に疑問がもたげる。
月が連れ去られたのは証言によると十一時半ごろだ。
それからどんなに殺す用意に時間がかかっても、さすがに三時間近くも無事でいるのは無理ではないだろうか?
松田の疑問を読み取ってかLが口を開く。
「現場から犯人宅に月くんを運ぶのには正味一時間もいらない。
ですが犯人は被害者を連れ込んでから一時間は殺しません。
残り一時間くらいの時間稼ぎは月くんに期待しても良いでしょう」
「1時間殺さないって……犯人は何をしてるんですか?」
それは純粋な疑問だったのだが、只でさえ悪かったLの機嫌がその言葉で急降下していくのを松田は感じた。
普段でもあまり良くない目つきに剣呑さが宿っている。
「あのっ」
やっぱり良いですと取り繕う言葉を松田は発そうとしたが、それよりも早くLの口が開く。
「犯人は被害者を殺害する前に性交渉をしています。だいたい1時間くらいです」
ぐっと松田は一瞬言葉につまった。
余りの事態に息を飲むが、それでも思った事が言葉として出てきてしまう。
「つまり……竜崎は月くんがヤられちゃってるのを前提にしてるって事ですか?」
いくらなんでも男性である月には犯人もしないんじゃないかと思ったりもしたが、本来の女性の代わりに連れ去ったくらいだ。
犯人としては代わりが勤まると判断しているのかも知れない。
しかも強姦されていないならすでに月が死んでいる確率があがってしまうと言う。
「松田さん」
呼ぶ声に思わずぎょっとする。
ぎろりとLの沈んだような色合いの黒い瞳が松田を捕えた。
「考えるだけではらわたが煮えくり返るほどに腹立たしいんです。
わざわざ声に出さないように」
「は、はい」
いつもとは違うぞっとするような声音に、松田は卑屈な調子で返事を返した。
微妙な空気になってしまった場を破る救いを探していると、目の端に通りを駆け抜ける車のヘッドライトを認めた。
猛スピードで駆け抜けてくる2台の車はLと松田の前で停車する。
「竜崎、松田!」
相沢が車から降りてくる。
もう1台の車からはワタリが手に資料を持って降りてきた。
「竜崎、条件に合う者達の資料です」
何枚かの資料をワタリが竜崎に渡す。
そこには例の条件に合う犯人候補達の住所と簡単なプロフィールが載っていた。
眺めるようにしてそれを頭に叩き込むと、1人の男の経歴に引っ掛かる者を感じた。
「松田さん、月くんの中学アルバムはありますか?」
「は、はい!」
唐突なLのリクエストに松田は持ってきた紙袋を漁って、1冊の太いアルバムを取り出した。
それを見ると松田が手渡してくるのを待たずに取り上げて、ページをめくる。
月の経歴は頭の中に入っているので、そこからあたりを付けて一気にページをすすめる。
月の所属していたクラスに瞬時に辿り着く。
そこには名前と顔写真、そして集合写真が見開きのページに載っていた。
Lは名前を確認しながら一気にその写真を眺める。
1人の男の写真で目が止まった。
名前は『基端 巧巳』。
多少おどおどとした印象は受けるが、特に目立つ事もないごく普通の中学生の写真だ。
この男が候補の1人か……
猟奇事件とは無縁そうな顔をしているが、本当に無縁かどうかは判断出来ない。
ふと、ついでだとばかりに横目で集合写真の方も見やるが
その基端の妙な目線がLの目に止まった。
皆が正面を向く中、基端だけが横に目をそらしている。
その視線の先に見えるのは
夜神月。
Lはばたんと勢い良くアルバムを閉じた。
手に持っていた基端以外の資料を松田と相沢に押し付ける。
「それぞれ向かって下さい」
「はい!」
2人が車に乗り込んでいく。
Lも自ら後部座席のドアを開けて車に乗り込んだ。
「ワタリ、行きます。急ぐように」
「了解しました、竜崎」
自分からドアを開けて乗り込んでいくLに少しだけ驚きながらも、そんな感情は微塵も見せず優雅な動きでワタリは指示に従った。
Lの意志を汲み取り、規定速度を振り切ったスピードで車を走らせる。
実際には数分だがLにとっては気の遠くなるような時間を走り、車は基端家の玄関に到着した。
基端の家はかなりの物で代々続く土地持ちというやつなのだろう。
それでないと東京のそれなりの土地にこれだけの面積を確保する事は出来まい。
「一応先に警察である胸と緊急のようで来る事はそれぞれの家に連絡してあります」
ワタリの言葉に頷く。
それならば後ろ暗い所がない限りは入る事を拒否し続けると言う事はないだろう。
Lはずかずかと門をくぐり抜けて玄関に向かう。
インターフォンを押すと割とすぐに人が現れた。
恐らく主人であろう中年の男とその妻であろう女性。
資料によると他に4人の家族がいるはずだ。
夫婦は不機嫌な表情をしていたが、この時間の尋ね人なら当然だろう。
「息子さんはいらっしゃいますか?」
その言葉に2人は明らかに動揺の色を見せる。
当たったな、と心で呟く。
さすがに息子の様子がおかしい事には気付いていたらしい。
「どこにいる?人命がかかっている」
Lの声が発する威圧感に気押され、ふたりは若干の震えと共にそっと指を刺した。
「裏の、物置きで……」
その言葉を聞き、Lは走り出した。
無理矢理垣根の中を突っ切って隅に置かれた小屋へと駆けていく。
ドアノブを勢いのままひねろうとしたがドアには鍵がかかっている。
Lはドアを思いきり蹴りあげた。
粗末な造りのドアが勢いよく外れた。
「大丈夫ですか!?月くんっ!!」
声をあげた。
正直賭けだった。
もし答える声がなかったらどうしようかと焦りが支配する。
「遅いっ!もっと早く助けに来いっ、馬鹿!」
暗い部屋の向こうから月の声が聞こえた。
一歩Lが踏み込めばそこには拘束されている月。
生きている。
罵る言葉に反して月の表情は安堵に包まれていた。
月らしい意地っ張りな態度だ。
そこで生きている存在にLは安堵の笑みを浮かべた。